285 魔弾の射手(3)
「おい」
「え?」
「突っ立ってんのも疲れただろ。そこ座れ」
DJはそう言って向かいの空いた席を顎でしゃくって見せた。俺は逆らわずに場所を移り、さっきまでカラスが座っていたその席に座った。
そしてまたしばらくの沈黙があった。DJはぼんやりとした目で見るともなく俺を見ている。その隣にあってアイネはさっきよりも幾分落ち着いた、けれどもまだどこか硬いところのある表情で目を伏せている。
「アイネから聞いたのか?」
その沈黙を破ったのはDJだった。質問の意味がわからない俺は、ただ黙ってDJを見返した。
「……というわけでもなさそうだな。考えてみりゃそうだ。試すって言っただけで、アイネにもその方法は教えてなかったもんな」
「……」
「じゃあなぜだ」
「……」
「カラスの言ってたことの続きになるが、アンタはなぜオレだってわかった?」
そこまで聞いて、ようやく質問の意味がわかった。どこぞの戦乙女とは違い神のお告げを聞いたわけでもない俺が、なぜDJを一目で見抜くことができたのか、その理由を質しているのだ。
そうと気づいてみれば、さっきカラスが俺に対してとった態度もあながち理解できないでもない。即興の演技として悪くなかったとは思うが、あの流れだと確かにスパイを疑われても仕方がない……。
「あんたが隊長だってことはアイネから聞いてた」
少し考えて、俺はそれだけ言った。その答えにDJはつまらなそうにあくびをし、円卓の上に投げ出した脚を無造作に組みかえた。
「それはオレの見てくれをってことか?」
「違う。あんたが隊長だってことを」
「はっきりしねえ答えだな」
「……」
「ん? ――ああ、そうか」
「DJってのが隊長をやってるって、アイネにそう聞いたわけか」
『DJ』という言葉に、弛緩していた空気がまた一瞬で張り詰めるのを感じた。ただ今回はDJの雰囲気が変わったのではなく、周りのそれが変わったのだとわかった。
あのビルを出る前にアイネが教えてくれた禁止事項。『DJ』という名前を口にすることがどれほどの
「……」
「どうやらそうみたいだな」
「……」
「けど、それだとまだわからねえ」
「……」
「なあ、教えてくれねえか」
「……」
「アンタはどうしてその、DJってのがオレだってわかったんだ?」
DJはそう言って、相変わらずぼんやりとした半目を俺に向けた。その惚けたような視線の中にかすかな、だが確かな殺気が混じっているのを俺は感じた。
いい加減な答えは許さない、とはっきりした口調でその目は告げていた。一瞬の逡巡があって俺は覚悟を決め、その回答を口にした。
「……俺はあんたのことを知っている」
「はあ? どういうことだ?」
「名前だけじゃなく、あんたのことを色々とよく知っている」
「会ったこともねえオレのことをなあ」
「ある」
「……」
「ここじゃない場所で、俺はあんたと会ったことがある」
「……」
「ここに来る前にいたその場所で、俺とあんたは仲間で……そして、友だちだった」
濃く長い沈黙があった。
その間、DJは何も言わないままぼんやりとした目で俺を眺めていた。部屋に居並ぶ誰からも言葉はなく、身じろぎする音さえもせず、時おり窓の外に吹く風の声だけが、茜射すコンクリートの部屋に舞いこんでくるばかりだった。
「……おかしなもんだな」
どれほどの時間が経ったのだろう。やがてDJは胸を上下させて大きな溜息をついたあと、まだ納得がいかないような口調でそう言った。
「何のことだかさっぱりだが、まんざら嘘にも聞こえねえや」
「……」
「アイネの話きいたときにゃ頭がイカれたかと思ったが、こりゃオレも人のこと言えねえな」
そう言ってDJは小さく少しだけ笑った。そして今度はあちら側の世界でよく見慣れた、幾分気の抜けた目をこちらに向けてきた。
「アンタ、『魔弾の射手』だってな」
「……?」
「『黒衣』の兵隊を殺したって聞いてたんだが、違ったか?」
「ああ……」
「どうすりゃそんな真似ができるか……までは教えちゃくれないんだったか」
DJはそう言って口元に皮肉めいた笑みを浮かべた。その笑みの意味は何となくわかったが、俺は何も言えなかった。
昨夜、アイネから同じ問いを受けたときと一緒だ。教えようにも教えられない。なぜその『黒衣』の兵隊を斃せたのか、そのあたり俺自身わかっていないのだから。
「……まあいい。アイネ」
「何?」
「メイのやつは死んだんだったな」
「……うん」
「確かに死んだんだな?」
「撃たれるとこ見たから。まだ息があったけど、あれじゃもう助からなかった」
「それじゃ、まあ仕方ねえな。けど、そういうことなら話は簡単だ」
「……?」
「新しい
「――! それは……」
と言ってアイネが言葉に詰まるのと、周囲からざわめきが起こるのが同時だった。だがDJが軽く右手を挙げると、そのざわめきはすぐに収まった。
「嫌か」
「……嫌じゃない」
「じゃあ何だ。文句でもあるのか?」
「……ない」
「なら決定だな。――おい、新入り」
そう言って、DJは下目使いの視線を俺に向けた。そしてまた口元に笑みを浮かべ、どこか戯けたようないつもの調子で言った。
「聞いてたな? 今からアンタとアイネは相棒だ。飯食うのも寝るのも、クソするのも一緒だ」
DJはそう言って笑い、周囲からも下卑た笑い声が起こった。その中にあってアイネだけは笑わず、視線を円卓の上に落としていた。
当然、俺も笑えなかった。一頻り笑ったところでDJは笑うのを止め、妙に生真面目な表情をつくって、
「というわけだが、まあ掟だけはちゃんと守ってくれな?」
と言った。
そこでまた周囲からどっと笑いが起きた。だが今度はその笑いがどんな理由によるものか、俺にはわからなかった。それが顔に出たのか、俺を見るDJの目が少し白けたものになるのがわかった。
「何だ、アイネから聞いてねえのかよ」
アイネを見てDJはそう言った。申し訳程度に視線を返して、だがアイネは無表情のまま首を横に振った。そこでDJはさらに白けたというように小さく鼻を鳴らした。そしてこちらに目を戻して、素っ気ない口調で言った。
「なら覚えといてくれ。うちの隊にいる限り守ってもらうことになる三つの掟がある」
「……」
「なに簡単なもんだ、すぐに覚えられる。一つ、仲間を殺さない。一つ、仲間を裏切らない。一つ、仲間を犯さない。この三つだ」
「……」
「この三つは守ってくれ。それさえ守ってくれりゃ、あとは何をやるのも自由だ」
「……わかった」
「ま、期待してるぜ。せいぜい頑張って役に立ってくれよ、ハイジ」
「了解」
「よし、決まりだな。そんじゃ手打ちといくか」
DJはそう言って席を立ちかけ、だが中腰の半端な姿勢でこちらを見ずに、「あとまあ、アイネから聞いてるだろうが」と言った。
「さっき言った掟とは別に――」
「……?」
「オレの名前は絶対、呼ぶんじゃねえぞ?」
DJはそう言ってにっこりと笑った。……その笑みに、俺はどんな表情も返せなかった。ぎこちなく固まったままでいる俺の前でDJは立ちあがり、おもむろに拍手をはじめた。
「……」
それに倣って円卓を取り囲む者は一人、二人と立ち上がり、DJと同じように手を打ち鳴らした。その間、俺はどうしていいかわからず、妙にきまりが悪い思いで席を立つこともできなかった。
◇ ◇ ◇
――そうして、宴がはじまった。
拍手を終えると彼らは円卓に手をかけ、はじめからそういう構造だったのか器用に解体して椅子と一緒に運び出していった。それと入れ替わりに外から――たぶんこれから仲間と呼ぶことになる男たちがぞろぞろと部屋の中に入ってきた。
そのうちの一人が、奇妙なものを部屋に持ちこんできた。レンズが片方しか入っていない眼鏡と一冊の辞書、それに茶色い枯れ草のようなものを盛ったベニヤ板を恭しく掲げ、窓辺に立つDJの前にそれを差し出した。
「ぎりぎり間に合ったな」
DJはそう言って辞書を開くと、そこから一頁を乱雑に破りとった。枯れ草をつまみあげてほぐし、その破りとった頁の上にぱらぱらと落としてゆく。最後にその頁を巻きあげ、端を舐めてくっつけ
「……」
果たしてDJはその煙草のようなものを口にくわえると、レンズが片方だけ入った眼鏡を手にとった。そうしてもはや消え入ろうとする陽光をそのレンズに集め、煙草の先に
「飲めよ」
しばらくも吸わないうちにDJは煙草を口から離し、俺の方にその吸い口を突き出してそう言った。
……正直、煙草など吸いたくなかったが、それがどういう意味を持つ煙草なのかは理解できたし、今ここでそれを拒否できないこともよくわかった。DJに歩み寄り、その煙草を受け取った。吸い口を含み、できるだけ肺に入れないように気をつけながら煙を吸いこんだ。
「……っ!」
思わず咳きこみそうになるのをどうにか堪えた。
……それは煙草ではなかった。細かな棘のように尖った感じのするつんと酸っぱい臭いが鼻を抜け、ざらついた灰のえぐみが舌に貼りついて残った。それでも形だけもう一服して、俺はその煙草ではなかったものを隣に立つ男に回そうと差し出した。
「……」
だが俺が差し出したそれを、男は受け取らなかった。手を出さずに様子を窺うような目を俺の後ろに向けている。振り返った先には、DJが無表情でこちらを見ていた。
「ちゃんと飲め」
ぶっきらぼうな口調でDJは言った。小声での静かな一言だったが、それが逆らえない命令であることはわかった。仕方なく俺は覚悟を決め、煙草ではなかったものを口に戻して思い切り息を吸いこんだ。
「……」
しばらく煙を肺に留め、吐き出した。
それからDJに目を戻すと、「回せ」という声がかかった。その言葉に従い、煙草ではなかったものを隣の男に渡した。男はすぐそれを口へ持ってゆくと、深呼吸でもするかのように胸を持ち上げ、深々とその煙を吸いこんだ。
煙草ではなかったものは、部屋に居合わせる人の口から口へ、次々と吸い回された。回されるうち徐々にそれは短くなっていったが、燃え尽きてなくなる前に次の一本に火が移された。
すっかり日の落ちた黄昏の部屋に、小さな赤い火が蛍の光のように大きくなり、また小さくなりながらゆらゆらとたゆたい、人と人との間を渡っていった。
そんな情景を眺めているうち、頭の裏側あたりにさっき吸った煙の
「――」
溜息をつきたくなるような、それは心地よさだった。
酒の酔いに似ている……だがその心地よさには酒を飲んだとき特有の湿った重さがなかった。どこまでも乾燥していて、どこまでも軽い。アルコールの酩酊から嫌な部分をすべて取り去ったような、混じりけのない純粋な心地よさ……そんな甘美な感覚の中に俺は、時間の流れが緩やかなものになってゆくのを覚えた――
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