244 掛け違えたボタン(3)

 ――今日までの人生で最も苦しい時期がいつだったかと聞かれたら、俺は迷わず高校最後の夏に向けての一年間だったと回答する。


 その頃、斜に構えて読み耽っていた象徴主義の詩集になぞらえて、俺はその一年を『地獄の季節』と呼んでいる。だがもちろん性別を同じくする相手との恋に溺れていたわけではないし、緑色の毒酒に酔いしれていたわけでもない。当時所属していた演劇部において、演出兼部長としてひとつの舞台を創っていたというだけの話だ。


 けれどもそれは地獄だった。あの一年間は俺にとって、間違いなく『地獄の季節』だった。


 俺の入学に遡ること三年前、北高演劇部はその年の高校演劇全国大会で金賞をとった。それは野球に喩えるなら――何も野球に喩えなくてもいいわけではあるが――甲子園夏大会優勝に等しい快挙であり、それまではいわゆる『ここらで一番の進学校』として近隣に聞こえる程度だった公立高校の名は、一躍演劇の名門として全国的に知られるようになった。界隈の中学の演劇部員はみな演劇のために無理を押してでも北高を受験し、越境入学者さえ少なくなかったという。


 しかし、その隆盛も長くは続かなかった。全国大会に駒を進めることができたのはその年を含め二年間に過ぎず、俺の入学する前の年には大地区予選――つまり全国大会に辿り着くための最後の壁を突き破ることができなかった。


 俺が一年のときの部長はその理由を、ある先輩が卒業してしまったからだと言っていた。その先輩というのは全国大会金賞のときに演出を務めた人で、北高演劇部の束の間の栄光はその人の指導力と、何より戯曲を書く才能によって現出されたものなのだと部長は教えてくれた。


 おそらく、その話は誇張ではなかったのだろう。


 全国大会に毎年名を連ねる高校の演劇部は、たいてい熱心な顧問によって引っ張られている。だが北高はそうではない。そもそも部活というものの捉え方からして違う。先生方の言葉を借りれば、部活というのは学生が団結してことにあたり、その中で自ら考え行動するための場所であるというのが典型的な公立進学校である北高の信条なのだ。


 その信条によってか、北高では顧問が自ら部活を引っ張るということはなく、どこの部活でも名前だけの存在に過ぎなかった。実際、俺は一年の夏になるまで演劇部の顧問の顔と名前が一致せず、廊下で声をかけられていきなり演劇の話をされ、ひどく狼狽したことを覚えている。。


 引っ張ってくれる顧問がいない以上、学生がどうにかするしかない。だが一介の高校生がひとつの舞台を完成まで導くのは、実のところ至難の業なのである。


 学生演劇といっても、全国大会にあがってくるものはプロのそれと遜色ない。いや、むしろ凡百のそれを上回るものさえある。言い換えればそれはもう芸術の域に達するものということになる。まだ大人になりきれない、ろくに社会のことも知らないような高校生が、限られた短い時間の中でそれに挑むのはほとんど無謀と言っていい。好むと好まざるとにかかわらず、それが高校演劇の現実なのだ。


 そうした現実を踏まえて考えれば、全国大会金賞という栄光が一人の卓越した学生の力によってなされたものであるということは、十分に信憑性のある話である。


 人生経験が薄く、まだ世の中をよく知らない子供であっても素晴らしい芸術を創りあげる人間はいる。それは天才という人種だ。一人の早熟の天才演出家が無名の演劇部に入り、部員たちを巻きこんで偉業を為し遂げる――漫画やドラマなどでよく耳にする物語の型だが、決してありえない話ではない。


 けれども学生は顧問の先生とは違い、三年で高校を巣立っていかなければならない。


 北高演劇部の栄光がたかだか二年しか続かなかったのもそう考えれば頷ける。あとに残された凡人の集団は、どんなに頑張っても『地区大会決勝での敗退』が関の山だった。にわかに成り上がった者の没落に歯止めはかからない。部員は減り、情熱も失せ、俺が入部した頃には中地区予選――小地区は素通りだから実質ひとつめの予選すら、我らが北高演劇部は勝ち抜けることができなくなっていた。


 代わりに台頭したのがアイネたちの学院演劇部だった。役者を志したことがあるという気鋭の英語教師に率いられた私立女子校の演劇部は、俺が入学する前年に北高を破って地区予選を勝ち抜き、そのまま全国大会の舞台に立った。これ以降、北高と学院は不倶戴天のライバルとしてしのぎを削る関係になる。


 俺が北高演劇部にいたのはちょうどそんなときだった。


 かつて全国大会で金賞をとった演劇部を擁する高校などとは知りもせずに入学し、特にやりたい部活もなかったので勧誘されるまま演劇部に入部した俺は、そのいわゆる栄枯盛衰における枯と衰の部分だけまざまざと見せつけられた形になる。


 高校一年の夏、最初の大会で俺たちは学院に負けた。部長と俺と、数人の三年生が泣いたが、他は誰も泣かなかった。


 高校二年の夏も学院に勝てなかった。そのときは誰も泣かず、俺も涙を流さなかった。……ただそのとき俺は泣かなかったのではない、泣けなかったのだ。


 俺は憤っていた。三年続けて学院に敗北し、半ば諦めに似た気持ちでそれを受け容れる仲間たちの平和な顔が許せなかった。


 演劇に優劣をつけることへの反発めいた言葉、それでもよく頑張ったと互いの傷を舐め合うような馴れ合い。演劇のレベル低下は誰の目にもあきらかであるのに、それに立ち向かおうとせず安易な逃げ道に走る仲間とも呼べない仲間たち。……いっそ部活を辞めようかと思った。だが俺はそうせず、半ば押し付けられるようにまわってきた部長兼演出の座を受け容れ、それから一年余に渡る『地獄の季節』に身を投じた。


 以後、俺は「演劇とは何か」という永遠に答えの出ない問題の解答を求め、そこかしこを這いずりまわることになる。見られるだけの演劇を観て、借りられるだけの演劇のビデオを借りた。演技に関する本も目に付くもの片っ端から読んだ。


 ヒステリカにはじめて出会ったのもその頃のことだ。その出会いは俺の演劇観を大きく変えるものであったが、件の問題に具体的な答えを与えてくれるものではなかった。抽象的な精神論では何も変わらない、何も変えられない。限られた時間のなか俺はひたすらに悩み抜き、それでもどうにかひとつの具体的な答えを得ることができた。


 もっともそれは「演劇とは何か」などという哲学的な問題に対する答えではなかった。もっと形而下的な「どうして学院に勝てないか」という疑問に対する答えだった。我らが北高演劇部が二年続けて学院演劇部に後れをとった理由――それを審査員の趣味と決めつける先輩や仲間は多かったが、そこには何かしら明確な原因があるのではないかと俺はずっと思っていた。


 そして、それはたしかにあった。言葉にしてみればまったく他愛ない、それはにこだわっていたことだった。


 優れた戯曲は酸いも甘いも噛みわけた大人か、あるいは一握りの天才にしか書けない。平凡ないち学生が戯曲を書こうとしても、せいぜい背伸びをした出来損ないの前衛劇にしかならないのである。事実、俺が入部してから北高はそんな劇ばかりを演じていた。北高演劇部は意固地といっていいほどその戯曲の自作にこだわっていたのだ。


 これは例の先輩が敷いたレールに他ならず、その成功体験が逆に足枷となっているものと俺は考えた。天才である彼ならばこそ創り得たその手の戯曲を、凡人である我々が創ろうとするところにそもそもの無理があるのだ、と。逆に学院は誰もが知っているような古典の戯曲をそのまま持ってくるのが常だった。俺はその違いこそが「どうして学院に勝てないか」という疑問を解く鍵だと思った。


 これまでのやり方に従えば演出を務める俺が戯曲を書かざるを得ない。だが俺は酸いも甘いも噛みわけた大人ではなく、間違っても天才ではない。だとすればその『これまでのやり方』を変えるしかない。地面を這いずるような模索の果てに、それが俺の出した具体的な答えだった。


 仲間たちに最初に提案したのは既成の戯曲で舞台を創ることだった。


 実際、それが高校演劇本来の形であるし、他ならぬ学院もそのスタイルを貫いている。そんな俺の提案は、けれども部員たちの猛反発を受け、あえなく却下された。俺たちの代で伝統を覆すことへの反対に加え、『学院の真似をして勝っても仕方ない』という意見が多かったのだ。賛成してくれたのはペーターだけで、妥協の余地すらなかった。やむなく、俺はその案を引き揚げた。


 次に俺が提示した案は、既成の小説を下敷きにして戯曲を自作するというものだった。これもありふれた手法で、プロの劇団にもそうした創り方をするところは多い。モーパッサンの名作『脂肪の塊』を下敷きに、改変の度合を極力抑え、骨格を温存したまま現代社会劇に仕立てるというのが俺の目論見だった。これも一部の反対を受けたが、時間がなかったこともあり俺は半ば強引にその方向で進めることにした。


 そうして俺の手による『車中の人々』の初稿があがったとき、地獄は既にたけなわだった。


 最後まで方針転換に反対していたカラスたち数人は何かにつけてそのことを持ち出し、部活の雰囲気はひどく殺伐としたものになった。賛成してくれた仲間たちも内心では不安を感じているのか、あるいは衝突を恐れるためか、中立を保っていた。ただ一人、ペーターだけは最初から最後まで俺に協力的だった。だが彼女一人が俺に協力的であるという事実は、ある意味なににも増して俺を苦しめ、不愉快と焦燥を大いに煽り立ててくれた。


 当然、舞台は容易に仕上がらなかった。


 最大の壁はペーターとカラスの演技のミスマッチだった。今朝に見たあの夢がそのすべてを象徴している。共に光る要素を持ちながら真っ向から対立する二人の演技は、本番の中地区大会直前になってもちぐはぐで噛み合わないままだった。俺は毎晩のようにあの夢に苦しめられ、それでも最後のあがきを続けた。ペーターのために何度も台本を書き直し、カラスの前で下げたくもない頭を下げた。だが結局その地獄から抜け出せないまま、俺たちは本番の舞台を迎えた。


 だが、そこで奇跡が起こった。


 舞台には魔物が棲むというが、その魔物が何の気紛れか俺たちに一方的に力を貸してくれたとしか思えない。それまで一度も噛み合わなかった二人の演技が、その本番の舞台ではじめてぴたりと噛み合ったのだ。


 相変わらずカラスは台本に忠実に、ペーターはほとんどすべての台詞をたがえる、そんな舞台ではあった。けれどもその演技は不思議に噛み合っていた。両極端の二つの演技が噛み合ったとき何かが起きると思っていたその答えを、俺は舞台裏から痺れるような気持ちで見つめていた。


 結果、北高は学院に勝った。高校生活最後の大会で、俺たちは学院に一矢報いることができた。


 そのときのこと――予選の結果が知らされ、審査員から寸評を受けたあとのことを、俺は今も昨日のことのように覚えている。

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