156 ダンスパートナー(7)

 司会者が一人の博士の名を口にすると、スポットライトは依然としてピントが合わないままのろのろと動き、ボタンが飛ぶんじゃないかと思うくらい肥満した紳士と、その横に水色のドレスをまとって立つ清楚な黒髪の女性をとらえた。


⦅ああいや、私ごときに真っ先にお声をかけていただき恐縮です。さてパートナーの紹介でしたな。私のはアナスタシアといいまして……いや、トリニティの名前なんてものは短い方がいいのはわかっておるんです。ですが私としましては――⦆


 にこりともしない女性の隣で、まだ酒も入っていないのに顔を真っ赤に紅潮させて博士は紹介を続けた。まるで娘をはじめて客前に出したような自慢とものろけともつかない紹介は延々五分近くにも及び、しびれを切らした司会者の方でやんわりと話を打ち切るための声がかかる始末だった。


 それから順次スポットライトは移り、博士たちは同伴者であるパートナーの紹介をしていったが、大方のところで最初のものと変わらなかった。どの博士も、程度の差こそあれ自慢げにたっぷり時間をかけてパートナーの紹介をし、悦に入っているのが傍目にもはっきりわかった。


 そんな一連の紹介を、キリコさんは実につまらなそうに何度も欠伸をしながら眺めていた。そのうち紹介がまわってくることなど意に介していない様子だ。さすがに俺の方では気になって小声で話しかけようとした。


 ――と、ちょうどそこで司会者がキリコ博士の名を呼び、熱いスポットライトの照明が俺たちに向けられた。だが俺の心配をよそに、キリコさんは待っていましたとばかりに一礼し、口を開いた。


⦅ご紹介に預かりましたキリコです。私のパートナーはハイジ。この通りです。さて皆様の滋味溢れるご高説、興味深く拝聴いたしましたが、私はこのくらいで。せっかくのお料理が冷めてしまっては残念ですから⦆


 それだけ言うとキリコさんは恭しく一礼して口を閉ざした。慌てて俺も彼女に倣う。あまりにも短い紹介にあっけにとられたのか、司会者はしばらく次の博士の名を告げることができないでいるようだった。会場もしんと静まりかえっていた。


 涼しい顔で胸を張るキリコさんの隣で、俺は内心冷や汗をかいていた。ものの数秒の演説で、キリコさんは完全にこの場の空気を壊してしまった。いったいこの先どうなるのだろう……。誰がどうやってこの窮地を乗り切るのだろう。


 俺のそんな心の声を聞きつけたかのように、静寂のなか一人分の穏やかな拍手があがった。


⦅――私の紹介はまだかね?⦆


⦅え? あ……ただ今! ええ、キリコ博士ありがとうございました。次なるは……ええおほん、となりますマリオ博士です!⦆


 スポットライトが俺たちから離れ、部屋の対面に立つマリオ博士と少女を照らした。少女は相変わらずふて腐れたような顔をしている。その隣に立つマリオ博士はもう見慣れた泰然とした物腰でおもむろに語りはじめた。


⦅紹介のを務めさせていただき、光栄です。けれどもまったく失礼ながら、私はこの場で皆様方にこの子を紹介する言葉を持たないのです。と言いますのもこの子は私に名前をつけさせてくれない。いやはや、これでは紹介のしようがない⦆


 それを冗談と受けたのか、小さな笑い声があがった。まるでそれに迎合するようにマリオ博士は困ったように肩をすくめ、話を続けた。


⦅けれども皆様ご存じの通り、今回のパーティーの趣旨はあくまで競合を防止するためのお披露目。調はどうかこの私に免じてお目こぼし下さいますように⦆


 そこで今度はもっとはっきりした笑いがあちこちから起こった。隣で不快そうに鼻を鳴らすキリコさんを見るまでもなく、それがどういう意味合いで起こった笑いかわかった。


 ただ俺としては、その皮肉に満ちた笑いに救われた気がした。あの雰囲気のままパーティーがはじまっていたら、その中でキリコさんのパートナーとしてどう振る舞えばいいかわからなかったからだ。


⦅そういったわけで大変申し訳ないが私もこのへんで切り上げさせていただきたい。先の方の言うことに真実があるとすれば、せっかくの料理が冷めてしまっては残念だということに尽きるでしょう。女性らしい温かい心遣いを素直に受け止め、このまま乾杯の音頭を取らせていただこうと思うのですが、よろしかったかな?⦆


⦅え? あ……はい! では改めまして、マリオ博士から乾杯の音頭を――⦆


 スポットライトが落ち、代わりに部屋の照明が点った。マリオ博士から乾杯の声がかかり、呼応する声と共にそれぞれのテーブルの上にシャンパングラスが掲げられた。


 いかにも厄介な仕事を終えたというような表情で司会者が退出していき、スポットライトも片付けられ――次第に大きくなってゆく歓談の声の中にパーティーがはじまった。


◇ ◇ ◇


 ――宴たけなわとなるまでに時間はかからなかった。博士ドクターとして紹介された紳士たちはグラスを手に、それぞれのパートナーを引き連れて他のそうしたペアと談笑に興じている。もっとも話しているのはもっぱら初老の紳士たちばかりで、その隣にかしずくパートナーの口は滅多に開かない。


「食べてるかい?」


「え? ああ、食べてます」


「せいぜい飲み食いしとくんだよ。そのくらいしか価値がないんだ、こんなパーティー」


「……はい、博士ドクター


 パーティーがはじまってからもキリコさんの機嫌は変わらなかった。


 話しかけてくる者にはあからさまな毒を吐きかけて追い払い、当然、自分からは誰にも話しかけようとしない。ときどき思い出したように俺に話しかける程度で、かといって飲み食いするでもなく、所在なさげに人のいないテーブルを選んで渡り歩いている。


 ……俺としては正直、何がそれほどキリコさんの気に障るのかわからなかった。


 さっきのマリオ博士の話によれば、このパーティーは俺たちのお披露目会ということになる。そんな会ならあってもいいだろうし、むしろ必要なことのように思う。


 この研究所の中でお互い顔を合わせる機会はあるだろうし、そのときに生じるかも知れない事態――マリオ博士の言葉を借りれば『競合』を防ぐために、この手の会を催すのは合理的に違いないのだ。


 博士ドクターとして紹介された人はキリコさんを含め十二名で、彼女以外は全員壮年の男性だった。一方、パートナーとしてつき従っているのはみな若者で、年の差からするとちょうど親子のそれに近い。


 禿げていたり肥満していたり、醜い壮年の特徴が出はじめた博士たちの隣にあって、盛装に身を包んだ若者たちはひときわ凛々しく、瑞々しく見える。しかもパーティー効果というものなのか、どの顔も――いやスタイルも含めて、まるでモデルのように端正に整っている。


「もうみんなは済ませたって顔だね」


「え?」


「爺さん方の話だよ。あの子らをベッドの上で使ってことさ」


「……」


 思いもよらないキリコさんの言葉に、呆然と彼女の顔を見つめた。それから会場に目を移し、それぞれのペアを眺めた。


 ……そこではじめて、自分のパートナーをで見る老人たちの視線に気づいた。


 腰に手をまわし、口づけでもするかのように顔を近づけ、目尻をさげて満足そうに見る好色にゆるみきった目……。


「……けど、男もいますよ」


「ん?」


「パートナーが男の博士も何人か」


「ああ、フランシスにリカルドと……あとはヘンリーか。同じことだよ、いずれにしても」


「どういうことですか?」


は多少違っても同じってことさ。科学者には多いんだよ、いわゆる男色ソドミィの性癖持ってるやつは」


「……」


 それで俺はもう何も言えなくなってしまった。


 たしかによく観察してみれば、青年を従えた紳士も同じ目で彼らを見つめ、しかも盛んにその身体に手を這わせている。


 その一方で、嬲られるどのパートナーの顔にもそれを嫌がるような表情は浮かんでいない。老人の手にいいように弄ばれながら、ただマネキンのように無表情にその行為を受け容れている。


 ……心の中に嫌なものが流れこんでくるのを感じた。その嫌なものの正体が何かわかる前に、キリコさんが隣で独り言のように呟いた。


「大方あたしたちもそういう目で見られてるんだろうけどね」


「え?」


「まあいいさ、そのへんはどうでも」


 思い切りよく吐き捨てると、キリコさんは別のテーブルに移っていった。けれども俺はあとを追わず、しばらくその場に立ち尽くした。


 キリコさんがずっと不機嫌でいた理由がようやく理解できたと思った。


 そうして理解できたその理由に強い共感を覚えた。俺たちの関係はではない。同列に見られては堪らない――それがすべてだったのだ。


 改めて、キリコさんが見ていたのと同じ目で会場を見まわした。


 ……彼女が浮かない顔をしていたわけがよくわかった。なるほど、そういう理解をもって見ればそれはまさに目を背けたくなるような光景だった。


 暗い光を宿した老人たちの目と、何の感情もなく見つめ返す人形の目。きっと彼らはあの表情のまま身体を開いたのだろう。そして老人たちはあの目よりも一層暗く光る目をその開かれた身体に走らせ、思うままに貪ったのだろう。


 老人たちの声が耳に入ってくる。ちょうど昨日キリコさんとマリオ博士がしていたそれのように、遠回しな表現と隠語に満ちた会話。


 そんな会話の中に、『トリニティ』という単語が何度も同じニュアンスで使われていることに俺は気づいた。それはどうやらを表す単語のようだ。


 起動されたばかりの『トリニティ』。あるじの言うことには何でも従う、人格のない文字通りの道具――


『ただ、それがあるからあたしはハイジを選んだ、とだけ言っておくよ』


『え?』


『起動される前の記憶があるから、あたしはハイジを選んだのさ。空っぽの木偶人形はべらせるなんて想像するのも嫌だ。わかるだろ?』


 ――だが俺はとは違う。今朝方のキリコさんとの会話を思い出し、俺は改めてそう思った。


 俺と彼らとの違いは『記憶』があることだ。そしてその『記憶』をもって、キリコさんと人間として向かい合っていることだ。……それを確認して、少しだけ心が軽くなった。大きくひとつ溜息をついて、グラスに残っていたロゼワインを少しだけ口に含んだ。


 老人たちは例の言葉――俺に理解できる、だが理解できないことになっている言語で盛んに語り合っている。パートナーの若者たちは相手の老人に影のようについてまわり、テーブルの食事にも手を伸ばさない。


 そんな会場の中にあって、あるじであるキリコさんから離れた場所で一人グラスを傾けている俺は、我ながらかなり浮いていると思った。キリコさんは隣のテーブルにいるが、今はそちらに行く気がしない。


 そこでふと、自分がこのパーティーの中で完全に孤立していることに今さらのように気づいた。


 それまで何となく聞き流していた喧噪が、急によそよそしく耳障りなものに聞こえはじめた。同時に自分のまわりだけ空気がうすくなったような息苦しさを覚えた。


 ――この華やかなパーティーは俺のためのものではない。この広い会場のどこにも俺の居場所はない。


 空虚な笑い声と食器の鳴る音。そこでふと、対面からこちらを見つめる視線に気づいた。


 それは、あの少女の視線だった。


 子供向けのものなのだろう、フリルの多くついたドレスを着た少女はマリオ博士から離れ、部屋の隅で寂しく壁の花となっていた。


 一瞬、目を合わせたあと、少女はつまらなそうに目を逸らした。だがその一瞬に、俺は少女と奇妙なところで通じ合ったのを感じた。


「ふ……」


 と、思わず笑いの息を漏らしてしまったほどの、それは同情シンパシーだった。


 そう、俺がとは違うように、少女も明らかにとは違う。その違いは同じなのかの知れないし、まったく別のものなのかも知れない。


 けれどもこうしてこのパーティーの空気に馴染めず、孤独に無聊ぶりょうをかこっている少女が他人とは思えなかった。ここへ来る前、あの歯車だらけの部屋で喉を引き裂かれたことも忘れて、ふて腐れたような顔でぽつねんと立ち尽くすその少女の姿をしばらく見守った。


 ――唐突に奏楽が響き渡り、会場に小さなどよめきが起こった。


 軽快なその曲は、どうやら円舞曲ワルツのようだった。照明がわずかに暗くなり、再び点灯したスポットライトの光に司会者の姿が映し出されたところでどよめきは収まった。わざとらしく咳払いをし、背筋をのばしてこちらに向き直ると、司会者は朗々とした調子で口上を開始した。


⦅紳士淑女の皆様、宴もたけなわでありますが、このあたりでひとつダンスはいかがでしょう? 気兼ねはいりません。もちろん遠慮もいりません。この今日という日の思い出に、軽快なステップでお互いの目を楽しませようではありませんか!⦆

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