302 二人の預言者(4)

 まるで砂漠に水を欲するように、切実に答えを求めるリカの声だった。いつものふざけ半分ではない、他の聞き手と同じようにリカも本気でそれを聞きたがっているのだ。


 ……ただ、だからといって気恥ずかしい思いに変わりはない。自分の人生でこんな厄介な場面に遭遇することがあるなどとは、夢にも思わなかった。この俺がリカを相手に、人がいかにして恋に落ちるかを語るなんてことが……。


「……ええとだな。一緒にいて、気がついたらそうなってるんだよ。だいたいの場合は」


「おい、そらどういう――」


「ラビットは黙ってて! 今はあたしが聞いてるの! ねえハイジくん、ホントにそうなの? 一緒にいたら、自然にそうなるの?」


「ああ……そうだな。うん、一緒にいてもならないやつらはならない。たとえば俺とリカがずっと一緒にいてもたぶんならないし、実際で俺たちはそうならなかった」


「……」


「けど、そうなるやつらは一緒にいればそのうち自然とそうなる。俺たちはそれを『恋に落ちる』と呼んでる。一緒にいて同じ時間を過ごしているうちに、人は自動的に『恋に落ちる』もの……らしい」


 叫び声をあげて背中を掻きむしりたい衝動に駆られながら、どうにかそれだけ言った。


 ただそんな中、自分の回答を顧みれば、まあな答えになっているのではないかと思った。百人いれば百通りの考え方があるに違いないそのへんの現象を、一般論で片づけることを考えたら、この回答はかなり妥当な線だ。


 いずれにしてもこの話題からはもう離れたい。そう思って口を開きかけ……だがそれよりもリカから質問が来るのが早かった。


「タイミング的にはどうなの?」


「……何が?」


「『恋に落ちる』とき。あるタイミングで突然そうなるの? それとも時間かけてゆっくりそうなるの?」


「……」


「ねえ、どうなの?」


「どっちもある……らしい。と言うか、人によって違う……らしい。一瞬で『恋に落ちる』のが普通のやつもいれば、ゆっくり時間をかけないとそうならないやつもいる……ということらしい」


「それってどんな気持ち?」


「……何が?」


「『恋に落ちる』ときの気持ち」


「……それはたぶん、人によって違うから」


「そうなの? なら、ハイジくんのでいいから――」


 ……もうお手上げだった。目を輝かせて見つめてくるリカから視線を逸らし、陽射しに翳りの見え始めた窓の外を眺めた。いっそそこから身を投げてしまいたいと思った。けれども俺は自重し、そこから身を投げた思いでリカの質問に答えることにした。


 答えを返すとすぐに次の質問が来る――しばらくそんな繰り返しがあった。具体的に俺がどんな女相手に『恋に落ちた』かという問いだけはさすがに回答を拒否したが、それ以外の質問にはほとんど城を明け渡した気持ちで丁寧に答えていった。


 リカの質問は尽きなかった。ときどき他の男たちが口を挟もうとしたが、その都度リカによって遮られた。そのうち彼らも諦めたのか、黙って聞き役に徹していた。


 ――そのあたりから、俺の耳には背中にかかる規則正しい寝息がやけに大きく聞こえ始めた。


 この部屋に来てからというもの、五人のうち誰一人として部屋の隅に眠るアイネに気を払わない。今こうしている間も、そちらには誰も目を向けないでいる。


 だが彼らの視線を一身に受ける俺は、輪の外で一人眠っている彼女を意識せざるを得なかった。……そうしてとりあえず、俺が『恋に落ちた』相手がすぐそこに転がっていることだけは悟られないように、説明の中でその点についてだけは十分に注意を払った。


 日がだいぶ傾くまでその話は続いた。リカは際限がないと言ってもいいほどしつこく、様々な角度から『恋愛』の説明を俺に求めた。終いには神経が麻痺してしまったのか俺も気まずさから解放され、彼女の求める回答を恥ずかしげもなく返せるようになっていた。


 そんなリカとの掛け合いは延々と続き、やがて必然の流れとして話は『結婚』に行き着いた。


「『結婚』?」


「そう、『恋に落ちた』二人はいずれ『結婚』するんだよ」


「条件ってあるの?」


「条件?」


「二人が『結婚』するための条件」


「お互いに愛し合ってることかな」


「『愛』って?」


「ん?」


「さっきから何度も出てきてるよね、それ。『愛』って何? 『恋愛』とは違うの?」


「ああ、そうだな……。『愛』ってのは『恋愛』の発展したもので、すごく相手のことを大切にする気持ちだ」


「どれくらい? 具体的に」


「具体的には……少し大げさになるけど、そいつのためなら死ねる、ってくらいの気持ちかな」


「そうなんだ。それが『愛』なんだ」


 そんな歯の浮くような台詞にも、俺はもう恥ずかしさを感じなかった。むしろわずかにのようなものさえ入っていたように思う。


 けれども、肝心なところではやはり説明に嘘が入る。『愛』もなく『結婚』する人間は世の中にごまんといるわけだし、そいつのためなら死ねるという相手に巡り会うことなど奇跡に近い。


 そう思いながらも俺は主観に充ちた恋愛論、結婚論を語り続ける。なぜならリカが聞きたがっているのは一般論ではなく、あくまで俺の主観としてのそれだからだ。


「でも、そんなことできるの?」


「何が?」


「ずっと一人の相手を『愛し』続けるなんてできるの? そのうち飽きちゃうんじゃない?」


「その可能性もある。けど、だからずっと一緒にいても飽きない相手を探すんだよ」


「難しくない? そんな相手探すの」


「ああ。はっきり言って難しい」


「ハイジくんは、誰かと『結婚』してたの?」


「してない」


「いつかする?」


「たぶんする」


「ふうん。なら『そいつのためなら死ねる』って相手を、戻ってから探すんだね」


「ああ、そういうことだ」


 こうして俺はまた噴飯ものの嘘をつく――



「……もうおれが話していいか?」


 白熱した二人の恋愛談義もようやく勢いが治まってきたところで、幾分呆れたような声でラビットが言った。


 会話から閉め出されていたことへの恨みめいたものより、聞いているだけでもう腹がいっぱいだという飽食感のようなものがその声には感じられた。他の三人もみな似たような顔で俺たちを見ている。


 そこに至ってリカはにわかに申し訳なさそうな表情をつくり、「あ、ごめん」と取ってつけたように言った。


「あたしだけ話しててごめんね。みんなのハイジくんなのに」


「よく言うぜ。おれたち除けもんで盛りあがてたくせによ」


「だから、ごめんって言ってるじゃない。いいよ、そっちに返してあげる。はい」


「へ、まあいい。じゃおれの番だな。さきから気になてしょうがねえことがあるんだ」


「どのへん?」


のことだ」


「……またかよ」


「リカとの話聞いててひとつはわかた。おめが捕まえた女どもをいじらねのは、元いたとこじゃ『結婚』てのをしねえ限りができねえ、てことなんだな?」


「それはだな……まあ、それでいいや」


「だがもうひとつわからね。なら、何が楽しみだ?」


「え?」


ができねなら、何が楽しみで生きてんだ?」


 少し苛立つような早口でラビットはそう言うと、じっと俺を見つめてくる。一気にまた低俗な話題に引き戻されたと思ってげんなりしたが、表情には出さなかった。


 結婚しなくてもはできる。そう言って訂正するのは簡単だった。だがラビットが聞きたいのはそんなことではないというのもわかる。


 そういえばさっきアイネと話していたとき、俺は逆の立場で似たような質問をしていた。……かすかな寝息を背中に聞きながら、ふとそのときのことを思い出した。


「そりゃまあ、色々ある。……と言うか、しか楽しみがないってのが逆に俺には不思議だし、正直よく理解できない」


「はあ? 理解できねえたどういうこた?」


「つまらないだろ、ってことだよ。他にも楽しいことがいくらでもあるのに」


「だからそれを聞いてんだろが。おめのいたとこにはの他にどんな楽しみがあるてんだよ」


「ああ、それはだな……」


 言いかけて、詰まった。いくらでもあるなどと大口を叩きながら、いざ回答しようとするとすぐには出てこない。


 これも人それぞれ返ってくる答えが違う問いの典型だろうが、ラビットが求めているのは例によってだ。俺はいったいあちらで何を楽しみに生きていたのだろう?


 ……だがそこまで考えて、答えは出た。あくまでではあるが。


 とても一般的とは言えないその答えを一度は飲みこもうとして、けれども結局、俺はそれを口に出した。


「たとえば、演劇」


「何だそら? その『演劇』てのは?」


「ああ、『演劇』ってのはだな――」


 そうして俺は、便所の帰りにDJにした説明を彼らの前でそのまま繰り返した。俺とDJと死んでしまったルード、その三人が織りなす原始的な喜劇について。


 当然、DJのときと同じような質問で何度も話の腰を折られたが、二度目ということもあってそれなりにスムーズに説明できた。


 ただ、それでもやはり彼らの理解を得ることは難しかったようだ。


 俺が話し終えるとノーマはしみじみとした口調で「わからねえな」と呟き、同意を示すようにオズが大きく頷いた。


「そいつのどこが楽しいんだか、俺にはちっともわからねえ」


 もう一度ノーマが言うと、オズはまたうんうんと頷いて見せる。そんな彼らを見て俺は、自分の心が通じなかった寂しさを感じながらも、それも仕方がないことだと思った。


 ……そう、それはあくまでだ。そもそもセックスと比肩する楽しみの例として、『演劇』を挙げるのはあまりにも偏っている。たとえが悪すぎたのだ。


 そう思い、より一般的な例で説明し直そうと題材を探し始めた。けれどもその矢先に、思いがけない方向から「いや、おれにはわかる」という声がかかった。


「あんだよラビット。てめえに何がわかるってんだ?」


「人を笑かすことが楽しみ、てのがわかるてんだ」


「あ? 俺はラビットに笑かされた覚えなんてねえぞ」


「おれじゃね、ルードだ。あいつは人を笑かすことが楽しみだた。そういうやつだた」


 そのラビットの言葉に場がしんと静まった。


 オズはすぐ気を取り直したように「そういやそうだったな」と言い、ラビットも気安い相づちを打った。だが、静まった場の空気は元に戻らなかった。五人とも神妙な表情を浮かべ、お互い顔色をうかがうように見つめ合っている。


 ――だがおそらく彼ら以上に、そのラビットの言葉から衝撃は大きかった。


 昨日、自分が人を殺したこと。この隊で初めてわかり合えた友人と言っていい人間を自分の手で撃ち殺したこと――彼らとの会話に興じながら俺は、そのことを完全に忘れていた。


 昼下がりの廃墟にその亡骸なきがらをDJと見送ってからまだ半日も経っていない。それなのに俺はまるで何事もなかったかのように彼らと笑い、他愛もない話で盛りあがっている……。


「――なあ、ハイジさんよ。そのへんについてなんだが」


 感情の迷路に入りかけていた俺を後目に、彼らは早くも立ち直ったようだ。さっきまでと同じ興味深々といった目で俺を見つめ、話の続きを期待している。


 そうとなれば俺ひとりいるわけにはいかない。どうにかして語り部としての自信を取り戻さなければならない。そう思って一度は浮上しかけた俺の心は、けれども次のオズの一言で再び打ちのめされることになる。


「ルードはそこに行ったってことなんだな?」


「え?」


「だからよ、ハイジがさっきから話してくれてるに、ルードは行っちまったってことなんだよな?」


「……ああ、そうだ」


 絶句しそうになるのをこらえ、俺はどうにかそう答えた。


 言ってしまってから、それが嘘かも知れないことを思い、訂正の言葉が出かかった。だが、俺はその言葉を口に出せなかった。


 身罷みまかりゆくルードにそのことを語った同じ口でそれを嘘にすることは、俺にはどうしてもできなかった。――たとえ嘘であっても、この嘘だけは最後までつき通さなければならないと思った。


 だからもう一度、自分に言い聞かせるように俺は言った。


「その通りだ。ルードはもうそっちに戻った。ここへ来る前に俺がいた、その場所に」


「そうか。けど、だったら安心したぜ」


「安心?」


「ああ。これで俺も安心して死ねるってもんだ。どんなひでえとこかと思ったら、案外いいとこみてえじゃねえか」


「――そんなもんじゃない」


 唐突に、それまで黙っていたゴリアスが呟いた。この部屋に入ってからずっと黙り続けていたゴリアスの、最初の一言がそれだった。


 さっと全員の視線が集まる。それをまったく意に介さない様子で、ゴリアスはまた呟いた。


「いいとこなんてもんじゃない。『楽園』だ、そこは」


 そんなゴリアスの言葉に四人は意表をつかれたような顔をした。俺は俺で、『友だち』の意味も知らなかった彼の口から『楽園』という言葉が自然に飛び出してきたことに軽い驚きを覚えながら、けれどもそれで少し肩の力が抜けた。


 じっとこちらを見るゴリアスの視線を受け止めながら、「『楽園』なんかじゃないさ」と俺は返した。


「たしかにここと比べれば平和だけど、『楽園』なんかじゃない。楽しいこともあるけど、つらいことや苦しいこともいっぱいある」


「それでも『楽園』に思える。俺には」


 決然とした一言だった。その言葉を口にするゴリアスの目はじっと俺を見ていた。それで、俺はもう何も言えなくなってしまった。


 ――確かにそうかも知れない。この殺伐とした廃墟に比べれば、俺がいたあそこは『楽園』に違いないのかも知れない。そう思い、ゴリアスの眼差しから逃れながら小さく溜息をついた。


 そんな俺の目に、懐から銃を取り出そうとするノーマの姿が映った。


 ……何をするつもりだろう。俺がそう思うのと同時にオズがノーマの腕を掴み、同じことを言った。


「おい、何する気だノーマ」


「決まってんだろ。俺も行くんだよそっちに」


「ばか、早まるんじゃねえ。どうせいつかは行くって話だろうが」


「いつか行くならいま行っても同じだろ。その話が本当かどうか、俺が確認してきてやるよ。なに、頭をぶち抜けば痛えのは一瞬――」


「待て待て! そんなことしてもそっちには行けない!」


 不意に我に返って大声で止めに入る俺に、オズとノーマは揃って訝しげな表情を浮かべた。


「何だよそりゃ……」


「どういうことだよ……」


 と、同じことを尋ねる二人の声が重なる。


 オズが掴む腕の先に、ノーマの指はトリガーにかかったままだ。取り合えず、間違ってもそれを引かせてはならない。……それ以外何も考えられず、自分でも何を言おうとしているかわからないまま、「つまりだな」と俺は切り出した。


「つまり……ちゃんと正しい死に方をしないとそこには行けないんだよ」


「正しい死に方?」


「どういう死に方だそりゃ?」


「つまりルードの例で言えば……そう、あの段階であいつはもう助からなかった。そうだろ?」


「ああ、ありゃもう駄目だったな」


「けど、ルードは生きようとしてた。少なくとも自分から死のうとはしなかった。最後まで生きることを諦めてなかった。違うか?」


「違わねえ。あいつは生きたがってた」


「それが正しい死に方だ。そういう死に方でないと、俺が話してたそっちへは行けないんだ」


 そう言って区切ると、また場がしんと静まった。その中にあって俺は平静を装いながら、嘘がとんでもなく大きくなってしまったことに愕然としていた。


 ……嘘が嘘を呼ぶとはまさにこのことだ。しかも始末に負えないことには、今さらすべてが嘘だったとは口が裂けても言えない。


「てことはだ。そこへ行きてなら今まで通り死なねように気をつけろ、てことか?」


「そう、その通りだ」


 それが理由でそのラビットの問いに救われる思いがした。今まで通り死なないように気をつける……そんな結論に落ち着いてくれるなら、俺としてはそれが一番助かる。


 ――いずれにしても、この話題は危険すぎる。時間遅れで嫌な汗をかきながら、身震いするような気持ちで俺はそう思った。


 この話題からは離れるべきだ。この話題に留まる限り、俺は際限なく嘘をつき続けなければならない。しかも下手をすれば一人の人間を自殺に追いこみかねない恐ろしい嘘を……。


「それだけでいいの?」


 そんな俺の気も知らずにリカから声がかかった。何を聞かれているのかわからず、「何が?」と反射的に問い直した。


「ハイジくんの話してたとこへ行くのに、ってこと。その『正しい死に方』ってのができれば、あたしたち、ちゃんとそっちへ行けるの?」


 そう尋ねてくるリカの表情は真剣そのものだった。


 一瞬答えに窮したあと、「俺が知ってる限りではな」と返した。……我ながら酷い回答だと思った。


 この話題をこれ以上嘘で塗り固めることはできない。そんな思いに駆られ、次の質問がかかる前にほとんど必死の思いで次の話題を探した。そんな俺を前に五人は口を閉ざし、食い入るように見つめるその真剣な表情を崩さなかった。

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