043 愚者と兵隊(2)

 残ったデーツをポケットにしまいこみ、林の奥へ向かった。ひときわ椰子の茂るその奥まった場所に、昨日の泉があった。ペーターがはまり、後追いで俺がはまった泉だ。白日の下に見るその水は思ったより澄んでいて、飲んでも大丈夫のようにさえ見える。


 ――だが、それはできない。癒えた空腹の代わりに渇きを覚えた身体は、さっき落ちている実を見たときそうしたのと同じように、しきりにその水を汲んで飲めとうながしてくる。けれども、その水を飲むことはできない。


「……水はやばいからな」


 当たり前のことを口に出して確認した。生水を飲むのは本当にやばい。下手をすれば命に関わる。落ちている実にチャレンジするのとはわけが違うのだ。蛇口から出てくる水にしたところで、生のまま飲めるのは世界中でだけだ。ましてこんなアメーバのうようよいそうな水を、間違っても生のまま飲むわけにはいかない。


 ……ただ、方法がないわけではない。飲めるかわからない水を飲めるようにする方法を、俺は幾つか知っている。そのへんはサバイバルゲームにおける基礎知識なのだ。山の中の渓流から汲んだ水で、あるいは海水で、何度か実際にその方法を試したこともある。これだけ暑ければ蒸発量も多いし、うまく仕組みを作ってやれば充分な飲み水を蒸留できる――


「けど……道具がない」


 そこまで考えて、どうしても必要な道具がないことに気づいた。蒸留した水を溜めるための容器がない。小さなコップでもあれば……そう思い、辺りを見回して、今日でもう何度目になるかわからない結論に至った。この砂漠の廃墟に、そんなものが都合よく転がっているはずはない。


 手詰まりになったところで、ふとあの部屋が頭に浮かんだ。もうぼろぼろとはいえ天蓋つきのベッドが鎮座する『王の間』。あそこになら水を溜めるための何かがあるかも知れない。コップでなくてもいい。一時的に水を溜められるものであれば何でもいいのだ。


「それに……そうだ」


 ペーターはどうしているのだろう、と思った。昨日の様子を見た限りでは、あいつはもうこの廃城にだいぶ慣れているようだ。いや……あの暗闇の中を苦もなく走って逃げられるのだから、慣れていると言っていい。少なくとも何日かはここで過ごしていると考えていいだろう。そうなると、あいつは何らかの方法で飲み水を手に入れていることになる。この乾ききった砂漠に水なしでは、どんな人間でも三日と保たないからだ。


「けど、どうやって……」


 あのペーターに泉の水を蒸留するなどといった知恵があるとは考えられない。ありそうなのはこの水をそのまま飲んでいるということで、もしそうならこの水は飲んでも大丈夫な水ということになる。……だが飲みはじめて数日ということなら、まだ身体に影響が出ていないだけかも知れないし、実際のところはどうかわからない。いずれにしても――


「……聞いてみるしかないか」


 それが一番てっとり早い。まともな返事が返ってくるとは思えないが、聞くだけは聞いてみよう。あいつがどこかで飲み水を調達していることはたしかなのだ。とりあえず一度あの部屋に戻ってみよう。あいつがまだそこにいるかわからないが、いなかったらいなかったですることはある。


 そんな思いを胸に、一方の収穫であるデーツをポケットから取り出してそれを囓りながら、太陽の光を乱反射する泉に後ろ髪引かれる思いで中庭をあとにした。


◇ ◇ ◇


 『王の間』に戻った俺が目にしたのは、手にした水を飲みながら固形食品をむさぼるペーターの姿だった。


「……」


 その光景に、俺は呆然と立ち尽くした。どう見てもペットボトルである数本のそれと、その間に積まれた紙袋のようなもの。床に並べられたそんなものたちを前に、ペーターは食事の最中だった。


「……」


 紙袋に入っているのはカロメに似た固形食品のようで、ペーターは手に持った袋からそれを取り出しては、音を立てて熱心に咀嚼している。そうして時々思い出したようにペットボトルに手を伸ばし、両手に高く掲げて中身を喉に送りこむ。……なるほど、聞くまでもなかった。こいつは今日まで生きながらえてきたのだ。


「ん……」


 こちらの姿を認めると、ペーターは何も言わず周りのものを自分の傍に掻き寄せた。……くれる気はないらしい。実にわかりやすい意思表示だ。それにしてもいったいどこからそんなものを持ってきたのか。まずそのあたりが気になったが、この調子では聞くだけ無駄ということのようだ。


「ペーター」


 呼びかけても返事はない。代わりに周りのものをまた少し自分に引き寄せ、それからまた元の食事に戻る。そんな様子をただぼんやりと眺めながら俺は、次に何といって声をかけたらいいかわからなかった。聞きたいことは山のようにある。けれどもまた昨日のようになってしまっては元も子もない……。


「ペーター」


 もう一度呼びかけて反応がないのを確認したあと、俺は仕方なく壁際に腰を下ろした。そのまま部屋の中央で食事を続けるペーターを眺める。だが彼女の方ではこちらを見ない。俺の姿など目に入らなかったかのように黙って飲み食いを続ける。


 カロメを咀嚼する音と、水が喉を下っていく音。……水だけはどうにかしないといけない。どうにかして、あのうちの一本だけでも。ペットボトルを法螺貝のように掲げて喉を上下させるペーターを前に、そのための手段を講じながら俺は深い溜息をついた――


「ハイジ」


「ん?」


 どうやって水を奪い取ろうか考えあぐんでいると、不意にペーターから声がかかった。声のした方に目をやった。だが視線が合うとペーターはぷいと別の方を向き、何事もなかったかのように食事を再開した。


「……どうした?」


 呼びかけにペーターは返事をせず、またさっきのように周りのものを傍に掻き寄せた。……何だったのだろう。俺の聞き違いだろうか。何だかよくわからない気持ちで、俺の方でも彼女から視線を外した。


「ハイジ」


 しばらくしてまた声がかかった。反射的に声のした方を見る。けれども目が合ったところで、まるでさっきの再生リプレイのように視線を逸らし、無言のままカロメの袋を取り上げてその封を切る。


「ペーター」


「……」


 返事はない。カロメを囓る乾いた音が一頻り響き、水を喉に流しこむ音がそれに続く。そんな様子を眺めるうち、ふと思い当たるところがあった。……なるほど、何となくわかった気がする。何となくわかりはしたが、さすがにそんな子供じみたプロットに演技を合わせる気にはなれない。


「ハイジ」


 また声がかかった。だが俺は答える代わりにわざとらしく大欠伸をした。そのまま胸の前で腕を組み、頭をたれて寝に入る姿勢を見せる。


「ハイジ」


 果たしてまた声がかかった。……何のことはない、構ってほしいのだ。望み通り構ってやろうかとも思ったが、まともに取り合うのもばかばかしかった。目を閉じて嘘寝を決めこんだまま、これからこのを相手にどうしようか、しばらく考えた。その間に何度か彼女から声がかかったが、無視して聞こえない振りをし続けた。


「――ハイジ」


「……!」


 耳元に響く声に思わず目を開くと、すぐ目の前にペーターの顔があった。けれども俺がそうするや彼女は弾かれたように身をひるがえし、ドレスをなびかせて元の場所に戻った。そうしてこちらを一瞥したあと、またそそくさと周りのものを自分に引き寄せた。


「……」


 ……溜息をつくしかなかった。まるで年端もいかない子供の振る舞いだ。もっともそんな彼女を目の当たりにしても、俺の方ではあまり違和感を感じない。『愚者』という役柄を演じている結果だとすればその演技を認めざるを得ないし、あるいはそうでなかったとしても――こいつがこの手の振る舞いをするのを、俺はもうさんざんに見てきているのだ。


「……ふう」


 もう一度溜息をついてペーターを見た。そこまで俺を見ていた彼女は目が合うと例によって視線を逸らし、手にしたペットボトルを掲げてごくごくとその中身を飲んだ。


「……もう喉なんて渇いてないだろ」


 声に出してそう言ってみた。さっきから見ていれば飲みっぱなしだし、もう喉など渇いていないはずだ。ただ部屋の隅で物欲しげな顔をしている俺に見せつけるためだけにそうしているに違いない。その証拠にペーターはペットボトルを掲げたまま、ちらちらと横目で俺の方を伺っている。


「……」


 そうしてきっと俺の方も、彼女にそうされるだけの顔をしているのだろう。実際、俺の喉は完全に渇ききっている。彼女が手にしている水を何とかして手に入れたいと、そればかり考えている。……何のことはない、彼女の書いた子供じみたプロットにまんまとはまっているのだ。なんとか巻き返しを計りたいところだが、そのための策を練るには喉が渇き過ぎている……。


「……」


 飲み食いを続けるペーターを眺めるうち、喉ばかりか腹の方も気になりはじめた。考えてみればそっちの方も萎びた実を幾つか拾い食いしただけなのだ。あんなものでは腹にたまらないし、彼女の前に山と積まれている、半分以上は封の切られていない紙袋が気にならないと言えば嘘になる。


「……」


 そこでふと、ポケットに入れてきたもののことを思い出した。軽く腰をあげて一粒の実を取り出す。乾燥して固く引き締まったその実は、ジーンズのポケットにあって少しも形崩れしていなかった。……結局、ここでも俺の口に入るものはこれしかないようだ。そう思いながら囓った……甘かった。二口も囓らないうちに、太陽の熱に濃縮された果実の甘みが口いっぱいに広がった。


「――それ」


「ん?」


「何ですか、それ」

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