第一幕

007 迷子

「なら、俺も――」


 俺がそう言って立ち上がろうとすると、キリコさんはぴっ、と一本指を立てて見せた。


「ハイジには大事な仕事があるだろ? こっちはあたしに任せときな」


 隣に目を遣るとペーターが複雑な表情でこちらを見つめていた。……そう言えば会議の始まる前、こいつに何か頼まれた気がする。


「まあどうせ大したことないさ。どうしても心配ならこれから行く店のまわりを探してみるんだね。能率がいいだろ? それの方が」


 そうかも知れない。リカにしたところで、大方あれからどこかで遊んでいて会議のことを忘れしていただけだろう。それに、探しに出たアイネの心当たりに目的の彼女がいるという保証はない。店に行く道すがら探してみるのが一番いい選択とも考えられる。


「なら行くぞ。六時には店が閉まる。そういう訳で隊長、これから愚者が使うモデルガン買いに行ってくる。ハリボテ作るの手伝えなくてごめん」


 俺の言葉にペーターは慌てて立ち上がり、隊長は小さく頷きながら「行ってきたまえ」と呟いた。


◇ ◇ ◇


「これは大きすぎるな」


「そうですか? 握った感じは悪くないと思うんですけど」


「トリガーに指をかけてみろ。思いきり伸ばさないとかからないだろ」


「あ、本当だ。これだとうまく引けないかも知れません」


「そういうことだ」


 俺の住む小屋――大門劇場から少し入ったあたり、かつての遊郭の名残を留めるうらぶれた商店街に店を構える模型屋に、俺たちはいる。


 色褪せたプラモデルの箱が並ぶ店内には、俺たちの他に一人の客もいない。平日の昼間ということもあるだろう。だがここの閑古鳥は休日もお構いなしにいい声で鳴いているのを俺は知っている。


 デパートの十階にある明るく小綺麗な店で、ガンマニアの店員と蘊蓄を語り合いながら入荷したての最新モデルをあれこれいじってみたいという客の気持ちはよくわかる。いくら品揃えがそれなりとはいえ、ボタン屋と仏具屋に挟まれた薄暗い店に踏み入り、寡黙な店主の顔色を窺いながら埃まみれの箱を開ける物好きなど、そういるものではないのだ。


「これはどうですか?」


「ワルサーP38か。こいつは臭いがきつ過ぎるからな。ファンには一発でそれとわかるし、ルンペンが持ち歩くにはちょっとうまくない」


「そんなに有名なんですか? これ」


「ワルサーP38だぞ? テレビで観て知ってるだろ」


「知りませんよ。テレビ観ませんし、私」


「……おまえ本当に世間の常識ないのな」


「先輩だってテレビ観ないじゃないですか。お家に置いてないし」


「今はな。子供の頃は俺だってよく観てた」


「いずれにしても、これは駄目ってことですね」


「もう少し探してみよう。まだ開けてない箱があるだろ」


 ――大学に入り最初に銃を買ったのがここだった。俺の住む小屋がまだ祖父の持ちもので、けばけばしいピンク映画の看板を掲げていた頃、そこを訪ねるついでにこの店の前を何度となく通り過ぎた。人気のない模型屋は子供だった俺にとって、怪しさとかすかな浪漫を漂わせる神秘の領域で、いつか機会があれば覗いてみたいとずっと思っていた。


 店主と初めて顔を合わせたのは祖父の葬儀だった。ろくに口も聞かないまま焼香を終え出ていってしまったが、場末の裏通りに店を構える者同士、交流のひとつもあったのだろうとそのときは思った。


 それから俺はこの店に通い始め、月に一度は顔を出すまでになった。数少ない常連といっていいだろう。なにしろ俺はこの店で、俺以外の客が買っているのを見たことがないのだから。


「さっきのは何で駄目だったんですか? 小さくて握りやすかったし、私にはぴったりだと思ったんですけど」


「反動がないからだ。ゲームで使う分には趣味の範囲になるが、芝居の小道具で使うなら反動はあった方がいい」


「反動って、撃った瞬間にぐん、ってくるあれのことですよね?」


「そうだ。撃ったことが客の目にわかりやすいように、できるだけ反動の大きな銃がいいんだ。まあこれに関しては逆のこと言うやつもいるんだけどな」


「そうですね。効果音だけより、見た目で撃ったことがわかる方がお芝居ではいい気がします」


「俺の使ってるやつの反動は凄いぞ。あとで貸してやるから試してみればいい」


「あんな大きなの握れませんよ。私の手じゃ」


「――ピストルを、芝居に使うのかい?」


 店の奥から嗄れた声が聞こえた。白髪の店主が分厚い老眼鏡を通してじっとこちらを見ていた。


「はい。演劇の小道具で使いたいんです。大学でやってる素人芝居なんですが」


「四つ角の孫が芝居の小物探しか。血は争えんな。どれ――」


 店主はそう言いながらこちらへ来て棚の一番下、俺たちの足下にある小さな扉を引き開けた。そしてその中から、店に並ぶものに輪をかけて色褪せた、もう印刷の文字が読めなくなっている小さな箱を取り出した。


「こいつは店を始めたときからずっとここにある。化石みたいなもんだ」


 箱の中から出てきたのはデリンジャーだった。スプリング式の空気銃らしく銃身は二本。引き金には囲いの環がなく剥き出しになっている。足首に括りつけて隠し持つのがよく似合いそうな小さな銃。使われていなかったのだから当然だが新品同様で、つくりもかなりしっかりしている。手にとり引き金を引いてみると、反動は想像したよりずっと大きかった。


 無言のままそれをペーターに渡す。彼女が握るとその華奢な手に、銃はあつらえたようにぴったりと収まった。トリガーに指をかけ、ことりと落とす。小気味のいい反動がペーターの細腕をわずかに跳ねあげた。


「……いいですね、これ」


 そんなペーターの呟きに店主は目を細め、満足そうに頷いた。


「今となってはどこから流れてきたものかもわからんし、そこらで売ってる弾を飛ばすようにはできておらんが、嬢ちゃんが芝居に使うならちょうどいい。どうせ売り物にはならんし、これは無料ただで差し上げよう」


「いいんですか? 本当に」


「こんな汚い店に使われもせずいつまでもくすぶっているのは不憫でな。道具というものは然るべき者に、然るべき場所で使われてはじめて値打ちが出る。舞台にあげてもらえるのならそいつも本望だ。まあ大事に使っておくれ」


◇ ◇ ◇


 店主に礼を言って出ると四時半だった。まだ帰るには早すぎるし、隊長の作業が続いていることも考えられる。そういう訳で、俺たちはとりあえず交流会館に戻ることにした。


「あんなに喋る人だったんだな、あの爺さん」


「いつもは無口なんですか?」


「まともに喋ったのなんて今日が初めてだ。少し驚いた」


「でもいい人でしたね。こんな素敵なものもらっちゃいましたし」


 ペーターはそう言って銃の箱が入った買い物袋を揺らした。贈り物がよほど嬉しかったのか、俺の行く少し前をスキップを踏むような足どりで歩いては、ときどきこちらを振り返って見せる。ずいぶん長い間忘れていた無邪気そのものの彼女がそこにはいた。


「久し振りですね。こうして二人で出歩くのも」


「そうか?」


「二年振りです。私が大学に入ってからは初めてですよ?」


「そうだったか」


「はい。そうでした」


 そう告げるペーターの表情は明るい。俺と二人きりでいるとき、彼女はこちらを困らせるようなあけすけな台詞はおろか、小さな我儘ひとつ口にすることはない。俺の望む一定の距離を守り、彼女の方からそれを詰めてくることは決してない。こうした関係は高校の頃のままだ。あれから何年も経つのに、俺たちはいつまでもこんなところで足踏みをしている――


◇ ◇ ◇


 誰しも人生に三度はモテ期があるという。都市伝説の類であるといって否定する向きは強い。しかし俺はその実存を信じ、はっきりとこの目で確認している。普通に歩いているだけで個室に連れこまれ、少しでも隙を見せようものなら強引に関係を迫られる。男女を問わず、容姿さえも顧みられることなく、万人が否応なく巻きこまれる発情的な恋の季節はたしかに存在する。それは入学シーズンである。


 ペーターと出会ったのは三年前の春。当時高校二年だった俺は、持ち前の生真面目な性格を古い外套のように脱ぎ去り、軽薄なナンパ師としての活動に血道をあげていた。悲願の全国大会出場に向け不可欠の課題である部員の確保、そのためにはなりふり構わずナンパに励むしかなかったのである。か細いつてを辿って後輩を訪問し、どこかで見た顔なら廊下でも掴まえ、説明会に来てくれた人はじっくりと時間をかけ口説いた。ペーターもそうして俺が口説き落とした者の一人だ。


 ペーターが説明会を訪れたとき、ほんの短い会話で俺は彼女を気に入った。驚くほど滑舌がよく、受け答えもはきはきしていて、顔立ちも平均以上――というか可愛いと素直に思った。彼女が舞台に立つ様を想像して頬が緩みそうになるのをこらえ、酸いも甘いも噛みわけた上級生の仮面で気安い話題から入り、ゆっくりとその方向を核心へと近づけていった。


「中学の頃は合唱をやっていたんです」


「そうなのか。俺もやってたよ、合唱」


 部活でやっていたわけではないが、学園祭などで歌う機会があったのは事実である。都合のいい事実だけ並べても嘘にはならない。ナンパの鉄則である。


「どういうのを歌っていたんですか?」


「色々だな。月並みだけど『流浪の民』とか」


「それ、私も歌いました。アルトのソロやってたんですよ」


「実は俺、テナーのソロだった」


 そう言って俺は臆面もなくその歌を口ずさみ始める。一瞬、目の前の少女は驚いた顔になり、けれどもすぐに笑ってついてくる。常識で考えれば恥ずかしい行動をノリで共有させる。ナンパの定跡である。


「演劇は今までやったことないの?」


「やったことありませんね」


「学芸会とかでも?」


「学芸会とかでも」


「でも興味はある、と」


「はい、興味はあります。なかったらここ来てませんよ。でも――」


「でも?」


「でも合唱にもまだ未練があるんですよね。今までずっと一生懸命やってきましたから」


 そこで俺は勝利の手応えを掴む。確信をこめてとっておきの一撃を放つ。


「それなら合唱部の方も見てくるといいよ。今日の説明会は中校舎の……ええと、どこだったかな」


「いえ、私もうここに入るって決めましたから」


 押して押して押して、引く。ナンパの極意である。そうして俺は一人の少女を演劇部に引き入れた。


 元々それほど口の上手い方ではなく、こと異性に関しては年頃の男子が抱きがちな苦手意識を持っていたから、シーズン前は恐れおののく気持ちが強かったのだが、ひとたび蓋を開けてみれば意外なことに、俺は腕利きのナンパ師として幾多の男女をものにすることができた。


 なぜそうも上手くいくのか、そのときはわからなかった。だが今ならよくわかる。それは俺にやましい下心がなかったからだ。下心はあった。けれどもそれは一緒に演劇で全国大会を目指したいという罪のない下心であり、だからこそどこまでも情熱的になれたし、都合のいい言葉もぽんぽんと飛び出してきた。


 そうした純粋な下心がときとして『思わぬ魚』を釣りあげるものであることを、俺はそれから間もなくしてまざまざと思い知らされることになる――


◇ ◇ ◇


「先輩」


「ん?」


 不意にペーターが立ち止まり、俺もそれに倣う。彼女はこちらを振り返り、おもむろに道の前方を指差した。


「カラス先輩じゃないですか? あれ。それに、一緒にいるのは……」


 ペーターの指差す先に目を凝らす。初夏の炎天にあぶられかすかに陽炎のたつ路地裏の小道。そこにはたしかにカラスと――会議に出席するはずだった女の姿があった。


「本当だ。何やってるんだ? あいつら」


「何って、見てわかりませんか? 先輩」


「……まあわかるけど」


 二人の表情は遠目にもよく窺うことができた。そこには見たこともないほど優しく穏やかな顔つきで微笑するカラスと、その隣で同じように無防備な笑顔を見せるリカがいた。楽しげに見つめ合い、小声で何かを囁きあっているようだ。――二人きりでいるときはあんな顔をするのか。新鮮な驚きと、何か見てはならないものを見てしまったような後ろめたさが胸にこみあげてきた。


「ラブラブですね、お二人」


「そうみたいだな」


「どうします? 先輩」


 ペーターの言いたいことはわかった。無粋もいいところだろうがアイネのこともある。会議を無断欠席したリサにはどうしても一言かけておかなければならない。


「……ゆっくり追いかけるか」


「はい。わかりました」


 俺たちは頷き合い、道の先を行く二人の背中を追って少しだけ歩を早めた。歩きながら、追いついたときかける最初の一言を考えた。いきなり問い詰めるのは避けるべきだろう。かといって偶然を装うのも白々しい気がする。いくら相手がカラスとはいえ、あんなに良い雰囲気の二人を台無しにするのは、できれば避けたい。


「右に曲がりますね」


「見失うとまずい。少し走るぞ」


「はい」


 できるだけ音をたてないように走り出す。曲がり角に近づくにつれ更に足音を殺し、探偵のように垣根から顔半分出して二人の様子を窺う。だが割と長い距離を走ったにもかかわらず、先を行く二人との距離は少しも縮まっていなかった。


「……足早いな、あいつら」


「あ、また曲がりますよ」


 俺たちはさっきと同じように静かに走り、慎重に道の先を垣間見る。そしてさっきと同じように、やや離れたところで幸せそうに笑いながら歩いてる二人を見た。


「なかなか追いつきませんね」


「いや、もうあいつら気づいてる。気づいてからかってるんだ」


「からかわれてるんですか? 私たち」


「ああ。角曲がってからあいつらも走ってるんだよ。それで、俺たちが曲がるあたりで歩くようにしてからかってる。そうでなくてあんな先に行けないだろ。……仕方ない、走って追いかける」


「はい。わかりました」


 そこで二人はまた右に曲がった。俺は舌打ちして駆け出した。ペーターもついてくる。曲がった先に二人はいて、だが少しも詰めないうちにまた二人は垣根の陰に消える。穏やかな笑顔で手を繋ぎ、ゆっくりと歩きながら。


 ――何かがおかしい。五つ目の角を曲がったところで俺は奇妙な感覚に襲われた。息を切らせてついてくるペーターを顧み、目を道の前方に戻した。二人はまた角を右に曲がろうとしていた。これは、何かがおかしい。


 通りに風はなかった。昼下がりの気怠い陽光が垣根の向こう側に立つ庭木の緑を鮮やかに照らしていた。アスファルトにうっすらと立つ陽炎。その先にあって恋人たちは、二人だけの世界を守りながらゆっくりと歩いている。こちらが詰めれば詰めるだけ、まるで地面を滑るように道の先へと消えて行く。これは、どう考えてもおかしい。


「待て……ちょっと待て」


「はぁ……はぁ……どう、して……止まるんですか?」


「どうも……様子が変だ」


「そう、ですね。こんなに走ってるのに、追いつきません」


「いったい、どうなってるんだ。これは」


 呼吸を整えながらそこまで喋って――俺は二人の姿をついに見失ったことを知った。


「駄目だ。ついに見失ったみたいだ」


「あ、本当だ。もうどこにもいない」


「やられたな、まったく。魔法でもかけられたみたいだ」


「……先輩」


「ん?」


「ここは、どこですか?」


 その言葉に俺は顔をあげあたりを見まわした。全身の汗が一瞬で冷たくなるのを感じた。まわりに広がっていたのは、見たことがない風景だった。どこにでもある垣根と、ひび割れた細いアスファルトの道――けれどもその風景は、俺が知っているとの風景とも違っていた。


「ここ初めての場所です、私」


 そう呟くペーターと目を合わせることができなかった。隣町に住む彼女にとって、ここが初めての場所であることに不思議はない。俺は違う。俺にとってここが初めての場所であるはずはない。……ここへは何度も来ている。もう子供の頃から何度も。それこそ、数え切れないほど。


「帰りましょう」


「え?」


「もう帰りましょう、先輩」


「帰る? どうやって」


 思わずそう聞き返し、ペーターを見た。彼女は薄く微笑んで「大丈夫です」と言った。


「大丈夫、ちゃんと帰れますよ。来た道を引き返せばいいだけなんですから」


◇ ◇ ◇


 何も考えられないまま、ほとんどペーターのあとを追うようにして道を戻った。景色はすぐに見覚えのあるものに変わったが、俺たちは一言もないままに歩きつづけた。


 交流会館に帰り着くと土管は既に完成していた。キリコさんとアイネは戻っておらず、作業を終えた隊長がのんびりとくつろいでいた。俺とペーターは二人での掛け合いを練習することにし、それを隊長に観てもらった。


 日没で練習は終わった。黒塗りの外国車が迎えに来てペーターは去り、隊長も別れを告げ校舎の谷間へと消えていった。俺も帰路についた。


 ――小屋の前に立ったとき、もう一度あの場所へ行ってみようかという強い衝動に襲われた。その衝動はしばらくの間、俺を夜の闇に立ち止まらせた。けれども俺は無造作に頭の裏をかき、重い鉄の扉を開けて住み慣れた部屋に戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます