325 巡礼者のキャラバン(6)

「その『筋書き』ってのについて、もう少し詳しく教えてくれませんか」


「筋書き?」


「俺たちが演じてるこの劇の『筋書き』ですよ。この前、キリコさんが話してくれたような漠然としたプロットじゃ、この先うまく進められる気がしなくて」


「ここはもうすぐ滅びる。だから連中を引き連れて砂漠の外にある世界へ大移動するしかない……充分すぎるほど具体的なプロットじゃないか。どのあたりが足りないってんだい?」


「とりあえず、前の電話でキリコさんが言ってたです。どんな車を、いつ、何台くらい用意してもらえるのか。それがわからないと何も始まりません」


「差し当たってジープを1台」


 食い気味の即答だった。それが理由で、俺は逆に言葉に詰まった。


 そんな俺の反応などお見通しといったようにキリコさんは目を伏せ、淡々とした口調で事務的に続けた。


「教習車が必要なんだろ。どうにか確保したよ。瓦礫に見せかけるためにカムフラージュのカバー被せて隠してある。場所はC-17の、上っ側かわが半分壊れたビルの裏だ」


「C-17なんて言われてもわかりませんよ」


「だったらアイネちゃんにでも案内してもらうんだね。ここからちょっと離れた場所だから、教習に使うんなら近くまで持ってきといた方がいい。おっと、今じゃないよ。まだ聞きたいことあるんだろ? あたしに」


「……最終的には何台くらい準備してもらえるんですか?」


「逆に聞こうじゃないか。何台くらい準備すればいいんだい?」


「ジープは何人乗りですか?」


「4人乗り。目いっぱい詰めて6人ってとこか」


「だったら、最低3台」


「もう2台か……考えとくよ」


 そう言ったきり、キリコさんは黙った。


 その口振りからすると、どうやらキリコさんの方でもそう簡単にジープを調達できるわけではないようだ。『1台、どうにか確保した』という台詞がそのあたりを物語っている。だとすれば、この件についてはキリコさんが上手くやってくれることを信じて待つしかない。


 そしてそうなると、俺が彼女に投げかけるべき次の質問もまた決まってくる。


「連絡手段、ってないんですか?」


「え?」


「この先、キリコさんと連絡をとるための方法ですよ。この前、キリコさんの方から電話くれたじゃないですか。俺の方からも連絡がとれたら都合いいんじゃないか、って思ったんですけど」


「そんな方法はないよ。申し訳ないけど」


 そう言ってキリコさんはつまらなそうに小さく鼻を鳴らした。


「次もまたこうやってあたしがわざわざあんたの所にやってくるしかないんだ。が途切れちまったからね。不便だし面倒だけど、仕方がない」


「あいつとは、どうしてたんですか?」


「あいつ?」


「昨日まで隊長やってたDJあいつです。あいつとキリコさんの間にホットラインみたいなもの、なかったんですか?」


「なかった」


 またしても即答だった。言下に切り返してくる彼女の返事からは、この話題はこれくらいにしておけといった言外の意図が感じられた。


 ……キリコさんの返事を疑うわけではない。だが今日、砂嵐を眺めながら日がな一日そうしていたように、連絡をとりたくてとれないキリコさんを思ってまたやきもきしなければならないというのは、正直つらいものがある。


 そんな理由もあって、自分でも未練がましいと思いながら、俺はなおもその話にしがみついた。


「……そうですか。俺はてっきり、あいつは何かキリコさんと連絡とる方法を知ってて、だからカリスマがあったんじゃないかって、そんな風に思ってたんですけどね」


「ハイジは、カリスマが欲しいのかい?」


「……そりゃ欲しいですよ。と言うかそれがないと、この先どうしようもない」


 そう言って、俺は大きく深いため息をついた。そして、一日の終わりを迎えようとする廃墟の向こう側に広がる、果てしない荒野を思った。


「この廃墟での生活しか知らない彼らにあの砂漠を越えてゆくことを呑ませるなんて、そう簡単にできるわけないじゃないですか。そのためにはどうしたってカリスマが必要になってくると思うんです。あいつが持っていたような――いや、あいつのより何倍も大きな、それこそ歴史上の偉人みたいなカリスマが」


「そのへんについては力を貸してやれないでもないよ」


 何でもないことを言うようなその一言に、俺は思わずキリコさんを見た。


 そんな俺の反応を認めたあと、キリコさんは前に向き直ると、天気について話すような気安い調子でその話を始めた。


「さっきハイジは歴史上の偉人って言ったけどさ、この際、そいつらの手管をそっくり真似てやるってのはどうだい」


「どういうことですか?」


「預言だよ。『予め』の方じゃなくて『預かる』方の預言。あんたが手っ取り早くカリスマ身につけるためには、いっそ本物の預言者になっちまうのが一番の近道だとあたしは思うね」


 さも当然のことを言うようにさらっとした口調で、キリコさんはその異常な提案を口にした。


 ……いきなりとんでもない高さまで飛躍した話題に、さすがに面食らうものがあった。『預言者』などと言われても俺には月並みな名前しか思い浮かばない。だが、その月並みな名前で呼び習わされる預言者が歴史上果たしたとされる偉業を考えれば、キリコさんの提案はとても正気とは思えない。


「……海でも割れってんですか? 俺にそんなオカルティックな能力ありませんて」


「ああ、違う違う。あんた自身にそんなもん期待しちゃいないよ。だいたいあんたの言う『歴史上の偉人』にしてみたって、そのうち何人が自分の力でそれをやってたかなんてわかりゃしない」


「どういうことですか?」


「たとえばあたしらの国の古代史に燦然と輝く女王がいるだろ。『すこともなく神の道につかえ、あやしをもって人を導く』なんて言い伝えられてるやつだよ。その女王ってのも圧倒的カリスマを持った預言者に違いなかったわけだけどさ、彼女がどうやってその『あやし』を示すことができたかわかるかい?」


「天文学の進んだ大陸から情報を得ていた」


「いいねえ、教養がある男は好きだよ。その通りさ。女王は大陸からこっそりリークしてもらった情報をあたかも自分の預言であるかのように語って民草たみぐさの崇拝を勝ち得ていた。それと同じ図式をハイジがここで展開してみちゃどうだい――ってのがあたしの提案だよ」


「その情報ってのは?」


「雨だよ」


「雨?」


「ああ、雨だ。明日か、遅くとも明後日には雨が降る」


 キリコさんの言葉に、俺は思わず天を仰いだ。乾ききった群青の空には既に無数の星々がその姿をあらわし始めており、とても明日、明後日に雨が降りそうには見えない。


「今はも見えやしないよ。けど、きっと降る。あたしの見立てじゃ……そうだね、降水確率80パーセントといったとこか」


「……こんな砂漠に、雨が降るんですか」


「ああ、そうさ。砂漠にも雨は降るよ、それこそ洪水が落ちてくるような激しい雨がね。だが、もちろん滅多に降るもんじゃない。あの連中が雨を見るのは今回が初めてだ。これはあたしが保証する」


 空を見つめたまま茫然と呟く俺に、キリコさんは教師が生徒に教え諭すように、ゆっくりと静かにその話を続けた。


「初めて雨を見る人間にとってのそれが天変地異に他ならないことはわかるだろ。その天変地異が、あんたの言うとおりに起こるんだ。日蝕やら彗星の出現やらを言い当てるのと遜色ない、それこそ神クラスの『預言』になりゃしないかい?」


「……なんか、ずるくありませんかそれ」


ずるには違いないさ。けどあんたの言う歴史上の偉人たちは、おそらくみんなそうしてきた。それに、そんなこと言ってられる状況じゃないってことはハイジにもわかってんだろ?」


「それは……まあ、わかってます」


 口ではそう返しながら、キリコさんの提案するそれに俺の中で抵抗がなかったと言えば嘘になる。


 ずるというより、それはもう完全にだ。いくら先人たちがそうした手管を用いてカリスマを身に着けていたと諭されたところで、それを自分でやるというのはまた話が違ってくる。それに、そんなでもってカリスマを得たところで何になるというのだろう。その先が続かなければ、化けの皮はすぐに剥がれるのだ。


 ……正直、俺としてはそんな情報は使いたくないし、えせ預言者になどなりたくない。けれども、今はそんなことを言っていられる状況ではない――キリコさんのその言葉は、あくまで正しい。


「『約束の地』の話はしておく必要があるだろうね」


「え?」


「砂漠を踏み越えた先に待ってる『約束の地』だよ。預言者にも色んなタイプがあるわけだけど、あんたがならなきゃいけないのは民衆を引き連れて『約束の地』を目指す引率者タイプの預言者なんだからさ」


「……」


 ……またしてもとんでもない話になってきた。そのキーワードで思い浮かぶ預言者といえば一人しかいない。やはりこの人は俺に海を割れとでも言っているのだろうか。


 脱力すら覚えながらそう思う一方で、だがそういうことであれば、と俺は思い直した。


「そこの話なら、少しずつしてきましたよ」


「え?」


「キリコさんの言う『約束の地』の話です。そういう話聞きたいっていうやつらがいて、出撃がなくて暇なとき、語り部みたいな感じで話して聞かせてやってたんです」


「その話、連中は信じたのかい?」


「半信半疑って感じですかね。……でも、真剣に信じてるやつもいるみたいです。ただそっちはそっちで、俺が語るその場所を楽園か何かみたいに勘違いしてるようですけど」


「そこじゃないかい?」


「え?」


「預言者ハイジによる民族大移動を実現できるかどうかの分かれ目さ。そこが『楽園』だって連中に思わせちまえば、成功の目は見えてくるんじゃないかい?」


 そう言ってキリコさんは鋭い目をこちらに向けてくる。……何が言いたいか、そのあたりは考えるまでもない。


 俺は小さくひとつ息をつき、その視線から逃れるように向かいのビルの壁に目を戻した。


「そいつは無理な注文ってやつです」


「どうしてだい?」


「実際、楽園でも何でもないじゃないですか」


「そんなの、無事あっちに着いたらどうにでも言いくるめられるだろ」


「キリコさんがですか?」


 まったくの素で、俺はそう訊ねていた。だが言ってしまってからそれが本題とは別の、ひとつの大きな問いかけを孕んだ二重の質問になっていることに気づいた。


 その質問に、キリコさんはばつが悪そうに顔をしかめ、目を逸らした。それで俺には、彼女が俺たちの民族大移動につきあうつもりはないのだということがわかった。


「……」


 それ自体はまあいい。最初からキリコさんは員数に数えていなかったのだから、それを確認できただけでもよかった。


 だが、そうなると問題は振り出しに戻る。


 砂漠の向こうに待っているのが楽園だと説明しておいて、実際に着いたところで適当に言いくるめる……キリコさんであればそうした詐欺まがいの手法も可能なのだろう。だが、俺にはとてもそんな真似はできない。倫理的にも、役者としての能力的にも。


 ……結局はそういうことだ。キリコさんが一緒に来てはくれないということであれば、向こうに着いてからのことはすべて、隊長である俺がどうにかしなければならないのだ。


「もうひとつ、聞いてもいいですか?」


 俺の質問に、キリコさんは返事をしないままこちらに顔を向けた。


「無事向こうに着いたら俺たち、どうすればいいんですか?」


 返事はなかった。キリコさんは何も言わず、値踏むような目でじっと俺を見つめている。


 言葉が足りなかったのだろうか。そう思って、俺はまた口を開いた。


「彼らが今の生活様式を維持したまま向こうにたどり着いたら、反政府ゲリラよろしく内戦の真似事でも始めるか、あるいは早々にしょっ引かれて塀の中、ってことになるのは目に見えてます。その先に待ってるのは処刑台か死ぬまで懲役か……いずれにしろ真っ暗、ってことになるじゃないですか」


「……」


「そんな悲しい未来に向かって突き進むくらいなら、大人しくここで干乾びた方がいいような気もして」


「……」


「それがずっと気にかかってるんです。彼らを引き連れて砂漠を越えてゆくことはできても、彼らがずっと信じてきた価値観みたいなものを根底から変えてしまうようなことはできないって。だから俺は隊長として――」


「なに言ってんだい」


 そこで初めてキリコさんは口を開くと、呆れたような声でそう言った。そしてやれやれといった感じで、大仰に溜息をついてみせた。


「さっき言ったこと覚えてるかい? あんたがなるべきは『予め』の方じゃなくて『預かる』方の預言者だって」


「……覚えてますけど」


「単に未来を言い当てるのが『予め』の方の予言者。だったら『預かる』方の予言者の定義はどういったもんになるんだろうね?」


「神から預かった言葉を民衆に伝える者、ですか?」


「ああ。学校のテストならそれで正解だよ。けど、実際のところはもっとわかりやすい言葉で定義できる」


 そこでキリコさんはおもむろにこちらへ向き直ると、いつになく神妙な顔で厳かに告げた。


「民衆がそれまでに持ってた価値観を根底から変えちまうのが『預かる』方の預言者ってやつさ」


「……」


「あんたくらい教養のある男だったら、海割ったやつが民衆に何を示したもうたか知ってんだろ? 戒めだよ。十個の戒め突きつけて、救われたいならその戒めを守れってんで民衆の価値観を強引に変えちまったんだ」


「……キリコさんの言うそれって、本物の預言者の話じゃないですか」


「当たり前だろ。の話なんかしてどうすんのさ。それともアレかい? あんたがこれまでにやってきた演劇じゃ、所詮役は役だってんで、を演じるのが流儀だったのかい?」


 キリコさんらしい軽い調子で投げかけられたその言葉に、俺は息を止めた。


 身体中の血が沸き立ち、その直後、急速に冷えてゆくのを感じた。


 ……全身の力が抜けるような失望感があった。もちろん、他ならぬキリコさんにこんな台詞を口にさせてしまった自分への失望だ。


「……失言でした。忘れて下さい」


 どうにかそれだけ言ったあと、俺は大きく息を吸って、吐いた。


 ――生まれて初めて、自分が演じようとする役への畏れを感じた。役を演じきれるかどうかではない。そもそもその役を演じることが、人智の及ばない領域において何らかの禁忌に触れるのではないかと、信仰心もないくせにそんなことを思った。


 正直、立ち竦む思いはある。今すぐ大声で叫んで逃げ出したい――そんな気持ちが自分の中にないと言えば嘘になる。


 それでも今、同じサークルで共に演劇に懸けてきた先輩を前に、すべての思いに蓋をして俺はこの言葉を口にしなければならない。


「俺が演じるべきは、キリコさんの言うような本物の預言者です」


「よろしい。ハイジはそうでなくっちゃね」


「……けど、そうだとしても俺には見当もつかないんです。あいつらの価値観を根底から変えるなんて、そんなのどうすればいいか……」


「それを考えるのはあたしじゃない、ハイジだ」


「……」


「さっきの質問に回答するならそういうことになるよ。預言者を演じるのはあたしじゃなくてハイジだろ。なのに、役づくりまで共演者にひっ被せようってのかい? あたしがしてやれるのはせいぜい先輩としての助言くらいなもんさ。あんたのやってる演劇ってのは、そういうもんじゃないのかい?」


 そのキリコさんの言葉で、俺はまたしても完膚なきまでに打ちのめされることになる。


 ……いったい俺は何をやっているのだろう、と思った。


 役の方向性を定めること、その定まった方向で芝居を進めるための具体的な役づくり――そのどれもが即興劇では本来、役者本人に求められることだ。もちろん、共演者との擦り合わせはある。けれども最後にそれを決めるのはやはり自分でなければならない。


 ヒステリカに入団してから今日まで、ずっとキリコさんに言われ続けてきたこと。それを、今このタイミングで再び指摘されたという事実が、またしても鋭い錐のように俺の胸に突き刺さった。


「……すみません、甘えてました」


 ほとんど絶望に近い思いで、どうにかそれだけ絞り出した。正直、立っているのがやっとで、気を抜けば足元から崩れ落ちてしまいそうだ。


 けれどもキリコさんはそれ以上責めるでもなく、逆に気負い過ぎるなというように俺の肩をぽんぽんと軽く叩きながら、ゆっくりと落ち着いた声で言葉を継いだ。


「いずれにしてもだ。もう『約束の地』の話をしてるってんなら好都合じゃないか。そういうことなら、ここからハイジが組織するのは巡礼者のキャラバンってことになるわけだね」

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