227 すべてが終わったあとに(1)

「――で!? 着いたらどうすんですか!?」


 舌を噛まないように気をつけながら、俺はほとんど声を限りに叫んだ。


 車輪から伝わってくる振動のせいで声は滑稽に震えている。いくら軍用のジープとはいえ、砂漠の道なき道を走っているのだからどうしてもそうなる。


 まるで掘削機の上にでも座っているかのように腰がリズミカルに浮き上がってはシートに打ち付けられる。足下からにょっきりと無骨そのもののハンドルを握る手も、そうしているのが難しいほどに震え続けている。


「あ!? 何だって!?」


「だから! 着いたらどうすんのかって聞いてんです!」


 大声で聞き返してくるキリコさんに、同じくらいの声で俺はがなり返した。こうやって限界に近い声を張り上げていても、なかなか会話が成立しない。重機でアスファルトをひっぺがしている工事現場で話をしているようなものだ。


 とにかくこのだ。この前、あの女の運転で乗っていたときよりもずっと車の揺れが酷い気がする。何か砂漠を運転するコツでもあるのだろうか。……まあそのときのように奇妙な方言で話しかけられないだけまだマシだが、それにしても振動が激しすぎる。


「どうすんのかって!? やるこた決まってんだろ! 話聞いてなかったのかい!?」


「聞いてましたけど! まず何をするかってことです!」


「知らないね! 昨日も言ったろ! なんも決めちゃいないって!」


「それにしたって! 雑すぎやしませんか!?」


「ああ知らない知らない! 着いてから決めりゃいいんだよ! そんなもん!」


 いきおい、会話は罵りあうようなものになる。ただそれは騒音のせいばかりではなく、二日続けて徹夜した朝のように異様なほどハイなこのテンションが影響しているのかも知れない。


 実際には徹夜などしていない。マリオ博士の死を看取った我々は部屋に戻って簡単な食事をとり、出発前に少しだけ休むつもりが結局朝まで寝てしまった。


 ただここ数日で蓄積された疲労はその程度の睡眠でどうにかなる類のものでもなかったようだ。今の俺にしたところで、とてもまともに運転できるような精神状態ではない。道なき道を走っているから何とかなっているものの、これが街中の道路であれば笑いながら二、三人轢き殺していてもおかしくない。


「道これであってるんですか!?」


「あ!? 何だって!?」


「これで道があってるかって聞いてんですけど!」


「さあねえ! あってんじゃないのかい!?」


「そんなんじゃ着きませんよ! いつまで経っても!」


「いいじゃないか! そんときはどっか行っちまえば!」


「はあ!?」


「どっか行っちまおうってんだよ! このまま二人で!」


「どこかって! どこへですか!?」


「あたしに聞くかい!? それ考えんのはあんただろ! ドライブデートじゃないか! 助手席の女に行き先聞いてどうすんのさ!」


「あーそーすか! しつれーしました!」


 そんなぞんざいな返事を返すそばから、乾いた笑いが喉の奥にこみ上げてくる。大声で笑い出したいような、裸になってどこまでも走っていきたくなるような、文字通り異常な精神状態だった。


 けれども自分がそんな精神状態に置かれている理由はきっと寝不足や疲労のためばかりではない。これまでの人生で身に覚えのないほどのこのハイテンションは、フロントウインドウの向こう側に広がるただならぬ光景のせいなのかも知れない。


 ――自分が目にしているのが信じられないという言葉がしっくりくる、まさにそんな光景だった。


 砂埃の失せた地平の果てから金色こんじきの光が立ち上がっている。金色はのぼるにつれ朱鷺色に変わり、淡い紫の帯となって群青の空に溶ける。その空の下、果てしのない荒野を青みがかった黎明が照らし始めている――


 これがこの世の終わりの景色だというのなら何の疑いもなくそれを信じられる――そんな光景だった。たまさかもたらされた雨のあとだからなのか、どこまでも空気がすき透っている。清澄な朝の大気のなか、目に映る光景は時を追うごとにその神々しさを増してゆく――


「……つか、本気でどこ走ってるかわからないっての」


 景色に持っていかれそうになる心を呼び戻すように、口の中で小さく呟いた。その言葉どおり、俺はハンドルを握りながらどこをどう走っているのかわからなかった。


 キリコさんたちが進めてきた研究自体をなかったものにするために今日明日にも行われるという核実験――それを阻止すべく、震源地であるあの研究所に向かい走っている。自分たちが目下そういった状況にあることは、まあ一応わかっている。


 ただわかっているのはそれだけで、こんな道路も標識もない荒野を闇雲に走り続けて、本当にその場所に近づいているのかはわからない。


 それに首尾よく辿り着いたとしても、そこでキリコさんが何をどうしようとしているのか、それも俺にはわからない。


 何ひとつわからないままハンドルを取る俺の隣で、キリコさんは他人事のように頭の裏に手を組み、半目をあけて鼻歌さえ歌い出しそうな顔で窓の外を眺めている。


「誰かどうかいるだろ!」


「はあ!?」


「さっきの話だよ! あっち着いたらさ! 衛兵隊ガーディアンにしろそれ以外のやつにしろ誰かどうかいるだろ!」


「いますかあ!?」


「いるに決まってるよ! そしたらあとは簡単じゃないか!」


「なにが簡単なんすか!?」


「締めあげてやりゃいいんだよ!」


「はあ!?」


「あっち着くだろ!? 誰かいるだろ!? そいつとっ捕まえて締めあげてやりゃいいんだよ!」


「……誰が締め上げるんだっての」


「あ!? 何か言ったかい!?」


「なんにも!」


 ――おそらくキリコさんにもわからないのだろう。研究所に辿り着いたとして、そこで何をどうすればいいのか、そのあたりはおそらくキリコさんにもわからない。


 ただ、それでいいのかも知れない。勝ち目はゼロだと断言するキリコさんがそれでもあの研究所に向かおうとする理由は明らかで、身も蓋もない言い方をすればそれはのためだ。


 核実験とやらを止めたところで、あそこにはもう何もない。マリオ博士が言い遺したように、このジープでどこかへ逃げるのが唯一のまともな行程表アジェンダだということに疑いはない。


 けれどもあえてそのまともな行動を採らず、わざわざ見えている地雷を踏みに行こうとする我があるじの行動は愚の骨頂と言うしかなく――だがそんな彼女の愚かしさを、俺は笑うことができない。


「そういや何してんですかね!? あの子!」


「あの子!?」


「あの子です! 俺のダンスパートナー!」


「ああ! あの子ね! そういや暴走してたんだっけね!?」


「重要じゃないですか!? あの子が今どうしてるかって!」


「さあねえ! 元気に暴れまわってるんじゃないかい!? あるいはもう止まってるか!」


「止まってる!?」


「暴れだしたら止まるんだよ! そのうち止まっちまうんだあの子は! 要するに死んじまうのさ!」


「……」


「けどまだ止まってないかもねえ! そしたら鉢合わせもあり得るね! そうなりゃあんたの見せ場だ! しっかりボディガード頼むよ!」


 キリコさんのその一言で、ほとんど躁状態にあった意識が少しだけ現実に引き戻された。


 あの少女と戦う――そんな事態は想像したこともなかった。ようやくそれらしい形にはなってきたとはいえ、訓練とは名ばかりの一方的な殺戮という構図に変わりはない。


 だから正直、ボディガードなどできるはずがない。だいたい俺一人でさえ逃げるのがやっとだったものを、キリコさんが隣にいる状況でどうやってあの子とやり合えと言うのか……。


「勝ったことは!?」


「え!?」


「最近報告きいてなかったね! 訓練であの子に勝ったことは!?」


「ないです!」


「一度も!?」


「一度も!」


「だったら最後くらい勝ってみたらどうだい!?」


「はあ!?」


「最後に一度くらい勝ってみなってんだよ! あの子に!」


「あの化け物にですかあ!?」


 そう答える俺の声は上ずっていた。訓練では一度も勝てなかったのだから、最後くらいはあの少女に勝ってみろ……冗談にしては笑えない。勝つ、ということは俺がこの手であの子を仕留めるということだが、はっきり言ってそのを想像することすらできない。


 ぶつかれば否応なしに戦うことになる。そしてそうなれば、俺はいずれあの子に喉を切り裂かれる。それはもう疑いようもない事実で、キリコさんに何と言われようともその事実を曲げられるとは思えない。


 ――だがその一方で、ふと浮かび上がってくる疑問があった。


 ここは訓練のために入ったではない。あの場所で喉を切られた俺はに戻ってきた。だとすれば、ここで喉を切り裂かれた俺はいったいどこへ行くのだろう――


 まるで他人ごとのようにそんな疑問を考えはじめた俺の耳に、隣から予想外の一言が飛び込んできた。


本当ほんとは会いたいんじゃないのかい!?」


「はあ!?」


「あの子のことだよ! 化け物だなんて言ってるけどさ! 早くあの子に会いたくて堪らないんじゃないのかい!? 本当ほんとは!」


「いきなり何の話ですか!?」


「あたしの目は節穴じゃないよ! 披露宴パーティーのときさ! 目と目で通じ合ってただろ!? あんたあの子と!」


「……」


「ましてや密室に二人きりだよ! あんな子と何度も何度も! まったく何やってたんだかわかりゃしない! これでも心配してたんだからね! ハイジがあの子にとられちまうんじゃないかって!」


 こちらを見ずそう言ったあと、キリコさんはわざとらしい下品な笑みを浮かべた。咄嗟に否定しようとして――けれどもキリコさんの言葉を、俺は否定できなかった。


 いつか見た夢――回転木馬に見立てた歯車に少女と二人、ぐるぐるとまわりながら感じていた感情を思い出した。


 あのとき、俺とあの子の間には確かにがあった。言葉を交わさなくとも、俺たちははっきりと


 それに何のことはない。こうしてあの少女のいる研究所に向かおうとする俺の中に、彼女に会いたいと思う気持ちがまったくないと言えば嘘になる。そのことに気づいて、自分で自分に呆れかえる思いがこみ上げてくるのを覚えた。


 ……会えば殺されることはわかっている。それがわかっていながらあの少女に会いたいと思う俺の精神はいったいどうなっているのだろう? キリコさんに言われなければ気づかなかったのかも知れない。だが一度そう認めてしまえばまるではじめから自分が考えていたことのように、あの少女に会いたいという思いが簡単には頭から消えない。


 そう、俺はあの子に会いたい。殺されるだのなんだのとそんなことはどうでもいいから、もう一度あの子に会いたい。もう一度会って、そしてまたあのときのように――


「……」


 とんでもない方向へ向かいかけた思考を断ち切るため、俺は腹の底から大きく息を吐いた。……アタマがおかしくなっているのかも知れない。あるいは、俺たちはもう死んでいるのだろうか?


 煤けたガラス越しに見る光景はいよいよその豪奢さを増し、ほとんど神がかったものになっている。これが来世に続く景色なのだとしたら、それも素直に信じられる。要するに、俺はもう死んでいるということだ。実際そうなのかも知れない……いや、きっとそうだ。


 そんなことを考えながら、俺は思わず吹き出しそうになった。ここで笑ってしまえば歯止めが利かなくなる。そう思ってどうにか吹き出すのをこらえ、俺は運転に意識を集中しようとした。


「どうしたんだい!?」


「なんでも!」


「いい天気だね!」


「はあ!?」


「いい天気だよ! それにしても!」


「そうですかあ!?」


「ああ本当ほんとに! このままどっか行っちまいたくなるねえ! 本当ほんとにいい天気だよ!」


「まあそうですね――」


 曖昧な返事を返しながら、本気でそうするのもいいと俺は思った。言い出したのは彼女の方なのだし、面倒なことはぜんぶ忘れてこのままどこかへ行ってしまうのもいい。何も考えずアクセルを目いっぱい踏み込み、この幻想的な景色の中をどこまでも……。


 隣にはあこがれの女性ひと、BGMはただの騒音ホワイトノイズ。シチュエーション的には申し分ない。


 それに――そうだ。幕切れとしても悪くない。作戦のキーだった部隊の壊滅、マリオ博士の死、核実験阻止のファイナルミッションなどというおまけまでついてこれでもかというくらいお膳立てされたこの状況ですべてをほっぽり出し、俺たち二人で行く宛もない旅に出るというラストは滅茶苦茶で、だからこそこの脈絡のない即興劇の幕切れとしては悪くない――


 そう思って、俺は遂にこらえきれず吹き出した。


 何がおかしいんだい? と隣から聞かれても答えられない。そのうちどういうわけかキリコさんも加わり、やがて二人の馬鹿笑いは車輪の騒音に負けない哄笑となった。


 気がちがったように俺たちは笑い続けた。ハンドルを持つ手も危うく、仰け反って吠えるように笑い声を張り上げた。


 ――多分、もうとっくの昔にぶっ壊れているのだろう。俺もキリコさんも、俺たちが立っているこの舞台とやらも。


 壊れているのなら、壊れているのでいい。それでもう構わない。


 そんな気持ちをそのままに、俺はジープを走らせた。我があるじの指示通り、ここではないどこかを目指して――

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