235 すべてが終わったあとに(9)

「……勝ち逃げかよ」


 少女の亡骸なきがらを見下ろしたままそう呟く俺の声はひび割れ、乾いていた。


 あの子は暴れだしたらそのうち止まる――今朝方のキリコさんの言葉を今さらのように思い出した。黒々と血にまみれたその華奢な身体を眺めながら、俺は魂を抜かれたようにその場から動けなかった。


「はは……」


 これっぽっちも盛り上がらないまま終わったを思って自嘲の笑いがこぼれ、すぐにんだ。早々に舞台を降りてしまった少女への怒りがにわかにこみ上げてくるのを覚え、だがそれも立ち消えになる。折からの寂しさに混じり、そんな交々こもごもの想いが俺の中に浮かんでは消えていった。


「……」


 ――やがて感情の波が去り、あの丘の上で少女を待っていたときのような冷静を取り戻したとき、最後に俺の中に残ったのは同情シンパシーだった。


 パーティーの終わった会場に取り残され、照明が落とされたそこで手を取り合ってステップを踏み、踊り疲れて寝てしまったダンスパートナーへの同情シンパシーだった。


 わけもわからないままこの世界に目覚め、わけもわからないまま争いに駆り立てられ、わけもわからないまま死んでいった少女への同情シンパシーだった。


 同類としての同情シンパシーだった。


「……」


 少女の身体を抱きおこし、仰向けに寝かせ直した。その小さな手を胸の前に組ませ、半分開いていた瞼を撫でておろした。


 立ち上がり、そのまま立ち去ろうとし――けれども俺は再び屈みこんで、傍らに灯る弱々しい照明を頼りに周囲の花を摘んだ。もう何色の花かわからない、シロツメクサのようなそれを十輪も集めると、一本の茎で根元を結わえて片手に納まるほどの花束をつくった。


 胸の前に組ませた小さな手の間に、その花束をそっと挿し入れた。


 何度も目にした、だが初めて間近に見るあどけないその顔をしばらく眺めていたあと、俺は立ち上がった。


「……さてと」


 もうここに用はない。そう思ってその場から動こうとし――けれども俺は一歩が踏み出せなかった。


 ……正直、俺も疲れた。このまま少女の隣に横たわり、核実験だか何だか知らないがそれが執行されることによる破局カタストロフィをここで迎えるのもいい。今からそれを止めることなどどのみち不可能だろう。それならばが言っていた通り、この際だから少女に乗りかえ、同士仲良く手を取り合って世界の終焉を迎えるのも悪くない――


「……ふう」


 そして俺はもうひとつ息をついた。


 ……あえて逆を思うことで自分がやらなければならないことを確認できた。少女がいなくなり、核実験だか何だかがどうでもよくなっても、俺にはまだひとつ大きな仕事が残されている。我があるじキリコさんと再会すること。仲違なかたがいを修復して、あわよくばこの地下牢から脱出することだ。


 別れ際の様子を見れば、ここの破壊を阻止するという当初の目的は、キリコさんの中でも既に失われているのだろう。もう逃げ出してしまったのならばいい。けれどもまだ彼女がこの中に踏みとどまっているのだとすれば、それは意固地になっているか、あるいは単純に逃げることができないからだ。


 ……いずれにしても俺はキリコさんのもとに帰還しなければならない。それが彼女との契約であり、この世界で俺が演ずるべき最後の役でもある。


「……」


 最後にもう一度だけ少女を見て、俺は小走りに駆け出した。そのまま真っ直ぐに出入り口――ここへ踏み込んだとき潜り抜けてきた扉がある場所に向かった。


 扉はすぐに見つかった。ただ案の定というべきか、入ってきたとき開いていたそれが今は固く閉ざされていた。ドアノブのようなものはない。目印のためだろうか、小さなLEDのようなランプと、その下に鍵穴と思しき円い穴が開いているだけだ。試しに押してみても開かない。……なるほど彼らは本気で俺たちを――いや、おそらく少女をここに閉じ込めて生き埋めにするつもりだったようだ。


 ――彼らの仕事は見事だった。の俺も抜かりなく閉じこめている手際を見れば一分の隙もないと言うべきだろう。ただ惜しむらくは三位一体トリニティという新種の特性を、彼らは十分には理解できていなかったようだ。


 そう思いながら俺は屈み込み、地面に落ちていた細い木の枝を拾い上げた。そしてその枝を鍵に見立て、扉の鍵穴に差し込んで時計回りにまわした。


「ビンゴ」


 果たして、扉は開いた。ヘアピンの鍵でジープが動くのだから木の枝で鍵がくのは当然だ。首尾よくここを抜け出すことができたら、俺は大泥棒になれるかも知れない。そんな愚にもつかないことを考えながら通路に出た――


 その瞬間、空気が変わった。


 そして俺はまたあの感覚――生命いのちの危機を警告するあのおぞましい感覚に襲われた。


「……ヤバい」


 自然とそんな台詞が口を衝いて出た。もはや慣れっこになっていたはずのその感覚に、けれども俺は叫び声をあげそうになるのをどうにかこらえた。


 自分の中におこったその感覚はそれほど大きなものだった。……いや、単純に大きさではない。それは少女を前にしたとき自分が感じていたものとは明らかに異質で、たとえるなら猛烈な吐き気に襲われながらことがわかっているような、文字通り対処のしようがない感覚だった。


「……」


 だがそれで、俺にはその感覚を自分にもたらしたものの正体が何であるか察しがついた。――災害だ。逃れられない災害がすぐそこまで迫っている。ここ一週間足らずでずいぶん『死』と仲良くなってしまった俺のセンサが、地震を予知する動物のようにその脅威を検知したのだ。


 天災ではない、人工的な災害。核の爆発によるこの地下施設の崩壊が目前に迫っているのだ。


 もはや一刻の猶予もない。そう思い、通路を見渡して――けれどもどちらの方向へ走ればいいかわからなかった。


「……くそ」


 目指す場所は決まっている、そこに迷いはない。だがその場所に辿り着くためにどこをどう進めばいいのかわからない。そればかりか自分がどこにいるかさえ、俺にはわからない。わからないわからない。何をどうすればいいのか俺には全然わからない――


『それは覚えていないんじゃなくて、ただ単に思い出せないだけなんだよ』


「……!」


 耳の奥にキリコさんの声が響いた。その声で、俺は少しだけ冷静になった。


 ……そうだ、あのときキリコさんは言っていた。どの人間の頭の中にもそれまで見てきたもの、聞いてきたものがすべて記憶されているのだと。覚えていないのではない、ただ記憶を引き出せないだけなのだと。


「……思い出せ」


 どの道をどう行けばキリコさんのもとに辿り着けるのか。俺は今それを思い出さなければならない。キリコさんの部屋がどこにあるのか、その記憶をどうにかしてこの頭から引きずり出さなければならない。


 もちろん約束通りキリコさんがそこにいるとは限らない。もっと言えばそこに着いたからといって危険が去るわけではない。為すすべもなく一緒に圧し潰されるだけなのかも知れない。けれども彼女がそこにいる可能性がわずかでもあるのなら、俺は自分の言葉に懸けて是が非でもその約束の場所に向かわなければならない。


「思い出せ……思い出せ!」


 思い出せ。思い出せ。血を吐くような思いで何度も口の中に呟いた。


 もう時間がなかった。身を焼くような感覚はもはや耐え難いものとなり、こうしている今も叫び声をあげないでいるのがやっとだ。いっそ走り出そうとして思いとどまる。向かうべき場所が逆の方向だったらどうする? だがこのままここにいても埒が明かないことはわかりきっている。走り出せば見覚えのある光景に出くわすかも知れない。そうして見覚えのある場所を辿っていけば道などわからなくともいつかはあの部屋に――


「――そうだ、演技」


 そこでふと、ひとつの思いつきが閃光のように頭をよぎった。


 キリコさんの部屋までの道がわからない。だったら辿をしてみるのはどうだ? 思い込みの演技を真実ほんとうにすることが三位一おれたち体の特性。もしそうだとしたら、俺はその方法で彼女の部屋にたどり着けるはずだ。


「……っ!」


 そう思うや、俺は走り出していた。


 信じられるものなどもう何もない。ならば俺は自分の演技を信じる!


 思い込みの演技を真実ほんとうにする力――もしそれが俺に備わっているというのなら、俺自身がその力を信じなくてどうする! そうだ、その能力において俺はきっとあの少女にすら負けない! 俺以上にその能力を鍛え上げてきたやつなどいない! なぜなら俺にとっては演劇こそがすべてだったのだ! 自分の人生をまるごと捧げられるたったひとつのもの、それが演技だったのだ!


 走り出してすぐ分岐に差しかかった。右に折れるか真っ直ぐに進むか。


「……こっちだ!」


 ――そのとき、俺は卒然と。かつてこの分岐を右に曲がってキリコさんの部屋に戻ったことをのだ。


 躊躇うことなく右のみちに進んだ。怨霊のように纏わりつくおぞましい感覚を振り払うように、薄暗い通路を全力で駆け抜けた。


 分岐に差しかかるたびに正しいみちを選んだ。はじめのうち心にあったかすかな迷いのようなものもごとに薄れ、やがて本当に正しい道を辿っているのではないかと自分でも信じるようになった。


「……!」


 幾つかの分岐を走り抜けたあと、俺は遂にその光景を見た。見覚えのある場所に辿り着いたのだ。無数の死体が横たわるだだっ広い空間。今朝ジープを停めておいて盗まれた車庫に飛び込んだとき、軋みをあげる全身を鞭打つように俺は更にギアをあげた。ここからの道ならわかる! 演技でも何でもなく本当にわかるのだ!


「はあっ……はあっ……はあっ……はあっ……」


 薄闇の中に荒い息の音だけが響いた。物言わぬむくろたちの間を縫うようにがらんどうのホールを駆け抜けた。この出口を抜ければもう道は一本。確か……そう、七枚目のドアがキリコさんの部屋――


「……ぐ!」


 ホールを抜けてすぐ、ぐわんと空間が歪むような衝撃がきた。


 その直後、通路が波打つように揺れはじめた。この程度なら、と最初感じたその揺れは徐々に大きくなり、すぐ立っているのが難しいまでになった。ばきん、と物凄い音がして前方でドアが外れた。こちらに倒れこんでくるそのドアをかい潜って、ほとんどトランポリンの上を進むような足取りで何度もつんのめりながら俺は先を目指した。


「……くそ!」


 天井が崩れ始めた。三枚目までは数えていたがもはや何枚のドアをやり過ごしてきたのかわからない。ぱあんという音がして左壁に横一文字の亀裂が走った。その亀裂の上下からコンクリートの塊が内側に迫り出してくる。既に壁が崩れ大きな穴があいている所さえある。もうどこがドアかわからない。キリコさんの待つ約束の場所に通じる入り口がどこにあるのかわからない。


「あそこだ!」


 それでも天井が廊下もろとも俺の身体を圧し潰そうとする寸前、くの字に折れ曲がったドアがかろうじてついたままになっている部屋の入り口を見て俺は叫んだ。そのまま最後の力を振り絞って、その入り口に飛び込んだ。


 がしゃんと盛大な音とともに目の前で計器が倒れた。背後からは天井のコンクリートが床に叩きつけられる轟音が聞こえた。俺はもう堪らず、荒い息のままその場に蹲り、目をつぶり両手で頭を抱え歯を食いしばって嵐が過ぎ去るのを待った。



 ――ようやく揺れが治まったとき、周囲には一切の光がなかった。


 完全な暗闇だった。鼻をつままれてもわからない闇とはこういうものをいうのだろうか――などと場違いなことを考えて、それでとりあえず自分が生きているらしいということを確認した。


「……」


 ……どうにか生き残りはした。周囲の状況がどうなっているかわからない以上、楽観などできるわけがない。だがとりあえず核実験――というよりおそらくそれによって引き起こされた誘発地震による一次被害としての死は免れた……そう考えていいだろう。


 けれども、ただ生き残っただけならは失敗だったということになる。今回のプロットはあくまで目的の場所に辿り着くことを指向していたもので、それが達成できていなければ生き残れたところで何の意味もない。


 そう思い、不安と恐怖に駆られながらそれでも俺は暗闇に声をかけようとした。


「――ハイジかい?」


 だがそれよりも、暗闇から俺を呼ぶ声がかかるのが早かった。いつも通りの彼女の声に全身の力が抜けるような感覚を覚えながら、「そうです」と短く俺は返した。


「そんなとこいないでこっち入っといで」


 俺は腰をあげ、声のした方に向かいゆっくりと進んだ。だが少しも行かないところで……何だろう、倒れた棚のようなものにぶつかってしまい、それ以上先へ進めない。


「こっちだよ」


 また声が飛んでくる。だが棚を迂回しようにも自分の手元さえ見えないこの暗闇ではどうなっているかわからず、キリコさんがどのあたりにいるのかさえはっきりとはわからない。……まるで目隠し鬼だ。


「もっとこっち」


 だがなぜだろう、彼女の方ではまるで俺の姿が見えているかのように誘導の言葉をかけてくる。その誘導に従って少しずつ距離をつめるうち、俺はようやくキリコさんのもとに辿り着いた。


「うわっ……」


 間近にキリコさんの気配が感じられる場所まで来るや、強い力で腕が引かれた。つんのめり倒れこむ俺の身体が、やわらかいもうひとつの身体によって抱き留められた。


「ちょ、キリコさん――」


「……っ、……っ」


 いきなりのことに抗議の声をあげかけ――けれどもその身体が小さく嗚咽をもらしていることに気づいて、俺は言葉を呑んだ。そうして俺はいきなり腕を引かれた驚きも彼女と再会できた安堵も忘れ、倒れこんだままのぎこちない姿勢でキリコさんの髪に手をのばし、そっと撫ではじめた――

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