289 出撃と葬送(2)

「『猿の部隊』?」


「そう、今夜の相手は『猿の部隊』。一昨日、隊長が言ってたから間違いないと思う」


 俺が身体を拭き終わったあと、例の固形食品とミネラルウォーターを間にアイネと向かい合って座り、朝食がはじまった。


 固形食品の袋もペットボトルも数だけは充分にあったが、正直、あまり食が進まなかった。最初はもの珍しかったこれも、さすがに三日連続となれば飽きる。


 だがアイネの前で間違ってもそんな不平をこぼすことはできない。彼女の言葉によれば、この廃墟で俺たちが口にできるのは、このプレーンソルト味のカロメもどきと、純粋で混じりけのない文字通りの真水――その二つだけなのだ。


「『猿の部隊』ってのは、どんな?」


「どんなって?」


「メンバーが猿っぽいとか」


「……? 猿って何?」


「ああ……なら猿は忘れて」


「猿って何? 気になるんだけど」


「いや……説明すると長くなるからさ」


 食事をしながら俺たちは、今夜に行われるという戦闘の打ち合わせをした。打ち合わせといっても実際には俺がわからないことを聞き、アイネがそれに答えるというだけのものだったが。


 ときどき脱線しながらも、俺は考えつく限りの質問をアイネに投げかけた。まだ実感はわかないが、とりあえず真剣にならざるを得ない。もう半日もしたら俺は否応なく、そのハードボイルドな非日常の真っただ中に叩きこまれるのだ。


「規模はうちと同じくらい」


「二十人かそこら?」


「だいたいそのくらい。けどほとんどが男。だから今回は『戦利品』が期待できないってルードとかはぼやいてた」


「……まあそのへんの話はいいや。見分け方とかないの?」


「見分け方?」


「その『猿の部隊』のやつらの見分け方」


「言ってる意味がわからない」


「いや、何かないのか? そいつらがその『猿の部隊』のやつらだって見分ける方法」


「戦えばわかることでしょ、そんなの」


「そうか……うん、そうだな」


 相変わらず噛み合わないやりとりは多かった。最初こそお互いに溝を埋めようと不毛な努力を重ねていたが、そのうち諦めて適当に流すようになった。


 アイネの話ではいつ招集がかかるかわからないということで、それまでに詰めるべきことを詰めておかなければならない。アイネがいくら知りたがっても、猿の生態について長々と語っているようなゆとりなどないのだ。逆に俺には気になるが、アイネの口振りからすると、闇夜に敵と味方を区別するための方法を押さえておく必要もないということなのだろう。


 それでも、二人の間に置かれた紙袋とペットボトルがあらかた空になる頃には、だいぶ今夜の戦闘に関する予習を進めることができた。


 今夜の敵である『猿の部隊』はうちと同じくらいの規模で男が多い。一人一人の動きは素早く、特に乱戦となると手強いが、組織立った行動ができないのでうちに分がある。だがともかく相棒バディを組んでの初戦であるし、油断は何より恐ろしい敵なので気を引き締めてかかれ――とのこと。


「――相棒バディは部隊の最小単位。その上が斥候とかの分隊で、だいたい相棒1組から5組くらいでそのつど編成される。分隊ごとに分隊長が決められて、その場その場の指示は分隊長が出すけど、全体の指揮をとるのは隊長。結局、最後は隊長の指示で動く」


「俺たちは?」


「え?」


「俺たちは今夜、どの分隊に配属されてどんなことをするんだ?」


「まだわからない。そのときになってみないと」


「と言うと?」


「部隊は出撃直前に編成されるの。隊長の命令で。分隊が組まれて、作戦指示があって、それからほとんどすぐに出撃。だからそのときになってみないと、自分たちがどんな部隊で何をするかわからない」


「……ただいずれにしても、俺とアイネは一緒に行動する、ってことか」


「そういうこと」


 アイネのその説明で、『猿の部隊』にはできないという組織立った行動についてだいたいのところは理解できた。


 兵隊は何も考えないという格言を今さらのように思い出した。一方的に役割を押しつけられるのはその実、俺の方としてはだいぶりやすい。余計なことを考えなくて済むからだ。DJから与えられる役割を、俺はただアイネと共に忠実に演じればいい。そう考えて、気持ちがふっと楽になるのを感じた。


「ところで、目的は何なんだ?」


「目的?」


「俺たちは何のために、その『猿の部隊』ってのと戦うんだ?」


「水と食料のために決まってるじゃない、そんなの」


「……ということは、その『猿の部隊』ってのを襲って、そいつらが持ってる水と食料を奪うってことか」


「それ以外に何があるの? 水も食料もたおして奪うしかないし。中には『戦利品』のためって言うのもいるけど、出撃するのは結局そのため」


「まるで盗賊だな」


「何それ? 盗賊って」


「いや、何でもない。忘れて」


 そこではじめて隊長――こちらの隊長ではない、あちらの隊長の言っていたことの意味がわかった。


 確かにアイネは《盗人》だった。銃火にものを言わせて生きるための糧を得る、《兵隊》としての《盗人》だった。


 そして俺も、今夜を限りに彼女の背中を守る《盗人》としての《兵隊》になる。……これで準備は調った。兎にも角にも、これでようやく役に立つことができる。


「他に何かある?」


「いや、だいたいわかった」


「わたしも重要なことはだいたい話したと思う」


「うん、何とかやれそうだ」


「なら話は変わるけど……」


「ん?」


 そこでアイネは目を伏せて言い澱んだ。何かとても言いづらいことを言おうとしているようだ。


「何の話?」


 俺がそう言って促すと、アイネはようやく視線を戻した。そうしていかにも恥ずかしそうな上目遣いで、「あれ、もうないの?」と言った。


「あれって?」


「昨日のあれ」


「ああ……カロメのことか」


「そう、それ」


「まだあるけど」


「……」


「何だよ、欲しいのか」


「……うん」


 消え入りそうな声でアイネは答えると、またうつむいてしまう。


 そんな仕草を見せられたら俺はどうすることもできない。帆布袋を引き寄せて中を探り、カロメの箱を取り出した。一昨日に確認した通り、それがもう最後の一箱だった。


「やるよ」


「……いいの?」


「ああ。昨日のとは味が違うけど」


 そう言って箱を差し出すと、アイネは恭しい手つきでそれを受け取った。


 俺の見ている前で慎重に箱を開け、パックの封を切る。中身を引き出して口に運び、愛おしむようにゆっくりと囓る。


「……おいしい」


「そうか?」


「……昨日のよりもおいしい」


「ならよかった。けど、よく味わって食べろよ。それが最後だから」


 俺がそう言うとアイネは一瞬、身体を竦ませた。そうしてすぐ、叱られて泣き出しそうな少女のような表情をつくり、食べかけのカロメを唇から離した。


「いい、いい。食べていいから」


「……でも、これで最後なのに」


「昨日も言ったろ。俺はもうそれ、食べ飽きてるんだよ」


「……そっか。ありがと」


 アイネはそう言って、だがまだどこか申し訳なさそうな顔でカロメを口に戻す。そうしてときどきこちらを窺いながら、音も立てずそのカロメを囓る。


 そんなアイネに、俺は堪らない可愛さを感じた。こうして見るアイネは、やはりどうしようもなく可愛い。


「……どうかした?」


「いや、何でもない」


「……やっぱり惜しくなった?」


「ないって。ぜんぶ食べていい」


 そこでアイネはまた恥ずかしそうに目を伏せる。


 ……昔からよく見慣れた何気ない仕草だった。以前の俺であれば――あの夜を過ごす前の俺では、こういうアイネを可愛いと見ることはできなかっただろう。


 ふとそんなことを考え、あの夜の小屋に別れた向こう側のアイネを思い出して……目の前の彼女に気取られないようにまた小さくひとつ溜息をついた。


 呆れるほど長い時間をかけてアイネはカロメを囓り続けた。最初のうち俺はその様子をぼんやりと眺めていたが、あまりにアイネがこちらを気にするので仕方なく視線を外した。


 それからふと思いつき、袋からデザートイーグルを取り出した。サバイバルゲームでは共に何度も死線をくぐり抜けてきた愛用のモデルガン。だが今夜はこの銃を手に、本物の戦場を駆けることになる。


「……ん」


 マガジンを引き抜くと数発のBB弾がこぼれ出てきた。反射的にそれを手の平で受け止める。……そうだった。弾が入っていたのだ。あの路地で男を撃ち殺したときも、この銃にはBB弾が入っていた。


 そこで俺は、今夜のためにBB弾を抜くべきか、それともこのままにしておくべきか迷った。


 演劇のセオリーに従うなら当然それは今のうちに抜いておくべきだが、人一人撃ち殺しておいて今さらという気もする。それに、弾が入っていた方が何となく心強い。サバゲーの要領でやれるという安心感がある。


 ……ただ、実際のところはどうなのだろう。


 一昨日、確かアイネは弾が入っていないのが普通のようなことを言っていた。それは入っていないのが、ということなのだろうか。それとも火薬の詰まった薬莢の先に弾丸のついた入っていないのが、という意味なのだろうか。


 考えてみればそのあたりは詳しく聞いていなかった。それについて尋ねようとアイネに顔を向けた。


 ――と、鉄の扉をノックする鈍重な音が三回、おもむろに響いた。


「誰か来たみたいだな」


「ハイジ、出て」


「……? 何で俺が?」


「いいから出て」


 有無を言わせないアイネの口調に訝しいものを感じながら、しぶしぶ腰をあげた。扉の前に立ってドアノブをひねる……開かない。


「鍵」


 という声が後ろからかかった。俺は「へいへい」と呟きながら鍵をまわし、それからもう一度ドアノブをひねった。


「はあい」


 扉を開けるとそこにはリカが立っていた。


 開口一番、そんな馴れ馴れしい挨拶が飛び出してくる。昨日のリカ――このビルのエントランスで俺を出迎えた彼女とのあまりのギャップに、俺はしばらく返事もできず、その見慣れた友人の顔を見守った。

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