321 巡礼者のキャラバン(2)
部屋に戻った俺を、アイネは無言で出迎えた。
俺を通すために開錠した鉄扉を閉ざして再び施錠し、それから――なんだろう、座ることもせず表情を消した顔でじっと俺の方を見ている。最初はわからなかったが、すぐにそれが向こうではよく見た、アイネが何か言いたくて言えないときの顔だとわかった。
いつかDJに『ハイジだけが持ってる』と冷やかされたアイネの取説。そこに書いてあるところによれば、ここはアイネを責める調子にならないようにやさしく「何か話したいことがあるんだったら聞くけど?」とでも声をかけるべき
……だが、俺にはとてもそんな余裕はなかった。曲がりなりにも人一人の最期を看取ってきたのである。まして死の恐怖に怯えつつ事切れようとする男に『裸の王様』を語って聞かせるという意味不明な終末ケアによって。
時間的には短かったが、精神的にはだいぶ
そう思って俺は壁に背中を預け、ほとんどずり落ちるようにしてその場にへたり込んだ。
「……っ!」
途端にまた肩がずきり、ずきりと耐え難い痛みを訴え始める。……寝て起きてもこの有り様ということは、この痛みはしばらく続くということなのだろうか。考えるべきことは山ほどあるはずなのだが、今朝と一向に変わらず赤熱した火箸を突き立てられたような苦痛のために頭がよく働かない。
「……」
ビルの外ではこの世の終わりを告げるような砂嵐が吹き荒れている。大気を震わせる轟音もさることながら、壁の穴に覗く光景もまた凄まじいものだった。時々刻々と粗密をいれかえ、巨大な生き物のように激しいうねりを見せるそれはまさに壮観と言うしかない。
魅入られたように俺はしばらくその光景を眺めていた。
銃創の痛みは治まらなかった。だがそうやって外の景色を眺めているうちに、何だかその痛みが取るに足りないちっぽけなもののように思えてきた。
……とりあえず俺が今すべきこと、しなければならないことを整理しよう。吹き荒れる砂嵐を眺めながら、俺はぼんやりとそう思った。
まず、最終目標。これははっきりしている。
キリコさんが予言した
これがゴールであることに疑問の余地はない。同時にそれは、この舞台において俺たちが演じている芝居のメインプロットだと考えていい。
そのメインプロットをなぞるための最低限の条件――俺があいつに取って代わり、『DJの隊』の隊長に納まる。……思いもしなかった急転直下の展開で、その条件は満たされることになった。そのことを思えば、この得体の知れない芝居もここまでは順調ということになるのだろうか。
ただその
ひとつめのサブプロット。脱出計画を部隊のメンバーにのませること。何気にこれは最初にして最大の難関と言っていいかも知れない。
この廃墟の外の世界という概念そのものがない彼らに、その世界の存在を信じさせる。そして、彼らにとっては安住の地に他ならないこの地を捨て、命懸けで砂漠を越えてゆく計画へのコンセンサスを得る――頭の中で言葉にしてみるだけで、それがどれほど難しい仕事であるかということがよくわかる。
その計画にのるかのらないか、アイネには一度その話を振ったことがある。そのときのアイネの回答は覚えている。わずかな逡巡こそ見せたがきっぱり行かないと彼女は答えたのだ。今、アイネに同じ質問をすればまた違った答えが返ってくるのかも知れないが、それが現時点における部隊の連中の共通見解と考えるべきだろう。
つまりはこうだ。そんな滅茶苦茶な計画にのることなどできない。何より、この廃墟の外に別の世界があるなんて、そんな馬鹿げた話はとても信じられない――
だがそこまで考えて、自分がこれまでの彼らとの遣り取りの中で、その計画をスムーズに進めるための布石を抜かりなく打ってきていたという事実に気づいた。
……そう、計画のことなど考えず、まったくの無意識にではあるが、俺はその布石を打ってきた。この廃墟の外には別の世界があって、こことまったく別の価値観を有する人々がそこに暮らしているのだということを、俺は熱心に彼らに語ってきた。そして彼らの中に――おそらくゴライアスあたりがそうではないかと踏んでいるのだが――俺の話を信じる面子がちらほらと出始めているように思う。
ひとつめのサブプロットをなぞることの困難性を考えた場合、これは数少ないポジティブな材料に違いない。そこを軸にして一点突破を狙えば可能性はゼロではないようにも思えてくる。……けれどもその一方で、リアルにその脱出計画について考えてみると、ただ単に脱出できればいいのではないということが見えてくる。
ふたつめのサブプロット。首尾よく砂漠の外の世界に辿り着いたとしてそこでどうやって生活してゆくか、その青写真をある程度のところまで描いておかなければならない。
敵部隊を襲撃して水と食料を手に入れる。ここでは空気のように当たり前であるその生活様式は、外の世界において明らかに異常なものとなる。異常と言うより違法と言うべきかも知れない。洋の東西を問わず、
考えるまでもなく、彼らが外でもここと同じことをしていればたちまちお縄になる。そればかりかことによっては反政府勢力とみなされ、軍隊が出てくることさえ考えられる。いずれにしても、そこに未来があるとは思えない。彼ら――と言うより我々の生活が破綻することは、今からもう目に見えている。
そうなると脱出に先立って彼らの意識改革が必要になってくる。自分たちが出てゆく場所はこことは違い、法律というややこしいものに縛られた世界で、その法律を破れば我々の部隊などたちどころに潰されるのだということを、何としても彼らに理解してもらわなければならない。
……難しい仕事だと思った。と言うより、ほとんど無理難題に近い。
だが、これは決して避けては通れない問題だ。滅びゆくこの廃墟から脱出できたところで、そんな破滅的な結末が待ち受けていたのでは何の意味もないからだ。どんな手を使ってでも彼らに理解してもらうしかない……この廃墟を出る前に。その場所を目指して、彼らと共に砂漠の大海原へ船出する前に。
みっつめのサブプロット。その砂漠の大海原を無事渡りきることができるキャラバンを編成すること。とにもかくにも砂漠を踏破することが最大にして最難関のミッション。そうなると問題になってくるのは、どういった手段を用い、どうやって踏破するかということだ。
……正直、足についてはキリコさん頼みのところもある。あの日の電話でも、足は彼女が何とかしてくれるというようなことを言っていた。今日日、駱駝で砂漠を渡る隊商はいないだろうし、足というのはやはり車ということになるのだろう。確かに車が手に入ればこのサブプロットは半分完遂できたと言っていい。だが、それでミッションコンプリートということにはならない。
キリコさんがどんな車を何台用意してくれるかわからないが、部隊のメンバーは十名以上。一台の車に乗りきれる人数ではない。実際のキャラバンでは複数台の車に分乗してゆくことになるだろう。そうなると以前どこかで考えたように、彼らを相手に運転を教えるいわゆる自動車運転教習が必要になってくる。
それを俺がやるのはいいとして、いつ、どこでやればいいのか……その前にまずは車だ。オートマかマニュアルかもわからないのでは教習計画も立てられない。このサブプロットに関して差し当たり俺がすべきは、この舞台のためにどういった装置が幾つ準備されているのか、そのあたりを正確に把握することだ。
「……キリコさんと話さないと」
口の中で呟いた。……車のことばかりではない。どうやらこの舞台について多くを知っているものとみえる彼女と本読みをすること。何はともあれそこからはじめなければ、俺は自分が演じるべき芝居の全体像を思い描くことさえできない。
そうなると喫緊の課題は一点に絞られる。どうやってキリコさんとコンタクトをとるか――すべてはそこからだ。
まず思いつくのは電話で話すことだが、どうすればキリコさんとの回線がつながるのか、そのあたりからして俺にはよくわからない。
一度、回線がつながったことはある。キリコさんから唐突にかかってきて、思いもよらなかった衝撃の事実を告げられた、あのときの電話だ。だがその電話のあと、普通はキリコさんから電話がかかってくるようなことはないとアイネが言っていた。部隊の人間でもない相手から電話がかかってくるようなことがあれば何を信じていいかわからない、とも。
そうなるとやはり、部隊の人間ではないキリコさんには、こちらから電話をかける
そう思って、俺は頭をあげた。すると部屋に入ってきたときと同じ、何かを訴えるような目で、アイネはじっとこちらを見ていた。
「……」
思わず吹き出しそうになるのをどうにか
やれやれという気持ちで内心に溜息をつき、向こうの彼女には何度かけたかわからないその言葉をかけるために、俺は口を開いた。
「何か話したいことがあるんだったら聞くけど?」
「……あるけど、言わない」
で、予定調和のようにこんな返事が返ってくる。
……やはりアイネはどこまでもアイネということのようだ。相変わらずの面倒臭い女ぶりにうざったさを感じないわけではなかったが、それよりも先に懐かしさがきた。取説にはこの先の対応も書いてある。何となく城をあけ渡したような感じで、その取説に書いてある通りに俺は言葉を選んだ。
「必要なことだから言ってほしい」
「……」
「俺たちは
感情をまじえず機械的に、伝えるべき事実だけを簡潔に伝える。これがこの状況においてアイネにかけるべき言葉の最適解である。果たして、アイネは躊躇いながらもおずおずと口を開いた。
「……ハイジに押し付けた」
「押し付けた? 何を」
「わたしがやるべきだったこと、ぜんぶ。それをハイジに押し付けて、わたしは何もしないでただ待ってただけ」
そう言ってアイネは膝を抱え、その間に顔の下半分をうずめた。
「さっきハイジが出て行ったときも、追いかけなきゃって思った。ヒダリテが死にそうなんだってわかったし、
「……」
「……でも、追いかけられなかった。わたしにはできっこないって……そう思って。ルードのときハイジがしたようになんて、わたしにはできっこない。……ううん、隊長が――いなくなったあの人がやってたみたいに、ただ撃ち殺してあげることも、わたしにはできない」
「……」
「わたしにはできない。隊長をやるのはわたしだったのに……ぜんぶハイジに押し付けて、ここで待ってることしかできない。……自分が許せない。ハイジに甘えて、ぜんぶ頼っちゃってる自分が、わたしは許せない」
「いいんだよ、そんなのは」
どこまでも深みに落ち込んでゆくようなアイネの独白に、俺は見かねて口を挟んだ。
「そのことにアイネが負い目を感じる必要はこれっぽっちもない。そのあたりはなるべくしてなったことだ」
「……どういうこと?」
「つまり、あいつがいなくなったあと俺が隊長になることは、最初から決まってたってこと」
俺の言葉に、アイネは露骨に訝しむような目で俺を見た。何を言ってるのかわからない、そう言わんばかりの目だ。
……そんな目で俺を見ずにはいられないアイネの気持ちはわかる気がした。だが、俺がたったいま口から出した言葉の意味を正確にアイネに伝えるのは難しい。何より俺の方に、それを彼女に理解させるだけの気力がない。
「だから、気にしなくていい。むしろ、俺はアイネに感謝してる」
「……感謝?」
「そう。俺に隊長を押し付けてくれたこと感謝してる。嫌味で言ってるんじゃないからな? 俺が隊長になれたのはアイネのおかげだ。俺一人じゃとても無理だった」
「ハイジは、隊長になりたかったの?」
「まさか。なりたくなんてなかった」
「……」
「ただ、なることになってた、ってだけだ」
深い溜息にのせてそう言った。アイネは訝しそうな顔でなおも何かを訴えようとして――だが、何も言わず視線を床に落とした。そうして悄然と俯いたまま、消え入るような声で言った。
「……でも、撃たれるかも知れなかった」
「え?」
「ハイジが撃たれるかも知れなかった……ヒダリテに」
「いや、俺が部屋に入った時点でヒダリテにもうそんな力は――」
俺の言葉を遮るようにアイネは頭を横に振った。それから思い詰めたような顔をこちらに向け、かすかに震える声で言った。
「そういうことじゃない。可能性の問題。ルードのときみたいにヒダリテが撃つかも知れないってわかってたのに、わたしはハイジに着いていかなかった」
「……」
「……ううん、着いていけなかった。ハイジはまたルードのときみたいにヒダリテと二人きりになって止めをさすんだってわかったから。そこにわたしがいたって邪魔にしかならない。……そう思ったら、足が竦んで動けなくなった」
「……いいだろ、何もなかったんだから。それでよかったんだ」
「よくない! わたしは自分が許せない!」
短く叫んで、それきりアイネは黙った。そんなアイネの姿を目の当たりにして、俺はぐったりと全身の力が抜けるのを覚えた。
……本当に嫌になるほどアイネはアイネだった。言葉通り、自分で決めたルールを破った自分自身が許せないのだ。
経験上、こうなってしまったときのアイネは厄介だ。自分で自分を責めているから、こちらが何を言ってもまるで聞かないのだ。アイネが自分で立ち直るまで時間を置くか、完全に別の話題にして気を逸らすしかない。
……それにしてもつくづく面倒臭い女だ。その女に惚れているということも忘れ、俺は心の中に悪態をついた。
同時に、しばらく意識しないでいた肩の痛みがぶり返してくるのを覚えた。考えなければいけないことは山ほどあるのに、なぜ俺はこの面倒臭い女に構っているのだろう? そう思って俺は、だんだんすべてがどうでもよくなってきた。
「……どうでもいいって、そんなの」
心に思い浮かんだままを、あえて投げやりな調子で俺は言った。アイネが気を悪くするのなら、それはそれで仕方ない。そんな気持ちで吐き出した一言だった。
アイネは一瞬挑むような目で俺を見た。だがすぐに目を逸らして、俺と視線を合わせないようにしながら苦しそうに言った。
「……よくない。忠誠を誓うって言ったのに……言ったばかりなのに」
「それこそどうでもいいって。誰も頼んでないだろそんなこと。ぶっちゃけ俺はアイネに忠誠なんて誓ってほしくない。アイネが俺の代わりに死んだって、何の意味もないんだからな」
その言葉に、アイネは信じられないものを見るような目で俺を見た。「どうして」という言葉が、アイネの口から力なくこぼれ出た。
「どうして? ああ、教えてやるよ。どうしてかって言うとな、アイネが死んだら俺も死ぬからだ。だから、アイネが俺の代わりに死んでも何の意味もない」
「……どうして」
もう一度、同じ言葉がアイネの口からこぼれた。けれども今度のそれの方が疑問の色が濃い、心底俺の言っていることがわからないという声だった。
その声に、俺はにわかに苛立ちを覚えた。頭を上げ、真っ直ぐアイネを見据えると、後先考えずに言い放った。
「だから言っただろ、俺はアイネのことが好きだって。アイネのいない世界なら、生きてたってしょうがないんだよ」
言ってしまってから、勢いで自分がどうしようもなく踏み込んだことを口走ってしまったことに気づいた。
……まるであの嵐の夜の焼き直しだと思った。無意識に告白してしまった相手が、長い年月を共に過ごしてきた――その中で心を通わせ合ったあちらのアイネではないという違いはあっても。
アイネにしてみればいきなりそんなことを言われて困惑しないはずがない。そればかりか、ここへ来てからの短い間に少しずつ積み重ねてきた信頼関係を傷つけてしまったかも知れない……。
そんな思いで見つめる俺の前で、アイネは一瞬驚いたような顔をし、それから困ったような、笑いたくて笑えないようなぎこちない表情をこちらに向けてきた。
「……?」
おや、と思った。アイネのこの顔を、俺はどこかで見たことがある。……そうだ、あの嵐の夜に彼女が言っていた。これは、アイネが嬉しくて堪らないときの顔だ。
だが、それはどういうことだろう。彼女にとって俺の台詞の何がそんなに嬉しかったのだろう……そう考えてゆくことで俺は、思いもよらなかったひとつの結論に行き当たった。
「……」
――なんだ。犯されたくないだの何だのとあれだけ言いながら、こっちのアイネもまんざらでもなくなっていたのか。
ぼんやりとそう思って、けれども俺の心に浮かんできたのは喜びではなく――なぜだろう、かすかな嗜虐心だった。
今、この女の胸に宿ったばかりの感情をどこまでも増幅させて、俺のことを好きで好きで堪らなくさせてやるというのはどうだろう。そんな暗い衝動が、ふと心に浮かんだのだ。
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