186 共同作戦の夜(9)

 ――その瞬間、俺が飛び出そうとした場所を夥しい銃弾の群れが通過していった。


「……」


 冷水を浴びせられた思いで暗視スコープに映る小さな銃をよく見る――それはいつも俺の手元にあったあのデザートイーグルではなかった。彼が手にしていたのは、それとまったく違うリボルバーだった。


 ……彼は二丁の銃を持っていたのだ。まるで撃ち落とされたかのように一丁の銃を転がし、そして俺が顔を出したところを――という巧妙な罠だったのだ。


「……」


 またしても見事な演技だった。いや、さっきのそれと比べても一際目を見張る素晴らしい演技だったと言うべきだろう。


 だが、俺はもうその演技に感動を覚えなかった。


 その代わりに、俺は冷静になった。これは演技ではない。背筋が凍るような思いでそれを確認した。そう……これは演技などではない。演技ではなく命を賭けた、生きるか死ぬかの戦いだったのだ。


 ――あいつを殺さなければならない。絶え間ない銃声を聞きながら、はっきりとそう思った。俺もあいつを殺さなければならない……殺すつもりで戦わなければならない。そうしなければ、俺があいつに殺される。


「……チッ」


 けれども、俺にあいつを殺すことはできない。絶対にあいつを殺してはならない……俺があいつを殺してしまえばキリコさんの計画はご破算となる。そうなればDJの失脚にも意味がなくなり、俺がここでこうして身体を張っていることさえまったくの無駄になってしまう――


 そんな思いの中に、俺は小さな焦りを覚えた。だがその焦りが大きく膨れあがる前に、考えるのをやめてもう一人の俺との撃ち合いに没入した。


 それからしばらく、堰を切ったように激しい銃撃戦が続いた。


 真向かいに穿たれた路地に身を隠す者同士、どちらが有利な場所というわけでもない。それだけに俺は彼をその路地から出させまいと、そしておそらく彼は俺を撃ち殺そうと躍起になって弾丸を撃ち続けた。絶え間なく交わされる銃声は無人の廃墟にひきもきらず、拳銃で撃ち合っているのにまるでマシンガンでの戦闘のようだ。


 再び戦況が硬直するのに時間はかからなかった。そしてそれはとりもなおさず、俺にとって理想的な展開に他ならなかった。


 ――だが、俺はもうこの状況がいつまでも続けばいいなどとは思わなかった。これ以上あいつと撃ち合いたくなかった。できれば一刻も早くこの無意味な撃ち合いをやめたかった。


 けれども同じ撃ち手同士、一度戦況が固まってしまえばそれはただ延々と続いてしまう。何かが起こらない限り、停滞した戦況を打ち破るような何か大きなことが起こらない限り。


 そのが起こったのは、お互いが路地に飛び込んで撃ち合いが再開されてからどれほど時間が経ったのかわからなくなったあとのことだった。


「え……」


 永遠に続くかと思われた銃声と腕の痺れで意識が朦朧とし始めていた矢先に、不意に向こうからの銃撃が止んだ。


 また何か仕掛けてくるのか、そう思って路地から半分頭を出し――そこで路地の外に無防備に立ち尽くす俺の姿を見た。


 銃を握る腕をだらりと下げ、俺とは別の方をぼんやり眺めている。一瞬罠かと思い、だが思わずそちらに目を向けた――


 そこに、想像もしなかった人の姿を見た。


「……クララ」


 ほんの数秒前まで銃弾が飛び交っていた廃墟の谷間をゆっくり近づいてくるのは……何だろう、どこかの民族衣装のようなものを身に纏ったクララだった。腰には剣……と言うより短い日本刀のようなものを提げている。


 咄嗟にもう一人の俺に向き直り、同じように向き直った俺と同時に銃を構えようとしたところで、「納めてください」と声がかかった。クララの声だった。


 その声に俺たちは何となく、お互いばつが悪そうに、構えかけた銃口を下げた。


「お逃げください。ここはわたしが引き受けます」


 次に告げられた彼女の一言は俺に向けてのものではなかった。一瞬の間があり、もう一人の俺がものも言わず飛び出してゆくのを目にした。


 反射的に追いかけようとする俺をクララは手で制した。軽く手を横にあげるだけ……情けないがその仕草で俺の足は止まってしまった。


「……どういうつもりだ?」


 もう一人の俺の靴音が聞こえなくなったところで、俺はクララにそう問いかけた。


 正直なところ、やめるにやめられなくなっていた撃ち合いにけりをつけてくれたことへの感謝のようなものもあった。だがいきなり現れて何の説明もなく相手を逃がされたことに対する反発も当然あって、少し語気が荒くなるのを抑えられなかった。


 クララは答えなかった。代わりに俺に向き直り、しばらくじっと俺を見つめたあと、言った。


「単刀直入に申し上げますが、わたしどもにつく気はありませんか?」


「……は?」


「わたしどものになるおつもりはありませんか、ということです」


「キリコさんを裏切って?」


「はい。あの方を裏切って」


「あるわけないだろ。何でそんなこと聞くんだ」


「では致し方ありません。妹たちと違い荒事は苦手なのですが、お命、頂戴致します――」


 そんな時代劇から抜け出してきたような台詞を吐き、クララは腰に提げていた刀を抜いた。普通の刀より少し短い……小太刀と呼ばれるものだろうか。


 俺がぼんやり眺めている前でクララは刀を構え、こちらに向かい突進してくる。反射的に銃を撃った――刀が振るわれ、ちぃんと鋭い音を立てて火花が散った。


 それを目の当たりにした瞬間、頭で考えるより早く脱兎のように俺は駆け出していた。


「おいおいおい嘘だろ!?」


 驚愕のあまり喉で止まっていた言葉が口をついてでた。全力で走りながら振り向き、立て続けにトリガーを引いた。


 ちぃんちぃんという音がして、また彼女の剣に火花が散るのが見えた。


「嘘だろ!? 嘘だって!」


 こんな馬鹿なことはなかった。こんなことがあっていいはずがなかった。夢見がちな少年漫画じゃあるまいし、なんてことが実際にできるわけがない。


「……くそ!」


 もう二発見舞った。だがそれもはじき返されるのを見て、もうそれが嘘でも何でもないと認めざるを得なかった。


 そう言えば――と思った。そう言えばそうだ、


 劇の中だから弾の入っていない銃で人が撃ち殺せるし、女の子が剣を振るってその銃弾をはじき返すことだってできるのだ!


「つか待てよ! 何で俺が殺されないといけないんだよ!?」


 振り返って絶叫した。だがクララからの反応はなかった。小太刀を手に、女子とは思えない恐ろしいスピードで追いかけてくる。


 暗視スコープの視界にはその鬼気迫る表情が映っている。異常な目だった。据わっているというより、何の感情も宿さない獣の目……。


 その獣の目を張りつかせた顔で剣を振りあげ、猛スピードで追いかけてくる少女の姿は、はっきり言って恐怖以外のなにものでもなかった。


「……っりゃあ!」


 走りながら襤褸をかなぐり捨て、後ろに向かってそれを投げつけた。まさに追いつく寸前だったクララは頭から襤褸をかぶり、一瞬足を止めた。その隙に俺はビルの角を曲がり、真っ暗なエントランスの中へ迷わず駆け込んだ。


「はあ……はあ……はあ……はあ……」


 黴臭い廊下を走り抜け、階段を駆け上った。暗視スコープはなかったが逆にその方がよかった。もう襤褸で正体を隠す必要はない。ビルの壁はどこも穴だらけで走っても転ばない程度に光は射し込んでいる。そして何より、あのマスクをつけて走っていたのでは息が苦しくて仕方ないのだ。


「はあっ……! はあっ……!」


 呼吸が限界に達したところで廊下の突き当たりに半分開かれていた扉に飛び込んだ。すぐに扉を閉め、ノブの下についているつまみを回す。がちゃがちゃとノブを回してみてそれが鍵だったこと、そして扉に鍵がかかったことを確認する。


「はあ……はあ……はあ……はあ……」


 一安心――とはとても言えない。さっきの調子なら彼女はこの扉を斬り破って侵入して来ないとも限らない。マスターキーのようなものを持っている可能性もありうる。刀で銃弾をはじき返せる世界なのだから何があってもおかしくない。俺の中にある常識はここでは通用しないのだ。


 背後は壁。窓――と呼ぶのもはばかられる、サッシもガラスも入っていない穴が穿たれた壁以外には何もない。そこに扉はない。出入り口は俺が通ってきた、いま鍵をかけたばかりのこの扉だけだ。防戦には都合がいい……だが逆に考えれば、逃げ場のない便に追い詰められてしまったとも言える。


「はあ……」


 大きく息をき、銃口を扉に向けた。月がちょうどいい角度にあるのか、窓からの斜光で部屋の中は充分に明るい。あのスコープがなくともこれならまず問題はない。


 トリガーにかけた指が震えている。それがもう一人の俺との対決の疲労によるものか、それとも別に理由があるのかわからない。


「……とりあえず整理しよう」


 そう口に出して言った。


 ……そうだ、落ち着け。自分が口にした言葉通り、とりあえず状況を整理しよう――


 そう思った次の瞬間、また俺はあの何か感覚を覚え、バネ人形のように振り返った。


 月光の射す窓からふわりと蝶のようにクララが飛び込んできたのはそのときだった。


「うわあああ!!!」


 半ば恐慌に陥り、クララに向け無我夢中で引き金を引いた。刀が銃弾を跳ね返す音を聞きながらほとんど体当たりで扉にぶつかり、あとはどうやって部屋を出たのかわからない。


 気がついたときにはまた真っ暗な階段を駆け上っていた。いや、駆け下っていたのかも知れない。自分がどこをどう走っているのかわからなかった。だが、そんなことはもうどうでもよかった。


 ただ闇雲に、何が何だかわからないまま走っていた。逃げること以外、何も考えられなかった。自分がなぜ殺されかけているかということも、結局逃げるのを許してしまったもう一人の俺のことも。


 闇の中に自分の靴音と荒い呼吸音だけが虚しく木霊した。


 ――だがそうして走り続けるうち、不意に強い既視感が閃光のように俺を襲った。


「――」


 息さえも忘れ、思わず立ち止まった。


 なぜ立ち止まったのか自分でもわからない――だがそう思うことで、俺はその既視感の正体に気づいた。


 あの夢だ。明け方に見たあの夢と、今のこの状況は似ている。いや、周りに歯車がないこととが違うことを除けば、まったく一緒と言ってもいいほど酷似している。


 ――同時に、夢の中で掴んだあの感覚が今の自分の中に生きていることを今さらのように悟った。


 あの路地でもう一人の俺が偽計のために銃を取り落としたとき、そしてついさっきと、その感覚は二度までも俺の中に生まれ、そして俺の身に迫った死の危険から救ってくれた。その感覚がなければ今夜、俺は二回も死んでいた。夢の中で掴んだあの感覚は、目が覚めた俺の意識にもしっかりと残っていた――


 そう思ったあとは早かった。俺は大きく息を吐き、それから目を閉じてその感覚が訪れるのを待った。あの夢の中でそうしたように……視覚よりも確かなその感覚でクララの――俺を殺そうとしている敵の接近を察知できるように。


「――来た」


 そう思ったときにはもう俺は階段を駆け下りていた。


 本当に「来た」のかまではわからない、そんなことはわかる必要がない。


 ただ俺は生きている。あの刀で心臓を貫かれることなく、こうして自分の足で立って階段を下っている。それがすべてだった。生きのびること――それだけが今の俺にとって考えるべきたったひとつのことだった。


「はあっ……! はあっ……!」


 再び立ち止まった。もう目は瞑らなかった。代わりに両手で銃を持ち、少し銃口を下げていつでも撃てるように構えた。


 もう恐怖はなかった。そう――恐怖を感じてはならなかった。それが少女との訓練で教えてもらったあの感覚を掴むための秘訣だった。


 野生の獣に怒りはない、ただ本能で威嚇するだけだ。野生の獣は恐怖しない、恐怖する前に逃げるのだ――


 そうして俺はまた走り出していた。


 今、俺が感じているこれが本当にあの感覚と同じものなのかわからない。これが本当に生命の危険を察知させるために野生の獣に備わった本能なのか、それもわからない。


 ただ、それを信じるしかなかった。信じて生きのびるしかなかった。それを信じて生きのびること――それだけがこの暗闇のなか俺にできるたったひとつのことだった。


 だからその部屋に駆け込み、壁に穿たれた穴以外に逃げ道がないとわかったとき、俺は迷わずその穴に飛び込んだ。


 足が窓枠を蹴ってからそこが二階……いや三階ほどの高さであることに気づき、あとは恐怖を覚える暇さえなかった。


 地面に着地したとき、あまりの衝撃に全身の骨が砕けたかと思った。けれども、俺は生きていた。だからまた逃げようとした、それだけを思い立ち上がった。


「ぎっ……!」


 左の足首に強烈な痛みが走り、着地の衝撃で壊れたのだと知った。だが俺は意に介さず走り始め、必死に足を前に出した。


 一歩進むごとに稲妻のような激痛が足首から全身に向け放たれた。それでも俺は立ち止まるわけにはいかなかった。立ち止まるわけにはいかない、もし立ち止まってしまえば、そこですべてが終わる――


 そこで俺は初めて後ろを振り返った。漆黒の闇の中に追いかけてくる少女の姿はなかった。


 再び前を向いた。銃を手にこちらへ向かい真っ直ぐ走ってくる一団が目に映った。その先頭にエツミ軍曹の姿を認め、俺はそこで遂に走るのをやめた。


Why...?なんで……?


 崩れ落ちる俺の身体を支えおこす腕に、思わず俺はそんな言葉をかけた。その言葉に、軍曹は表情を変えることなく静かな声で告げた。


【I said. We言ったはずだ。 are colleagues till dawn夜が明けるまで我々は仲間だと。.】

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