148 新しい契約(3)

 ……なるほどキリコさんの言う通り、まだ弾は尽きていないようだ。漠然とそう考え、だがその直後にそれがどうしようもなく奇妙なことであるのに気づいた。


 さっきカートリッジを取り外して確認したとき、たしかに弾は七発だった。最初に一発撃ち、それから六発続けて撃った。だからもうカートリッジの中に実包は残っていないはずで、遊底が後ろに下がりきった状態になっていなければおかしい。


「……」


 わけがわからないまま自分の足下を見つめ、そこで俺はもう一つ奇妙なことに気づいた。


 ……空薬莢が落ちていない。首をあたりにめぐらせてみても、やはりない。ふと思いついて銃をもたげた。安全装置が入っているのを確認して、カートリッジを引き抜いた。


 弾丸がついたままの実包が六発、カウンタの上に音を立てて転がり出てきた。


「どうしたんだい?」


「……」


「まだ弾が終わってないってことはわかっただろ? わかったんだったら続けておくれ」


「どういうことですか……これは?」


「ん? 何の話だい?」


「……どういうことだか教えてください。お願いします」


 顧みるキリコさんの顔には最初、こちらが何を言っているかわからないというような表情が浮かんでいた。けれどもその表情が演技であることは、何となくわかった。


 無言のまま見つめ続けていると、ほどなくしてキリコさんはふっと表情を弛めた。そうして諦めたような口調で、「見たまんまだよ」と言った。


「教えるも何も、見たまんまだとしか言いようがないね」


「見たままって……おかしいじゃないですか」


「どこがおかしいんだい?」


「え?」


のどこがおかしいのか、ハイジがおかしいと思うところを言ってごらんよ」


 そう言われ、しばらく考えたあと、俺はキリコさんに向かい誰でも知っているような自動拳銃の原理を一通り説明した。


 撃鉄が雷管を叩いて火薬が爆発し、弾丸が発射される。そのとき発生するガスで遊底が後退し、空になった薬莢が排出される。そしてその遊底が元に戻るとき、スプリングの力で次弾が発射できるように装填される――


「――ものによって差はあると思うけど、自動拳銃の仕組みはどれもそんな感じのはずです。でも……だからこれだと変じゃないですか。普通は一発撃つたびに空の薬莢が飛び出てくるはずで、それなのにどこにも転がってなくて、全部弾丸つきでカートリッジの中に残ってるなんてありえない。いや、そんなことよりあの標的に穴を開けた弾がどこから出てきたのか……。なぜ飛んでいった弾がここにあるのか――」


 ……結局、何が言いたいのかわからなくなって、俺は説明をうち切った。キリコさんはしばらく顎に手をあてた姿勢で何か考えているようだったが、やがておもむろに、「どこがいけないのさ」と言った。


「え?」


「なぜ飛んでった弾が銃の中に残ってちゃいけないんだい?」


「……」


「そのへんがあたしにはわからないね。拳銃の弾ってのは、飛んでったらなくならなきゃいけないって決まりでもあるのかい?」


「……そりゃそうでしょ。そうでないと説明がつかないじゃないですか、科学的に」


「科学的に、か」


 俺の台詞を鸚鵡返しに繰り返したあと、キリコさんは顎から手を離し、正面からきっ、と俺を見据えた。


「こう見えてもあたしは科学者だ。そのあたしの前で科学って言葉を口にするからには、喧嘩売られてると考えていいんだろうね?」


「いや、そんなつもりは――」


「はい買った。その喧嘩買わせてもらうよ。さあそれじゃ説明しておくれ。ハイジは科学についてどのくらいのことを知ってるんだい?」


「それは……」


「科学ってのを、どんなものだと思ってるんだい?」


「……」


「なら二択だ。ハイジの思う科学ってのは、確実なものか、それとも曖昧なものか」


「比較的確実なものだと思います」


「ほら、そこだ。そのへんが素人と専門家の見解の相違だね」


 キリコさんはそう言いながら壁に向かって歩き、胸の前に腕を組んでそこに背もたれた。そうして俺の返事を待たずに、溜息をつくような調子で言った。


「科学が盤石なんてのは、それをよく知らない素人が作り上げたさ」


「……」


「科学ってのは、深く知れば知るほどその曖昧さが身に染みてくるもんなんだよ。たとえば、ほら」


 そう言ってキリコさんは白衣のポケットからペンを取りだし、右手の指につまんで顔の前に掲げた。指が離れ、床に落ちたペンが乾いた音を立てた。


「こうして物が落ちる理由を説明できるかい?」


「それは、できます」


「説明しておくれよ」


「物と物が引かれ合う、万有引力があるからです」


「ああ違う、違う。そんな教科書に載ってるようなこと聞いてるんじゃないよ」


「……?」


「どうしてその、万有引力なんてものが存在するかって話さ。なぜ物と物が引かれ合うのか、それが聞きたいんだよ」


「それは……」


「それは?」


「……わかりません」


「そう、それは誰にもわからない。どんな科学者にも、このあたしにだってわからない。それにね、わからないことはもうひとつあるよ? それは、その万有引力って便利な言葉で言い習わされてる現象が、果たしてこれから未来永劫変わらないものかってことさ」


「……」


「万有引力の存在を基礎とする科学認識を、専門用語で古典力学体系って言うんだけどね、その古典力学体系はあくまで万有引力の法則が絶対不変であるという仮説の上に築かれたものなのさ」


「……」


「もっと平たく言えばこうなるよ。現実を見て色々考えてみると、物と物とはどうやら引かれ合っているようだ。そしてそのルールは今のところ変わってしまう様子はなさそうだ。だったらとりあえずそのルールにのっとって世の中の出来事を説明づけてみようじゃないか。なぜそうなるかわからない、いつまで続くかもわからない。そんな曖昧で不確かなルールを信じて、説明できそうなことをひとつひとつ説明していこうじゃないか――専門家に言わせてもらえば、科学なんてのは所詮そのていどのものさ」


「……だから、撃った弾が銃の中に残っていても不思議はないと?」


 俺がそう言うとキリコさんは意外そうな顔をし、それから我が意を得たりというように、にやりと笑ってみせた。


「なかなか理解が早いじゃないか」


「……」


「科学的なものの考え方の手本をしめせばこうなるよ。たった今ハイジは七発の弾を撃って、その弾は七発とも銃の中に残っていた。だったら撃った弾は銃の中に残っているというのが最も確からしいことで、その最も確からしいことの上に立って次のことを考えるってのが科学の基本だ。科学ってのはあくまで学問なんだよ」


「……」


「別にハイジが嘘を言ってるなんて思ってやしないよ。撃った弾は銃の中から消えてなくなる、そっちのルールが正しいこともどこかの世界ではあるんだろ。けど、今見たようにこの世界での事実は逆だ。科学的に考えるってんなら、まずはそれを認めないとね」


「……」


「微視的な現象の背後にすべからく巨視的な原理を見るべし、ってことさ。宇宙が膨張から収縮に切りかわれば時間の流れが逆になる、なんてこと言う科学者がいるけど、あながちそれもありえない話じゃないとあたしは思うね。見えないところで基本的なルールが変われば、目に見える現象も当然変わってくる。そう考えれば、撃った弾が銃の中に残っていることは何もおかしなことじゃない。そうは思わないかい?」


「……なるほど」


 思わず俺はそう返した。巧みな言葉で言いくるめられている気はしたし、論理にもかなり無理があるように感じた。けれども最後の説明にあった、基本的なルールが変わってしまったのだという理屈、それだけは素直に受け入れることができた。


 撃った弾が銃の中から消えてなくなる世界は別にある。そして俺が今いるこの世界では、撃った弾は銃の中に残る。さっきの推測通り、ここがだとしたら、元いた世界とは大幅にルールが違っていても何の不思議もない。


「わかりました。ご教示ありがとうございます、博士ドクター


「よろしい」


 結局、喧嘩はキリコさんの勝利に終わり、俺はまた射撃の訓練に戻った。


 理解したルールにのっとって装弾なしに、熱で銃把が持てなくなるまで撃ち続けた。片手でも撃ち、水平撃ちの真似事もした。終わりの声を聞くころには腕が痺れ、ほとんど感覚がなくなっていたが、それでも二発に一発は的の真ん中を撃ち抜くまでに、その銃の扱いには慣れた。


「だいぶ慣れてきたようじゃないか」


「まあ、少しは」


「次は動く的で練習しないとね」


「はい」


「その銃はプレゼントだ。それでちゃんとあたしを守っておくれ」


「……」


「返事は? さっきした契約のこと、もう忘れちまったのかい?」


「……覚えてます。わかりました、この銃であなたを守ります、博士ドクター


「いい返事だね。期待してるよ、ハイジ」


 そう言いながらキリコさんはと俺の後ろにまわり、ばしっと音を立てて俺の背中を叩いた。その痛さと疲れ切っていたのとで銃を取り落としそうになるのをどうにか堪えた。


 抗議するために振り返ると、キリコさんはドアノブに手をかけ、もう部屋を出ようとしていた。


◇ ◇ ◇


 帰り道の廊下にも人影はなかった。長時間の射撃練習で疲れたためか、行きよりも長く感じられるそのみちを、キリコさんのあとについてとぼとぼと歩いた。


「こんなのままでいいんですか?」


「何のことだい?」


「こいつのことですよ」


 俺はそう言ってポケットの中の銃をジーンズの上から軽く叩いた。ケースはあのまま射撃場に置き去りになっている。俺は持って出ようとしたのだが、「そんなものは放っておいて早く出る」というキリコさんからの命令が下ったからだ。


「ホルスターだったらちゃんと用意してあるさ。部屋についたら渡すよ」


「そうじゃなくて。こんなすぐ撃てるような状態で持ち歩いてていいのか、ってことです」


「なに寝惚けたこと言ってるんだい。ボディガードの拳銃がすぐ撃てなくてどうするのさ」


「それは……まあ、そうだけど」


「ああ、脅すつもりはないよ。今はまだいいんだ。いずれにしろしばらくドンパチはないだろうし。今日みたいな練習繰り返していって慣れた頃に、って話さ」


「……はい」


 会話が途絶え、こつこつと二人分の靴音が薄暗い廊下に響いた。一歩を進めるごとに、硬く冷たい鉄の塊がポケットの布越しに太股に触れてくるのを感じた。


 ……この銃で、俺はいつか誰かを撃つことになるのだろうか。そう考え、胸に穴の開いた標的を思い出して、俺はかすかな戦慄を覚えた。


「……そういえばこれ、どこのですか?」


「ん?」


「この銃ですよ。どこの会社の、何て名前の銃かと思って」


「知らないね、そんなことは」


「え? ああ……そうですか」


「ハイジがつければいいじゃないか。好きな名前を」


「つけませんて、名前なんて。どこの銃か聞こうと思っただけで」


「いずれにしろあたしの知ったことじゃないね。ハイジはあたしの道具だ。だからあたしにはハイジって名前が必要だ。あんたを呼ぶためのね。けどそいつはもうあんたの道具になったわけだろ。道具の道具が何て名前かまで、いちいち気にしてられるほど暇じゃないんだよ、あたしは」


「……なるほど」


 俺がそう呟くのと同時にキリコさんは足を止めた。


 どうしたのだろうと思い彼女を見たあと、その視線の先、薄暗い廊下の隅に白衣の男が立っているのを認めた。遠目にもわかる彫りの深い顔立ちは、明らかに外人のものだった。


 やがておもむろにキリコさんは歩き出した。俺は慌ててあとを追った。つかつかと早足に男の横を通り抜けようとする。そこで初めて、男から声がかかった。


⦅つれないじゃないかキリコ。声もかけずに素通りはないだろう⦆

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