314 テンペスト(7)

「はあ、はあ、はあ……」


 無人の廃墟を闇雲に駆け抜けた。


 しばらく走ってようやく目印となる建物に出くわしたとき、自分がいるそこが目的のB-13からみてちょうど対角となる地点であることを知った。


 目的の場所へ着くためには廃墟を突っ切って一番長い距離を走らなければならない。けれども俺は躊躇することなく、もう既に軋みをあげはじめている足の向きをそちらへ変えた。


「はあ、はあ、はあ……」


 静寂に充ちた廃墟に靴音と、奄々えんえんという言葉がぴったりの呼気いきの音だけが響いた。朦朧としかける意識をどうにか保ちながら、何だか今夜はこうして走ってばかりいる、と他人事のように思った。


 DJからの指令を受けてあの場所に向かったとき、『蟻』に追い立てられて必死に逃げまわったとき……だが、今はそのときとは違う。今、こうして走る俺を衝き動かしているものは、役者としての情熱でもなければ、生物としての本能でもない。


「はあ、はあ、はあ……くそっ!」


 かすかな銃声が聞こえ始める頃には、肺も心臓も既に限界を通り越していた。


 息をするたびに胸の奥が痛み、喉にはいがらっぽい薄い膜のようなものが貼りついているのがわかる。走りながらもがくがくと震える脚はもう分解寸前で、水分も尽きたのだろう、さっきまでしきりに目に入って痛かった汗は、もう額から落ちてこない。


 道脇に倒れ臥している人の姿が見える……正確には少し前まで人だったものだ。よく見ないままその死体――その先にさらに幾つかの同じ風景をやり過ごし、硝煙の臭いが鼻をついたところで、俺は幸運にも物陰から飛び出そうとするその女の姿を見た。


「……ネ! アイネ!」


 かすれる声でどうにか絞り出した。その俺の声にアイネはこちらを向き、駆け寄る俺の腕を掴んで強引に物陰へ引きこんだ。


 俺の身体のあった場所を無数の弾が通過していった。荒い息の中に呆然とそれを眺めながら、「どこにいたの!」というアイネの叫びに返事を返そうとして、返せなかった。


「……状況は?」


「隊長が撃たれた。撃ったのは『黒衣』の連中で15人……ううん、たぶんもっといる。隊長はまだ生きてる。けど、あいつらが捕獲して逃げようとしてる。今、隊長を取り返すためにそのあとを追いかけてる」


「……みんなは?」


「だいぶやられた。けどまだ半分以上残ってる。みんな、わたしの指示であいつらのあとを追ってる。だけどわたしたちじゃ撃ってもぜんぜん意味ないから! だからこうやってただみたいにあいつらのあとをついていってるだけ!」


 前方の闇を見つめたまま叫ぶアイネの声は、うち続く銃声に紛れた。その声の中に非難の響きが含まれているのを感じた。それが誰に向けられた非難か……そんなのは考えるまでもない。


 だがそれ以上にアイネの声には余裕がなかった。見知らぬ地で親とはぐれ、どうしていいかわからずに泣き喚いている少女の声――まだよく働かない頭で漠然とそんなことを思った。


 状況は理解できた……と言うよりそれはここへ来るまでに俺が漠然と予想していた状況そのものだった。


 そう、こうなることはわかっていた。あの電話でのキリコさんの予言は正しかったのだ。それがわかっていたからこそ、DJはあそこであんな命令を出した。……だが、今はそのあたりについてあれこれ考えるときではない。


 戦況は理解できた……それが絶望的な状況であることも。そしてその中でアイネが混乱し、普段の冷静さを失っていることも。


 DJが最後に下したあの命令を、アイネは忘れている。あるいはあの路地で口にしていた通り、覚えていながらその命令を無視している。


 爛々と光る目で闇を凝視するアイネからは、いつもの理性が欠片も感じられない。そうして見ている間にも携帯を頬に当て、悲鳴に近い声で指示らしきものを出している。あいつらのあとを追いかけ、DJを奪還するための指示を――


 このままではいけないと思った。ここは何としても出撃前にDJが出した命令に従わなければならない。


 今、ここでそうしなければ隊はDJと心中することになる。いや……それすらもできず、ただ無駄に壊滅することにもなりかねない。


「アイネ――」


 と、俺が呼びかけるのと同時にアイネは駆け出していた。銃弾の飛び交う中へ躊躇もなく、こちらを一度も顧みることなく飛びこんでゆく。


「……っ!」


 ――アイネが我を忘れていることはそれではっきりした。にわかに湧き起こってくる焦燥をバネに俺は、壊れそうな身体に鞭打ってそのあとを追い、物陰から飛び出した。


「アイネ!」


 呼びかけてもアイネは振り向かない。身を屈め小走りにひたすら前へ前へと進んでゆく。その前方には黒い人影が一団となり、逆の方向へ向かい走っているのが見える。


 アイネの言葉通り少なくとも15人はいる。その中で撃ってきているのは後列の数人。……だがなぜだろう、その撃ち方はだいぶなおざりのようで、頭をこちらに向けず腕だけ伸ばして闇雲に撃ちかけているようだ。


「アイネ! 止まれ!」


 それでもこんな無謀な追跡を続けていればいつかはあたる。実際、こうしている間にも弾丸は音を立てて俺たちの周囲を飛び交っているのだ。そのうちのどれかがアイネの身体を貫くのは時間の問題だった。


 けれどもいくら呼びかけてもアイネは応えない。ただ真っ直ぐに前を目指し、突き進んでゆくことを止めない。


「……チッ!」


 銃弾のひとつが頬を掠めていった。アイネの心配をしている場合ではない、被弾の危険に晒されているのは俺も一緒だ。


 ここに至ってはもう覚悟を決めるしかなかった。俺はジーンズのポケットからデザートイーグルを抜き、前をゆく一団の背中に充分に狙いを定めてトリガーを引いた。


「……ぃぁ!」


 狙いはたがわず、後列の一人が悲鳴をあげて倒れた。事態を察したのか他の者たちは瞬時に二手に分かれ、さっきとは比べものにならない激しさで反撃しながら近くの物陰に引っこんだ。


 結果、こちらも身を隠さざるを得ない。アイネの腕を引き道脇の路地に駆けこんだ。


 けれどもそうしてすぐ、アイネは一言もないまま、にわかに本降りになった弾丸の雨の中へ飛び出してゆこうとする。腕を掴んだままだった手に力を込め、俺は強引にその身体を引き寄せた。


「ばか! 死ぬ気か!」


「離して! 今いかなくちゃ――」


「よく見ろ! あいつら隠れただろ!」


「やっと足が止まったんじゃない! 今しかないじゃない!」


「いま出てったって狙い撃ちにされるだけだ! そのくらいわからないのか!」


「だったらハイジがやってよ! 早く! あいつら全員撃ち殺してよ!」


「ああ……そんなのはいくらでもやってやるけどな!」


 弾幕の切れ間を縫って銃弾を返した。その俺の狙撃を皮切りに、周囲から一斉にの銃声があがった。


 直感的に、それがアイネの指示によるものだということがわかった。俺という切り札が加わればダミーである周囲の攻撃が活きる。DJが口にしていた今夜の作戦そのものだ。けれども――


「……っ!」


 夥しい弾丸が目の前を通り過ぎていった。


 彼らからの狙撃は明らかに唯一の撃ち手である俺を標的にしている……それが、はっきりとわかった。


 その一方で、周りの闇の中からは早くも仲間たちの悲鳴があがり始めている。……撃ち返してこない相手を撃ち殺すのにそう何人も割く必要はない。ただ一人の危険な敵を相手にしつつ、無害なその他大勢を片づける。そのために彼らの人数は充分すぎるほど充分なのだ。


「撤退命令を出せ!」


「え?」


「すぐに全員撤退させろ! でないと間に合わない!」


「なにそれ? なに言ってんの!」


 ――もう俺の弾は中らない。偶然にもこちらに有利な位置どりのために彼らの方も簡単にはあの陰から出てこられない。それでも火力の差は圧倒的で、俺一人ではせいぜい形ばかりの反撃を返すのが関の山だ。


 こんなお遊びを続けていたところで結果は見えている。その間にも仲間たちはばたばたと射撃の的のように撃ち倒されてゆくのだ。


「すぐにだ! すぐに撤退命令を出せ!」


「なに言ってるのかわからない! できるわけないでしょそんなこと!」


「このままじゃ全滅だ! 聞こえるだろ! みんなの声が!」


「ばかなこと言ってないで! 隊長があそこにいるんじゃない!」


「そんなのはわかってる!」


「だったら撃ってよ! あいつら撃ち殺してよ! 早くして! そのためでしょ? あんたそのためにいるんでしょ!」


「いくらでもやってやるよ! だから早く撤退命令を出せ!」


 絶望的な戦闘のわきで不毛な平行線が続いた。アイネはもう俺の言葉など聞いていない。その身体が路地から飛び出してゆこうとするのを押し止めるのがやっとだ。


 またひとつ悲鳴があがった。遠吠えにも似た断末魔の声。その声が耳に届いているはずなのにアイネは動かない。前方の闇を凝視するその目には、捕らわれたDJあいつの他に何も映っていない。


「……!」


 そのとき、敵方が動いた。大きな袋を抱えた2人、その周りを数人が包囲した一塊りの集団がビル陰から飛び出し、そのまま道の先へ走り去ろうとする。


 その袋の中身は想像できた。反射的に狙撃した俺の弾丸は護衛の1人を仕留め、だがそれで終わりだった。――逃げられる、そう確信した。


 その瞬間、目の前を黒い陰がぎってゆくのを見た。


「……ばっ!」


 罵倒の言葉を叫びかけ、その直後、俺も飛び出していた。


 残留部隊からの援護射撃は既に始まっていた。その銃弾の中を脇目もふらず真っ直ぐにアイネは駆けてゆく。


 追いつくのは容易たやすい――だが間に合うか? 必死で追いすがり、大きく後ろに振られたその腕を掴んだ。刹那、燃え立つような目がこちらを振り返る。


 渾身の力で俺はその身体を引き寄せ、力任せに道脇へ突き倒した。


「ぎっ……!」


 その前後、左肩に殴られたような衝撃があった。


 間を置かず走った激痛で、何が起きたのかはすぐ理解できた。瞬時に目についた瓦礫の山、その陰に倒れこむ。俺の名前を呼びながら駆け寄ってくる影がある。その腕が俺の身体を抱き起こそうとする。


 その腕が肩にかかる前に、俺はぎこちない姿勢のまま、精一杯の力でアイネの横っつらを張り倒した。


「……!」


「すぐに撤退命令を出せ!」


「……そうじゃない! ハイジ、撃たれて――」


「そんなことはどうでもいい! 早く撤退命令を出せ! いいか? こうしてる間にも仲間は死んでるんだ! ただみたいに撃たれて死んでるんだよ! 誰のせいかわかるか? おまえのせいだ!」


「……」


「全部おまえのせいだ! おまえがDJの命令を無視したからだ! DJが何のためにあんな命令を出したかわかるか? このときのためだ! こうなることがわかってたからあんな命令を出したんだ! みんなを死なせたくなかったからあいつはあんなことを言ったんだ!」


「……」


「その命令を無視したのは誰だ! 命令を無視してみんなが死んでくのを黙って眺めてるやつは誰だ! おまえがその命令を出さない限り誰も動けないんだ! おまえにしかその命令は出せないんだ! 早く出せ! すぐにその命令を出せ! 今すぐ全員に撤退命令を出せ!」

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