107 ある暑い日曜日の午後(9)
「何だそりゃ? 何のための決闘だよ」
「何のためもクソもあるかよ。決闘の目的なんかひとつしかねえだろ」
「わからねえって。何だよその決闘の目的ってのは」
「相手殺して自分が生き残ることに決まってんだろ」
「……」
「実言うとな、オレはオマエたちを殺しに来たんだ」
「……何わけのわからないこと言ってんだよ」
「オマエたちを殺すためにオレはここに来た。だから決闘しようや、ってそう言ってんだよ」
DJがこちらに顔を向けた。
無精髭の口元に薄笑みを浮かべた顔には、どこかとぼけたようないつもの表情があった。それが嘘や冗談を言っている顔でないことは、つき合いの長い俺にはわかる。
だがそれでも俺にはDJの言っていることがまったく理解できなかった。
「……何でだよ」
「ん?」
「何でお前が、俺たちを殺さないといけないんだ?」
「それでぜんぶだからだよ」
「ぜんぶ?」
「オマエたちを殺せば、それでぜんぶ終わるんだわ」
「……何だよそれ。何が終わるんだよ」
「ぜんぶだよ。オレに残されたぜんぶが終わる。そういうわけでオマエらを殺さねえといけねえんだわ」
決まりきったことを言うように、DJは何度もその言葉を繰り返した。嘘でも冗談でもなく、DJが本気で言っているのだということはそれでわかった。
そのことを受け容れた心にまず浮かんだのは、たまらない寂しさだった。怒りでも恐怖でもなく、DJにそんなことを言われなければならないことが、俺はただ寂しかった。
「放っといてくれないか」
「……」
「放っといたってすぐ死ぬよ、俺たち。だから、もう放っといてくれ」
「そういうわけにもいかねえんだよ」
「何でだよ。同じことだろうが」
「オレん中でのけじめの問題だ」
「けじめなんかどうだっていいだろ。そんな大事なものなのかよ」
「
穏やかな顔で淡々とそう告げるDJに、俺はもうたまらなかった。胸の中に膨れあがる寂しさをどうすることもできず、目を逸らして夕映えの空を見た。
遮るもののない豪奢な夕暮れを、ついさっきまで見ていたそれとはまったく別のものに感じた。あれほどまでに美しく感じたその雄大な景色が、今はただどこまでも寂しいものに見えた。
「なら、好きにしてくれよ」
「……」
「お前と……友だちと殺し合うくらいなら、俺は死んだ方がましだ」
心を埋め尽くす寂しさのままに言った。紛れもない、それは本心だった。
DJと殺し合うくらいなら潔く殺された方がいい。このままここでこいつに殺されるのなら、もうそれでいいと思った。
だがそんな俺にDJは変わらない調子で念を押すように、「女もだぞ?」と静かに告げた。
「……何?」
「女も殺すってことだよ。下で寝てるあの女も」
「……」
「オマエを殺したら次はあの女だ。それでぜんぶ終わるんだわ」
「……」
「それでいいんならいいぜ? オレにしてみりゃ楽だしな。まあ簡単すぎて少しつまらねえ気もするが」
そう言ってやれやれというような笑みを浮かべるDJに、俺は初めて怒りを覚えた。それまでの寂しさを一瞬で掻き消し、身体のうちを隅々まで吹き荒れるような激しい怒りだった。
そんな俺の変化に気づいたのか、DJは真顔をつくったあと、にやりと笑った。その表情に俺の怒りはなおも激しくなり、その怒りに衝き動かされるままに言った。
「決闘の方法は?」
「早撃ちでどうだ」
「いいだろ。銃はどうするんだ?」
「オマエはポケットに入ってるそいつを使え。オレはもちろん
「はあ? ハンデあり過ぎだろ」
「どっちが?」
「お前が不利に決まってる。勝負になるかよ」
「ならオレは指かけて垂らす。オマエは抜き打ち。それでどうだ?」
「それでも俺の方が有利だ」
「ったく細けえなあ。オマエのためにわざわざそうしてやってんだぜ? 死にたかねえんだろが」
面倒臭そうにそう言うと、DJはおもむろにこちらを見た。とぼけたままの眼差しに……何だろう、その言葉通りこちらを気遣うような色が浮かんでいるのを見て、俺はまた少し混乱を覚えた。
DJはすぐに前を向いた。だが、その目を見たことで俺の怒りはわずかに薄らいだ。
不意に、気持ちが落ち着くのがわかった。DJの言う決闘に、生死を離れた演劇的な興味を覚え始めている自分を感じた。
「……仕方ねえな」
「やる気になったか?」
「なったよ。とっととやろうぜ」
「うし! じゃあ降りるぞ。早くしねえと日が暮れちまう」
そう言ってDJは立ち上がり、身体の向きを変えると足場ぎりぎりに立って身を屈めた。そこから何もない側に大きくジャンプし、へりに手をかけ器械体操のように窓から城の中へ飛びこんだ。
一瞬たじろいだが、勢いで俺も同じようにした。見よう見まねで飛んだあと、『王の間』に尻餅をついている自分を発見して、それから時間遅れで背筋が凍るのを感じた。
だが、早鐘をうつ心臓をなだめながらすぐに身を起こした。腕組みをして待っているDJの目を気にしたからではない。これから命を賭けて守る相手に情けない姿を見られたくなかったからだ。
もっとも、立ち上がって見たところで、それが杞憂であったことを知った。
砂にまみれた寝台の上に、ペーターはまだ眠りの中にあった。衰弱がはっきりと見てとれる青白い顔はそのまま。だが近づいてみなくとも、彼女がまだ生きていることは穏やかに上下する毛布の動きでわかる。
「お姫さんにお別れはいいのかい?」
「いらねえよ。どうせ俺が勝つんだ」
「へっ、言ってやがる。ここでやんのか?」
「ここはちょっとな。少し離れよう」
「お姫さんに死んだ顔見られるのはイヤか」
「いや、銃声で起こしたくない」
「はは! いつもの調子が戻ってきたじゃねえかよ」
そう言って笑いながらDJは廊下に消えた。遠ざかってゆく無骨な靴音を追い、俺もあとに続いた。
部屋を出る前、最後に寝台を振り返ってそこに眠る少女を見つめ、その姿をしっかりと目に焼きつけてから。
俺が追いついても振り返ることなく、こちらに背を向けたままDJは進んだ。
だがもちろん、俺は撃たなかった。
ここへ着いてすぐ俺たちを殺すことができたDJがそうしなかったのは、そこに心があるからだと思った。その心に報いるために、たとえあいつの身に危害が及ぶとしても、卑怯な振る舞いでこの勝負にけりをつけることはできない。
俺たちは歩き続け、やがて西日の射す広い回廊に出た。
窓の外ではすっかり色づいた陽光が、黄昏の回廊ではただ白かった。横合いから壁に向かい伸ばされた幾つもの光の帯。何本目になるかわからないその帯を横切ったところでDJは立ち止まり、おもむろにこちらに向き直った。
「この辺でいいだろ」
「……ああ」
『王の間』からは充分に離れた、そのことを確認する短い会話だった。
俺の希望を聞き入れてここまで来てくれたことを思い、おかしな話だがDJの気遣いに感謝した。そのことに礼を言おうとして……やはりそうするのを止めた。
馴れ合いはもういらない、これから俺たちはこの場所で文字通り殺し合いをするのだ。
DJの立つ場所と俺の位置の中ほど、壁に穿たれた穴から真っ直ぐに一条の光が射していた。その光の筋を指差して、「これが見えるか?」とDJは言った。俺は黙って頷いた。「ならこいつが合図だ」とDJは言い、担いでいたカラシニコフを肩から降ろした。
「この光が消えた瞬間に抜く。それでどうだ」
「……わかりにくくないか? 判断が分かれそうだ」
「そんなら判断はオマエに任せるさ」
「難しいって。消える前に抜いちまうかも」
「なに、そんときゃそれまでだ」
そう言ってDJはライフルを持つ腕をおろした。その指はトリガーにかかり、持ち上げるだけで撃つことができる、それがわかる。俺のリボルバーは既に銃把をこちらに、いつでも抜けるようにジーンズに挿してある。これで決闘の準備は調った――おそらくそういうことになるのだろう。
俺の銃には弾が入っていない。DJの銃には入っているのかも知れない、だがそのことに条件の違いや、不公平のようなものは何も感じない。
それぞれの銃が撃たれたとき、弾丸が互いの身体を貫くのがわかる。予想でも憶測でもない、実際にそうなるのが確信をもって、はっきりと手に取るようにわかる。
惚れた女を守るために荒野の真ん中で早撃ちの決闘……思えば陳腐な演技というしかなかった。
日曜のホールから送りこまれてこの方、わけもわからず立ち続けてきた舞台で最後の最後にまわってきたこれは演技で――だが演技ではないという事実に皮肉を覚えた。
……そう、どれだけ芝居がかっていてもこれは演技ではない。ひとたび俺が手を動かせば、俺たちのうちどちらかが血を流すことは避けられない。
DJはとぼけたようないつもの顔で、銃を持つ腕をだらりと垂らしている。これから撃ち合うという緊張感はまるで感じられない。さっきの言葉通り、先に抜きたいなら抜けとでも言いたげに見える。自信があるのだろうか……それとも撃たれてもいいということなのか。
ただひとつ確かなのは、この決闘が終わったとき俺たちのどちらかが死ぬということだ。
――不意に、屋根の上で覚えた寂しさが戻ってくるのを感じた。
逃げることのかなわないDJとの決闘。その先にある「死」を思い感じたのは、やはり息が苦しくなるほどの寂しさだった。
もう二度とDJと会えなくなる……それだけが寂しかった。
いつも軽口を叩きあってきた仲の良い友だち。それを永遠に失わなければならないことが、俺の胸をぎりぎりと締めつけた。
「……なあDJ」
「何だ?」
「やっぱり、どっちかが死なないと駄目なのか?」
「ああ」
「なら、最後だから言うけどな」
「……」
「俺、お前のこと結構好きだったよ」
言ってしまい、涙が出そうになるのをこらえた。泣けばその瞬間、俺が目の前の男を撃てなくなることがわかったから。
そんな俺にDJは呆れたような表情をし、大きく溜息をついた。そうして間延びした声で独り言のように、「なんでだろうな」と呟いた。
「オマエさっきからオレのこと何度もDJって呼んでるだろ」
「呼んでるけど……それがどうした?」
「オレ、その名前で呼ばれるの
「え……そうだったの?」
「けど、気にならないんだわ」
「何が」
「オマエにはその名前で呼ばれても、どういうわけか嫌な気にならない」
「……友だちだからだろ」
「友だち?」
「友だちだからだ。俺たちは」
「そっか……そうかもな」
そう言ってDJは満面の笑みを浮かべた。その笑顔が消え、DJの顔から一切の表情が消えた。
言葉はいらなかった……それが別れの挨拶だった。俺は覚悟を決め、棒立ちのまま心持ち前屈みの姿勢をとった。
光の
周囲から一切の音が消えた。
息を止め、右手を動かした。同時にDJの腕が跳ね上がるのを見た。そのあまりの速さに戦慄を覚える間もなく、引き抜いた銃のトリガーを無心で絞った。
銃声。
腕を半分もたげたDJの胸に真っ黒な染みが広がるのを呆然と眺めた。
動いた瞬間、死んだのは自分だという確信があった。それだけに自分の見ている光景が信じられなかった。
DJは後ろに頭を向けようとし、できないでまたこちらを見た。それから諦めたように微笑み、そのまま前のめりに倒れた。
「……」
崩れ落ちた身体の向こう、ほの暗い回廊の先に、まだ煙の立つデリンジャーを構えるペーターの姿があった。
その小さな身体がゆっくり膝をつき、やがて魂が抜けたように座りこむまで、俺は何もできず……未だ振動の残る腕に銃を降ろすことさえできなかった。
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