205 最後まで演じきるということ(7)

 いきなり話を振られて思わず間抜けな声が出た。そんな俺に顔だけで振り返り、どこか投げやりな調子でキリコさんはさらに続けた。


「どう思うかって聞いてんだよ。この女の提案を、さ」


「どう思うかって……まんざら悪い話でもないと思いますけど」


「本気でそう思うかい?」


「本気も何も……と言うか、いくらでも、軍曹がいるのにこんなおおっぴらに喋っていいんですか?」


「この際聞かれてようが大した問題じゃないさ。それともいつかみたいに方言で喋るかい?」


「……すみません、余計なこと言いました」


 いきなり蚊帳の外に置かれた軍曹は初め不審そうな顔でこちらを見ていたが、やがて空気を読んだようにいつもの生真面目な表情に戻った。それから一文字いちもんじに唇を結び、真っ直ぐな眼差しをじっとこちらに向けた。


 そんな軍曹の様子を視界の隅に眺めながら、確かにキリコさんの言うとおり大した問題ではないのかも知れないと思った。


 俺たちの会話を軍曹が理解していようがいるまいが、そんなのは大した問題ではない。どちらにしたところで、軍曹がいるこの場で俺たちは進むべき道を決めなければならないのだ。


「つか、いずれにしてもしかないんじゃないすか?」


「……」


「軍曹の思惑がどうあれ、もうそれしか道がないんじゃないかと」


「そんな消極的な理由でのはごめんだよ」


「ああ、そうですか」


「けどまあ、輸送の件を持ち出されると弱いね。そのへんをどうするかについては見通しが立ってなかったのも事実だし、そう悪い話でもないってハイジの感想には同意しないでもないよ。少しは」


「……ああ、そうですか」


 半分呆れたような返事を返しながらも俺は、キリコさんの言葉に彼女らしい気っぷの良さが戻ってきたのを感じた。いつの間にか青い闇に充たされた廃墟の部屋に、窓からのかすかな明かりを受けて爛々と輝く瞳がそれを証明している。


 それで、俺はキリコさんの結論を悟った。……何のことはない、俺の意見を聞くようなふりをしながらその実、この人は単に背中を押してほしいだけなのだ。


「本音はどのあたりですかね」


「本音?」


「軍曹の本音です。我々と組みたがってる理由っていうか」


「そんなの決まってるだろ。あたしの助力なしには連中は一歩も動かないってことさ」


「ああ……確かに」


「あの連中を連れ出すってのが本部の意向のようだが、それが一筋縄じゃいかないってのはハイジももうよくわかってるだろ」


「はい、わかってます」


「死体でいいなら楽なもんさ。衛兵隊の残党かき集めりゃどうにかなるだろ。ただし、あの連中を生きたまま連れ出そうと思ったら仕掛けが必要になってくる。それこそあたしたちがここまで這いずりまわって準備してきたような大仕掛けがね。そこんところであたしをうまく利用してやろうって魂胆なのは、まあ間違いないだろうね」


「なるほど」


 キリコさんの言う通り、そう思って間違いないのだろうと思った。

 

 確かに、彼らを殺してもいいのならどうにでもなる。DJという指導者を失い、もう一人の俺がその後釜に座ったばかりの烏合の衆である彼らには、おそらくあの訓練の行き届いた軍曹の部隊に抗しきれるだけの力はない。


 けれども生きたまま連れ出すとなれば話は違ってくる。生きている彼らには意思も感情もある。そんな彼らを首尾良く連れ出すとなれば、俺たちがここまで進めてきた計画にのっとってことを運ぶしかない――そういうことになるのだろう。


「デメリットは何ですかね?」


「……ん?」


「軍曹の話に乗ることのデメリットです」


「まあこの女が嘘を言ってないとすりゃに着いてからだろうね。本部があの連中をどうしようと思ってるのかわからないってのが最大の不安要素だ。データとって処分しちまおうって腹なら努力が無駄になっちまうばかりか、あたしの手であの連中を死地に送り込むことになる」


「なら、メリットは?」


「何と言ってもだ。輸送手段だよ。そいつを用立ててくれるってのはたまらない魅力さ。……ったく癪に障るねえ、足下見られるってのはこのことだ。思わず食いつきたくなる取引には違いない。あとさき考えず見切り発車で飛び乗っちまいたくなるくらいのね」


「だったら――」


 言いかける俺にキリコさんは身体ごとこちらに向き直り、突き刺さるような視線で俺を睨んだ。一瞬、ひるむものがあったが、意を決して言いかけの言葉を口にした。


「だったら乗ってから考えてもいいんじゃないですか?」


「……」


 その一言にキリコさんは押し黙った。相変わらず髪の毛一本まで数えあげるような視線を俺に向けたまま、いつまでも口を開こうとしない。そんなキリコさんの顔の背後に、そっくりの表情でこちらを凝視するエツミ軍曹の顔があった。……今まで思いもしなかったが、案外この二人は似ているのかも知れない。


 そんなことを思いながら、いつの間にか自分が握らされていたキャスティングボートを思って、俺は内心に溜息をいた。


「軍曹の思惑がどうであれ、ぶっちゃけメリットの方が大きいと思うんですよ、この話」


「……」


「もう一人の俺がどれだけ頑張ってくれてもがなければどうにもならないわけで。そのへんについては員数外いんずうがいとして考えた方がいいんじゃないですか? キリ――じゃなくて博士ドクターには何か策があるようだったから黙ってましたけど、どうやらそういうわけでもなさそうだし」


「……ないわけじゃないよ。あたしにだって策のひとつやふたつ」


「わかってます。ただそのへんは軍曹に動いてもらった方が確率がぐっと高くなる――みたいにさっきの博士ドクターの話を聞いたんですが、違ってますか?」


「……合ってるよ、それで」


「ならやっぱり乗るべきだと思いますけどね、この話。輸送の問題は生命線だと思うんですよ。彼らをうまくに引き込めたとして、最後の最後でやっぱ駄目でしたって幕切れは、あまり想像したくないものがありますし」


 説得というよりほとんど脅しに近い俺の台詞を、キリコさんはこちらを睨みつけたまま押し黙って聞いていた。その表情から感情の動きは読み取れなかった。だがここで彼女からひとつの反駁もないということは、逆にひとつの事実を物語っている気もする。


 そうしてしばらく沈黙していたあと、ふうと諦めたように息を吐きキリコさんは口を開いた。


「本当にそう思うかい?」


「そう思いますよ、まあ」


「信頼できるかい、この女が」


「実務能力についてはけっこう信頼できるんじゃないかと」


「……」


「前に組んだとき、けっこう頼りになりましたから」


「マリオとまだ裏で繋がってる可能性は?」


「これまでと同じ構図ってことになりますね、それだと」


「……」


「まだ、他に何か?」


 慇懃無礼という言葉そのままに、あえて反感を買うような返答を俺は返し続けた。


 キリコさんの表情は変わらなかった。問いかけてくる声の調子にも変化はみられない。そのかわりに俺を凝視するキリコさんの眼差しだけが徐々にその鋭さを増してきていた。光の届かない濃い闇の中にも、その眼差しは煌々と輝きを放つのをやめない。


「……ハイジの意見は『この女と組め』ってことでいいのかい?」


「それでいいです」


「あんたの言うことはいちいちもっともだ。実際、あたしらにはこの女の話に乗る以外にろくな選択肢があるわけじゃない。それも認めるさ」


「はい」


「けど一番の問題が残ってるよ。本部が最終的に連中をどうしたいかわからない以上、うかつには乗れない。うまいこと連れ出して砂漠を渡りきったところでバッサリやられたんじゃ、それこそ最後の最後でしまりのない幕切れってことにならないかい?」


「運転するのは彼らです」


「……? どういうことだい?」


だけもらえばこっちのものってことにははりませんか? 彼らに具体的な指示を伝えられるのはしかないってことなら」


「……」


「どこかでトンズラすればいいじゃないですか。サインでも決めておいて。そのへんはもう一人の俺がうまくやってくれますよ。簡単な筋書きプロットのひとつでもあれば」


「……そんなうまい具合に行くもんかねえ」


「そんなのわかりませんよ。博打なんだし」


「……」


「ただまあ、ここまできたらしかないんじゃないですか? 結果がどうなるにしても、俺は博士ドクターの博打に最後までつきあうって決めてますから」


⦅今、動ける人間の数は?⦆


 こちらを向いたまま突然その言葉でしゃべり始めたキリコさんに、軍曹の返事は遅れた。だがすぐはっと息をのむ音が聞こえ、時間遅れの反射のように答えが返ってきた。


⦅三名です⦆


⦅増える見込みは?⦆


⦅負傷している者が二名、回復し次第。それ以外は目下、通信が不可能な状況にあります⦆


⦅言っとくけどあたしはマリオほど甘くないよ。無理難題なんてしょっちゅうだ⦆


⦅心得ております⦆


⦅足すくおうって気ならそれでもいいさ。こっちも最初からそのつもりでやらせてもらう。あんたもせいぜい気をつけておくれ⦆


⦅了解致しました⦆


⦅……ったく、何の因果でこんなことになっちまったのかねえ⦆


⦅……⦆


⦅だがどうやらあたしたちにはあんたの協力が必要なようだ。とりあえずってことで宜しく頼むよ⦆


⦅了解致しました、博士ドクター


 そうしてキリコさんは軍曹に向き直り、右手を差し出して握手を求めた。軍曹が恭しく両手を差し出し、その手を取って握手が成った。


 暗闇の中に手を取り合う彼女たちの姿を目の当たりにして、何となく自分が歴史的和解の場に立ち会っているような気がした。


 ……が、すぐに思い直した。何のことはない、単独では立ちゆかなくなった落ち目の者同士が不本意ながら手を組んだというだけの話なのだ。


⦅さて、そんならひとつ腹割って話そうじゃないか⦆


 握手を解いたキリコさんはそう言って姿勢を崩し、あぐらに近い座り方で脇をあけて両手を膝のあたりに突いた。言葉通り、酒でも飲みながらざっくばらんに話し合おうと言わんばかりの格好だ。


 そんな彼女を前に軍曹は姿勢を崩さない。闇の中にはっきりとは見えないが表情を変える様子もない。ただ、それにはお構いなく、キリコさんは軍曹の方を向いたまま右手を挙げ、親指で背後の俺を指さして見せた。


⦅この子はハイジっていうんだが、それは知ってたっけね?⦆


⦅はい、存じております⦆


⦅ひとつお詫びしなけりゃならないことがあるんだが、実言うとこの子、あたしらのこの会話をのさ⦆


⦅……と、申しますと?⦆


⦅理解できる、ってことだよ。今まで黙ってたけどね⦆


 キリコさんのその言葉に、今度ははっきりと軍曹が表情を変えるのが見えた。一瞬、侮辱を受けたような険しい表情に、だがすぐ信じられないものを見るような呆然とした顔に変わって、それからまたいつもの端正な無表情に戻った。


 俺の方にも驚きはあったが、それほど大きなものではなかった。むしろこれでもう無意味な芝居を続けなくてもよくなるのだという軽い安堵のようなものがあった。


⦅ただ、喋る方はできないんだ⦆


⦅……⦆


⦅聞き取りはできるが話すことはできない。今後はこの子も交えて話すことも多くなるけど、そういう理解で宜しく頼むよ⦆


⦅……了解致しました、博士⦆


 わずかにトーンの下がった軍曹の返事に、その気持ちがわかる気がした。ここまで理解できないという前提で喋っていたその言葉を、実は俺が理解できましたということならどうしてもそうなる。


 俺にしてみれば今さらの感があるが、それでもキリコさんが最初からこのカードを切ったのは意外だった。もっとも、それだけこの提携に本気ということなのかも知れない。


 そんなことを考える俺にキリコさんは頭だけで向き直り、なぜか悪戯っぽく笑ったあとまた軍曹の方を向いた。


⦅あと、あたしとこの子は男と女の仲だ。そのへんも知ってると思うけどさ⦆


「ちょ……!」


⦅ま、手え出すのは構わないが、あたしはこう見えて嫉妬深いんでね。それ相応のむくいを覚悟しておいとくれ⦆


⦅了解致しました⦆


「ちょっ、キリコさん! いい加減なこと言わないでください!」


 堪らず軍曹には言葉で割りこむ俺に、キリコさんはさも何でもないと言うような口調で応えた。


「いいんだよ。こういうのは少しデタラメを混ぜておいた方がいいんだ」


「そういう問題じゃなくてですね――」


⦅そういうわけで今後のことについてなんだが⦆


 俺の抗議を遮り、軍曹に視線を戻してキリコさんはまた例の言葉を喋り始めた。


 ……そうなってしまうと俺はもう会話に加わることはできない。聞き取れることが明るみになったところで俺はのだ。何ともややこしいことになったと思いながら、俺は諦めて口をつぐんだ。

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