005 舞台という非日常へと向かう日常(2)
交流会館の前に隊長たちの姿はなく、もう色を塗るだけになった土管のハリボテがぽつり悄然とたたずんでいた。相変わらず隊長の仕事は早い。この陽気なら糊もすぐ乾くだろうし、会議のあとには塗装にかかれるかも知れない。
俺はその足で学食に向かった。一区切りついた隊長たちがしけこんでいると期待したのだが、開店したばかりのがらがらの店内に、二人の姿はどこにも見当たらなかった。
……リカにも振られたし、きっと今日はこうした運命だったのだろう。そうはいっても学食で一人とる昼食ほどわびしいものはない。白身魚のフライにウスターソースをかけながら、俺は小さく溜息をついた。
「あ……忘れてた」
――アイネに頼まれた言づてをすっかり忘れていた。あれからまだ一時間だというのに、俺もリカのことは言えない。
だがまあ舞台の話題には触れたわけだし、裏方をやってもらうことも確認したのだから、依頼の半分はこなしたと言えなくもない。いくらリカが鳥頭でもあれですっぽかすことはありえないだろう。
リカはアイネと高校が一緒で、同じ演劇部に属していた。厳格な規律で有名なミッション系の女子校で、聖人の名を冠する立派な校名があるがほとんど誰もその正式名は使わず、単に『学院』というのが通称になっている。私立の進学校の常として部活動はあまり奨励されていなかったようだが、こと演劇に関してだけは異様なほど熱が入っていた。
野球に甲子園があるように、演劇にも全国大会がある。栄光の舞台に立つためにまず地区予選を勝ち抜かなければならないことも同じだ。俺の通っていた高校――通称『北高』は彼女たちの女子校の隣の市に立地しており、一浪はしても部活動に邁進すべきというバンカラな校風を持っていた。当然、俺のいた演劇部も全国を目指していたわけで、アイネたちとは高校時代一貫して敵同士だったのである。
リカにはカラスという恋人がいる。カラスというのは渾名で、名字に由来するものだ。俺は高校の頃からずっとその名で呼んでいる。
カラスとは演劇部の同期だった。もっとも、「仲間だった」とは言いがたいものがあるし、「友だちだった」とは口が裂けても言えない。キザを絵に描いたような男で、常にばか丁寧な口調をとりながら、その実どこまでも斜に構えた態度で自分以外の人間を認めようとしない。それでいて女子にはやけに人気があるというのだから、そんな男を好きになれるはずがない。
それがどういう因果か今も同じ学窓にある。リカも属している『夜笛』という劇団で役者をやっており、同じ大学にいる都合上、顔を合わせる機会は少なくない。だが高校を卒業してこの方、俺たちの間に潤いある会話が交わされたためしはない。リカのように気持ちのいい女がなぜあんな低俗な男とつき合っているのか、俺にはそのあたりがどうも不思議でならない。
◇ ◇ ◇
早い昼食をとり終えて交流会館の前に戻ったが、隊長たちはまだ帰ってきていない様子だった。勝手にハリボテの製作を進めるわけにはいかないし、かと言って他にやることがない。時計はもうすぐ二限の始まる時刻をまわろうとしていた。
俺はしばらくの逡巡の後、鞄の底に押しこまれていた皺だらけの時間割を確認し、テストを白紙で出しても通ると噂に高い一般教養科目の教室に向かうことにした。
◇ ◇ ◇
会議の始まる三十分前に談話室に入ると、アイネとDJが既に来ていた。とび色のカバーがかけられた文庫本をめくるアイネの横で、DJは鼻歌を歌いながらモデルガンを解体していた。AK47――カラシニコフ。DJがこよなく愛する突撃銃である。机の上に並ぶ小さな部品一つ一つからも、長年使いこまれたものだけが持つ風格が漂っているようにみえる。だが周囲の人々がちらちらとこちらを窺っているのは銃の素晴らしさに感心しているためでは、もちろんない。
「ん? よおハイジ君、おはようさん」
「……こんなとこで何やってるんだよ」
「ああこれか。いや参った。昨夜の戦闘でしくじってな、つい水かぶっちまったわけよ。早めに乾かしておかないと駄目になることくらいわかるだろ? そういうわけさ」
「おまえな、周囲の迷惑というものを考えろ。第一、これじゃ会議にならないだろうが」
「大丈夫、任せてくれ。それまでにはきっちり片づけるさ。三十分もあれば余裕でおつりが来る。まあ見てなって」
DJはそう言うと、手にした布きれで部品を拭きにかかった。布は机の上にもう一枚あったが、手伝いを申し出ようとは思わなかった。理由は簡単で断られるのが目に見えていたからだ。たとえ部品とはいえ、DJが愛銃を人に触らせるはずがない。
「しかし昨日は酷かった。まったくの惨敗だった」
「相手はどこよ?」
「南部小隊」
「夜のあそこは強いからなあ……」
「ああ強かった。それでだな、暗い闇の中を必死で逃げまわるおれの頭には、ずっと一人の男の姿が浮かんでいたのさ。やっぱ相棒がいないと勝てるものも勝てないんだ。次は来られるんだろ?」
「やりたい気持ちは山々だが当分は無理だ。とてもそんな暇がない」
「そうこなくっちゃな! よし、また一緒に暴れようぜハイジ。海でも山でも、どんなセッティングでもとりつけてきてやるからさ」
「……聞いちゃいないし」
それにしても日曜の夜にゲームとは恐れ入る。南部小隊はたしか南町商店街のおっさんたちを主体とする部隊だったはずだが、月曜の仕事に支障は出ないのだろうか。――と、そこまで考えて俺はふと思い出した。
「昨日の夜にゲームって、おまえ昨夜はラジオで喋ってたんじゃないのか?」
「ああ、深夜に開戦だったからな。どうにか間に合った。……ん? おれラジオのことおまえに話してあったか?」
「そこの女に聞いた」
「なんだ、アイネかよ。まあ口止めしてなかったしな。仕方ないか」
「どうして今まで黙ってたんだ?」
「そりゃ、あれだ。こういうのは黙ってた方が格好いいだろ?」
「ああ、格好いいな。その大層な秘密を特定の個人にだけこっそりリークしてあるあたりが特に」
「いや、おれはリークしてない。これがなかなか面白い話なんだ。アイネがどうやって知ったかというとだな――」
DJはそう言って次の台詞を求めるようにアイネを見た。だが彼女は本に目を落としたまま乾ききった口調で「口コミ」と言った。
「何だよ……盛り上がらねえな。ひょっとしておまえらまた喧嘩してるのか?」
そう言えば朝にアイネの不興を買ったままだった気がする。まだ機嫌を直していないのかも知れない。その推測を裏づけるかのように、「喧嘩なんかしてない」と吐き捨てるようにアイネは言った。DJはやれやれというように大仰に肩をすくめた。
「それで、どうだったよ?」
「ん?」
「おれのラジオだよ。聞いてくれたんだろ?」
「聞いたよ。いかれてた」
「いかれてた! 嬉しいねえ、最高の誉め言葉だ」
「誉めてない。何だあれは一体」
「それ! そういう疑問を持ってくれたならハイジは正しい聞き方をしたってことよ。そもそもダダの本質というものはだな、お仕着せの意味が存在しないところにあるんだ」
「……ああ、そう」
「そうなんだ! それは腐敗しきった死肉の欠片であるとともに、受精したての未分化の細胞でもある。低俗な便所の落書きであるとともに、この世で最も高尚な芸術にもなりうる」
「そりゃ凄い」
「凄いだろ! 大切なのは受けとめる心なんだ。その心次第で対象は千変万化する。糞にたかる銀蠅の群れにもなれば、乱反射する清涼な泉の水面にもなる。おれが世に問うているのはそういうものさ。これで一つ毎週の楽しみが増えただろ。アイネには感謝しないとな、くれぐれも」
「ああそうだな。ありがとうアイネ」
そう言って水を向けると、アイネは相変わらず本を眺めたまま、ほとんど棒読みに近い調子で「どういたしまして」と言った。……まったくとりつく島もない。
「何だよ。やばいプレイでも強要したのか?」
「……まあそんなところだ」
まじめに答えるのもばからしいのでそう返すと、DJは「わお」と感嘆の声を漏らした。
「まあハイジは重度の変態だからな。そういうこともあるだろう。愛想が尽きたらいつでも乗り換えてくれていいぜ? ほら、いつでもこの胸に飛びこんできてくれ、お嬢さん」
そう言って大仰に両腕を広げるDJに、冷めきった声で「考えさせて」とアイネは言った。DJは俺に視線を戻し、口をへの字に曲げて困ったような表情をつくった。
「……だってよ。どうする?」
リカといいDJといい、まったくどいつもこいつも――
◇ ◇ ◇
それからしばらくしてペーターとキリコさんが連れだって入ってきた。
「隊長と一緒じゃなかったのか?」
「え? 朝に一仕事終えたらどこかへ行っちゃいましたよ? 用事があるとかで。演技みてもらいたかったんですけど」
「そうか。ならいいや」
「それはそうと、何だいその物騒なものは?」
机の上に本来の姿を取り戻しつつある銃を胡散臭そうに眺めてキリコさんが呟いた。DJは最後に残った部品を滑らかな手つきで組み付けながらにっこりと彼女に微笑みかけた。
「見てわかりませんか、先生。銃ですよ、銃。突撃銃。アサルトライフル」
「そんなもん見りゃわかるよ。何でまたそんなものを公共の場で撫でさすってるか、ってのを聞いてるんだよ」
「いやあ、自分こいつのこと愛してますから。毎晩抱いて眠ってますし、いつも一緒にいたいんですよ。片時も離れられない仲っていうか」
「重度の変態だね。他人の性癖をとやかく言うつもりはないけど、そういうのは家で密かにやっとくれ。町中でいちゃいちゃするカップルに輪をかけてはた迷惑だ」
「へいへい」
DJは肩をすくめそう呟きながら、組み立て終わったカラシニコフを帆布袋の中に挿し入れた。
「銃で思い出したんですけど先輩、会議が終わってから少しつきあっていただけませんか?」
「ん? ああ、ハリボテか。いいよ、おれも手伝おうと思ってたところだ」
「いえ、そうじゃなくて。買い物につきあっていただけないかと」
「何か足りないものでもあったか?」
「はい。私の役にも先輩たちみたいな銃が欲しいと思いまして」
「銃……愚者の役でか?」
俺が反対の意見を口にしようとしたところで、キリコさんがそれを遮った。
「そういう展開でうまいのを思いついたのさ。ちょっとばかりケレン味が強すぎる気はするけど、嵌れば一点突破になると思うんだよ」
「今朝の練習で持ちあがったねたでして、切り札みたいな感じで銃を使うんです」
「……なるほど」
朝にアイネと交わした会話を思い出した。ペーターたちも似たようなことを考えていたわけだ。そういう使い方をするなら愚者に銃は有効かも知れない。然るべきシーンで愚者の懐からぬっ、と銃が取り出されたら意外性はある。なかなか面白い。
「使う、使わないは別にして、可能性として用意しておくのはいいんじゃない?」
肯定に傾きかけていた俺の気持ちをアイネの一言が後押しした。それで心が固まった。
「それで、どんな銃がいいんだ?」
「それを考えてほしいわけですよ、一緒に。そういうの全然わからないんで」
「そうだな。会議が終わって身体があいてたらつきあうよ。隊長が何か用事持ってくるかも知れないしな」
「はい、お願いします」
◇ ◇ ◇
時間が近づくにつれて裏方の人たちが集まってきた。と言っても数は知れている。オペレーションと音響、衣装と大道具、あとはスポットライトの係がいればうちがやるような小規模の公演はまわっていく。
ちなみにDJはオペと音響を兼任でやってくれることになっている。前回の公演も彼だったが、まず文句のない仕事をしてくれた。日ごろ軽口を叩き合ってはいるが、いざ舞台となれば信頼して任せられる心強い仲間なのだ。
いつものように隊長は時間ぎりぎりにやってきた。あたりをざっと見まわして「一名足りないようだな」と呟いた。どの裏方が足りないんだろう? そう思い、俺も同じように見まわしてみて――すぐに厄介な事実に気づいた。
足りないのは衣装の裏方だ。リカがまだ来ていない。アイネの予言が見事にあたった。それを避けるための依頼を反故にすることで一役買ったのは……他ならぬ俺である。
恐る恐るアイネに目を向けた。視線がぶつかったところで彼女の方で目を逸らした。そしてゆっくり「ばか」と口の形をつくって見せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます