第三幕

239 どうして(1)

(序幕『舞台という非日常へと向かう日常』より)


 ……そう、キリコさんの言う通り、アイネの様子はたしかにおかしかった。


 会議の中盤あたりから妙にそわそわしだし、俺が進行を受け継いでからはほとんど上の空だった。隊長の妹騒ぎのとき一人だけ沈黙を保っていたのも彼女だ。


 一言かけようとしてできなかったのは、朝から尾を引くあのことが関わっているのかも知れないと思ったからだが、どうやら理由は別のところにあったようだ。


「隊長、これからの予定は?」


「特にない」


「大道具は?」


「私一人で十分だ。行っていい」


 隊長の言葉に俺は軽く頷き、勢いよく立ちあがって長椅子を跨ぎ越した。そのまま駆け足に談話室の出口をくぐった。閉まる扉の向こうでペーターが何か言っているのが聞こえたが、無視した。


 急いであたりを見まわすと、アイネはちょうど生け垣の間を抜け構外へ出ようとするところだった。


「アイネ」


 俺の呼びかけに彼女はさも迷惑そうな顔で振り返った。だが立ち止まる素振りも見せず、そのまま足早に歩いて行ってしまう。


「待てって」


「……何か用?」


「用って言うか……」


 木で鼻をくくったようなアイネの物言いに次の言葉が出てこなかった。そんな俺を呆れたような目で一瞥し、アイネはさらに歩調を早めようとする。


 ……と、ちょうどそこで向かいの信号が赤に変わり、彼女は立ち止まった。車の流れは少なく急いで渡れないこともなかったが、アイネはちゃんと止まる。彼女がどんなときでも馬鹿正直に信号を守る人間であることを、俺は知っている。


「なあ、そんなに切羽詰まる必要あるのか?」


「……」


「リカが忘れるのはいつものことだって、朝にそう言ってたじゃないか」


「……十五分」


「え?」


「リカはいつも十五分は遅れて来る。けど三十分以上遅刻することは滅多にないし、最後まで来ないなんてことは絶対ない」


 信号が青に変わった。アイネはまた足早に歩き出し、俺は仕方なく歩調を合わせその隣に並んた。


「携帯にはかけてみたのか」


「……かけたけど、出ない」


「家には?」


「家に電話ないから、あの子」


「ああ……そうだったか」


 返事こそ返してはいたがこちらに目もくれず、真っ直ぐに前を向いたままアイネはほとんど小走りに歩きつづけた。


 そんな彼女の様子に俺はわけもない危なっかしさを感じた。リカのことが心配なのはわかったが、どうも気負いすぎている気がする。どうせ大したことはないに決まっているのだ。けれども今のアイネにそれを言ったらまた酷い諍いが持ち上がることは目に見えている。


「俺も捜すの手伝うよ」


「……?」


 そこでアイネはようやく立ち止まり、睨むような目を俺に向けてきた。その視線に怖じけることなく俺は続けた。


「責任の一端は俺にあるわけだしな。どこ捜せばいい?」


 アイネはしばらく俺の質問に答えずじっとこちらを睨みつけていた。だがやがてふっと溜息をつくと、少し表情を弛めて「大学」と言った。


「多分いないと思って見てこなかったから。もしいたらわたしの携帯に電話して」


「大学ね。アイネはどこへ?」


「心当たりまわってみる。とりあえず、あの子の家から」


「わかった」


「じゃ、お願い」


「はいよ」


 話がつき俺が立ち止まると、それを待っていたかのようにアイネは駆け出した。みるみる小さくなっていく背中を眺めながら、今度は俺がふっと溜息をついた。


◇ ◇ ◇


 大学に戻った俺は、真面目にリカを捜すことにした。


 どうせ心配するほどのことはないだろうから手を抜くことも考えたが、約束した手前もある。それに何より、どこかで油を売っていてそれがアイネに知れたらひどく厄介なことになる。どうやら朝の一件はリカを捜す協力を申し出たことで流れたようだし、ここでまた不興を買うような愚は断じて避けなければならない。


 ……とは言え、大学は広い。虱潰しにまわっていてはそれこそ日が暮れてしまう。俺は少し考え、まず手はじめに『夜笛』のサークル室に足を向けた。


 うちの大学には大小八つほどの演劇サークルがあるが、そのすべてが親密な関係というわけではない。『夜笛』と我らが『ヒステリカ』はどちらかと言えば疎遠で、そういうこともあって俺が『夜笛』のサークル室を訪ねることはほとんどない。


「……誰もいないか」


 何度かドアをノックしてみたが反応は返ってこなかった。どうやら留守のようだ。けれども俺はその結果にむしろほっとした。嫌な顔を見なくて済んだと思ったからだ。


 俺がこのサークル室を訪ねないのはうちとの関係が疎遠ということもあるが、それ以上に会いたくない男がいるからだ。『夜笛』はリカのサークルであると同時にその恋人――カラスのサークルでもあるのだ。


 次。『夜笛』のサークル室にいないとなると学部の研究室だが、リカはゼミの日以外研究室に顔を出さないことで有名なので期待はできない。案の定、そこに彼女はいなかった。


 ……そうなるとあとは教室をまわってみるしかない。この時間は一般教養だからA棟かB棟。A棟は一回生の授業が多いが二回生が受けられるものもある。俺はA棟から教室を覗いていってみることにした。


「――何してるんですか?」


 入口を入って最初の教室を覗こうとしたところで不意に声をかけられ、思わず身を竦ませた。だが振り返ればそれはペーターだった。


「何だ……ペーターか」


「私で悪かったですね。何してるんですか、こんなところで」


 そう言って俺を見るペーターの目にはどこか不満げな色が浮かんでいた。そこで俺は談話室を出るとき彼女が何か言っていたことを思い出した。


「リカを捜してるんだけど、おまえ俺に何か用事でもあった?」


「ありましたよ。小物の銃を買いに行くのにつき合ってくださいって、そう言ってあったじゃないですか」


「ああ……そうだったか」


 ペーターは依然として物言いたげな目をこちらに向けながら俺の言葉を待っている。拗ねているようにも見えるが、ペーターがこういう顔をするのはもう諦めている証拠である。そのことに気づいて、彼女の言葉を無視して談話室を飛び出したことが急に申し訳なく思えてきた。


「明日じゃ駄目か?」


「……いいですよ。明日でも」


「ならそうしよう。明日はちゃんとつき合う。約束する」


「はい。わかりました」


 途端にペーターの表情から陰が消え、はっきりと喜色が浮かぶのがわかった。……まったく現金なやつだと内心に呆れながら、俺は踵を返しかけた。


「私も手伝いますよ」


「……ん?」


「リカさんを捜すの手伝います、私も」


「そうか。それなら頼めるかな」


「はい」


 ペーターまで巻きこんで捜す必要があるのかと一瞬思ったが、結局俺はそう返した。そう言ってしまったあと、この舞台前の大事なときに俺たちはいったい何をしているのだろうとしみじみ思った。


 ……こうなったら是が非でもあのサボり女を掴まえてやらなければ気が済まない。だが何となくこのまま大学を捜していてもあいつは見つからないような気がする。


「それで、どこを捜したらいいんですか?」


「……どこを捜したらいいんだろうなあ」


◇ ◇ ◇


 それからしばらく俺はペーターと一緒に大学の教室を覗いてまわったが、A棟をあらかたまわり終えたところでふと思いつくところがあった。大学の残りはペーターに任せて構外に出た。じりじりと照りつける昼下がりの陽射しの中を、もう二度と足を運ぶことなないだろうと思っていた場所へ向かい歩いた。


 向かう先はカラスのマンションだった。まだ大学に入りたての頃、高三の予選会以来はじめて顔を合わせ、ようやくあの夏の戦いを過去のものとしたリカに、仲直りのしるしだといって半ば強引に連れていかれたことがあったのだ。俺が仲直りしたのはリカであってカラスではなく、しかも二人が高校の頃からつき合っていたという衝撃の事実を知らされた直後だったのでかなり強く抵抗したのだが、結局は連れていかれた。


 幸か不幸かあいつは部屋に居ず、リカの持つ合い鍵を使って中に入った。再会して友だちとなったばかりの女と、その恋人で会いたくもない男の部屋に忍びこむというシチュエーションが妙に座り心地の悪い感じで、一通り中を見ただけで俺一人逃げるようにその場をあとにしたことを覚えてえる。


 ……面白くないことだが、そういう記憶は消したくてもなかなか消えてくれないもので、一年以上経った今もあいつのマンションまでの道はしっかりと頭に残っている。リカと二人で覗いた、ぼんやりと春の陽が射しこむ、どこからどこまでもきちんと整頓されたひどく現実感のない部屋の中の様子さえも。


 ……そのカラスのマンションへと俺は向かっている。正直、あいつの部屋など金輪際訪ねたくなかったし、実際こうして向かいながらも何度か引き返しかけたのだが、可能性としてリカがそこにいることは考えられないでもない。


 それに、アイネがカラスのマンションの場所を知らないということもあり得る。だとすれば俺が真っ先に向かうべきはその場所ということになってしまう。実に気が進まないのだが行かざるをえない。


 けれどもそうして歩くうち、カラスを訪ねる前に目下の考えを改める必要があることに気づいた。あいつの部屋を訪ね、リカがそこにいればいい。だがそうでなければ、あいつに事情を説明してリカの情報を聞き出さなければならないのだ。……こんな負の感情ばかりをみなぎらせてそれがうまくいくとは思えない。久々に訪ねる側の礼儀としても、せめて喧嘩腰ではなく中立的ニュートラルな態度で臨まねばならない。


 ――最近ではリカばかりでなくアイネにさえ、俺はカラスを必要以上に嫌いすぎているというようなことを言われる。曲がりなりにも高校三年間を同じ部活で過ごしてきた間柄なのだから大切にしなければいけない、と。


 たしかに俺もそう思うことはある。独善的でまったくと言っていいほど融通が利かず、言葉遣いから態度からいちいち気障キザで、何かにつけ俺に反抗的でやたら遠回しな批判ばかりを口にし、しかもなぜか女にもてるということを抜きにすれば、勤勉で礼儀正しく演劇にも熱心ないい男なのだ。リカの話によればあいつの方では俺を嫌っていないということだし、あるいはこれを機に新しい関係が築けるかも知れない……。


 そんなことを思いつつ俺は立ち止まり、行く先の風景をぼんやりと眺めた。陽炎の立つ初夏の町並は何だか幻のようで、あの日リカに引きずられるようにして歩いた道をそのまま通っているような、そんな頼りない錯覚を覚えた。……あの日と今とで何も変わっていないような気もするし、ずいぶん色々と変わってしまった気もする。


 何だか無性にリカと飲みに行きたいと思った。日曜日の舞台が終わったあたりで。その席にアイネと――今日の首尾によってはカラスを加えてもいい。リカと一緒にカラスの部屋に忍びこんだ顛末を話して、その話を肴に楽しく酒が飲めるのならそれはきっといいことだ。……取り留めのない思考の締めくくりに、俺は漠然とそんな未来予想図を思い描いた。


 ――と、遠くから近づいてくる警報サイレンで現実に立ち返った。


 パトカーだろうか。何気なくそう思って振り返る俺の横を、警報をあげるそのパトカーはもの凄い勢いで通り過ぎていった。近くで事故か、あるいは事件でもあったのだろう。それを裏打ちするように、野次馬とみられる連中がパトカーの向かった方向にぞろぞろと走っていくのが見えた。


「――光りもん?」


「いや、拳銃だってよ――」


「――死んだって?」


「ああ、死んだらしい――」


 ……どうやら殺人事件のようだ。ここ界隈ではそう珍しくもないが、それでも年に一度あるかないかといったところだ。俺としてはあまり興味がない。だから前方に人だかりらしきものを認めたとき、俺はそれを迂回するために脇道に入りかけた。


「――女だってよ、若い女」

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