332 巡礼者のキャラバン(13)

「ああ、降ってくる。そしてここは滅びる。だからその前に、俺たちはここを出なければならない」


「水が降ってくるならよ、そいつを飲みゃいいじゃねえか!」


 ユビナシが堪らずといった感じで声をあげた。男たちの目が一斉に声のした方へ集まる。だがユビナシはそんなことは気にも留めず、なおも興奮した様子でまくし立てた。


「水が降ってくるんだろ!? 空から降ってくるってんだろ!? だったらどこへ行く必要もねえじゃねえか! その降ってくる水を飲みゃいいじゃねえか!」


「食糧はどうするんだ?」


「そいつは……」


「それに、雨だっていつまでも降り続けるわけじゃない。せいぜい一日かそこらだ。そうしたらここはまた乾ききった場所に逆戻りだ。何の解決にもならないだろ」


「そうは言ったってよ、水だって食糧だってまだしこたまあるじゃねえか! 荒野を越えるなんて大それたこと考えんのはそれがなくなっちまってからでもいいんじゃねえのか!?」


「荒野を越えるのにいったい何日かかるかわかってるのか? その間、俺たちが飲まず食わずでいられるとでも? だいたいなくなっちまってからじゃ遅いってことくらい少し考えればわかるだろ! 水と食糧がなくなって、俺たちが何日生きられると思ってるんだ!」


 感情的になってまくしたてるユビナシに触発されたように、自分の語気がつい荒くなるのを感じた。


 ただ、そうなったのは一人ユビナシのせいばかりではない。オーエンにエンゾ、それにオズ。俺に投げかけてくる言葉は違っても、を試みているという点において彼らの論調は一致していた。


 彼らは俺の話を信じないわけではない。信じようとしながら、この廃墟を離れることについては及び腰になっている。その事実が、俺の胸を激しく波立たせた。


 ……俺の話が信じられないのならわかる。だが、信じるけれどここから出たくないというのはどういうことだろう。それが、俺にはわからない。


 彼らの生死に関わる問題なのだ。ここが滅びて死ななければならないのは彼らなのだ。……それを他人事のように適当な理由をつけては決定的な局面から目を背けようとする彼らの態度が理解できなかった。


 広間の暗闇には寂として声もない。彼らが何を思って口を閉ざしているのか、俺にはわからない。


 そんな俺の声なき問いに答えるように、ラビットがおずおずと口を開いた。


「なあハイジよ、ちっと急すぎやしねか?」


「……」


「おれは前から聞いてたからよ、おめの言うこたわかる。ああわかるともよ。けどな、初めて聞くやつらはそういうふうにもいかね。おめの言うこと、そう簡単には受け入れらんねだろ」


「……」


「考えてもみろ。おれらはここしか知らね。それがいきなりここが滅びる、荒野の外に行くなんて言われてもよ。……なあハイジ、おめのことを信じねえわけじゃね。ただ、もすこし時間かけてだな」


「――時間がないんだ」


「え?」


「その時間がもうないんだ! 今すぐ動かないと間に合わなくなっちまうんだよ!」


 煮え切らないラビットの物言いに、強い調子で俺はそう返していた。


 ラビットの言いたいことはわかった。それが新たに就任した隊長としての俺を気遣ってかけられた言葉であることも。


 だが、そんなラビットの態度にさえ俺は憤りを覚えずにはいられなかった。あれほど熱心に俺の話を聞いてくれていたラビットでさえこの廃墟を脱出することをいとい、問題をはぐらかそうとする……それがわかったからだ。


 俺の反応にラビットは一瞬驚いたような表情を見せ、だがすぐに気まずそうな笑みを浮かべた。そして熱くなった俺を宥めようとでもするかのような猫撫で声で、卑屈な感じのする愛想笑いさえ交えながら話を続けた。


「そう熱くなんな。おれは色々聞いてっからおめとみなの間、取り持ってやろと思ってんじゃねか。まずはおれたちにしてくれたみてに、おめの話をみなに聞かせてやれ。話はそこからだ」


「……さっきも言っただろ。そんな悠長なことしてる時間はないんだ」


「けどもよ、こんなことしてても埒が明かねだろ。おめがいくら気張って話したって、みな置いてけぼりだ。誰もついてけてねえ」


「……」


「つかハイジ、そもそもおめの話が本当ならよ、なにも荒野なんて越えていかなくてもいいんじゃねのか?」


「……なんでだ」


「だってほらよ、死んだらそこ行けるて話だったじゃねか。だったら何も命かけてまでそんな危ねえことしなくたって――」


「その場所に行けるのは最後まで生きようと足掻いて死んでいったやつだけだ!」


 気がつけば、俺は思わず大声で叫んでいた。


 信じる信じないの話ではない、こいつらはただ今の生活を変えるのが嫌なのだ。はっきりとそれがわかって、俺の苛立ちは頂点に達した。


 壮大なプロットを現実のものとするために必要不可欠な『預言者』の演技。その演技の鍵となる今日この場での俺の一挙手一投足――けれども一瞬、俺はそのすべてを忘れ、噴き上がるような苛立ちの中に感情の手綱を手放した。


「さっきから聞いてりゃなんだ! 死ぬのはおまえらなんだぞ! それをぐだぐだとここ離れずに済む言い訳ばっか並べやがって! おまえらそんなに死にてえのかよ! そんなに乾涸びて木乃伊ミイラになっちまいてえのかよ!


「いま俺がどんな思いでこんなはなししてるのかわかるか!? 信じてもらえっこないって半分諦めながらそれでもおまえらに話さずにいられないわけがわかるか!? 俺がそうしなかったらおまえらみんな乾涸びちまうからだろうが! カラスも、オズも、オーエンも、ラビットも! みんな揃って木乃伊ミイラになっちまうからだろうが!


「おまえらに死んでほしくないんだよ! ほんの何日か一緒にやってきただけだけど、おまえらをそんな風に死なせたくないんだよ! 戦闘で死ぬなら仕方ない! けど水も食糧もなくなって苦しみながら死んでゆくおまえらを見るのは嫌なんだよ!


「信じるか信じないかだ! おまえらにできるのはそのどっちかはっきりさせることだけだ! そうだろ!? 俺の言うことが本当なら遅かれ早かれおまえらみんなくたばっちまうんだ! 飢えて渇いて乾涸びて、みんな揃って木乃伊ミイラになっちまうんだ!


「おまえら全員この話を信じられないってんなら俺は今すぐ隊長をやめてここを出て行く! けど少しでも、ほんの少しでも俺の言うこと信じられるってやつがいるなら、俺は隊長としてそいつを死なせないために何でもする! だから今ここではっきりさせろ! 俺の言うことが信じられるか!? 信じられないのか!? それをはっきりと言葉にしろ!」


「――僕は信じられません」


 叩きつけるような俺の独白に応え、真っ先に口を開いたのはカラスだった。


 煮えたぎっていた感情が急速にクールダウンしてゆくのを感じながら、俺は内心、カラスの反応をありがたいものに感じた。信じるか信じないか、そんな俺の問いかけにカラスは疑う余地のないストレートな返答を返してくれたのだ。たとえそれが俺が求めたものとは逆の回答であったとしても。


 ただ、カラスが他の面子に先んじて返答の口火を切ったのは、俺の気持ちを慮ってのことでは、もちろんない。その証拠にカラスはちょうど俺がこの広間に遅れて入ってきたときのように尊大な態度で、あたかもこの場にいるすべての者を代弁するかのように考えの表明を続けた。


「まったく聞くにたえない出鱈目な話をよくそこまで並べ立てられたものですね。信じろって言われて誰が信じられると思います? そんな話――」


「俺は信じる」


 カラスの台詞を断ち切るように、その背後から地を這うような声がかかった。ゴライアスだった。


「前に隊長からその話を聞いたとき、俺は信じると決めた。隊長の言うことはぜんぶ信じる。信じてついてゆく」


 ゆっくりと確信に満ちた声でそう言うと、ゴライアスは口を閉ざした。


 カラスは頭半分だけ後ろへ回してゴライアスを一瞥したあと、正面に立つ俺に目を戻した。……いや、正確には俺ではない。俺の後ろに立つアイネに、問い質すようなその視線を向けた。


「……」


 広間に集う男たちの目が一斉にアイネに集まるのがわかった。


 そうして俺は今更のように、これが昨日の夜ここで行われた遣り取りの焼き直しであることに気づいた。カラスが俺に銃口を向け、ゴライアスがその背中に銃を突きつける、さながら悪漢映画ピカレスクのワンシーンにも似た……。


 その昨夜のシーンにおいて、アイネの銃口はやはりカラスに向けられていた。だからここでのアイネの回答は、この場の流れを決める上で極めて重要になる。


 ……ただこの期に及んで俺は、自分が犯してしまった失策に歯噛みする思いだった。


 ここでアイネがゴライアスに賛意を示し、俺の言うことを信じると表明する――そんなことをしたところで何にもならないということに気づいたのだ。


 ゴライアスが無条件に俺の側に立つことは予想できた。だからそうなった場合に備え、まだ迷っている面子の気持ちを俺の方へ向けさせるために、しかるべき台詞をアイネに言ってもらうよう予め仕組んでおくべきだったのだ。

 

 ここでいきなりそれをアイネに考えろというのは無理な注文だ。……と言うより、この局面について俺はアイネとまったく摺り合わせをしていない。最悪、カラスに与するような答え――俺の言うことなど信じられないという返事が返ってくる可能性さえある。


 万事休すか……そう思って諦めかけた俺の耳に、想像もしなかったアイネの台詞が飛び込んできたのはそのときだった。


「……わたしは、降ったら信じる」


 そう言って、アイネは一呼吸置いた。それから低く押し殺した声で自分に言い聞かせるように訥々とその回答を続けた。


「今はまだ信じられない。けど、本当に水が降ったら信じる。ハイジの言う通り空から水が降ってきたら、そのときはハイジの言うことをぜんぶ信じる」


「オレもだ! オレも水が降ってきたら信じる!」


 アイネが言い終わらないうちに、エンゾが雄叫びのような声をあげた。間髪入れず我も我もと、アイネに追従する意見の表明が続く。


 ……予想外の展開に、俺はしばらく呆然とその遣り取りを眺めていた。けれどもメンバーからの答えが出尽くし、議論の大勢が決したところで、自分の斜め後ろに立つ女への信頼と尊敬の念が、ふつふつと胸の奥に湧き起こってくるのを感じた。


 やっぱり俺はアイネがいないと駄目だ。改めてそう思った。


 キリコさんがくれた雨の予言とこの問題をリンクさせる――そのアプローチの延長線上にあって、俺でさえはっきりと導き出すことができなかった最適解はこれだったのだ。


『雨が降ったらぜんぶ信じる』


 アイネが提言したそのシンプルな基本方針がこの場のコンセンサスを得るに至ったことは、俺にとってまたひとつの賭けが成立したことを意味する。だが、それは決しての悪い賭けではない。なぜならキリコさんの言葉を借りれば雨が降る確率は80パーセントだからだ。


 何よりやるだけのことはやって、あとは天候に任せるというコンセプトが俺の気に入った。この基本方針にのっとって事を進めるのであれば俺もややこしいことを考える必要はなく、計画を実行に移すための作業に専念できる。


 現時点で考え得るベストの流れ――伸るか反るかのこの即興劇をその流れに乗せたのは、間違いなくアイネの台詞だった。ジープの鍵の件に続いて、ここでも俺はアイネに助けられた。……正直、惚れ直したと言っていい。そんな思いが、俺の内側をあたたかく満たしていた。


 他の仲間たちの手前、今ここで後ろを振り返るようなことはしない。だからアイネがどんな顔でこの情景を見つめているのか、俺にはわからない。


 ただ、今日やるべきことを果たし終えてあの部屋で二人になったら、包み隠さずにこの感謝の気持ちを伝えよう――そう思った。


「どこ行くんだ?」


 最後まで昨夜のそれをなぞるように、何も言わず広間を出て行こうとするカラスを呼び止めた。


「話は済んだように見受けられますが?」


「ああ、話はついた。けど、今日のメインディッシュはここからだ」


「そのメインディッシュという言葉の意味はわかりかねますが、まだ何かすることがあるんですか?」


「『鉄騎』だよ」


「……『鉄騎』?」


「『鉄騎』で荒野を越えるって言ったろ」


 そう言って、俺は周囲を見回した。


 遅れてこの広間に入ってきたときとは違うどこか訝しむような、だがそれ以上に何かを期待するような瞳が、闇のなか鈍い光をもって俺を注視した。


「この人数じゃ一台に乗り切らない。だったら、みんなが『鉄騎』を操れるようにしておかないといけないんじゃないか?」


 こちらを振り返ったままカラスは動かない。俺の発言についてひそひそと囁き合う声が周囲から聞こえ始める。


 そんな彼らに、俺は内心の高ぶりを抑えながらひとつの指示を告げた。


「場所、移すぞ」

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