152 ダンスパートナー(3)

 廊下は相変わらず薄暗かった。


 ぼんやりと気のない光を放つ照明の下、鼠色という言葉がしっくりくるコンクリートのトンネルが延々続いている。代わり映えしない風景の中に、ときどき思い出したように閉ざされた扉が現れ、過ぎ去っていく。


 かすかに反響する二人分の靴音のほか耳に届く音はなく、少し前を行くキリコさんの背中のほか目に映るかげはない。部屋を出てもうずいぶん歩いたが、その単調な風景に変化が訪れる気配は一向にない。


 昨日、わけもわからないままキリコさんに連れ出されたときと一緒だった。どこへ向かっているかわからないまま、ただ黙って彼女につき従っていることも。


 部屋を出てからキリコさんとは一言も交わしていない。彼女から声がかからなかったというのもあるが、あえて俺の方でも沈黙を破らなかった。思いがけずキリコさんから引き出すことができた情報を整理しておきたかったからだ。


 薄闇の通路をキリコさんについて歩きながら、俺はさっきの話をひとつひとつ思い出し、整理していった。エツミという名の軍曹のこと。マリオ博士に握られた衛兵隊のこと。ホムンクルスとしての自分のこと。そしてこちらでの隊長――ジャック博士のこと。


 ふと、かすかな笑い声が耳に届いた。浮ついた話で談笑しているようなその声は、靴音を重ねるにつれ大きくなっていった。


 やがて通路の先に、朝の女性と同じ軍服を着た二人の男の姿が見えた。それまでもたれ合うようにして話に興じていた彼らは、俺たちが近づいてきたことに気づくと口をつぐみ、壁を背に直立して敬礼の姿勢をとった。


「ご苦労さん」


 そんな言葉をかけるともなくかけてキリコさんはその前を通り過ぎ、俺は無言のままそれに倣った。


 それからしばらくも歩かないうちに、また笑い声があがるのを背中に聞いた。さっきよりもいっそう下卑た笑い声に、わけもない嫌悪感が胸にわきおこるのを覚えた。


「見ての通りだよ」


「え?」


「今のが噂の衛兵隊ガーディアンだけどね、見ての通りのていたらくさ。に任せとけないってのは何もマリオの私兵だからってだけじゃない。そもそも軍隊として機能してないんだよ。統率がとれてないんだ」


「……」


「まあ頭があれじゃ無理もないけどね。軍曹以外、衛兵隊は全員男だ。女だてらに勇猛果敢ってのならまだしも、コネで入ってきて上司のくわえこんでる雌犬がボスじゃ、軍隊の統率なんてとれっこないさ」


 独り言のようなキリコさんの言葉に、俺は何も返すことができなかった。彼女の口から語られたそれが、どうしようもなくリアルなものだったからだ。


 演劇の中の世界、起動されたホムンクルス――そういった非現実的な要素に紛れて、あまりにもリアルで生々しい現実が見え隠れする。いったいここはどういう場所なのだろう。何度も反芻してきた疑問がまた頭の奥に鎌首をもたげ……不意に、いま自分が頭を悩ませているのはそのためだと気づいた。


 ……結局、そういうことだ。いま一番引っかかっているのはそこなのだ。


 いっそ非現実的な世界であれば割り切って向き合うこともできる。だがこれだけ現実が混じってくるとそう簡単にはいかない。《兵隊》としてこの世界でどう振る舞えばいいか、そのあたりを俺はまだしっかりと掴むことができないでいる――


「やけにだんまりじゃないか」


「え?」


「どこへ連れてかれるのか気にならないのかい?」


 こちらを振り返らないままキリコさんは言った。その声にどこか乾いた感じがするのは、話したくもないことを話したからなのだろうか。


「キリコさんの指示に従うだけです」


博士ドクター


「……すみません。博士ドクターの指示に従うだけです、俺は」


「ひょっとして怒ってんのかい?」


「え?」


「最後のは良くなかったね、あたしが悪かった」


「何のことですか?」


「ハイジをからかって笑ったことさ。知らないのをいいことに濡れ衣まで着せてね。あれはあたしが悪かった。謝るよ、許しておくれ」


 そこまで聞いてようやく話が見えた。俺が簡易ベッドではなく、カーテンの内側で寝ていたことを質問したときのあれだ。


 なるほど、そう言われてみればかなりタチの悪い冗談だった。だがキリコさんにしてみれば、それは挨拶と同じレベルの日常会話に過ぎない。


「気にしてませんから、そんなの」


本当ほんとにかい?」


「本当に夜這いかけてたら、それは気にしますけど」


「ならいいけどね。まあ、いずれにしても悪かった」


「だいたい博士ドクター相手にそんなこといちいち気にしてたらたないって、よくわかってますから」


「言うじゃないか。それでこそハイジを選んだがあるってもんだよ。――さ、着いた」


 キリコさんはそう言って立ち止まると、傍らの扉に向き直った。白衣の胸ポケットからカードキーのようなものを取り出し、それをノブの下のスリットに差し入れる。


 ノブの上に小さな緑色のランプが灯り、かちゃりと音がした。そのままキリコさんは扉を開ける。だがその先にあったのは昨日の射撃場のような部屋ではなかった。そこは螺旋階段の入口だった。


「暗いから足もと気をつけるんだよ」


 頭だけ振り返ってそう言うと、キリコさんはその螺旋階段をのぼっていってしまう。慌ててそのあとを追った。


 のぼりはじめてすぐ、キリコさんにかけられた言葉の意味がわかった。


 そこは完全な暗闇だった。上を行くキリコさんの背中はもちろん、自分の鼻先さえも見えない。手すりがあるから転ぶことはまずないが、それでも明るい所と同じようにはいかない。


 けれどもその闇の階段を、キリコさんは軽快な靴音を響かせながら平然とのぼっていく。離されないようにほとんど必死になってあとを追った。


 やがて上を行く靴音が止まり、俺も足を止めた。かちゃかちゃと金属が触れ合うような音が聞こえ、すぐに止んだ。それからしばらくの静寂があった。暗闇の中にかすかな不安を覚え、声をかけようと口を開きかけたところで――光が降ってきた。


「……」


 押し開けられたハッチから外に出た俺は、目の前に広がる光景に言葉を失い、呆然と立ち尽くした。


 長く単調な通路の先に拓けたそこは広大な大地だった。いや……ただの大地ではない。遠く地平の果てまで連なる赤茶けた岩塊の海。草も木も、生命いのちあるものの影の一切見えない不毛の荒野。


 ――それは砂漠だった。目の前に広がるそこは、紛れもない砂漠だった。


「――見えるかい?」


「え?」


「あそこだよ。日が沈んでなくてよかった。まだ見えるだろ」


 そう言ってキリコさんはまっすぐに腕を伸ばし、夕映えの荒野を指さした。何も考えられないままその指の先を見た。


 今まさに沈もうとする太陽の獰猛な輝きに染まる大地に、黒々としたビルの群れがかすかに揺らいで見えた。


「……何ですか、あれは」


「あれが『試験場』だよ」


「……試験場?」


「そう、『試験場』。昨日マリオが言ってただろ。あの遠くに見えるのがあたしらの『試験場』さ」


 燃え立つ夕陽に挑むような視線を向けてキリコさんは言った。そこまで言われても俺にはその『試験場』というものがどういう場所かわからなかった。


 たしかに昨日のマリオ博士との会話でそんな単語が出てきた覚えはある。だがそれがどういう意味合いで語られた言葉だったのか、そこまでは思い出せない。


「ただあたしはその呼び方は好きじゃないんだ」


「え?」


「『試験場』っていう呼び方だよ。ここではみんなそう呼んでるし、それが単なる符丁ふちょうに過ぎないってのはわかってる。けど、あたしは嫌いなんだ。何だかいかにも血の通ってない感じがしてね」


「……」


「あそこは小さいながら完成されたひとつの世界だ。色んな顔があって、色んなことを思い、生きてる。『試験場』なんかじゃないんだ。もっと適当な呼び方があるとすれば、そう。あたしたち以外に観客のいない、『実験的な劇場』ってとこかね」


「……!」


 その一言に俺は弾かれたようにキリコさんを見た。けれども彼女の視線は遠く彼方に注がれたまま動かない。


 荒涼とした砂漠のただ中に建つビルの群れ。俺たちではない誰かが立つ、観客のいない実験的な舞台――


「あたしが権力を握っているのはあそこさ」


「え?」


「さっきの質問の答えだよ。ここで博士と呼ばれる人間はみんなどこかで権力を握ってる。じゃあ、あたしが権力握ってるのはどこかって、さっきそう聞いてきただろ。その答えさ。あたしが権力握ってるのはあそこ。あそこがあたしの領土なんだよ」


 夕陽に赤々と照らされる顔に茫漠とした表情を浮かべてキリコさんは言った。


 もう一度その眼差しの先を見た。ゆっくりと、だが確実に地平線に沈んでいく陽光の中に、小さなビルの群れは一層黒く、まるで寄り添って立つ墓標のように見えた。


 相変わらず何も考えられないまま、さっきと同じ質問を俺は口にしていた。


「……何なんですか、あれは」


「だから、実験的な劇場だよ」


「……実験」


「そう、実験。結局はそういうことになるね。ここはでの実験のために建てられた研究所なのさ」


「どういう実験なんですか? それは」


「なに、たわいのない戦争ごっこだよ」


「え?」


「戦争ごっこ。別の言葉で言えばサバイバルゲームってとこかね。幾つかのチームに戦争ごっこをさせてそれを観察するんだ。どこが生き残ったか、どこがどれだけ死んだか」


「ごっこ、ってことは実際に死んだりはしないんですか?」


「ちゃんと実際に死ぬよ」


「……」


「実際にちゃんと死ぬ。その死んだのを回収してきて、どこのどいつが、どんな感じで死んだのかデータを取るんだ。それがあたしらの仕事さ。ここはそういう研究をやってる場所なんだよ」


 そう言ってキリコさんはこちらに視線を向けた。横ざまに照りつける夕陽にその表情はよくわからない。


 けれどもその声にはどこか絞り出すような響きがあった。それが何のための響きなのか……わかるようでわからなかった。俺が答えを見つけるより前にキリコさんは視線を戻した。


「実際に死ぬんだよ、舞台に立ってる『役者』はね。……けど、あたしらみたいな『裏方』に死人は出ないはずだったんだ」


「……」


「昨日まではね。そういう常識ルールだったんだけどね」


「――でも」


「ん?」


「でもそれなら、ここでは博士ドクターの権力が一番大きいってことになりませんか?」


「どうしてそうなるんだい?」


「ここはあそこでの実験のために建てられた研究所で、あそこでの権力を握ってるのは博士ドクターなんですよね。だったらそういうことになりませんか?」


 俺がそう言うとキリコさんはうっすらとした笑みを浮かべた。嘲笑とも自嘲ともつかないその表情のままキリコさんは視線を戻し、両方の腰に手をあてて小さく溜息をついた。


「……そのための研究所でありさえすりゃね」


「え?」


「本来の目的が見失われて内部抗争の方がメインになっちまうってのはよくある話なんだよ、この手の研究所では。本業そっちのけでくだらない駆け引きに血道をあげる。どこにでも転がってる安い話さ。その内部抗争のために研究所の存続が危ぶまれるような事態に陥った状況なんかでは特に、ね」


「それは――ジャック博士のせいってことですか?」


「ん? ……ああ、まあたしかに事態が悪化したのはあいつがいなくなってからだよ。でも、そればっかりじゃないさ。あいつが逃げたのにしたって……。いずれにしろここがこうなるのはわかってたんだ、遅かれ早かれ」


 不意に風が吹いた。細かな砂を孕む乾ききったその風は、ちょうど真向かいからキリコさんの顔に吹きつけた。


 その風を避けようともせず、燃えあがる大地をキリコさんはじっと見ていた。大地と同じ色に染まる彼女の顔には、とらえどころのない曖昧な表情が浮かんでいた。


「――ここは今、変わろうとしているんだよ」

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