073 隠された小部屋(2)

「それで、実際にその目で『庭』を覗いてきた感想は?」


「まだ信じられない、ってのが率直なとこになるんだろうね。天国を散歩してきたような気分だ」


「珍しいこともあるものだな。君がそんな抽象的な感情を口に出すとは」


「口に出したくもなるさ。この世界に生まれ落ちて最大の衝撃だったよ。誇張でも何でもなくね」


「どの程度との感覚的な違いが?」


。感覚的な違いは一切認められなかった」


「……」


「思い出して震えが来たよ。五感から自律神経から、毛ほどの違和感もなかった。こことは別にもうひとつの世界ができちまった。それ以外に表現のしようがない」


「……君がそう言うなら、実際にそうなのだろう」


「ああそうさ。実際にその通りさ」


三ツ子トリニティの類感性か。まさかそんな途方もない応用が可能だったとはな」


「その前のこと忘れてないかい? まず発想ありきだよ。人の身体に穴あけるしか能がなかった現象を新世界の構築にまで結びつけた。他の誰にそんな発想ができる? あいつは本物の天才だ」


「もうひとつの世界、か」


「あんたも見たいかい?」


「それほどでもないよ。私の興味は具体的な現象を確認することではなく、それを客観的に把握することにあるのだから」


「やれやれ、マリオ博士におかれましては相変わらずロマンチストでありますことで」


「それは感傷とは別のものだ。何度言えば理解してもらえるのだろうかな」


「……正直、あたしは恐ろしい。もう一度あそこを覗いてみたいという気持ちと、もう二度と覗きたくないという気持ちが半々だ」


「そのもうひとつの世界を構築することが彼の目的だったのだろうか」


「だとしても充分に歴史的偉業さ。けどあたしの感じからすると、どうやらそうでもなさそうだ」


「というと?」


「おそらく通過点でしかない。と言うよりあいつにとって、何か別の目的を成し遂げるための道具でしかない。もちろん詳しく聞いたわけじゃないが、どうもそんな気がするんだよ」


「その道具をもって彼は、我々を引き連れどこへ向かおうとしているのだ?」


「わからないよ。ただそこが楽園じゃないことだけは確かだ」


「それにしてはずいぶんと楽しそうに見えるが」


「当然だろ。地獄の果てまでついてってやろうじゃないか。こんな刺激的な未開の森が、他にこの世界のどこに残されてるってんだよ」


 興奮気味に捲し立てるキリコさんを前に、男は困ったように肩をすくめる。そこでまた時系列がふたつに分離し、一方の時間が停止するとともにもう一方の時間が加速する。次に歯車が噛み合ったとき、二人は示し合わせたように真向かいに対峙する。そこで彼らの顔にお互いひどく似通った、疑問と困惑を混ぜ合わせたような表情が浮かぶ。


「仕方がないよ、キリコ。本部の命令に逆らうことはできない」


「……」


「有用な技術が軍事的に利用されないことはありえない。歴史がそれを証明していることは君にもわかるだろう」


「……ああわかってるよ。そんなことはね」


「ここでの研究がそれだけ認められたということだ。現に巨額の予算が――」


「そんなことのためにやってきたんじゃないだろ!」


「もちろんだよ……もちろんだとも、キリコ。我々がやってきたのはそんなことのためではない。だが――」


「だがも何もあるか! あたしは絶対に認めないよ! これまでやってきた成果がそんなくだらないことのために!」


「ならば聞くが、君はここまで本部が何のために資金を投下してきたと思う?」


「そんなことはわかってるって言ってんだろ! ああそうともさ! 遅かれ早かれこうなることはわかってたよ! あたしが言ってるのはそんなことじゃない! なぜ赫々かくかくたる『庭』の成果を無視して最初からわかってたようなもんに利用価値が認められたかってことさ!」


「『媒体』により充分な戦闘力を示すことが明らかになったのはごく最近だろう」


「ああそうだ。ならその新事実を本部のお偉方に知らしめたのはいったい誰なんだろうね?」


「……」


「外界との通信が完全に遮断された中にあって報告書を書いてんのはあたしだ。それをあいつがチェックして直接あんたに渡す。そのあとはどうなるんだっけねえ?」


「……私が本部に漏らしたとでも言いたいのか」


「さあね。ただあたしは客観的な事実を述べただけさ!」


「確かに報告書を本部に届けるのは私の管轄だ。君が疑うのも無理はない」


「……」


「だが誓って言う。私は我々の成果を売るような真似は断じてしていない」


「……どうだっていいよ。戦犯が誰だろうが」


「……」


「問題はこの先、あたしたちがそんなくだらないことのためにここでの研究を進めなきゃいけないってことだ」


「……そうだな」


「こうなってみるとお隣にがあるのも最初から考慮に入ってたとしか思えないね」


「亡国の遺産か。確かにある程度の広さと構造物を備えた『試験場』を想定するなら、あそこしかない」


「人体実験もこれまでのように平和なものじゃなくなるね。本格的に倫理のが外れた鬼畜の所行になるわけだ」


「……ああ」


「……いや、いいよ。そんなことはどうでもいいんだ。今さら罪の意識に苛まれたりするもんか。地獄に堕ちろってんなら、どこまででも堕ちてやるよ。その覚悟はとっくにできてる」


「……」


「ただあたしは残念でならない。そんなことでここまでの研究が頓挫するかと思うと、ただひたすらに残念だ。新しい時代の扉が開こうとしていたんだ。それを戦争なんてくだらないもののためにむざむざ!」


「わかる、よくわかるよキリコ。信じてもらえないかも知れないが、私もまったく同じ思いだ」


 会話は途切れ、沈痛な面持ちで二人はその動きを止める。時間の経過があって、やがてまた二人は元通り動き始める。だが彼らの顔に貼りついた表情は変わらない。深く沈みこんだ顔つきのまま、打ちひしがれたように二人は重苦しいその会話を再開する。


「あきらかに時期尚早だ」


「……」


「なぜ今なのだ。今それを実行に移すことに何の意味がある」


「……本部の命令だ。仕方ないだろ」


「なぜこの段階で本部がそんな判断をくだしたのか、私にはわからない」


「さあね。実戦で使い物になるか見てみたいんじゃないのかい? 今後もカネ落とすだけの価値はあるのか、ってね」


「馬鹿な。そんなことをすれば計画は一からの修正を余儀なくされる」


「計画?」


「……」


「計画って何さ?」


「……私が掴んでいた本部の計画だ」


「どんな計画なんだい、それは」


「……もう隠す意味もない。この研究所における研究の成果を軍事利用する上での具体的な計画だよ」


「だから、それはどういう――」


「『黙示計画』。本部ではそう呼ばれていた」


「……」


「人間とまったく区別がつかない兵器の存在を有力国の情報筋に察知せしめ、暗黙のうちに認知させるという示威行為だ」


「……何なんだい、それは。何だってこれまでひた隠しにしてきたものをわざわざ公開しなきゃならないんだ」


「必要だからだ。『黙示計画』の実行と同時にシステムは実働を開始する。ここでの研究はすべてその原理に基づいていた」


「馬鹿言わないでおくれ。あたしらは最初からそのために研究してたってのかい?」


「その通りだ」


「そんなはずがあるもんか! なら『庭』は!? あれはいったい何のために!?」


「時間を要することなく三ツ子トリニティの精神と知能を成長させるための手段だ」


「……」


「ホルモンと遺伝操作により肉体の成長を早めても精神的発育は同様にはいかない。通常の市民として成長し、一般的な価値観を植えつける。そのために『庭』は必要だったのだ」


「……そんなはずがあるもんか」


「我々の行ってきた実験と照らし合わせてみてはどうかな?」


「……」


「個体の量産。『庭』での。そこで得た人格を抑圧しての『試験場』への投入。その一連の工程に疑問を感じたことはなかったかな?」


「……感じてたよ。なぜなんだい?」


「平和な都市の中にためには、通常の市民としての一般的な価値観が不可欠だからだ」


「……」


「計画ではここから、表層意識における人格と意識下における人格とを、所定のきっかけで入れ替える実験が行われることになっていた」


「……」


「我々がここまで行ってきた研究に比べれば赤子の手をひねるようなものだ。それをもって必要な材料はすべて揃い『黙示計画』は実行に移される。そのはずだった」


「……」


「『庭』において一般的な価値観を生育させる。それを意識下に抑圧し、『試験場』において戦闘と略奪しか知らない人格を表層意識に育む。そしてそのふたつを入れ替え、普遍的な市民として任意の都市に埋めこむ」


「……」


「それを裏返すためのきっかけがとなる。知っての通り彼らに武器は必要ない。子供が握る玩具の銃……いや銃らしく見えるものがあればそれで足りるのだ。砂浜にまぎれた砂の一粒のように、彼らを表面的に区別することは不可能に近い」


「……」


「核がその強大さゆえに使えない兵器になり下がったことは周知の事実だ。いざとなれば押すことができるボタンを世界中が渇望していたのだ。外向的な駆け引き。狭域的な発動による内戦の誘導。その利用価値は無限だ。三ツ子トリニティは思想をも宗教をも超えた新規かつ使い勝手のいい兵器となる。そのはずだった」


「……わかったからもうやめとくれ」


「だが、まだその段階ではない。明らかに早すぎる。少なくとも秘密裏に相当数の個体を各地に埋めこんでからでなければシステムの実働はかなわないのだ。今、計画を実行に移せば示威にならないばかりか、いたずらに三ツ子トリニティのなんたるかを漏洩することになりかねない。それがなぜ今……」


「……あいつが最初からそんなのを目指してたって言うのかい?」


「そうとしか考えられまい」


「そんなはずない……そんなはずがあるもんか」


「……」


「……だいたいあいつがいけないんだよ。あいつが」


「……」


「そうだよ、何もかもあいつがいけないんだ。あいつが首を横に振れば本部の連中だって黙るのに」


 ぐったりとパイプ椅子に腰かけ、力なく俯いたままキリコさんは動かない。そんな彼女を気遣うように項垂れ、だがどこか醒めた冷淡な顔つきで男もまた動かない。もう見慣れた時間だけが流れる情景。やがて早送りをやめた時間の中に、二人はゆっくりと頭をあげる。


「帰還兵の『試験場』への再投入は明日か」


「さあ、どうだったかね」


「監査は君だろう。充分なは済ませたのだろうな」


「徹底的によ。真っさらにして『庭』で再教育さ。まあいっそのこと残しといてやろうかとも思ったけどね。民族自決の精神に基づく光栄ある革命思想なんだし」


「衆目に晒した彼を再び『試験場』に戻すことがどれほど危険なことかわかっているのだろうな?」


「あたしに聞かれても困るよ。あんたも知っての通り、ぜんぶあいつの指示でやってることさ」


「彼が何を考えているのか、私には理解できない」


「それこそあたしの知ったことじゃない」


「我々にはもっとわからない。曲がりなりにも接触があるのは君だけなのだからな。彼は今どうしている?」


「最近はもっぱら三ツ子にご執心だよ。男のと女の一組ずつ。分割した細胞をみっつとも育てあげる冒険的な試みさ。これが成功すりゃ晴れてプロトタイプの悪夢も払拭できるってもんだね」


「……そうか」


「あ、そういや男の方であんたが前言ってた入れ替えの実験やってるみたいだよ? 表層意識と意識下のそれをとっかえるってやつをさ」


「もうそんな研究に意味はない」


「例の計画とやらのために必要なんじゃなかったのかい?」


「正直に言おう、計画は終焉に向かっている。その破綻はもう避けられない見通しとなった」


「へえ、そうなのかい」


「一連の示威行為により各国の情報機関は三ツ子トリニティの存在を認知した。そして目下、躍起になってそのを探っている」


「……もくろみ通りじゃないか」


「とりわけ西側は本気だ。ほとんど総力をあげて調査にかかっている。ここがいつまでもその目から逃れられるとも思えない。緊急に思い切った対策を講じる必要がある」


「どんな対策があるってんだい?」


「それは……」


「忘れたのかい? あたしたちは悪魔に魂売っちまったんだよ。地獄が口あけて待ってんなら大人しく堕ちようじゃないか」


「……本心でそう言っているのか、キリコ」


「ああそうさ。悪いかい?」


「彼も同じ気持ちでいるのか」


「さあね。あいつの考えなんてあたしの知ったこっちゃないし」


「お願いだ教えてくれ、キリコ。彼に考えがあってのことなら対策も立てようがある」


「だから、知らないって言ってんだろ」


「そんなはずはない。彼と男女の関係にある君なら――」


「もう一回言ってごらん」


「……」


「いいからもう一回言ってごらん」


「……済まなかった」


「下衆の勘ぐりって言うんだよ、そういうのを」


「……」


「女使って取り入ってると思われてたなんてね。道理で最近周りの目が冷たいわけだ」


「……本当に済まなかった」


「あんたのせいじゃないよ、マリオ。どうせ言ってることなんだろ?」


「……」


「どんな噂立てられようと気にしないさ。面と向かって言われたら、そりゃさすがにきついけどね」


「……もう以前のようには話せないのか」


「ん? 何のことだい?」


「もう以前のように、腹を割って話し合うことはできないのか」


「……お互い様だろ。そんなのは」


「失言については謝罪する。噂などではない、私が勝手に思いこんでいたことだ」


「もういいよ。思い出させないでおくれ」


「本当に済まなかった。何と罵られてもいい」


「もういいって――」


「だからお願いだ、キリコ。どうか教えてほしい。いったい彼が何を考えているのか」


「……」


「心からお願いする。我々にはもうどうすることもできない。君だけが頼りなんだ。彼との接触を許されている君だけが」


「……悪いね、マリオ。本当にわからないんだ」


「……キリコ」


「どうすることもできないのはこっちも同じさ。あの男がなに考えてんのか、あたしにもさっぱりわからなくなっちまった」


 そのキリコさんの台詞を最後に二人はまた動きを止める。けれども静止した彼らの周りにもう時間は流れない。完全に止まってしまった時間の中にその映像は徐々に色褪せ、ぼんやりと霞んでゆく。それとともに俺の意識もまた夢に別れを告げ、深い眠りの淵へゆっくりと沈みこんでゆく――

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