185 共同作戦の夜(8)

「……計算どおり、ってことか」


 思わずそんな言葉がこぼれた。事前の打ち合わせでこの場所への潜伏を指示したのはエツミ軍曹だった。あるいは偶然かも知れないが、意図的にここを選んだのだとしたら彼女の戦術眼を認めざるを得ない。


 俺の果たすべき仕事を考えれば、この位置関係は間違いなくベストだった。あの路地の狭間にもう一人の俺を釘付けにし、しかも殺さずにいつまでも撃ち合い続ける。その限りにおいて、おそらくこれ以上の位置関係はない――


「……っ!」


 そう思うそばから銃弾が目の前をかすめていった。いくらこちらに有利な位置関係とはいえ、被弾する危険がないわけではない。今もあと十センチ顔が前に出ていれば、俺の頭はスイカのように吹っ飛んでいたことだろう。もう一人の俺が手にしているのはデザートイーグル――拳銃の規格を逸脱した、この手の戦場での実用に足る世界で唯一のハンドガンなのだ。


 ただこうして撃ち合いを続けていれば、もう一人の俺がしていないことは嫌でもわかる。俺にとって今夜が初めての実戦であるように、彼にとってもこれが初めてか、それに近いものであると考えていい。


 撃とうとして同時に顔を突き出し、目が合ってお互いに隠れたときは思わず苦笑するしかなかった。慣れの度合いも同じなら技量も同じ、戦争に駆り出されたばかりの新兵同士が真似事の銃撃戦を繰り広げているのだ。


 それにしても、俺の方ではなかなか気持ちが盛り上がってこなかった。これだけ派手に撃ち合っていてそんなことを感じるのも奇妙だが、命懸けの戦いをしているにしてはその実感がまるでなかった。


 これならかつてDJと組んでやっていたサバイバルゲームの方がよほど切迫感があった。今の俺には切迫感どころか、飛んでくる弾に中ってはならないという意識さえ稀薄で、地理的な優位性がなければ一分とたなかったに違いない。


「……けどなあ」


 いまいち真剣になれない理由のひとつははっきりしている。俺があいつに命中させてはならないからだ。


 相手に命中させてはならない撃ち合いほどつまらないものはない。サバゲーでも当然てるし、演劇においてさえ命中させるつもりで演技をするのだ。なのにこうして実際に火を噴く銃を手にしながら中てられないのではやる気も失せる。しかも向こうは中てる気満々で撃ち返してくるのに、だ。


 だがそれ以上に俺の気持ちが入らないわけは、に乗りきれていないからだ。路地裏に潜んでいる間に感じた不満――正体を隠して自分と対峙することへの後ろめたさは、まだ消えることなくもやもやと胸に燻っている。


 いっそこの襤褸を脱ぎ捨ててやつの前に躍り出たいという衝動がさっきから繰り返し俺に襲いかかってくる。この不条理な廃墟での決闘をいよいよ不条理なものにする極めつけの大転換――だがそれをしてしまえば我が主キリコさんの描く今後の計画に大きな支障をきたすことになるのは、この戦闘が始まる前に確認したとおりだ。


 そんな俺の微妙なテンションをよそに、敵娼あいかたであるもう一人の俺は異様にハッスルしているように見える。危険を顧みず何度も身を乗り出し、どうにかして状況を打破しようと必死にあがいている様子が見て取れる。


 ……と言うより、ほとんど悲壮な決意さえ感じられる。何としてでも、一刻も早くあの路地を抜け出さなければならない――撃ち合っている俺にはそんな彼の思いが手に取るように伝わってくる。


 そう……もう一人の俺は迷っていない。少なくともこの状況においてあの路地から脱出しようということ以外、余計なことは何ひとつ考えていない。


 そんな彼に、変な話だが俺はを覚えた。できるなら俺もあいつのようにのめりこみたい。何も考えずこの演技にのめりこむことができたならば、それこそ俺はあいつの弾に中って死んでも構わないのだ。


「……っゅう!」


 目の前を通過してゆく弾丸にのけぞって息を吐いた。『鉄砲の弾がこんな音を立てて飛ぶものだとは知らなかった』と、どこかの漫画で読んだ台詞が頭をよぎった。真剣さのかけらもない最低の感想だ。一方で、その弾を撃ちかけてくるもう一人の俺は真剣そのもののように見える。


 ……だが、考えてみればそれもそのはずだった。適当に撃ち返していればいい俺とは違い、あいつには俺を撃たなければならない確固たる理由があるのだ。


「……そうなんだよな、まあ」


 その通り、あいつには俺を撃たなければならない理由がある。さっきから数え切れないほどの弾を撃ち続け、けれども俺たちの銃は一向に弾をきらさない。それは俺たちが手にしているのがだからだ。


 どうやら向こうもそのようだが、俺の方でも弾は尽きない。撃ち続ける衝撃のために腕の筋肉はだいぶ疲弊してきているが、トリガーを引けないほどではない。つまり俺たちはいつまでもこうして撃ち合っていられるということで、逆にこの先いくら撃ち合いを続けようとも、このままでは戦況に変化はないということだ。


 戦況に変化がないということは俺にとって望むところだ。


 このまま硬直した状態がいつまでも続いてくれれば、俺は今夜の作戦で果たすべき役目を果たしおおせる。あいつをあそこに釘付けにしておくこと、それこそが俺の役目なのだ。だが、どうやらあいつにとってはその逆――どうにかしてあそこから抜け出してどこかへ行くことがこの舞台で果たすべき役目のようだ。


 だとすれば、やる気の有無にかかわらずこの対決は俺の圧倒的有利に傾いていると言える。何よりお互いの位置関係が決定的だった。俺がこうして撃ち続けている限り、銃弾の雨をかいくぐってあいつが出てくることはまず不可能だ。そして俺の弾はあいつに中らない。中てないように撃っているのだから中るはずもない。


 つまりこのままだと戦況は永久に変化しない。ちょうど将棋でいう千日手のようなもので、虚しく同じ攻防を繰り返すだけだ。もし、もう一人の俺に見いだせる活路があるとすれば、それは俺の銃撃が止むことしかない。


 ――だから、あいつは俺を撃たなければならない。無限ループに似たこの状況を打破するために、あいつはどうしても俺を撃ち殺す必要があるのだ。


「……」


 そこでふと、俺は素朴な疑問を覚えた。


 さっきからひっきりなしに飛び交っている夥しい銃弾――これに被弾した場合、中りどころによっては俺は即死するだろう。頭に中って脳髄が吹っ飛ぶようなことになれば当然そうなる。この弾に中れば死ぬ。そこまでは理解できる――


 だがここで俺が死んだとして、その先はいったいどうなるのだろうか?


「……」


 この舞台が終わればあの日曜のホールに帰る――これまでは何の疑問もなくそう信じていた。


 暗闇の中で自分のこめかみに向け引き金を引いたあのホールに戻り、それからまた元通りの生活が始まる。そこで隊長の口からこのよくわからない舞台の謎が語られるにせよ、語られないにせよ、劇が終わればあのホールに戻るということ自体を疑ったことなどなかった。


「……」


 だが、そうなるとこの状況に大きな矛盾が生じる。俺が死んだらあのホールに戻るのだとしてその後……いや、その前でもいい。


 ――あのもう一人の俺が死んだ場合、あいつはどこへ行くことになるのだろう?


 こうして撃ち合いながら俺とあいつは別々のことを考え、別々の記憶を一瞬、一瞬に蓄積している。そんな俺たちをひとつのうつわに戻すことなどできるのだろうか?


 それとも俺とあいつ、どちらか一方だけがあのホールに戻り、もう一方のパーソナリティーは消滅するということなのだろうか……?


「……」


 降って湧いたような疑問がみるみる膨れあがり、俺の意識を隅々まで埋め尽くしていった。俺が今ここで死んだらいったいどうなるのか――よく考えれば人間にとって普遍的な疑問というべきそれが、今の俺にとっては差し迫った問題として頭から消えない。


 事実、次の瞬間にもは起こるかも知れないのだ。ここで俺が死んだとき――俺がこの舞台から弾き出されたときそこに何が待っているのか――ここまで一度も考えてこなかったそのことが今の俺には気にかかってならない。


「……っち!」


 銃弾が頬をかすめてゆき、反射的に身を翻した。一瞬遅れできた痛みとも熱感ともつかない感覚が、頬に傷がつけられたことを物語っていた。


 咄嗟に手をあててみる……血は流れていない。みみず腫れかそれに近いもののようだ。それを確認して――疑問はまた一気に膨れあがった。やはりこの銃弾は俺の身体を傷つける。この弾丸に中れば、俺はここで死ぬことになるのだ。


「……ああくそ!」


 本気で頭が混乱してきた。俺にとって頭が混乱するというのはそう滅多にあることではないが、それがこんなどことも知れない砂漠の廃墟の、しかも自分自身との銃撃戦のさなかに起こったのだから始末に負えない。


 戦況は依然として俺に有利だがこのまま混乱が消えなければどう転ぶかわからない。戦場でパニックを起こした兵隊の末路など考えるまでもなく決まっているのだ。


「……!」


 そのとき――混乱が限界を超えようとする俺の前で予想外のことが起こった。もう一人の俺が遂に路地から飛び出してきたのだ。


 しかも、その手に高々と


「うおお……!」


 思わず感動のうめき声がもれた。


 それを目にした瞬間、俺はすべてを忘れた。折からの混乱は霧のように消え失せ、爆発するような高揚が復活した。


 同時に激しい嫉妬と羨望が俺の胸をぐちゃぐちゃにかき乱した。凄い、本当に凄い! この滅茶苦茶な状況でもう一人の俺は本当に


 そう思うや俺はビルのエントランスを飛び出し、銃のトリガーを引き絞りながら駆け出していた。もう一人の俺がマンホールの蓋を放り投げるのが見える。当たり前だ、あんな重いものを抱えたままいつまでも走り続けられるわけがない。


 それに蓋はもう役割を終えた、あいつがあの路地から抜け出すための盾としての。――ただその蓋が果たした役割はあいつにとっての盾、それだけではなかった!


「……畜生、何やってたんだ俺!」


 走りながら吐き捨てた。もう一人の俺に完全に負けたと思った。


 俺がくだらないことで思い悩んでいる間、あいつはあのどん詰まりの路地から脱出する手段を血眼になって探していたのだ。そしてどこから拾ってきたものともわからないマンホールの蓋を盾に飛び出す決断をした。


 それにひきかえ俺は何だ! 地理的な優位にありながら、闇を照らす魔法の眼鏡をかけながら、その行動を察知することすらできなかったのだ!


「……ああくそ!」


 言葉とは裏腹に、気持ちはどこまでも高ぶってくる。あんな演技を見せられて滾らないなら最初から演劇などやっていない。


 ましてそれはだった。もう一人の俺があんな見事な演技をやってのけたのだ。それなら俺だってやらないわけにはいかない! こと舞台において演技で負けた借りは、それを上回る演技で返すしかない!


 前を走るを見失わないように必死で追いかけた。自分が全力で走っていることで、彼もまた全力で走っていることがわかった。追いかけながら俺は盛んに撃ちかけ、時おり苦しそうな顔をこちらに向けて彼も撃ち返してくる。追いかけながら撃つ方が有利に決まっている。だが俺の弾は中らない。中らないように撃っているのだから当然だ。


 けれども手足をばらばらに振り乱して走る俺の背中を追いかけるうち、中ててもいいのではないかということに、俺は今さらのように気づいた。


 そう――中ててもいいのだ。あいつがこれから果たさなければならない役割に五体は必要ない。腕が一本なかろうが脚がもげていようが、連中をこの廃墟の外へ連れ出すという使命を果たすことはできる。……要は殺さなければいいのだ。ならば、あの必死で動いている脚の一本でももらえばいい。そう思い、慎重に狙いを定めた。


 けれどもそのとき、まるでそんな俺の思いを見抜いたかのように、もう一人の俺は道脇の狭い路地に飛び込んだ。


「……っとお!」


 そうしてすぐ、狂ったように乱射される銃弾が周囲に雨あられと降り注ぐ。大急ぎで俺も目についた路地――ちょうどもう一人の俺が逃げ込んだそこの向かいにある路地に駆け込んだ。


 わずかに身を乗り出して撃ちかける、すぐにまた隠れ、自分の身体のあった場所を銃弾が通り過ぎてゆく。これでまたさっきと同じになった。けれども俺の心の中の有様は、さっきのそれとはまったく別のものになっていた。


「……はは!」


 思わず小さな笑いがこぼれた。


 ――面白くなってきた。走り続けてきたことでまだ治まらない息の中ではっきりそう思った。


 いくら弾が要らなくとも、これだけ撃ち続けていれば腕の方がたまらない。全身の筋肉はきしみをあげているし息も乱れている。気がつけば襤褸の下に汗は滝のように流れ、トリガーを引く指も銃把を握る手も頼りなく痺れている。


 ――だが、楽しかった。事ここに至って、このわけのわからない滅茶苦茶な舞台を心の底から楽しんでいる自分がいることに気づいた。


「ははは! はははは!」


 が外れたように笑いながら撃ち続けた。さっきあれほど俺を苛んだ疑問も混乱も、もうどこにもなかった。


 あの演技がそれを消した。もう一人の俺のあの素晴らしい演技が、俺の中に巣くっていたくだらない考えを根こそぎ吹き飛ばしてくれた。


 それこそが俺の求めていた演技だった。そしてこそが、いま俺が立っているこそが、俺のずっと求めてやまなかった理想の舞台だった!


「はははは! はははは!」


 頭のネジが外れたように笑い続けた。だがもし本当に頭のネジが外れているのだとしたら、二度とそのネジを締め直したくないと思った。


 あいつと同じ舞台に立てていることが嬉しかった。俺がこの舞台を楽しんでいるように、あいつもこれを楽しんでいることがわかった。


 このまま永遠に撃ち合いを続けていられたなら……そんな素晴らしいことはないと思った。だがその刹那、向かいで響いていた銃声が止み、路地の外へ銃が転がり出てくるのがスコープの視界に映った。


「よし!」


 自分の狙撃で彼が銃を取り落としたのを知った。演技に勝った! そう思い、矢も楯もたまらず路地を飛び出そうとして――


 ――その瞬間、あの夢の中で俺を襲った何とも言えない感覚が脳天からつま先まで駆け抜けるのを感じた。

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