326 巡礼者のキャラバン(7)

「巡礼者?」


「ああそうさ。ただまあ巡礼っっても、あたしらのいたあの国の連中が思い浮かべるようなもんとは少しばかり毛色が違うけどね」


「……と言うと?」


「巡礼ってのは本来、片道切符で『約束の地』を目指すを言うんだよ。ほら、祖国での迫害を逃れて新天地目指した親父たちだってそうだっただろ?」


「……巡礼始祖ピルグリムファーザーズですか」


「そうだよ。連中も元々帰る気なんてなかった。そこがどんな場所かもわからないまま、ただ自分たちの信じるものを信じ通せる『約束の地』だってだけの理由で命懸けの旅に出たのさ」


「……」


「ハイジがそこを『楽園』と呼ぶのに抵抗があるってんならそれでいい。けど、それならそれで連中の頭ん中にある程度リアルな『約束の地』のイメージを植え付けておくべきじゃないかい? そういう場所があるんだったら行ってもいいかってあいつらに思わせるくらいの、ちょっとばかしった感じのやつをさ」


 そう言って自嘲するように鼻を鳴らしたあと、キリコさんは小さく息をついた。それからどこか醒めたような横目を俺に向け、更にその話を続けた。


「連中の中に、あんたが説く『約束の地』の話を信じてるやつがいるって言ったね?」


「……はい」


「そういうことだったら、その信じてるやつらを核に思想集団を形成するのが手っ取り早いんじゃないかい?」


「思想集団?」


「ああ。預言者としてのハイジを信奉し、あんたの言うことだったら素直にほいほい受け容れちまうの集団だよ。それこそ、自分が掛け声ひとつかけりゃ海が割れる、ってな話を何の疑問もなく信じちまうくらいの」


「……」


「そういうのが形成されてりゃ、今回の無茶な民族大移動にもある程度の見通しが立つってもんだろ。ありもしない楽園なんぞでっちあげなくてもね。脱出劇決行に先立つ地ならしとして、まずはそのあたりから目指してみるってのはどうだい?」


 事も無げにそう言いながら、キリコさんはどこか挑発するように口許に笑みを浮かべた。


 その提案に、俺はまたしても戦慄を覚えた。


 キリコさんが言っているそれは預言者と言うより新興宗教の教祖だ。しかも独自の教義ドグマを掲げてセクト化した極めて純度の高い――つまりはカルト教団の教祖。……そんな胡散臭いことこの上ない役を、この人は俺に演じろと言う。おもてには民衆を新天地へと導く偉大なる預言者の顔を貼り付けたまま……。


『――俺が死ぬときも、ハイジに見送って欲しい』


 ――だが、できる。


 脳裏にゴリアスの顔を思い浮かべながら、俺はそう思った。


 キリコさんが言うような思想集団を形成することは、おそらく不可能ではない。今日まで行ってきたあの座談会をベースに、それを部隊全体に展開すれば、案外簡単にそうしたものができあがるのではないかという気さえする。そしてそれが、民族大移動を成し遂げるための鍵になるというキリコさんの見方も、きっと間違ってはいない。


 ただ、仮にそうだとしても――


「さて、これで話がつながったね。連中にとってハイジがそういう存在になるために、さっきの情報を有効に活用してほしいんだよ」


「……」


「予言通り雨が降って連中は狂喜乱舞し、あんたのカリスマは爆上げ。その忘我体験エクスタシーの勢いでもって巡礼者のキャラバン出発進行……ってのがまあ、現実的な線になるんじゃないかね」


「……」


「ま、難しい役には違いないよ。て言うか、あたしでもうまく演じきれる自信はない。けど、ハイジだったらできるんじゃないかって……もっと言えばハイジにしかできないんじゃないかって、そんなふうにあたしは思ってる」


「……なるほど」


 すべての思いを呑み込んで、俺はどうにかそれだけ返した。……逆に言えば、そう返すことしかできなかった。


 そんな途方もない役を演じることが俺にできるだろうか――そう思って立ち竦みそうになる自分がいる一方で、おそらく最後の共演ということもあるのだろう、明らかに困難な役を提示しながらも俺ならばそれができると言うキリコさんの言葉は麻薬のように俺の精神に作用し、首の裏側あたりにちりちりと熱い粒子のようなものを生じさせる。その熱い粒子によってもたらされるむず痒い感覚が、俺にキリコさんの提案を否定する言葉を吐くことを許さなかった。


「他に質問は?」


 ややあって、キリコさんはまた俺に質問を促した。質問がないようならそろそろ切り上げる、彼女の声はそう言っているようにも聞こえた。


 そう言われて、俺は考え込んだ。


 移動手段をどうするかということと、俺の演技の方向性。目下最優先の課題と位置付けていたこのふたつについては朧気ながら見えてきたように思う。だが、キリコさんに聞いておきたいことは他にも山ほどある。


 西の空に目を移した。地平に隠れようとする太陽の光は淡い朱鷺色ときいろの帯を残すばかりになり、夕映えと呼ぶには弱々しいものになりつつある。


 夜は近い。あの陽が完全に隠れれば、俺は隊長として彼らの前に立たなければならない。こうしてキリコさんと話していられる時間は、あとわずかなのだ。


 そう思って――俺は自分の中にくすぶっていた疑問を思い切って口にのぼらせた。


「それじゃ聞きますけど、俺とは別に、キリコさんのパートナーの、もう一人の俺っていたりします?」


 その質問に、キリコさんは弾かれたようにこちらに顔を向けた。そしてぎょっとしたという言葉そのものの表情で、しばし言葉もなく俺を見つめた。


「ああいや……なに言ってんだろ俺」


 キリコさんの反応に、俺は慌てて質問を引っ込めようとした。


 考えてみれば……いや、考えるまでもなく彼女の反応は当然だ。俺とは別にもう一人俺がいますか? などと聞かれて平然としていられる方がおかしいのだ。驚かせてしまっただけならまだいいが、気が狂ったと思われたら今後のことにも支障が出る。ともあれキリコさんがそのあたりの事情を知らないのであれば、こんな質問は早々に撤回した方がいい。


 そう思い、言い繕いの言葉を探す俺の耳に、いつになく平坦でたどたどしいキリコさんの声が届いた。


「なんで、そう思うんだい?」


「え?」


「あんたの他に、あたしのパートナーの別のあんたがいるって、どうしてそんなこと思ったりしたんだい?」


「……劇が始まる直前に隊長が言ったんですよ。この劇では三人の俺が、それぞれ別の役を演じるために舞台に立つことになる、って」


「隊長?」


「ああ……もちろんあっちの隊長です。俺たちと一緒に演劇やってた、即興劇団ヒステリカの隊長」


 そう言って思わず苦笑いする俺に――なぜだろう、キリコさんはますます怪訝そうな表情を浮かべ、また口を閉ざした。


 ひょっとして、説明が足りていないのだろうか……明らかに動揺した様子のキリコさんを前に、俺はそう思った。


 あるいはそうかも知れない。裏を返せば、キリコさんは隊長からあの前説を受けていなかったということだ。事前情報のないところにいきなりこんな突拍子もない話をされれば動揺するのも無理はないし、実際、あのときの俺も同じように混乱していた。


 ……そうなるとここでキリコさんに納得してもらうためには、不本意ながら俺が隊長の代わりに言葉を並べなければならない。そう思って、俺は小さく溜息をついた。


「……ええとですね。わけわからない話だと思いますし、ぶっちゃけ俺も半分くらいしか……というか半分もわかってないんですけど、なんか、そういう話だったんです」


「……」


「この舞台には三人の俺が立っていて、そのうちの一人はアイネのパートナー、一人はキリコさんのパートナー、あともう一人はペーターのパートナーを演じることになるって、隊長からそう言われて」


「……」


「だから、ひょっとしたら俺の他に、キリコさんのパートナーの俺がもう一人いるんじゃないかって、そう思ったんですけど」


「――それだけかい?」


「え?」


「あんたの他にもう一人のあんたがいるって、ハイジがそう思った理由はそれだけかい?」


 そう言って、キリコさんは真剣な顔を俺に向けてくる。


 真剣な顔……と言うより、ほとんど鬼気迫る表情と言うべきかも知れない。ヒステリカで何度か見た、彼女が本気で怒っているときの顔に似ている。……だが、それともどこか違う気がする。


 なぜここで俺を前にキリコさんがこんな顔をしなければならないのだろう。そう思って、一瞬は答えを濁すことを考えた。けれどもキリコさんのこの様子を見れば、いい加減な言葉で逃げられるとも思えない。


 何となく時間切れの感じで、俺は仕方なくその話を始めた。


「実は俺、昨日の戦闘で、もう一人の俺を撃ち殺したんです」


「……」


「最初はそれが俺だってわかりませんでした。襤褸きれみたいな変な服着て、ガスマスクつけてたから。そんな格好したやつに追い回されて。やっとのことで倒してマスク外してみたら、血塗れの俺の顔が出てきて」


「……」


「見間違いかと思ったんだけど、やっぱり俺で……ああいや、いまだに幻か何かだったんじゃないかって気持ちの方が強いんですけど、あれはいったい何だったんだろうって……」


「……」


「正直、まだ混乱してます。それで、キリコさんなら何か知ってるんじゃないかって、そう思ってちょっと聞いてみたんですけど――」


 言いながらふとキリコさんに目を遣り――そこで俺は言葉をなくした。


 両目を大きく見開き、呆けたように口を半開きにした、これまで見たことがないような顔で、キリコさんは俺を凝視していた。


 それはもうさっきまでの鬼気迫る表情ではなかった。


 怒っている顔ではない。愕然とした表情――というのともまた違う。ちょうど子供が車に轢かれるのを目の当たりにして、痙攣し事切れようとする小さな身体を眺めながら、それを事実として受け容れられないでいる母親のような表情……。


 自分が口に出したものの何がキリコさんにそんな顔をさせているのかわからないまま、俺はただ黙ってその顔を見守った。


「なに、バカなこと、言ってんだい」


「え?」


「そんなやつ、いないよ。あたしのパートナーの、ハイジなんて、そんなやつ、どこにもいない」


 どれほどそうして見つめ合っていたのだろう。やがて口を開いたキリコさんは、さっきにも増してたどたどしい、ほとんど棒読みのような口調でそう呟くと、そこで初めて俺から目を逸らした。


 キリコさんはそのままぼんやりと前を眺め、ゆっくり時間をかけて大きく息を吸い、同じくらいの時間をかけ息を吐いて――こちらに顔を向けないまま、やはりどこかたどたどしさの残る声で、静かに切り出した。


「あんたも、命懸けてんのかい?」


「え?」


「さっき言ってた役を、あんたは命懸けて最後まで演じ通すつもりでいるのかい?」


「もちろん、そのつもりでいます」


 反射的に答えていた。どういう文脈での質問かいまいちはっきりしないが、俺としてはそう答えるしかない。……むしろなぜキリコさんがそんな当たり前のことを訊いてくるのか、そっちの方が気になった。


 だがそれについて俺が問い返す前に、キリコさんは俺に向き直った。そして――何だろう、小さく唇を震わせながら、同じように震える声で一息に言い放った。


「だったら連中の価値観を根底からひっくり返すためにあんたが打てる演技をあたしが提案してやろうじゃないか」


 ぎらぎらと輝く目が俺を見つめていた。さっきのそれと同じように俺がこれまでに一度も見たことがない、どこか寂し気で苦しそうな笑顔……。


 その表情の意味がわからないままうまく返事を返すことができないでいる俺に、キリコさんは震えの残る唇をぎこちなく歪め、喉の奥から絞り出すように「死ぬんだよ」と言った。


「え?」


「あんたが死ぬんだ」


「……」


「連中のために、ハイジが死んでみせるんだよ」


 その提案に、俺はさすがに絶句した。……と言うより、キリコさんが何を言っているのかわからなかった。


 彼らの価値観を根底からひっくり返すために、俺が彼らのために死んでみせる。……わかるようでわからない。俺が彼らのために死んでみせることで、なぜ彼らの価値観が根底から覆るというのか……。


 そんな俺の心を読んだかのように、キリコさんはなおも続けた。


「あんたが悩んでることを要約すりゃこうだ。あいつらの中にあるのは利己的な思考オンリーで、利他的な考え方や博愛の精神という概念そのものがない。だから曲がりなりにもそうした共和的なイデオロギーに立脚するには適応できないし、排斥されて終わるのが関の山だ――って、そういうことだろ?」


「……はい、そうです」


「その無理難題をどうにかするための処方箋がこれさ。利他的な考え方や博愛の精神、そういったもんの究極形は『自己犠牲』ってことになるとあたしは思うんだよ。他の人間のために命を捨てる――そういう考え方があるってことをあいつらに説いた上で、実際にあんたが連中のために死んでみせる」


「……」


「そういうのはどうだい? 文字通り命懸けの演技になるけど、りようによっちゃ感じのもんになると思うんだけどね」


 そう言って挑発するように口許を歪めるキリコさんに、どくん、と心臓がはねた。


 同時に俺は一人の顔を思い浮かべていた。それは、アイネの顔だった。


 昨日の出撃まであれほど頑なだった彼女の態度が、帰投後、掌を返したように豹変した。そのきっかけがどこにあったかを考えれば、俺があの混戦のなか命懸けで彼女を助けたこと以外にありえない。我が身を顧みないあの行為で、アイネは俺に心を開いた。そのことに間違いはない。


 ……たしかに恋愛というファクターはあったのだろう。もともと異性として俺に惹かれるものがあったから彼女は。そうしたフレームがあってのことだというのは否定できない。だがおそらく本質において、それはきっと同性を含む仲間うちの信頼関係でも変わらない。


 俺が彼らのために命を捨ててみせることで、彼らの価値観が根底から覆る――これは大いにありうることだ。キリコさんの言う通り、少なくともひとつの有効な方法に違いない。……いや、現時点で他に案がないことを考えれば、唯一無二の方法と言っていいのかも知れない。


 俺が死ぬことで、この舞台における俺の役割は終わる。だがそこからも続く舞台の中で、彼らの価値観は根底から変わっている……なるほど、たしかに悪くない。


 問題は俺がいつ死ぬかだが、それも些末な問題に過ぎないだろう。砂漠を渡る前でも、渡ったあとでもいいのだ。重要なのはそこに俺がいるいないではなく、砂漠の外における世界の価値観に彼らがうまく適合してゆくことなのだから。


「……正直、その発想はありませんでした」


 具体的なことを考えているうちに動揺は治まってきた。そして俺は、自分の心にずっとかかっていた迷いの霧が、きれいさっぱり晴れたのを感じた。


 さすがキリコさんだ。素直にそう思った。


 前回の電話で唐突に投げかけられたメインプロット――取り付く島のない断崖絶壁のように感じて絶望していたそこに、なんだかんだ言いながらも彼女は明確な道筋を示してくれた。


 簡単な演技ではない。むしろ、想像を絶する演技と言っていい。


 だが、もしそれが叶うなら――本当にそんな演技を演じ切ることができたなら、劇の中ではなく文字通りの意味で、俺は死んでもいい。


 何の衒いもなくそう思って、清々しい気持ちで俺は息をついた。


「さすがキリコさんですね。その、ありがたくいただきます」

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