228 すべてが終わったあとに(2)

 そんな気ちがいじみたノリも、研究所に続くトンネルの入り口をくぐる頃には治まっていた。火葬場のそれを思わせるシャッターがゆっくりと上がってゆき、我々を乗せたジープはいつかと同じように岩肌に空いた暗い洞穴の中へと呑み込まれた。


 トンネルを抜けて車庫に入ったとき、我々を迎えたものは一面の赤だった。


 赤色の非常灯に照らし出されるがらんどうの空間。そこには一台の車も無く、その代わりに幾つもの身体が転がっていた。


 どの身体のまわりにも赤黒いが広がっている。ジープの中からそれを確認して、隣に座る人に目を遣った。キリコさんは別段驚いた様子もなく、促すようにひとつ目配せしたあと、助手席のドアに手をかけた。


 静寂のホールにジープのドアを閉める音が二つ、重なるように響いた。キリコさんは手近な身体に歩み寄ると、うつぶせになっていたそれを無言で裏返した。


 衛兵隊ガーディアンの死体だった。死因を確かめるためか、キリコさんは制服の前を開き、脇腹のあたりを熱心に見つめている。


 だが、俺はキリコさんの目にとまらないこちら側に、彼の首が大きく裂けているのを認めた。それで俺には彼が誰に、どのようにして殺されたのかはっきりとわかった。


 ほどなくしてキリコさんもそれに気づいたようだ。制服を直すこともなくそのまま死体を横たえ、立ち上がってぐるっとひとまわり周囲を見回した。


「……妙だね」


「え?」


「死体の数を数えてみな。幾つ転がってる?」


「あ……ええと」


 質問の意図がわからないまま死体の数を数えた。そのどれもが衛兵隊の死体だった。数えながら俺は、自分が死体というものに対してもはや何も感じなくなっていることに気づいた。


 昨日、雷鳴の中に見た部隊の兵士たちの死体。薄暗い部屋で目にした捕虜の女たちの死体。この手で撃ち殺したアイネの死体……そのどれもが、今の俺にはただの肉の塊に思えるのだった。


 感覚が麻痺している……と言うより、もうの方が日常になってしまったのかも知れない。出来の悪い前衛芸術のようにめいめい四肢を曲がりくねらせて転がる死体を眺めるうち、自分がいずれ彼ら同じような死に姿を晒すだろうということさえ何でもないことのように思えてきて、俺は小さく頭を振った。


「二十ちょいですかね」


「もともと二十五人だ」


「え?」


「衛兵隊だよ。もともと二十五人。エツミ軍曹を入れてね」


「……」


「ジープはあたしたちが乗ってきたのを入れて十八台」


「……」


「賓客用の高級車もあったが、それはまあいい。だけどここに二十やそこらも連中の死体が転がってるとすると妙じゃないかい?」


「……というと?」


「やれやれ、少しは頭を使っとくれ。生き残ったメンバーは片手で数えられるのに、何で十八台あった車がぜんぶなくなってるかってことだよ」


「あ……」


 そこまで聞いて、ようやくキリコさんが口にした『妙』の意味が理解できた。


 ……確かに妙だった。衛兵隊がほぼ全滅に近いなか、移動の足であるジープだけがごっそりと消えてなくなっている。これは確かにおかしい。誰かが何らかの意図をもって別の場所に移動させたか、あるいは衛兵隊ではない誰かが乗り去ったか――


「博士の人たち、ってことはないですか?」


「博士?」


博士ドクターと一緒に研究やってた教授連ですよ。で見た限り、そこそこ数もいたようだし」


「ああ、連中か。……無いね」


「……」


「あいつらじゃ無い。ここからジープで逃げ出すなんてあいつらにできるわけがない」


 そう言ってキリコさんは何かを思い出したように不快そうな表情を浮かべた。


 キリコさんが言っていることの意味が俺にはよく理解できなかった。できるわけがない、というのはどういうことなのか。研究ばかりの教授連とはいえ、皆が皆、車を運転できないということはさすがにないだろう。


 それに俺があの廃墟からここまで、危なっかしいながらも何とか運転してこられたことからもわかるように、軍用ジープといってもただの車なのだ。運転しようとしてできないことはない。ましてあの少女が暴走し、多くの死者が出ているこの状況をみれば、彼らとしてもいち早くここから逃げ出すことを考えるのが普通ではないだろうか。


「船が火事になったとするだろ」


「え?」


「海の真ん中で船が火事になったとする。見渡す限りの大海原だ。船はもう沈みかけてる」


「……」


「そんとき二人乗りの救命ボートでとっとと逃げ出せるかどうか、って話なんだよこれは」


「……」


「船員の誘導もなしにそこでとっとと逃げ出せるのはよほど肝が据わったやつか、みたいに命知らずの馬鹿だけさ。近くに別の船が待ってるとか、そんな事情でもなけりゃね」


「……」


「だいたい連中のなかでここに車庫があることを知ってたのが何人いたのかも怪しいもんだ。浮世離れしたやつばっかりだったからねえ。まあ浮世離れしてなけりゃ、こんな砂漠の真ん中まできてわけのわからない研究に首つっこむこともなかったんだろうけどさ」


 キリコさんはそう言って笑いをこぼした。死体がそこかしこに転がったがらんどうの空間に、その笑いはいやが上にも虚ろに響いた。


「埒があかないね」


 一頻り笑ったあと、キリコさんは小さくひとつ溜息をいてそう言った。


「このままじっとしていたって埒があかない。とりあえず動こうかね」


 言うなりキリコさんは歩き始める。慌ててそのあとを追おうとして、俺はもう一度うしろを振り返った。


 ……よくわからないが、車があらかた消えてしまったこの状況で、乗ってきたジープをここに残していくことに問題はないのだろうか――


 ふとそんなことを考え、だが遠ざかってゆくキリコさんの靴音にせき立てられるように、俺もその場をあとにした。


◇ ◇ ◇


「――これで十人目、と」


 通路沿いの一室から廊下に出たすぐの場所で仰向けに倒れ伏していた死体――キリコさんがエリックと呼んだそれ――の検視を済ませて、我々はまた歩き出した。


 部屋の奥には短髪の女が壁に背もたれて死んでいたが、キリコさんはその死体を確認しなかった。おそらく、エリック博士の護衛トリニティだろう。


 ここまで見てきた博士たちの死体のうち半分は喉を切り裂かれたもので、半分は銃で胸のあたりを撃ち抜かれたものだった。当然と言うべきか、護衛も同じ殺され方をしている。


 喉については誰がやったか想像に難くないが、胸の方はわからない。キリコさんはそのあたりについて何も話さず、ただ淡々と死者の顔を確かめ、その人数を数えている。


「……あと何人ですか?」


「……」


「死んだ博士たちの人数かぞえてるんですよね。あと何人なんですか?」


「ロバート」


「え?」


「ロバート・マクスウェル。あの悪趣味なパーティーで汗かきながら司会やってた男さ」


「……」


「残るはあいつだけだよ。あいつの死体見つけりゃ全員クリア。直し屋ジャックの元に集った十二名の俊英たちはみんな揃ってお陀仏って寸法だ。……若干一名のはぐれ者を残してね」


 若干一名のはぐれ者――それがキリコさんのことであると理解するのに少し時間がかかった。


 詰め所のような場所に、両手両足を縛られて絶命した何人分かの死体があったが、員数外なのかキリコさんはそれを数えなかった。ただいずれにしてもこれでキリコさんが口にした推測が早くも証明された形になる。


 十八台からあったジープを乗り去ったのは博士たちではなかった。ではいったい誰が――そのことを考え始めたとき、不意にキリコさんが立ち止まって「はい、ラスト」と呟いた。


「ロバート・マクスウェル氏をもって、当研究所の教授連全員の死亡が確認されました――とさ」


 自嘲気味にそう言うと、キリコさんは小さく鼻を鳴らした。その眼前には通路の真ん中に苦悶の表情でうずくまる小太りな男の身体があった。


 何メートルか奥に髪の長い女の死体――その長い髪をカーペットのように床に広げた死体があって、それでキリコさんの言ったことを理解した。博士たちは全滅した。彼らを守るために付き従っていた者たちと共に。


 けれども我々がこの研究所に戻ってきた理由は彼らの死を確認するためでは、もちろんない。非常灯の照らす通路を歩きながらずっと気になっていたそのことを尋ねようと口を開きかけたとき、キリコさんの方から意外な言葉が飛んできた。


「心当たりはないかい?」


「え?」


「核実験の準備してるやつがいるとしてさ、そいつが誰かっていう心当たりだよ」


「……」


「あたしの方はもう打ち止めなんでね。ハイジに心当たりがあるようなら教えてくれないかい?」


「……」


 キリコさんの言葉に、俺は沈黙した。


 そんな心当たりなどあるはずがない。にあがってものの数日、台詞を交わした顔ぶれも数えるほど。その大半がもう退場してしまった現状にあって、誰が核実験の準備をしているかなどということが俺にわかるはずもない。


 そんなことは百も承知だろうに、なぜここへきてキリコさんは俺にそんなことを尋ねるのだろう――そこまで考えて、自分を見つめるキリコさんの表情がこの研究所に向かっているジープの中でのそれとはまったく別のものになっていることに気づいた。


 徹夜明けの爛々とした瞳は、もうそこにはなかった。代わりに濃い疲労の影と、何かにすがりつくような――けれどもそれを必死で押し隠そうとするような眼差しがあった。蓮っ葉な口調とは裏腹に、その表情がキリコさんの心情を物語っているように思えて、せめてものことにと俺は彼女の質問に答えるべく頭を回転させた。


「……あの女ですかね」


「あの女?」


「あの女ですよ。を殺した」


「……ああ、あの女」


 しばらく真剣に考えて俺の頭に思い浮かんだのはあの女――エツミ軍曹だった。何か根拠があってのことではなく思いつきに近いものだったが、口に出してみると案外その線も考えられるのではないかという気になってくる。


 先ほど車庫で改めた死体の中にあの女のものはなかった。つまり、彼女はまだ生きている可能性が高い。そして部隊を壊滅させたのがあの女の仕業だったとする疑念を、俺は捨てきれていない。何よりマリオ博士の最期の会話を思い起こせば、容疑者として真っ先に挙がるのは間違いなくあの女だ。


 彼女がただの犬ではなく、怜悧れいりな頭脳と果敢な行動力を併せ持つ軍人であることも証明されている。マリオ博士と《本部》とやらの密約に彼女がかかわっていたとするならば、主人のあずかり知らぬところで彼女自身が何らかのやりとりをしていたとしても決しておかしくはない――


 だがそんな俺の推理に、キリコさんはやれやれといった感じで大きくひとつ溜息をついた。


「あんまり面白い答えじゃないね」


「……そうですか?」


「ああ。あの女が黒幕なんてのは物語としちゃ下の下だ。面白くも何ともないよ」


「面白い、面白くないの問題じゃないような気もするんですが」


「他に誰かいないのかい?」


「え?」


「核だよ、核。核実験の準備しているやつで、誰か他に心当たりは」


「……」


 相変わらず人を小馬鹿にしたような反応に脱力を覚えながら、彼女の言う「他の心当たり」を探るために俺はまた考えこんだ。


 ……だがよく考えるまでもなく、俺がここで口に出せる名前に、それほどの候補は残っていない。さっき確認した通り、ここまでので俺が把握してきた登場人物の中で、生き残っているのはもうわずかなのだ。


 アイネは死んだ。リカもカラスも死んだ。キリコさんを除いて教授たちも全員死んだ。衛兵隊ガーディアンは壊滅に近く、あの女は解答として不適切――


 だとすれば俺が口にできる名前は、もうひとつしか残されていない。


「なら、DJ」


「え?」


「DJですよ。あのとき脱走した」


「……」


「マリオ博士も最期になにか言ってませんでしたっけ? 計画がどうとか、別の指令を植え付けられていただとか何だとか」


「……」


「そのへん考えたらんじゃないですか? あいつが《本部》って所と裏で繋がってて、あの脱走からこっち、どこかで動き続けてるってことなら、核の準備だか何だか知りませんけど、あいつがやってる可能性はあると思うんですけどね」


 ほとんど出任せに近い俺の推理に、今度はキリコさんが考えこむ番だった。左手を肘に添えた右手を軽く口にあてて小声で何かを呟きながら、必死に何かを考えているようだ。


 そんなキリコさんの様子を眺めるともなく眺めながら、実際のところDJは何をやっているのだろうと思った。


 ……自分で言っておいてなんだが、DJあいつが核実験の準備をしている姿などまったく想像できない。ただ、あいつがあのでのやりとりの後、何のために逃げ出したのかについては俺としても気になる。あいつはどうしているのだろう。あんなぼろぼろの身体で逃げ出して、今、どこで何をしているのだろう――


「――わからないね」


「え?」


「誰が実行部隊で、誰が裏で糸引いてんのか、まるっきりわからない」


「……」


「あたしたちがここから何をしたらいいのかもわからないよ。すまないね、ハイジ。ここへ来るジープの中であんたしきりにそのこと気にかけてくれていたのにねえ」


 そう言ってキリコさんは糸が切れたように力なくその場に腰をおろした。仕方なく俺もそれに倣う。それからしばらくの沈黙があった。キリコさんは何も喋ろうとせず、その場から立ち上がろうともしない。


 何をしたらいいのかわからない――あるいはその言葉通りなのかも知れない。勢いに任せて乗り込んできてはみたものの、蓋を開けてみればやはり何をどうしたらいいかわからなかった……そういうことなのだろう。


 個人的には言わんこっちゃないといったところだが、今さらそんなことを言ってもはじまらない。問題はここからをどう展開させればいいか、それが俺にもキリコさんにもわからないということだ。


 ……と言ってもさっきの犯人当てと同じで、我々の取り得る選択肢は限られている。何もすることがないのならば、やはりもうここを去るべきなのだろうか。


 だがそうなってくると、あのがらんどうの車庫に一台、ぽつりと残してきたジープのことがどうしても気になってくる。


「――なら、もう帰りますか」


「……帰る?」


「もうここを出ましょうか、って話です」


「……」


「早々にみたいですし、それなら車の中で博士ドクターが言ってたドライブに予定変更するのもいいんじゃないですか?」


「……」


「まあもっとも、まだ足が残っていればの話ですけどね」


「……どういうことだい?」


「え? いや、乗ってきたジープがあのままあそこに残っているのかなあ、と思って――」


 俺がその台詞を言い終える前にキリコさんは弾かれたように立ち上がり、そのまま駆け出した。


 薄暗い廊下の先にキリコさんの背中が見えなくなる寸前、俺は我に返り、慌ててそのあとを追いかけた。

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