284 魔弾の射手(2)

 そうして俺たちは部屋をあとにし、炎天の廃墟に出た。


 薄暗い通路を抜け、ビルから一歩外へ足を踏み出した途端、アイネが言っていた『注意』が皮膚感覚として襲いかかってくるのを感じた。


 明らかに普通の暑さではなかった。じっとりと汗ばむような暑さではなく、その汗が流れ出るはしから塩に変わっていってしまうような、生まれて初めて経験する暑さだった。


「……暑いな」


 と、思わず口に出しかけ、けれども言葉にできずに終わった。口を開いた瞬間、風に吹きあげられた砂が盛大に入りこんできたからだ。


 反射的に唾棄つばきして、非難がましい目でアイネに睨まれた。……おそらく水分を無駄にするなということだろう。それで、俺は喋るのを止めた。


 昨日、夜の帳の中に見たビルの林が、容赦のない太陽の下にその姿を晒していた。


 背の高いビル、低いビル……どのビルも相当に荒れすさんでいて、風化してしまったのか一部が欠けてなくなっているビルも多い。そして俺たちが一夜を過ごしたあの部屋と同じように、どのビルの壁にも窓らしきものはなく、ただ四角く打ち貫かれた穴が並んでいるだけだ。


 ビルを出てすぐ、昨日に男を撃ち殺した路地の横を通り過ぎた。自分でも不思議なことに、そこで一人の人間を殺したという事実に対して俺はもう何も感じなかった。罪の意識はもとより、漠然とした後味の悪ささえなかった。


 それでも俺は路地の暗がりに自分が撃ち殺した男の姿を見ようとして――遠ざかってゆくアイネの足音にそれを諦めた。


 ビルがつくる影は二人が並んで歩くのに充分な程度には広かった。その影の中を俺たちは少し早足に歩き、ビルとビルとの間に切れ間ができると、そこだけは走った。


 アイネは右手に飲みかけのペットボトルを持ち、ときおり立ち止まってはその中の水を飲んだ。そんな彼女に倣って、俺もその度に水を口に含んだ。


 どれだけ歩いても風景は変わらなかった。乾ききった大地と、その上に林立する廃ビルの群れ。そのうち、その単調な景色の中に同じところをぐるぐるまわっているような、そんな錯覚さえ覚えはじめた。


 だが、やがて景色に変化が訪れた。都心のオフィス街のように密集して建っていたビルがまばらになり、その合間から外の風景が覗くようになった。


 廃墟の外に広がるそこは、紛れもない荒野だった。どこまでも続く不毛の大地――赤茶けた岩肌が波打つ水のないうみ


「……」


 そんな壮大な光景を横目に眺めながら、粛々と先を急ぐアイネの背中を追った。あの部屋を出てからアイネは一言もなく、俺の方でも声はかけなかった。無駄な口を聞くなと彼女の背中が言っているように感じたからだ。


 けれども幾つめかわからないビル影の切れ間を渡り、炎天の中にその異様な人影を認めたとき、俺はほとんど立ちすくむような思いで、呻きに似た声を漏らさずにはいられなかった。


「何だよ……あれ」


 ビルとビルとの間に少し開けた場所。強い陽射しに炙られるそこに、全身黒ずくめの人間の姿があった。


 黒ずくめの服……というよりは襤褸ぼろに近い。真っ黒な襤褸をまとったその人影は、同じように黒く細長い袋のようなものを曳き、ぎらぎらと照りつける陽光の中をゆっくりと歩いていた。


「どうかしたの?」


「何だあれは……」


「ああ、あれは『蟻』」


「蟻?」


「そう、『蟻』。敵じゃないから気にしなくていい。あれはただ、掃除をしているだけだから」


「掃除……」


「昨夜の戦闘の掃除。戦闘のあった次の日は、ああやって『蟻』がみんな片づけるの」


 黒い袋を曳く『蟻』を見つめながらそんなアイネの話を聞き、そこで俺はその『蟻』が曳く袋の中に入っているものが何であるか、直感的に理解した。


 ……戦慄とともに理解した。ゆっくりと地面をゆく丈夫そうな黒い袋は、ちょうど大きく細長い。


「掃除ってことは――」


 あの袋に入っているのが俺の想像通りのものか。それを確認する質問を口にしようとして……だがその先は言葉にできなかった。


 返ってくる答えはわかっている。それにあの中に入っているのは……ひょっとして俺が撃ち殺したあの男かも知れないのだ。


「何?」


「いや……何でもない」


「ならもういいでしょ。行こう。アジトまであと少しだから」


「ああ、わかった――」


 アイネの背中を追いまた早足に歩き出して、そこで俺はもう一度、炎天の中の黒い人影を眺めた。


 『蟻』はこちらに気づく様子もなく、激しく照りつける陽光の下、ゆっくりと黒い袋を曳きずりながらビルの影へ消えていった。


◇ ◇ ◇


 目的のアジトにたどり着いたのは、もう日も沈みかけた頃だった。


 そこは後ろに荒野を背負う街の外れで、ビルの間から夕映えの大地を眺めることができた。……どことなく不安を感じさせる獰猛な赤。アイネが指さしたそこは他のビルと何も変わらない、朽ちかけ崩れ落ちそうなコンクリートの建物で、けれども折からの夕陽の中、赤々と燃え立って見えた。


「ここで待ってて」


 錆びの浮いた鋼鉄の扉を前にそう言うと、アイネはその扉を押し開け、中に入っていった。ただなぜか、後ろ手に扉を閉めながら一度だけこちらを見て――少し苛立ったような複雑な表情を残していった。


 電話をし終えた彼女があの部屋で見せたものと同じ表情……それが何を意味するものかわからないまま、俺はアイネに言われた通り、監獄を思わせるいかめしい扉の前に立ち、おとなしく待つことにした。


 五分ほどしたところで扉が開いた。そこから出てきたのはアイネではなかった。……ただそれは、俺にとっては顔見知りの人物だった。らしくないくすんだ色の上下に身を包み、右脇に小銃を抱えたリカが、言葉もなく俺の目の前に立った。


「リカ」


 と、呼びかけるのをすんでのところで思い止まった。アイネのときにそれでややこしいことになったばかりだ。咄嗟に別の言葉を探して、一呼吸置いてからそれを口にした。


「アイネは?」


 リカからの返事はなかった。俺の声など聞こえなかったかのように視線を合わせようとせず、面倒臭そうな表情をつくって扉に背もたれた。


 そんなリカの態度に少しだけ不快なものを感じたが――その右手の指が抜かりなく小銃のトリガーにかかっているのを見て、もうそれ以上話しかけるのは止めておいた。


「……入って」


 しばらくしてリカは扉を押し開け、相変わらず目を合わせないまま一言だけそう告げた。俺は逆らうことなく彼女の脇を抜け、建物の中に入った。


「真っ直ぐ歩いて」


 言われるままに歩いた。リカはすぐ後ろをついてくるようだった。銃の先が俺の背中に向いているのが何となくわかった。


 どこからか光が漏れているようで歩くには十分に明るかったが、その中にあっても黄昏の訪れを感じることができた。さっきまでの暑さが嘘のような、ひんやりとした冷たい空気。そんな空気を肌に感じながら、俺はただリカの指示に従い、薄暗い廊下を右に折れ、左に折れた。


「そこで止まって」


 外の扉と同じように錆だらけの鉄扉の前でそう言われ、立ち止まった。


 リカが歩み寄る靴音と……扉をノックする音が三回。少し間を置いて中から同じ数のノックが返ってきて、それからまたリカの靴音が少しだけ遠ざかるのがわかった。


「入って」


 そう言われてはじめて俺は振り返った。そして錆だらけの扉の、そこだけは手擦れのためか錆のないノブを回した。リカは衛士のように小銃を抱えて扉の横に立ち、最後まで俺と目を合わせようとしなかった。


「へえ……」


 扉を開けて中に入ったところで、俺は思わず感嘆の声を漏らした。


 壁に穿たれた穴から西日の射す部屋。小さな会議室を思わせるその部屋の中央には古びた円卓があって、そのまわりをどれも傭兵という言葉を絵に描いたような顔が取り囲んでいる。


 聞いていた通り、そこにはDJがいた。強ばった表情のアイネがその隣にいて、その向かいには思いもしなかった顔――カラスが、いつもの冷たい視線を円卓に落としていた。


「……」


 その光景を前にして、俺はなんだか嬉しくなってしまった。


 場違いな感情には違いなかった。けれどもいま自分が立っているこの舞台に、アイネとDJばかりかリカやカラスまで絡んでいたという事実を目の当たりにして、思わずそんな気持ちになるのを抑えられない。


 役者が揃ったという言葉が自然と頭に浮かんだ。そう、これで文字通り役者が揃った。


「うちの隊に入りたいってのはあんたか」


 不意に飛んできた低い声で我に返った。扉の真向かいの席に座った男――いかにも傷だらけの顔の男が、値踏みするように俺を眺めながら、更に続けて言った。


「ずいぶん優しい顔だが、腕は大丈夫なのか。それとも、女として使ってもらいたいってことか?」


 下品な冗談にどっと笑いが起きた。こちらを見ないアイネの表情が少しだけ動いたのがわかった。


 の男の二つ隣でDJは脚を円卓の上に投げ出し、胸の前に腕組みをして空寝を決めこんでいる。……どこかで聞いたような話だと思いながら俺は円卓のぐるりを回り、DJの隣に立って軽く頭を下げた。


「ハイジといいます。アイネから話は通っていると思いますが、よろしくお願いします」


 途端に笑いが止み、代わりに小さなどよめきが起こった。DJはつぶっていた目をあけて俺を一瞥すると、再び目を閉じてつまらなそうな口調で、「二人とも、そいつを下げろ」と言った。


「なぜですか? これではっきりしたでしょう、隊長」


 声のした方を見て――息を呑んだ。いつの間にか席を立ったカラスが、真っ直ぐに伸ばした腕の先に構えた銃をこちらに向けていた。


「こいつはサソリですよ。それも口から身体の中に潜り込んでくる種類のやつです。身体を内側から食い破られるのは目に見えているのに、殺さない手はないでしょう」


 引き金には指がかかっている。照準は頭でなく胸のあたりに合っているのをちりちりと肌で感じる。


 不思議と恐怖はなかった。あの指が少し引き絞られるだけで俺の胸には穴が開く……と、他人事ひとごとのようにそう感じていた。だが指はいつまで経っても動かなかった。何気なく隣に目を遣って――はじめてその理由を知った。


「……」


「糾弾を受けるいわれはありませんよ。ましてや銃を向けられるいわれもね」


 俺との間にDJを挟んで、グロックを両手に構えたアイネがその先をカラスに向けていた。背をわずかに丸め脚を前後に開き、真正面を見据えるその視線は動かない。


「連れてきた自分の顔を潰してくれるな、ってことですか?」


「……そんなんじゃない」


「なら、どうして」


「……」


「仕組まれたものだってことですよ。あなたの救出劇も」


「……」


「ああ、そうですか。それがわからないってことは、ひょっとしてこの男に――」


「どうでもいいじゃねえかそんなのは」


 間延びしたDJの声が張りつめた空気に水を差した。


 頭を掻きながらの大あくびがそれに続く。それから大きくひとつ伸びをしたあとDJはまたちらりと俺を見て、その視線を元に戻した。


「……ったく、物騒なもん持ち出しやがって。せっかくの余興が白けただろが」


「……」


「おら、わかったんならさっさと下げろ、二人とも」


「しかし隊長――」


「下げろ、っってんのが聞こえねえのか?」


 ぞくり、としたものが背筋に走った。一瞬で部屋の温度が下がったように感じた……それほどの殺気だった。


 アイネがまず銃をおろし、続いてカラスもゆっくりと腕を下げた。隣でアイネが椅子を引き、腰掛ける音が聞こえた。同じようにカラスが椅子に手をかけたところで、「カラス」とDJから声がかかった。


「……はい」


「不服そうだな」


「……そんなことは」


「出てけ」


「……」


「頭冷やしてこい」


「……了解しました」


 そう言って一礼すると、カラスは足早に部屋を出ていった。


 静かに扉が開けられる音と、閉められる音――それが死んでしまうと黄昏の部屋に、濃く深い静寂が戻った。

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