310 テンペスト(3)

「――では、敵に見つかるのを避けることが最優先という認識でいいですか?」


「そうだ。いつもの斥候とは違う。間違ってもおっぱじめるんじゃねえぞ」


「向こうから仕掛けてきた場合には?」


「逃げろ。そんで、そいつらの場所を報告しろ」


「了解しました」


 斥候の指示を受けたカラスから幾つかの質問があがり、それにDJが回答したところで命令に区切りがついた。


 俺たちの組にも指示は既に出ている。5組10人から成る分隊を構成。その分隊をもって本隊と共に敵部隊を挟撃。分隊長はアイネ――つまりは俺たちだ。斥候に4人さいて本隊が13人であることを思えば、その分隊の重要性は考えるまでもない。


「もう一回確認しとくが、今夜の目的は連中の殲滅せんめつだ。また元に戻らねえように一人残らず片づける。もまあほどほどにしとけ。目えつけてるのがあるやつもいるだろうが、生け捕りにしようなんてこた思うな。ぜんぶ終わって、まだ動いてたら儲けもんと思え。そんだけは忘れんじゃねえぞ、わかったな?」


「はい」


 部隊を半々に分け、斥候により捕捉された敵を端から挟撃――殲滅戦のセオリーにはかなっているのだろう。鍵となる副部隊をアイネが指揮するのも、至って冷静な周りの反応を見れば順当なのだということがわかる。


 ただその役が俺たち二人にではなく、あくまで彼女一人に与えられたものであることは確かだ。今夜の作戦において俺が果たすべき役割は、間違っても分隊長としてのアイネの補佐ではない。


 ――その指示はまだ下されていない。今夜の作戦のである俺に与えられるべき指示。さっきのオズの話ではないが、誰もが固唾を呑んでその指示を待っているのがわかる。


 そんな空気をどう思ってか、DJは勿体顔もったいがおでしばらく窓の外を眺めたあと、思い出したようにこちらに向き直った。そして、その視線を真っ直ぐ俺に向けて言った。


「――で、ハイジ」


「はい」


「例のやつらが現れたらハイジは別働。やることは言わなくてもわかるな?」


「はい」


「それまではアイネと行動しろ。黒い服が目に入ったらヨーイドンだ。誰から連絡がいくかわからねえ。携帯から気い逸らすんじゃねえぞ。いいな?」


「はい」


 予想していた通りの命令に歯切れ良く返事を返した。隣でアイネがわずかに身を竦ませるのを感じたが、俺としてはその指示に何の異存もなかった。


 何よりシンプルでわかりやすいのがいい。アイネの反応をみるまでもなく、それが命を落としかねない危険な任務だというのはわかる。だがあの夜をくぐり抜けてきた今の俺にとって、生きるか死ぬかなどということはそう大きな問題でもない。


「何だアイネ。言いたいことでもあんのか」


「護衛はつけなくていいの?」


「誰にだ?」


「ハイジに」


「ばーか。そんなことしたら『魔弾の射手』がどこにいるか教えてるようなもんじゃねえか」


「けど何人来るかわからないし、ハイジ一人で全員となんて――」


「全員とれなんて言ってねえだろ。せいぜい死なねえように適当に相手してくれってことだ。がこっちにいるってわかりゃ、連中もいつもみてえに踏みこんじゃ来れねえ」


「……」


「そうなりゃ連中もと大して変わらねえ。ハイジの仕事は足止めと威嚇だ。連中を撃ち殺すことじゃねえ。どうだ、それでもまだ相棒のことが心配でたまらねえか?」


 どこか面倒臭そうなDJの説明に、周囲から軽い笑い声があがった。その笑い声のためか、あるいは納得できたのか、それでアイネは口を閉ざした。代わりに部屋の隅で別の手が挙がった。カラスだった。


「カラス」


「そういう話ですと、我々が『黒衣』と対峙することも想定しなければならないわけですね?」


「そうだ」


「では、有効な攻撃手段を失った場合には?」


「ん?」


「つまりハイジさんが撃ち殺され、『黒衣』がいつも通り我々の弾幕の中をこちらに向かってきた場合には?」


 そう言いながらカラスはちらりと冷たい視線をこちらに向けた。俺の方では自分でもはっきりそれとわかる苦笑で返すしかなかった。


 薄闇の中、カラスの端整な顔がわずかに歪むのがわかった。もっともその表情が、俺の苦笑の理由を正しく理解してのものかまではわからない。


「そんときゃいつも通りだ。連中相手につっぱったって仕方ねえ」


「はい、了解しました」


「ま、その可能性もねえとは言いきれねえ。何せハイジはアイネの相棒やってんだからな」


 そんなDJの台詞に、また出来合できあいの笑いがおこった。思えばこの冗談にも、もうすっかり慣れた。


 いつも通り悔しそうに俯くアイネの隣で、俺は悪びれることなくじっとDJを見据えた。DJはぼんやりとした窓の外を眺めていたが、やがておもむろにこちらを見て、思い出したように「ああ、それとだ」と言った。


「もしオレが死んだら、本隊は第1分隊に合流しろ」


 その一言で、部屋は水を打ったように静まりかえった。


 笑っていた男たちは口を開けたまま、信じられないことを耳にしたように固まっている。そんな彼らの表情が――薄闇の中に動きを止めた部屋の空気が、そのDJの言葉が極めて異例なものであることを物語っていた。


 寂として声も出ない仲間たちを前に、何でもないことを話すようにDJは更に続けた。


「万が一、ってことだ。『魔弾の射手』は分隊に預けた。それに先生のクスリは品切れだ。連中の出方によっちゃオレも無事で済むとは言いきれねえ」


 時間の止まった部屋に、いつもと変わらないDJの声が淡々と流れた。そこに至って、DJの口から出る言葉の何が彼らに衝撃を与えているのか、それがようやく俺にも理解できた。


 司令官がその任務を遂行できなくなった場合、その権限がどこに委譲されるべきか――戦場ではごく当たり前に違いないその問題を、おそらく彼らはいま初めて突きつけられたのだ。


「あともうひとつ。連中が出てきたらオレを助けようとするな」


 周囲から小さなざわめきが起こり、だがすぐに静まった。そのざわめきの理由、そしてそれがすぐに静まった理由も、何となく理解できた。


 詳しい事情など、もちろん俺には知るよしもない。だが今夜のこの場に限ってDJはいつもと違うことを言っている……それがわかった。


「そうだな、オレが身体のどこかを撃たれたら見捨てろ。そうなったら分隊長――つまり、アイネに従え。そこから先はアイネがこの部隊の指揮を執る。いいな? そんときゃオマエら――」


「できない」


 隣で絞り出すような声が響いた。アイネの声だった。


 両手を固く握りしめ、俯きわずかに背を丸めてその一言を告げる――目を向けなくてもそんな彼女の姿がはっきりと浮かんだ。


 同じ声でもう一度、「できない」とアイネは言った。その言葉に、DJの声が続いた。


「命令は以上だ」


 平然とした口調でそれだけ言って、DJは口を閉ざした。饐えた草の臭いの残る薄暗がりの中に、誰もが呆然と立ち尽くしているのを感じた。


「他に何かあるか?」


 というDJの声が虚しく響いた。それに誰も応えないことを確認したあと、DJは何も言わずそのまま部屋を出ていこうとする。


「隊長!」


 アイネの叫びに返事を返すことなく、DJの背中は通路の暗がりに消えた。やがて部屋の中で固まっていた男たちが一人、また一人とその後を追い、外へ出てゆく。


 そこで初めて、俺は隣に目を向けた。全身を強ばらせ、俯き唇を噛みしめる、思い浮かべた通りの彼女の姿がそこにあった。

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