116 裏路地の芝居小屋にて(3)
小屋を出ると外は噎せ返るような暑さだった。容赦ない午後の陽光に思わず目を細めた。
「寝てたんですか?」
「いや、寝かけてた」
あくびを噛み殺しながらスニーカーの紐を締めた。アスファルトから立ちのぼる熱に額から汗が流れるのを感じ、のこのこ出てきたことを早くも後悔した。
「少しあとでもいいですよ?」
「ん?」
「お昼寝の邪魔するつもりはなかったですし。あとでもいいです」
「……手持ちぶさただろう、待ってる間」
「昨日の冊子を読んでますから」
「いいよ。そんなに眠かったわけでもないしな」
その言葉通り、別に眠かったわけではない。俺はただ気持ちを切り替えたかっただけだ。そう考えればペーターと舞台の小道具を買いに行くというのはちょうどいいかも知れない。そんなことを思いながら、俺は歩き出した。
「遠いんですか? そのお店」
「目と鼻の先だよ」
目当ての模型屋は近所にある。死んだ爺さんの知友がやっている店で、古びた店ながら銃関係のアイテムに偏執しているところが俺の気に入っている。同じ商店街というよしみもあって、俺はモデルガンは必ずその店で買うようにしている。ちょっとした常連と言っていい。
もっとも、この場末に軒を連ねる店の例に漏れず、盛っているとはとても言えない。日ごろ脇に眺めながら素通りする餅屋や観賞用の果物屋がいったいどうやって生計を立てているのかいつも不思議に思うのだが、件の模型屋もその仲間に入る。
大方、道楽半分でやっているのだろうとは思う。証拠にその模型屋には休みというものがない。それが贔屓にする理由でもある。いつ行っても開いているし、ほとんど貸し切りの店内でゆっくりと商品を見ることができる……。
「……」
模型屋の前まで来て、俺は驚いて立ち止まった。シャッターが降りていたのだ。通い始めてもう何年にもなるが、この店のシャッターが降りているのを見るのは、これが初めてだった。
「……お休みじゃないですか?」
「……そうみたいだな」
シャッターの前には店主の老人が立ち、パイプをくゆらせていた。いつもは店の奥に置物のように座っている無口な老人だ。何度も顔を合わせているが、会話らしい会話はしたことがない。このまま帰ろうと踵を返しかけたところで、向こうのほうで俺たちに気づいたようだった。
「ん? ほう……珍しいな」
何が珍しいと言われているのか何となくわかった。俺は敢えてそのことには触れずに、軽く頭を下げて「休みですか?」と尋ねた。
「ああ、今日は棚卸しでな」
「……そうですか」
「だがいいよ。散らかっているので構わなければ見ていけばいい」
「いいんですか?」
それには応えず、店主はシャッターを半分ほど引き開けてくれた。短く礼を言って、俺とペーターは薄暗い店内に入った。
棚卸しというだけあって中は雑然としていた。もともと狭い通路のそこかしこに箱が積みあげられ、足の踏み場もないほどだった。と、明かりが点いた。
「見たら元通りにしておいてくれ」
中に戻ってきた店主はそれだけ言うと、靴を脱ぎ店の奥へ入っていってしまった。
「……よかったんですか?」
「よかったんだろ、きっと」
恐縮そうなペーターに軽い返事を返して、早速、手近なものから吟味を始めた。
――けれども調べ始めてすぐ、俺はその作業に夢中になってしまった。無造作に通路に置かれた銃は、どれもみな普段は見ない珍しいものばかりだった。管打式ドラグーン、ウィンチェスター銃、中折れのスコフィールド。……更にはペッパーボックスなんてものまである。
さながら小銃の年代記を見る思いだった。どの銃の造りもしっかりしているし、今は製造されない総金属製のものも多い。色とりどりの宝石を前にした少女のように、俺はしばらく我を忘れて銃に見入った。
「――先輩、いいのありましたか?」
……その声がかかるまで、俺はペーターがいることさえすっかり忘れていた。そんな自分に呆れながら、手にとって眺めていたモーゼルを箱に戻した。
「舞台で『愚者』が使えそうなものはないな。そっちはどうだ?」
「幾つかよさそうなものを選んでみたんですが、これなんかどうですか?」
ペーターはそう言って小振りのリボルバーを俺に見せた。特徴的な短い銃身はよく見なくてもそれとわかる。
「チーフス・スペシャルか」
「これならどうにか手に収まるみたいです」
言いながら華奢な手で銃把を握って見せる。……たしかに持てるには持てるようだが、指が完全にはまわっていない。服に着られるという言葉があるが、同じ言い方をすれば銃に持たれているような印象だった。
「それでも大きすぎるみたいだな」
「そうですか。……それなら、これはどうですか?」
次にペーターが差し出したのはグロック26だった。今や小さい拳銃の代名詞としてそこら中のメディアに露出しているオートマチックだ。どこでも使われている分、染みついた色もないし、これなら彼女の小さな手でもどうにか扱えそうだ。ルンペンの懐にあって、そう不釣り合いな銃でもない。だが……。
「こいつは使えない」
「どうしてですか?」
「『盗人』と一緒じゃ具合が悪いだろ」
「あ……」
ペーターの表情が曇った。この間のことを思い出したのだろう。
ペーターは大学に入ってすぐ『ヒステリカ』に入団した。その直後に例の発作を起こしている。そのとき引金となったのがこのグロック26だ。もともと俺がサバイバルゲームに使っていたものを無料でアイネに譲ることになり、それをペーターに話したところで泥沼にはまった。自分も欲しいと言って聞かず、幼い子供のように駄々をこね、挙句には泣き喚いて手がつけられなくなった。
アイネは困惑してグロックをペーターに渡すことを提案したが、俺はその提案を却下して半ば強引にアイネに受け取らせた。
以来、アイネはその銃を『盗人』の
「……どっちも駄目ですか」
小さくそう呟いて、ペーターは寂しそうに二丁の銃を箱に戻した。そしてそのまま次の候補を探し始めた。彼女に聞こえないように溜息をついたあと、今度は本来の目的で俺もまわりの箱を覗くことにした。
「――先輩」
「ん?」
「この小さいのは、何ですか?」
……どれほど探し続けただろうか。ほとんどの箱を開け尽くし、諦めが入りかけていたところだった。だがペーターの持ってきた銃を見て、俺は目を見張った。精巧な象嵌の施されたそれは、デリンジャーだった。
彼女の差し出すそれを手にとってみる。ずっしりと重い。二本の銃身を備えた本体は総金属製のようで、俺の目には本物の銃にしか見えない。撃鉄を起こし、引金を引く。がちり、と音がして、手には小さいながらもはっきりとした反動があった。
「……これは、いいかも知れない」
「この小さいのも銃なんですか?」
「ああ、威力は弱いし、これは二発しか撃てないけど、デリンジャーといって立派な銃だ」
「威力が弱いということは、人を撃ち殺すための銃じゃないんですね」
「いや、人を撃ち殺すための銃でもある。かの国の有名な大統領がこれで暗殺されてる」
「……持ってみていいですか?」
「ああ、持ってみろ」
ペーターは俺からデリンジャーを受けとり、ぎこちない手つきで握った。その銃はあつらえたように彼女の小さな手に収まった。
俺のやり方を見ていたのだろう、撃鉄を起こし、引金を引く。金属の鈍い音が響き、ペーターの細い手首がわずかにぶれるのが見えた。
「……これなら、私にも使えそうです」
「そうだな。『愚者』が隠し持つにはちょうどいい。これにするか」
「はい、これにします――」
◇ ◇ ◇
――店を出るともう黄昏だった。すっかり色づいた空の下に、淡い夕闇の帳が町を覆おうとしていた。
ややあって、会計を済ませたペーターが店から出てきた。辺りはまだそれなりに明るかったが、俺は商店街の出口までペーターを送っていくことにした。
通りに風はなく、どんよりとした鈍い熱がたゆたっていた。店を出てからペーターはなぜか口数が少なく、心ここにあらずという感じだった。
「会計、やけに時間かかってたな」
「え? ……はい、ちょっと」
質問への返事も歯切れが悪い。鳶色の箱を入れたビニール袋を提げているところを見ると銃は買えたようだが、何か問題でもあったのだろうか。
「ひょっとして……高かったのか? それ」
「いえ、そんなことないですよ。店長さん、おまけしてくれましたし」
「そうか」
……考えてみれば多少高価だからといってこいつが目を回すはずもなかった。本来なら近づくのも憚られる大金持ちのお嬢様なのだ。金には鷹揚そのものと言っていい。……そういうことなら、と俺は思い直した。
「逆に凄くまけてもらった、とか?」
「え? ……そういうのでもないです。細かいのはいいってくらいで」
「……何だ。そんなものか」
それならおまけと言っても知れたものだった。俺の連れということで大幅にまけてもらって、それを恐縮しているのかと思ったのだが、どうやらそういうことでもないようだ。
だがそうなると、彼女がとっている不自然な態度のわけが、いよいよわからなくなってしまう。
「凄くまけてもらうことも、できたんですけどね」
「ん?」
こちらを見ないまま、小さく独り言のようにペーターは言った。
「店長さんに聞かれたんですよ。先輩の彼女かって」
「……は?」
「先輩の恋人かって聞かれたんです」
「……それとまけるのとどう関係があるんだ?」
「先輩の恋人なら
「……あの爺さんは」
ペーターの言うことを理解して、俺は全身の脱力を覚えた。
もうあの店に通い始めてかなりになるが、店主は俺に対しては常に無愛想で、天気のことさえろくに話さない。その店主がペーターにはそんな色気のある話を振っていたのを思うと、何か理不尽に近いものを感じる。
「無料にしてもらえばよかったじゃないか。どうせなら」
何の気なしにそう言うと、ペーターはやおら頭をあげ、こちらに顔を向けた。
「……よかったんですか? そうしても」
そう言ってじっと俺を見つめてくる。……それで俺は自分の軽率な発言に気づいた。つい先日も発作を起こしかけて微妙な時期だというのに、俺は何を口走っているのだろう。そう思って後悔し、そこでようやく、店を出てからのペーターの態度の原因に思い至った。
「……問題があるな、たしかに」
それだけ言って俺は沈黙した。ペーターもそれきり何も言わなかった。暮れなずむ町を、俺たちは押し黙ったまましばらく歩いた。
商店街の終わりが見えかけ、俺は言葉を探した。気まずい雰囲気のまま別れたくなかった。そうして口を開こうとしたとき、ペーターが「あっ」と小さな声をあげた。
「蝉の声」
「え?」
「聞こえませんか? ほら、遠くに」
そう言ってペーターは立ち止まり、目を閉じて聞き入る仕草をした。俺も同じように足を止め、耳を澄ませてみた。
けれども蝉の声など、どこからも聞こえはしなかった。
「……聞こえないぞ、蝉の声なんて」
「ちゃんと聞こえますよ、ほら」
瞼を降ろしたまま、神妙の面持ちでペーターは動かない。よくわからないものを感じながら彼女に倣い、目を閉じた。視覚の閉ざされた意識に、黄昏る町のかすかな息遣いが染みこんできた。
――蝉の声ではなかった。
俺の耳はたしかに遠く響くかすかな音を拾った。だがそれは蝉の声ではなく、まったく別の調べだった。単調に打ち鳴らされる締太鼓と、篠笛の音――
それは祭囃子だった。
「蝉の声じゃないだろ。これは……」
ふと、俺は言葉を止めた。その先を言うことができなかった。
記憶の片隅に引っかかるものがあった。俺はこの祭囃子を――どこかで聞いたことがある。細い糸をたぐりよせるように、俺はさらに耳を澄ました。
そう……あのときだ。
三年前の夏に、俺はこの祭囃子を聞いている。この調べに誘われて迷いこんだ裏通りの、その奥深くに建つ小さな芝居小屋で、俺はそこで――
「――まだあの人のこと好きなんですか?」
「……え?」
唐突なペーターの台詞で我に返った。
「なに言ってるんだ。いきなり……」
反射的に言い繕いながら隣を見た。そこにペーターはいなかった。
「……?」
俺は頭を廻らせて彼女を探した。だがペーターの姿はどこにもなかった。
「……ペーター?」
呼びかけに返事はなかった。薄闇の押し寄せる場末の通りに、俺一人分の影が長々と伸びていた。
祭囃子が聞こえた。……彼方ではあの宵と同じ祭囃子が、止むことなく響き続けていた。
「……」
俺はもう一度辺りを見まわし、ペーターの姿がないことを確認した。
挨拶もなしに帰ってしまったのだろうか。……そんなはずはないと思った。そう思いながらもペーターのことは、その姿と同じように俺の頭から、たちまちに消え失せた。
祭囃子が聞こえた。
俺は立ち尽くしたままその調べに聞き入った。しばらくそうしていたあと――あのときそうしたように、俺はその祭囃子のする方へと足を向けた。
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