209 最後まで演じきるということ(11)
その軍曹の言葉に俺は固まった。あまりにも残虐で血も涙もない解決法だった。しかもその言葉がさっきまでと変わらない軍曹の生真面目な顔から語られたことに衝撃を受けた。――この人は軍人だったのだ、と改めてそんなことを思った。
⦅そうした役であればお任せください。表に連れ出していただけさえすれば、自分がその『捕虜』を処分することにやぶさかではありません⦆
――そう、この人は軍人なのだ。任務遂行のためとあれば長年仕えた
何も言えず軍曹を見守った。キリコさんもしらばらく口を聞くことなく、冷たいコンクリートの天井を眺めていた。
だがそのキリコさんの沈黙が俺のそれとはまったく別の理由によるものだったことは、彼女が再び口を開いて最初の台詞で明らかになった。
⦅処分しちまって構わないのかい?⦆
⦅――と申しますと⦆
⦅あんたの任務とやらの話だよ。起動済みのトリニティを生きたまま回収するのが本部からの命令ってことじゃなかったのかい?⦆
⦅その件につきましては支障ありません。自分が受けております命令は試験場に最後まで残っていた個体の回収であります。従いまして、敗退致しましたものはその限りではありません⦆
⦅ふん……だからあの女どもは処分してもいいってことかい⦆
⦅そのとおりでございます。また、かの『捕虜』たちを回収することは実質、困難かと⦆
⦅根拠は?⦆
⦅自分が把握しております『捕虜』の人数は十名余り。かの部隊に生存する成員の数は十五名前後。当方で調達が可能な車両の台数が多くとも五台であることを勘案いたしますと、『捕虜』全員を連れ出すことは物理的に不可能であるものと思われます⦆
⦅……まあそうなるだろうね⦆
⦅従いまして、この件につきましては先ほど申し上げましたとおり、『捕虜』を我々が引き受けた後、速やかに処分することが最も現実的かつ妥当な解決法であり、また唯一の対処であるものと愚考致します⦆
⦅そうだね。あたしもそれしかないと思ってた⦆
「――ちょっと待ってください!」
思わず割って入った俺に二人分の視線が突き刺さった。
無言で凝視してくる彼女たちを前に、次の一言がなかなか出てこなかった。ただ、まとまりかけていた話の腰を折っておいてこのまま黙り続けているわけにはいかない。……自分はなぜ咄嗟に口走ってしまったのだろう、頭の中にその理由を探し始め――それはすぐに見つかった。
「その方法だと、俺は舞台を降りますよ」
「あんたが、かい?」
「え? ……いや、もう一人の俺が」
「んなこたわかってるよ。だから秘密裏に処分しようっつってんじゃないか」
「……」
「今さら確認するまでもないよ。あんたのヒューマニズムの有り
「……それは」
「けど聞いての通り、あの女たちまでまるっと救い出せるようなうまい方法はないんだよ。多くの羊たちを救うために、多少の羊たちには狼の餌になってもらわなけりゃならないんだ」
「……それはわかります」
「わかるんだったらさっきのは何さ? それとも他に方法があるのかい? あるんだったら教えとくれ。あの女どもも部隊の連中も全員が助かるようなうまい方法を、さ」
「……」
「無いんだったらお呼びじゃないよ。議論の場で対案しめさず批判の言葉だけ並べ立てるほど
叩きつけるようなキリコさんの言葉に、俺は反論できなかった。
……確かにキリコさんの言う通りだった。有効な対案を示せないものには議論に加わる資格はない。そして俺の中には対案はおろか、かすかな見通しのようなものさえない。そもそも輸送手段の具体的な台数まで考慮に入れて脱出可能な人数を試算している軍曹の意見に対して、俺の口からいったい何が言えるというのだろう。
――けれども。何かが引っかかっていた。
その方法しかないのだということはわかった。ハード的な事情、軍曹とキリコさんお互いの利害、そうした諸々を総合した場合、間違いなくそれがベストの解決法なのだということも理解できた。
だが、たとえそうであったとしてもその方法をとるべきではない。それは直感だった。ここ数日でものにしたあの身に迫る危険を察知するときの居心地の悪い感覚にも似た――
「……」
そう、それはあの感覚とよく似ていた。事情はどうあれ、何となくヤバいからその方法をとるべきではない。自分の感じているものをあえて言葉にすればそうなる。
滅茶苦茶な論理だった。……いや、既に論理でさえない。
それでも、俺はそれを言葉にしようとした。言葉にしなければならないと思った。うまく言葉にできないそれをどうにか言葉にしようと頭の中で組み立てているうち、俺の横槍で会話から外れていた軍曹が思い出したように発言した。
⦅彼は、何と言っていたのですか?⦆
⦅ん? ああ……あんたの言った方法だとこの子は舞台から降りるってさ⦆
⦅彼が、ですか?⦆
⦅いや、もう一人の方⦆
⦅……⦆
⦅あんたには理解できないだろうけど、所謂ヒューマニズムってのがあるんだよ、この子の中には。そのヒューマニズムが、あんたの提案してくれた方法を受け容れることができない、ってそう言ってるのさ。自分が受け容れられない以上、もう一人の自分も受け容れられないことは想像に難くない、ってね⦆
⦅……⦆
⦅ただまあ、だったら対案出せって言ったら黙ったよ⦆
⦅……⦆
⦅この子自身も本当はわかってるんだよ。あんたの言う対処法以外にうまい方法なんかないってことは。それなのに何やかやとご託を並べ立ててくるのにちょっと苛立っちまってね。そんなわけでまあとりあえずこの子には黙ってもらっていることにして、あたしとあんたで話を進めようじゃないか⦆
⦅いえ、それでは不十分かと⦆
⦅……? どういうことだい?⦆
⦅ここは彼の意見を尊重すべきです⦆
⦅……⦆
⦅この件に関しまして、最も重要なのはもう一人の彼の心証であるものと存じます⦆
⦅……⦆
⦅それにつきましては、現実的な対処策とは別の次元で議論すべきだと思うのです。もう一人の彼を納得させられない限り『計画』は立ちゆかなくなる。その一点において、彼の意見は聞く価値があり、また聞かねばならないものであると判断致します⦆
思いがけない軍曹の援護に不覚にも胸があつくなった。自分が言いたくて言えないでいたことを彼女が代わりに口にしてくれた、そんな気がした。
キリコさんは最初呆気にとられたような顔で軍曹を見ていたが、やがてこちらに苦々しい感じの一瞥をくれ、それからまた軍曹に向き直って言った。
⦅他に方法はないんだろ? それなのにこの子の話なんて聞いてどうすんのさ⦆
⦅問題を潰すべきです⦆
⦅……ふむ⦆
⦅自分の提案致しました方法に、彼は何らかの問題を感じているものと思われます。まずはその問題が何であるか詳しく聞き出し、その問題を解消するためのさらなる対処策を検討し、その上で実行にかかることがこの件に関しては重要であるものと愚考いたします⦆
⦅……ふむ、言われてみりゃもっともだ。そんならさっそくハイジ先生にお話をお聞きするとしようかね⦆
そう言ってキリコさんは俺の方を見た。どこか挑発するような半開きの目で。
自分に振られたのだということを理解するのに時間がかかった。しばらくしてはたとそれを理解したあとも、すぐには口を開くことができなかった。
軍曹の台詞はちゃんと聞いていた。彼女が提案した対処策において、俺が感じている問題点が何であるか。いま俺が彼女たちに説明しなければならないことはそれで、いつまでもこうして口をつぐんでいるわけにはいかない。
ただそれをどうやって彼女たちに説明すればいいか……それがわからない。
「……バレたら終わり、ってことです」
どうにかその一言を絞り出した。だが絞り出してみて、案外それが最良の回答なのではないかと思った。
……そう、結局のところ問題はそこなのだ。『捕虜』の処遇に関する件の対処法がもう一人の俺にバレた時点で彼は確実に舞台を降りる――と言うより、何かもっと恐ろしい、取り返しがつかないことが起きるような気がする。
「軍曹の言う対処策の正体があっちにいる俺にバレたら、その時点で『計画』は終わり、ってことです。ここまで作ってきた舞台が、壊れる。全部、駄目になる」
自分が口に出した言葉を、キリコさんが例の言語に変えて軍曹に伝えるのを、どこか遠い世界の出来事のように聞いていた。言うべきことはまだあるはずだった。このまま議論が煮詰まり、軍曹の提示した対処策が当面の方針として決定してしまう前に。
……けれども俺の口からはもうひとつの言葉も出てこなかった。そうして俺が口を閉ざしたのを認めてか、軍曹がまたおもむろに口を開いた。
⦅彼の懸念するところは理解致しました。確かに、その点は考慮しなければならない事項であるものと存じます⦆
⦅……まあそうだろうね⦆
⦅つきましては、彼の懸念する事態の発生を防ぐため、事前の検討が必要であるものと思われます⦆
⦅その事前の検討ってのは?⦆
⦅さしあたって本日、これより予定されております彼――もう一人の彼との面会におきまして、自分が提案致しました対処策を提示することはできません⦆
⦅そりゃそうだ⦆
⦅そうなりますと、
⦅そうだね。……というか、考えるまでもなくそうだ。すんなり信じてもらえるようなダミーをきちんと用意しておかなくちゃいけない。となると、だ――⦆
――違う。漆黒に近い闇のなか議論を再開した二人を眺めながら、心の中にそう呟いた。
俺が問題にしたかったのはそんなことではない。今夜の対面でもう一人の俺に提示するダミーの対処策。そんなものを用意しておくことで俺がいま感じているこの居心地の悪い気持ちが消えることはない。
……俺にはそれがわかった。何の根拠のない、それは確信だった。
二人の女性は俺を置き去りにしていよいよ熱のこもった議論を続けている。そこにはもう自分の入り込む余地はなかった。だから最後にもう一度、俺はその言葉を口に出した。
「バレたら終わりです」
「え?」
「もしバレたら、俺は絶対に舞台を降ります」
「そんときゃそんときだろ――」
⦅――そうなったらそうなったで仕方ない。降りたいやつには舞台から降りてもらうまでさ⦆
俺との会話を断ち切るように彼女たちの言葉でそう言って、キリコさんは鼻を鳴らし、またエツミ軍曹に向き直った。
それで終わりだった。再び議論から閉め出された俺は、二人が今夜の具体的な段取りを練り上げるのを喪心に近い気持ちで聞くともなく聞いていた。
キリコさんの言うとおり、仕方ないことだと諦める気持ちがなかったとは言えない。さっき確認したとおり、それ以外に方法がないのだ。
ただそう自分に言い聞かせてみても、夜の帳の降りきった冷たいコンクリートの部屋に、もやもやした居心地の悪い気持ちはいつまでも消えなかった。
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