282 舞台はもう始まっていた(3)

「だから言っただろ。来たばかりだって。さっきだって悲鳴が聞こえたから駆けつけて、あんたが襲われてたから夢中で引き金ひいただけだ」


 半ばやけ気味に捲し立てる俺を、呆れたような顔のままアイネは見守っている。だがそんな表情の中にあって妙に据わった目は、こちらの腹を探ろうとするときいつも彼女がする目だ。


 いくらでも探ればいい、溜息をついてアイネを眺めながら心の中でそう思った。いくら探ろうとも何も出てくるはずはない。なぜなら今、俺はまったく何の演技もしてはいないのだから――


「今、ここでは八つの部隊が争ってる」


 長い沈黙のあと、前置きもなく唐突にアイネは話しはじめた。


「……違った。『ノッポの部隊』は今日潰したから七つの部隊。『黒衣』っていうのはその中の一つ」


「……なるほど」


「このあいだ新しく現れたのが『蛇の隊』と『鉄騎』。だいぶ前からいるのが『緑目の隊』と『猿の部隊』。のが『国王軍』と『黒衣の隊』、それとわたしたち」


「国王軍?」


 得体の知れない名前の中にひとつだけわかりやすい言葉を聞きつけて思わず問い返した。


「国王軍がどうかしたの?」


「いや……ってことは、ここは王国なのか?」


「王国?」


 今度はアイネの方が問い返してきた。そのあとに「王国って何?」と彼女は続ける。


 ……質問の意味をはかりかねてすぐには返せなかった。だがいつまで経ってもアイネの訝しげな表情は変わらない。


「わかるだろ……国王が治めてる国のことだよ」


「国王って?」


「この国で一番偉いやつのことだ」


「何を言ってるのかわからない。国王なんて聞いたこともない」


「国王軍ってのは、国王が率いる軍隊っていう意味だろ」


「意味? 部隊の名前に意味なんてない」


「……」


「どの部隊の名前もわたしたちが勝手にそう呼んでるだけ。識別するのに必要だから。部隊の名前にどんな意味があるかなんて考えたこともない」


「……そうか」


 腑に落ちないところはあったが、だいたいのところはわかった。つまりはアイネの部隊内での通称ということだ。おおかた『緑目の隊』は全員目が緑で、『猿の隊』は猿のようにすばしこいのだろう。


「『黒衣の隊』だけは、他の部隊と違うの」


「どういうこと?」


「人数が少なくて、いつも一人か二人で現れる。でも遭遇したら逃げるしかない。戦っても無駄だから」


「……」


「撃ってもたおせないの。ちゃんと狙って撃っても絶対に。『黒衣』が撃ち殺されるのを見たの、さっきがはじめて」


「……」


「『ノッポの隊』と決着つけたあと、引きあげるで襲撃されたの。逃げたんだけど捕まって、もちろん撃っても斃せなくて……」


 そう言ってアイネはあのときの表情を顔にのぼらせた。路地裏で見せた、不安と恐怖が入り交じったような表情――だがその表情をふっと消し、伏し目がちに照れたような表情で、「ごめんなさい」と言った。


「ありがとう。お礼も言わないで疑うようなことばかり言って。この借りはいつかちゃんと返すから」


「ああ……別にいいよ。そんなのは」


 手を振って無造作に答えながら、ようやくアイネから出たその言葉に嬉しさを覚えた。お礼を言われたことではない、気持ちが通じたことが嬉しかった。彼女は確かに俺の知っているアイネに間違いない。それが何より俺の心を慰めてくれた。


 引っかかっていた謎の方も解けた。アイネの話を総合するに、俺が最初にそういうものだと理解したルール――モデルガンで人間を撃ち殺せるという枠組み自体はやはりそういうことのようだ。


 ただそのルールの中に更に細かいサブルールとして、『黒衣の隊』の人間だけは斃せないという例外があり、それを俺が平然と破ってみせたことにアイネは疑問を抱いたということだ。


「何で斃せたんだろうな。そんなやつら」


「……自分でもわからないの?」


「わからない。だいたい、そいつらが斃せないってことさえ知らなかったんだからな」


「……」


「ああ、ひょっとして知らなかったからか」


「……どういうこと?」


「その『黒衣の隊』のやつを斃せないってこと、俺は知らなかった。だから斃せたのかも知れない」


「……そんなんで斃せたら苦労しない」


 憮然としてそう言うアイネを見て、思わず笑いそうになるのをこらえた。その顔は俺のよく知っている、理不尽なことを言われたときのアイネの顔そのものだったから。


 まったく、わからないことだらけだった。なぜモデルガンで人が撃ち殺せるかもわからなければ、アイネたちには斃せない敵を俺が斃せた理由もわからない。けれども目の前に座るアイネにもう一度目を遣って、そのあたりはどうでもいいことだと思い直した。


 考えてすぐ答えが出ることだとも思えない。第一、いずれにしてもそれでアイネを救えたのだということを思えば、なぜそうなったのかはたいした問題でもない……。


「見せて」


「ん?」


「もう一度、それ見せて」


 そう言って手を差し出すアイネに向け俺はまた銃を滑らせた。アイネは銃を拾い上げると今度はそれを俺に向けることなく、逆さにしたり、マガジンを外してみたりと忙しい。まるで玩具を与えられた子供のようだ。壁に背もたれて座ったまま、そんなアイネの姿を俺はしばらく眺めた。


「……う」


 不意に引きずりこまれるような眠気を覚えた。二日ばかり徹夜したあと、ふと気を抜いた瞬間に感じるような激しい眠気だった。……今は何時頃なのだろう? 深夜なのだろうか、あるいはもう夜明けが近いのだろうか……。


「ん……」


 一瞬、落ちかけた。このままでは本当に眠ってしまう……。会話でもしていれば別なのだろうが、ちょうど話にも区切りがついたところだ。このまま眠ってしまうのは色々と良くない気がする。だが、眠い……。


「――ねえ」


 微睡みに落ちようとしていたところにアイネの声がかかり、にわかに目が覚めた。「それなら、どうするの?」とアイネは続けた。


「どうする……って言うと?」


「ずっと一人でいるの? ここに」


「ずっとも何もない。ここには来たばかりだって言ってるだろ」


「そうじゃない。これからのこと」


「え?」


「これからここで、ずっと一人でやっていくのかってこと」


「……」


 すぐには答えられなかった。そのことはまるきり頭になかった。だが考えてみればそれは否応なく向き合わなければならない問題ではある。幾つもの軍隊が互いに争っているというこの廃墟に一人、これから俺はどうやって生き延びればいい……?


「……考えてもみなかった」


「……」


「でもたぶん、一人ではやっていけない」


「なら、わたしたちの部隊に来る?」


 弾かれたようにアイネを見た。平然とした表情でもう一度、「わたしたちの部隊に入る?」とアイネは言った。


「……そんなことができるのか?」


「わたしが口を利けば。今日ちょうど欠員が出たところだし、『黒衣』を斃せる人間なら皆もほしがる。それに――」


 そこでアイネは真っ向から俺を見た。真摯な表情をつくり、言った。


「それにあなたの言うその場所で、わたしたちは仲間だったんでしょ?」


「……わかった。あんたの部隊に厄介になる。よろしく」


 ――なるほど無理のない立ちあがりだと思った。最初は素のままの演技でよく、そのうち否応なく演技をはじめる……隊長の言っていた言葉の意味が理解できた。どういう絡繰りかはわからないが、どう演じるべきかはわかった。今はただ、それさえわかればいい。


「部隊には何人?」


「二十六……今日一人減ったから二十五人」


「俺が入れば二十六人に戻るな」


「うん」


「部隊の名前は?」


「DJの部隊」


「DJ……?」


「他の部隊は、わたしたちをそう呼んでる」


「ひょっとして……DJって名前のやつがいるのか?」


「うん。隊長の名前」


「……DJか」


 まさかとは思うが……あるいはそうなのかも知れない。あいつがこの舞台に立っているということなら、それは不自然な話ではない。しかし、それにしても……。


「そうか……DJか」


 もう一回その名前を口にして、はじまったばかりのこの舞台に俄然興味がわいてくるのを感じた。


 あいつと一緒に舞台をつくったことは何度もあるが、同じ舞台に立ったことは一度もない。役者としてのDJなど想像もしなかったし、同じ舞台に立つ日が来るとは夢にも思わなかった。それが、今ここに実現するかも知れない……。


「けど、その名前はもう忘れて」


「え?」


「DJって名前。……今のうちに言っておくけど、隊長のこと絶対にその名前で呼ばないで」


「どうして?」


「撃ち殺されるから。隊長はその名前で呼ばれること、死ぬほど嫌ってるの。だから撃ち殺される。あなただけじゃなくて、教えたわたしまで」


 目を逸らし俯くアイネの顔には、はっきりそれとわかる恐怖の色が浮かんでいた。


 ……どうやらその人間は俺の知っているDJではなく、その部隊というのもヒステリカのような和気藹々とした場所ではなさそうだ。浮ついていた気持ちに冷水を浴びせられた思いで、「わかった」と俺は小さく呟いた。


「でも、じゃあ何て呼べばいいんだ?」


「誰のこと?」


「その隊長って人のこと」


「隊長」


「ああ……なるほど」


 ふと、俺が昨日までそう呼んでいた人の顔が脳裏に浮かんだ。


 そのDJという名前の隊長は、あるいはなのかも知れない。隊長は俺たちが入る前のヒステリカでは役者をやっていたということだし、そっちの方がよほど自然ではある。


 だがそうなるとなぜ隊長がこともあろうにDJを名乗っているのか、今度はそっちがわからなくなってくる……。


「まあ、会ってみればわかるさ」


 声には出さず、口の中でそう独り言ちた。そう、実際に会ってみればわかる。ともあれ物語の筋は決まったのだ。その筋に従って、俺はただ練習してきた通り臨機応変に演じればいい……。


「……ん」


 そう思って安心したのか、先ほどの激しい眠気が舞い戻ってきた。……話すのを止めると駄目のようだ。だが今度は話していてもこの眠気に抗しきれないかも知れない……。


「どうしたの?」


「……眠い」


「まだこんな時間なのに?」


「……こんな時間ってどんな時間だよ」


 ずり落ちてくる瞼を押しあげて振り仰いだ。藍色の天球に星々は消えかけ、その裾野にはぼんやりとした朱鷺色の帯が広がっていた。黎明――


「だって、夜明けもまだなのに」


「……」


 ……どうやら時間の常識が違っているようだ。ここに来たばかりの俺は異邦人で、身に覚えのない旅路のは、えがたい力で俺を眠りに引きずりこもうとしている。今は、ただ眠い……。


「……駄目だ。眠い」


「いいよ。眠っても」


「……本当に?」


「うん。わたしは起きてるし、ここには誰も来ない。今日の戦いはもう終わったから」


「……そうか」


 どういう意味かはわからなかった。ただそのアイネの言葉は妙にしっくりと心に馴染んだ。……今日の戦いはもう終わった。今はただ、明日の戦いに備えて眠りたい……。


「――まだ起きてる?」


 眠りに落ちる寸前、アイネの声が聞こえた。膝をかかえ瞼を閉じたまま返事をした。


「……まだ起きてる」


「眠る前に教えて」


「……質問が多い」


「あとひとつだけだから」


「……わかった。何?」


「あなたの名前は?」


 眠りに落ちようとする耳に、はっきりとその質問は届いた。どんなに難しい質問かと思えば、何だそれは……。そんな質問、眠っていたって答えられる……。


「あなたの名前は?」


 何度も聞かなくてもいい……。そんな質問にはすぐ答えられる……。微睡みの砂をまかれ、動きを止めようとする意識を叱咤して、ぎりぎりでどうにかその答えを口にした。


「……ハイジ」


「ハイジ?」


「そう、俺の名前はハイジ――」

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