296 出撃と葬送(9)

 何かがかちりと音を立ててはまった気がした。


 そうしてすぐ、俺はジーンズのポケットに手を突っこみ、替えのマガジンを引き出した。興奮のためかそれとも別の理由か、痺れを覚える手でそれをデザートイーグルに挿し替える。


 闇を切り裂く銃弾の音は絶えなかったが、もう気にはならなかった。


 ――ここがどこだろうと構わない。どんな法則で動く、何のために創られた世界でも構わない。俺は俺の流儀で戦えばいい。何も考えずに与えられたこの役割を演じきればいい!


「く……」


 銃弾が頬すれすれをかすめ、飛んでゆく音が聞こえる。だが、そんなものはもう何も気にならなかった。


 トリガーを引くごとに伝わってくる、腕の骨を砕くかのような衝撃。仁王立ちしてその衝撃にえながら、鼓膜を破らんばかりの轟音に目眩を覚えながら、闇の中の黒い影に向かい続けざまに撃った。


あたれ……!」


 中れ! 中れ! 中れ! そう念じながら繰り返しトリガーを引いた。だが中らない。やはりここからでは相手が死角に入る。だったらもう少し前に出れば――


 そう思ったとき、俺の足はもう動いていた。路地の壁がつくる死角を抜け、銃弾の雨が降りしきる小路へ飛び出した。


「……っ!」


 敵が驚いたように一瞬銃口を下げるのが見えた。その一瞬を逃さずに撃った。二発目の銃撃で黒い影は胸を押さえ、崩れ落ちた。たおした……!


 だがその直後、その影のあった場所に新しいもうひとつの黒い影が躍り出、時を置かず閃光と銃声がそれに続いた。


「く……」


 髪を、肩を、首筋のあたりを弾丸が撫でてゆくのを感じた。けれども中らない。そう、俺には中らないのだ。


 安全地帯を抜け敵の銃弾に晒されることになった俺のポジションは、一方で敵の潜伏するビル陰の真正面でもあった。つまり敵の側にも、俺の銃弾を妨げるものはなかった。


 この距離なら外さない。そう思い、充分に狙いを定めてトリガーを引く――


 ……中った。銃を取り落とし、腕を押さえている敵の姿が見える。逃げ去ろうとするに狙いを定め、銃にかけた指にまた力をこめる――


 ばしゅっ、という音がした。


「……ん?」


 確信を持って引いたトリガーは、けれども不発だった。……また弾が切れたのだ。そのことに気づいて、予備のBB弾をジャケットの胸ポケットに入れたことを思い出し、手を伸ばそうとした。


 不意にその手が何かに掴まれ、思い切り引っ張られた。路地の暗がりに引きこまれ、それがアイネの仕業だとわかったとき、ぱんと乾いた音がして目の前が白くなった。


「ばか!」


 一瞬、ついに撃たれたかと思ったが、違った。アイネに頬を張られたのだ。


 俺をひっぱたいた手で今度は胸ぐらを掴み、燃え立つような目で俺を睨みながらもう一度「ばか!」とアイネは言った。


「……え」


「何してるの! 死にたいの!?」


「……」


「ばかな真似しないでって言ったでしょ! 死にたくないなら!」


 そう言ってアイネは掴んでいた俺の胸を突き放した。けれども睨むのはやめない、闇にしるく光る目で挑むように俺を見ている。


 束の間の静寂は、すぐ戻ってきた銃声に掻き消された。俺はたぶん少しだけ笑って、「死なないよ」と返した。


「……?」


「俺は死なない」


「……言ってる意味がわからない。あんな無茶なことしてたら死ぬに決まってるじゃない」


「ああ。でもこうして生きてる」


「……」


「俺は死なないんだよ」


「わからない。なに言ってるの?」


「さあ。なに言ってるんだろうな」


 そう言って俺はまた息だけで軽く笑った。半分は自嘲の笑いだったが、それがアイネに通じたかはわからない。


 銃声は続いていた。こんなところでじっと見つめ合っている場合ではない。だが、心に浮かんだその言葉を口に出す必要はなかった。


「後ろは?」


「二人たおした」


「まだいる?」


「わからない」


 俺の返事にアイネは壁際に寄り、さっき何度もそうしたように闇の向こうに目を凝らした。


「突破できるかも」


「え?」


「後ろ。たぶん、もういない」


「そうか」


「けど、潜んでるのかも。どうする?」


 アイネのその問いかけに、俺は感動を覚えた。それはこの戦場に出て初めてアイネからかけられた、俺の意思を問う言葉だった。


「行こう」


 即答した。その答えにアイネは軽く頷き、振り返って――だがそこでなぜか動きを止めた。


「どうした?」


「……来た」


「何が――」


 ――来たんだ? そう口にしかけたところで、その音が俺の耳にも届いた。


 乾いた夜気を震わせるくぐもった低いエンジン音がはっきりと聞こえた。そうしてすぐ、それがここではまったく場違いな音であることに気づいた。


 ……エンジン音?


「鉄騎」


「え?」


「鉄騎が来た」


 急速に近づいてきたエンジン音は、そう遠くない場所で止まった。アイネが対峙していた敵がいたあたりだ。


 そう思った刹那、喧噪が起こった。狂ったように激しく撃ち鳴らされる銃声と怒号、そして、それに続く絶叫――


「行くよ」


 短くそう告げるなりアイネは俺の反応を待たずに路地の外に飛び出した。一拍置いて、わけがわからないまま俺もあとに続いた。


「……おいおいおいおい」


 アイネの背中を追って駆けこんだ別の路地、そこから垣間見た光景に、俺は思わず口の中でそう呟いた。


 もうで何を見ても驚かないつもりだった。だが、さすがにその光景には唖然として見入るしかなかった。


 軍用めいたモスグリーンのジープ。なぜかカブリオレだが、それはまだいい。問題はそのジープに乗っている人物だった。


 隊長――DJではないだった。そしてそのジープの周りには彼の妹であるクララ……が。いや、それはいい。全然よくないが、それはいい。


「……待て待て待て待て」


 どこかの民族衣装めいた装束に身を包んだ二人のクララは、しろがねに光る得物えものをそれぞれの手に構えていた。刀だ。


 取り巻きの男たちからはひっきりなしに銃弾が放たれている――だが彼女たちには当たらない。ちぃん、ちぃんと鈍い音が何度も耳に届く。それがクララたちの構えた刀から発せられる音だとわかって、我知らず力のない笑いがこみ上げてきた。


「……何だよ、あれ」


「あれが鉄騎」


「そんなこと聞いてんじゃねえよ……」


 淡い月光のもと、二人のクララが手にした刀が軽やかに舞っている。そうして剣が軌跡を描くごとにちぃん、ちぃんと鈍い金属の音が響く。


 ……どうやら彼女たちは刀で銃弾をはじいているようだ。ぼんやりそう考えた矢先、対峙する男に一方のクララが駆け寄り、逆袈裟に斬りつけるのが見えた。


 絶叫と共に血しぶきがあがり、銃を持つ男の腕が両断される。返す刀で集中砲火される銃弾の雨を避け、次なる敵に距離を詰めてゆく。これではまるで――


「……漫画だろ」


 まるで漫画か安いSF映画のようだ。とても現実とは思えない――これが現実であるはずがない。


 そこまで考えて、俺は不意に理解した。


 目の前に広がる光景、自分の置かれた状況、そうした諸々をひっくるめて一瞬のうちにすべてを理解した。


「――劇の中だった」


 そうだ、ここは劇の中だった。


 改めてそのことに気づいて、矛盾も疑問もすべて吹き飛んだ。そればかりかここに至るまで胸の奥にくすぶっていたものがきれいに消えてなくなるのを感じた。


 そう。そうだ、その通りだ。今まで俺は何を悩んでいたのだろう、ここは劇の中なのだ。だから刀で銃弾を弾けようが大地が音を立てて裂けようが裸のお姫様が空から降って来ようが何の不思議もないのだ!


「いない」


「え?」


「問題のやつはいない」


「問題のやつ?」


「一番厄介なやつ。隊長の言ってた」


「……ああ、いたら諦めろっていう」


「そう、そいつ」


 卒然、我に返って、その命令を思い出した。ジープのハンドルを握るに目を遣る。その首には確かにペンダントのようなものがかかっている。


 俺たちに与えられた任務は、誰にも気づかれずにそのペンダントを掠め盗ることだ。問題の一人がいなければ、という条件つきで。そしてアイネの見立てによれば、今ちょうどその厄介な一人はいないという。


「行く?」


「……気づかれるだろ。うちの部隊のやつもいるだろうし」


「いない。残ってるのは『猿』だけ。みんな逃げたんだと思う」


「けど、気づかれるなって命令だぞ。バレないように狙えるのか? あの乱戦の中で」


「だから。乱戦になってるから、うまくすれば――」


「――あら、お兄さま」


 突然、背後から声がかかった。


 反射的に振り向いて銃を構える。その銃口の先には……クララがいた。


 思わず後ろを顧みて、二人のクララが戦闘を続けているのを確認した。そしてまた顔を戻し、そこに涼しげな笑顔でこちらを見る三人目のクララの姿を認めた。


「お久し振りです、お兄さま。大学のお庭でお会いして以来ですね」


 いつかの庭園で見せたままの笑みを浮かべ、親しみのこもった声でクララはそう言った。「こいつ」と、隣でアイネが囁いた。


「え?」


「こいつが隊長の言ってた、厄介なやつ」


 アイネの声に切迫感があった。それはDJの命令とは関係ない、純粋にこのクララと向かい合っていることによるものだとわかった。


 目の前に立つクララの腰には古めかしい造りの大小が挿されている。柄に手はかかっていない。俺とアイネ二人分の銃口を向けられながら、それでもクララは両腕をだらりと垂らして構える素振りすら見せない。


「どうしたんですか? お兄さま。もう私のことを忘れてしまわれました?」


「……人違いじゃないのか?」


「え?」


「なぜ俺があんたに兄と呼ばれる? 人違いだろ」


 俺がそう言うとクララは右手の人差し指を顎にあて、しばらく考えるような表情をつくった。そのあとまたこちらに向き直り、「いいえ、間違いありません!」と、きっぱりした調子で告げた。


「あのときはうっかり間違えました。でも今度は間違いじゃありません! お兄さまでいいんです!」


「……言いがかりはやめてくれ。ただでさえこっちはスパイの疑いかけられてるんだ」


「言いがかりじゃありません! お兄さまこそを切るのはやめてください!」


「わからないな。あんたみたいな妹持った覚えはないんだよ、こっちには」


「つれないお言葉ですね。では、私はお兄さまのことを何とお呼びすればいいんですか?」


「だから、俺はあんたの兄じゃ――」


「ハイジさん、とお呼びすればよろしいですか?」


「……」


「ではハイジさん。私は何ですか? そんなものを突きつけてくるハイジさんにとって、私は何ですか? ――敵ですか?」


 そこで初めてクララは刀の柄に手をかけた。その直後、背筋が凍りつくような戦慄を覚えた。右手を太刀の柄に、左手を鞘に添えた居合抜きの体勢で、クララはさらに低く腰を落とした。


「撃ちますか? 撃つなら私も抜きますよ」


「……」


「隣の方が撃っても同じです。ただし撃つからには覚悟なさってください。いったん抜いたら容赦はできません。たとえ相手がお兄さまでも」


 親しげな笑みを浮かべたまま事も無げにクララは言った。


 外す距離ではなかった。いくら俺がこの本物の銃に慣れていないとはいえ、この距離なら目をつぶっていても中る。


 だが俺はトリガーを引くことができなかった。それは相手が見知った顔だからではなかった。――そのトリガーを引いた瞬間に自分の腕が切り落とされるのが、ほとんど確信に近い形ではっきり想像できたからだ。


「どうしました? 撃たないんですか?」


「……」


「これではが明きませんね。とりあえず銃をおろして下さい。いつつ数えますから、その間に。数え終わるまで銃があがったままでしたら、こちらから行きますよ? では、ひとつ。ふたつ」


 そう言ってクララは数を数えはじめた。そして低く落としていた腰をいっそう低く落とし、頭だけこちらに向けた前傾の姿勢で身構えた。


 クララが数えはじめても、俺は銃をおろすことができなかった。そうしなければならないことはわかっていたが、まるで雰囲気に呑まれてしまったように、俺もアイネも固まったまま身動きひとつできなかった。


「みっつ」


「……」


「よっつ」


「……っ!」


「いつ――」


「クララ!」


 出し抜けに響いたその声に、クララはぴょこんと背筋を伸ばした。驚いたような表情でその声のした方を見遣り、二度、三度と目をしばたたかせた。


「大変、ロニカお姉さまの声! 早く行かないと叱られちゃう!」


 背後でジープのエンジン音が起こった。それと同時にクララは俺たちに向かい走り出す。トリガーにかかる指に力が入り――だがやはりそれを引くことができない。


 俺とアイネの間を駆け抜けるかに見えたクララは、不意に俺の目の前で立ち止まった。俺が構える銃口の真向かいで恭しく一礼し、


「ではお兄さま、ご機嫌よう」


 と言って、にっこり微笑んだ。


 急速に接近するエンジン音にクラクションの声が重なった。


 振り向けば無灯火のジープはすでに間近に迫っていた。慌てて俺が飛び退いた、その場所をジープがもの凄い速さで通り抜けた。


 いつの間にかそこに飛び乗っていたクララと、のクララ。それから運転席に座る隊長の後ろ姿を残して、ジープは一陣の砂風をまいて夜のしじまに吸いこまれていった。


 《鉄騎》が去ってしまったあとも、俺たちはしばらく動けなかった。


 やがて誰もいない闇に向けぎこちなく構えていたグロックをおろしたアイネは、思い出したように口を開いた。


「……妹って?」


「……知るかよ」

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