301 二人の預言者(3)

「――ちょっと待て、そこがわからねえ」


 『川』の説明が佳境に入ったところでオズ――最初は名前が出てこなかった二人のうち一方が手を挙げて俺の話を制した。


「どのあたり?」


「その『川』の水ってのが空から降ってくるもんだってことはわかった。けど、ならどうしてその空の水はなくなっちまわねえんだ? 降った分は減らなきゃ話がおかしいだろ」


「ああ、それはだな……」


 オズにラビット、それに名前を思い出したもう一人であるノーマが、さっきからよくこうして話の腰を折る。と言うより、疑問に突き当たるとそれをそのままにせず、その場で素直にぶつけてくるのだ。


 そしてその度ごとに俺は、彼らを納得させるための合理的な回答を求めて必死で頭をはたらかせることになる。


「降ってきた水がまた空に戻るんだよ」


「戻る? どうやって」


「たとえばここで水をこぼしたとすると、その水はどうなる?」


「消えてなくなるに決まってる」


「それが実は、消えてなくなるわけじゃないんだ」


「なくなるわけじゃねえ? ならどうなるってんだよ」


「ここで消えたように見える水は、消えたわけじゃなくて空にのぼってくんだ」


「はあ? そんなわけあるかよ。だったらどうしてここではその『雨』ってのが降らねえんだ?」


「空にのぼってく水が少ないからだよ」


「そりゃまあ……確かに少ねえな。けど、何で少ねえんだ?」


「『雨』が降らないからだよ」


「……ああ、そういうわけか」


「空にのぼってく水が少ないから『雨』が降らない。『雨』が降らないから空にのぼってく水もない。だからここはいつも乾いていて、さっき言った『川』もないんだ」


「ならよ、その空にのぼってった水ってのは――」


 疑問はさらなる疑問を喚び、はどんどん白熱したものになってゆく。ともすれば科学の根本原理まで問い質してくる彼らに、だが俺はお座なりの科学用語で答えることはできない。


 話し始めて間もなくはそれで片をつけようとしていた。けれども、そんなとってつけたようなもので彼らを頷かせることはできなかった。


 そもそもここには科学という概念そのものがないのだ。そんな彼らの純粋な疑問をさばくためには、どこまでも単純明解で直感的な説明を並べてゆくしかない。


「ってことは、だ。その『川』ってのに水がいくらでもあるから、敵と戦ってまで奪うこたねえってことだな?」


「まあそんなところだ」


「そうかあ。そりゃ確かに飲める水が流れてりゃ、そいつ手に入れるためにわざわざ出撃するこたねえわなあ……」


「そういうこと」


 それが理由で、俺の説明にはところどころに嘘が入る。


 川の水がそのまま飲めるわけではなく、浄水場で浄水が行われてはじめてそれを飲むことができるのは子供でも知っている。けれども生物濾過を主体とするその複雑な工程を彼らにわかり易く説明することは難しい。


 それに、そのまま飲むことができる川の水もないわけではない。だからここでは川の水をそのまま飲むことにしても問題はない――ということにしておく。


「しかし、だ。その『川』ってのは近いのか?」


「近い?」


在所アジトの近くにあるかってんだ。あんまり遠いようなら水汲みに行くのが面倒じゃねえか」


「ああ、それなら大丈夫。水道があるから」


「何だ? その『水道』ってのは?」


「水を在所アジトまで導いてくる管のことだよ。それがあるから俺たちはわざわざ川まで水を汲みに行かなくてもいい。蛇口をひねるだけでいつでも水が飲めるんだ」


「おい、ちょっと待てよ。『水道』ってのはわかった。けど、その『蛇口』ってのは何だ?」


「『蛇口』ってのは、ええと……。ああ、そうだ。『蛇口』ならここにもあるな」


「ここに!?」


「どこに!?」


「便所の隣にあるやつ。曲がったくだの頭に、ねじるための取っ手がついてるのがその『蛇口』ってやつだ」


「あいつか! ……いや待てよ、賭けてもいい。あれひねっても水なんか出てこねえぞ」


「それは出ないよ。ここには『川』がないんだ」


「ああ、そうか。『蛇口』だけあっても駄目か」


 ……ここでまた嘘だ。川がなくても水を得る手段はいくらでもある。


 例えば井戸。こんな砂漠の真ん中でも深い井戸を掘れば水が出る可能性はある。このビルにある蛇口にしても、そうした可能性をあてこんで設けられたものなのかも知れない。


 だが現実としてここに井戸はなく、地中深くまで穴を穿つための重機もない。だからここでは川がなければ蛇口から水は出ないことにしても問題はない――ということにしておく。


 水について一段落したところで話題は食べ物に移った。当然、そこでもまた世界観の違いによる認識の溝を埋めるために俺は言葉を尽くさなければならなかった。


 そもそも彼らの中で食糧といえば、今朝も口にしたあの健康補助食品しかないのだ。それが理由で、まず「食べ物とは何か」という点について激しい議論の応酬があった。


 その議論がどうにか俺の主張する側に落ち着いたところで、俺は彼らに多種多様な食材と、それを調理することにより得られる料理について説明していった。


 この三日間あの食品ばかり食べさせられ続けたせいで、俺の中でも食に関するフラストレーションは高まっていたから、その説明は自然と憧憬のこもるものになった。


 あの健康補助食品がおそらく穀粉からできたものだという話を皮切りに、穀物食の話、パンの話。そこから肉食に話を移して、畜産物の話、水産物の話。それから栄養よりもむしろ楽しむことを目的とした嗜好的な食品の話……。


 水産物の説明では『海』という言葉が問題になった。汗と同じ味がする水が見渡す限りに広がる巨大な水溜まりだという俺の説明に彼らは笑ったが、それが冗談ではないとわかるとやにわに真面目な顔つきになった。


 船の話、魚の話――俺が話を進める毎に彼らの目の輝きが増してくるのがはっきりと見てとれた。そんな彼らの変化を目の当たりにして、自分の口から出る言葉も自然と熱っぽいものになってゆくのがわかった。


 海の話から再び川の話、それから森と草原の話へ。それも語り終え俺が一息つくと、待っていたかのようにラビットから質問の声がかかった。


「――てことは、だ。そんとこでは出撃はまるきりねえてことか?」


「そういうこと」


「けどよ、そんならはどうすんだ?」


「あれ?」


だよ。出撃がねんなら『戦利品』もねえてことだろ。そしたら肝心のができねえだろがよ」


「ああ……か」


 俺の理解を受けたラビットの顔に一瞬下卑た笑みが浮かびかけ、だがはっきりした笑みにならないまま即座に消えた。それから裂けた唇を半開きにし、真顔でじっと俺を見ている。


 残る四人も似たような顔をこちらに向けている。そこにからかいめいたものはない。昨日、一昨日と見てきた下世話なものに対する子供じみた盛りあがりは、もうどこにもない。


 そうして俺は、いつの間にか彼らが真剣になっていたことに気づいた。興味本位ではなく、彼らは心からそれを聞きたがっているのだ。


 だとすればこちらも真剣に答えないわけにはいかない。その難しい質問――だがおそらく彼らにしてみればごく自然でまっとうな質問に答えるため、俺はしばらく全力で頭を回転させた。


「……結論から言えば、ないわけじゃない」


がか?」


「うん。あるにはある。と言うか、ちゃんとある」


「けど出撃がねんだろ? ならどうやて女仕入れるんだ?」


「ああ、ええとだな。がないわけじゃない。けど、俺が元いた場所でのは、ここでラビットたちがしているとはだいぶ違う」


「違う? どこが――」


 と、続きを言いかけるラビットをリカが手で制した。そのまま食らいつくような眼差しをこちらに向けてくる。


 ……こんな真剣なリカの顔を見るのは初めてだった。その表情と、自分がこれから話そうとしている内容とのギャップに複雑なものを感じながら、どういった角度から切り出すのがいいか慎重に考えた。


「まずだな……そう、無理にやるわけじゃない。同意が必要なんだ、女の」


「は?」


 という声が一斉にもれた。さっきから何度も見ている、予想外のことを言われたときの反応だ。ただ俺の方でその反応は予想できたものだったので、構わずに先を続けた。


「ここみたいに捕虜の女を押しこめて、好き勝手に嬲りまわすようなことはしない、ってことだ。しない、と言うよりできない。そういうことをすると反対に男の方が捕まって酷い目に遭う。だからをするには、女に『うん』と言ってもらうしかない」


「どうやって?」


 幾つかの声がハモる。この反応もおおかたの予想通りだ。その真剣さに感動すら覚える一方で、内心にやれやれと溜息をついた。


 ……問題はリカだった。彼女の前でこの先の話をするのは、はっきり言って気まずい。だが息を詰めてその先の話を聞き逃すまいと俺の説明を待っているリカに、邪魔だから出ていってくれとはさすがに言えない。


 仕方なく覚悟を決め、その一言を放つために大きく息を吸った。


「恋愛、というものがあるんだよ」


「恋愛?」


「何だそりゃ?」


「ああ、ええとだな……。男が一方的にしたがるんじゃない、女の方でもをしたがる。お互いにそうなることを恋愛って言うんだ」


「待て待て、やったあとならわかるぜ? さんざんやったあとに頭がになっちまってそうなる女なら確かにいる。けど、やる前にそうなるのか?」


「そう、やる前にそうなる。お互いにをしたいって気持ちになる。それが恋愛ってやつだ」


「……」


 彼らからの反応の声はあがらず、代わりに揃ってぽかんとした顔になった。それだけ想像を超えた話だったのかも知れない。


 だが俺としてはそれどころではなく、気まずさと恥ずかしさで死にそうだった。何の因果か大真面目な顔で恋愛の定義について語っている。しかも、こともあろうに気心の知れた女友だちの前で……。


 目を合わせるのは苦しかった。それでも彼女にだけ視線を向けないでいるのも語り部として具合が悪かった。恐る恐るそちらに目を向けた。


 ……と、ずっとこちらを見つめていたものとみえるリカと視線が合ったところで、その唇がゆっくりと動いた。


「……どうしたら、そうなるの?」


「え?」


「その『恋愛』っての。どうしたら二人が――男と女がそんな風になるの?」

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