294 出撃と葬送(7)
「つまり、その『鉄騎』ってのは四人なのか?」
「そう。男が一人に、女が三人。主に戦うのは女で、男はいつも『鉄騎』に乗ってる」
夜の帳が降りた廃墟に風はなかった。それでも頬に触れる大気はつめたく冷え、長袖のジャケットを着ていてさえ肌寒さを覚える。
地平から顔を出したばかりの月と夥しい星の瞬きが、動くもののない道を照らしている。その道を小走りに行くアイネの先導で、どことも知らない今夜の戦場に俺たちは向かっている。
「『鉄騎』に乗ってる? 『鉄騎』ってのは部隊の名前じゃないのか?」
「いつも『鉄騎』に乗って現れるからそう呼んでるだけ」
「で、その『鉄騎』ってのはどんなものなんだ?」
「説明が難しい。見ればすぐにわかる」
ぎりぎり届くか届かないかの声で俺たちは言葉を交わす。ビルを出てすぐのアイネの指示で、靴音もできるだけ立てないように意識している。声を抑えるようには言われなかったが、俺は自然とそうしている。
そうせざるを得ないほど、辺りは静かだった。耳鳴りさえ聞こえてきそうな静寂に充ちた廃墟に、銃声はまだない。そんな喧しい音が耳に届くかすかな気配さえない。
「あと『鉄騎』の女たちは、わたしたちとは全然違う戦い方するから気をつけて」
「違うって、どんな戦い方するんだ?」
「それも説明が難しい。見ればわかるから」
「気をつけようがないだろうが、それじゃ」
あの部屋でDJを前にしていたときの緊張はもうなかった。これから生き死にの場に向かうことへの恐怖も、気負いもなかった。
ただ心地のよい高揚だけがあった。ルードに吸わされた気付けの効果は、まだ充分に残っているようだ。乾いた土の匂いさえこれまでとは違う。この静寂に音が紛れたならば、たとえそれがどんな遠くの、どんな小さな音でも聞き逃しはしない。
「それから、あいつって誰だ?」
「あいつ?」
「D……じゃなくて、隊長が言ってたやつ。そいつがいたら諦めろ、って」
「三人の女の中で一番、手強い相手」
「だから、どんなやつよ? そいつ」
「笑ってる女」
「笑ってる?」
「そう、三人の中で一人だけ、いつもにやにや笑ってる女」
疲れはなかった。このまま地の果てまでも走り続けられそうな気がした。
だがやがてアイネが歩調を弛め、ピカレスク映画の追跡者よろしくビル壁を背に立ち止まったとき、俺もそれに倣った。
そうして立ち止まって初めて、脚が早くも細かな痙攣をはじめているのを覚え、肉体の疲労が実際にはそう軽いものではないことを知った。
「E-13地点に到達。目標確認されず。指示を待つ、どうぞ」
唐突な声に目を遣ると、アイネは携帯を頬にあて通話をしていた。なんだ携帯か、と一度は目を逸らしかけ、また弾かれたようにアイネを見た。……携帯?
けれども俺が視線を戻したとき、彼女はもう通話をやめ、携帯を折り畳んでポケットにしまうところだった。
「適当にやれ、って」
「え? ああ……隊長?」
「決まってるでしょ。遊撃が指示求めてくるな、って。……苦手なんだけど、そういうの」
それだけ言うとアイネは黙って胸の前に腕組みした。DJから指示が与えられなかったことで次の行動を決めあぐねているのだろう。ただ俺にとってはそんなことよりも、アイネがここで携帯を使ったのがショックだった。
……考えてみればそうだ。昨日あそこで携帯を使えたのなら、今日ここでも使えるに決まっている。そしてここで使えるのなら、組織的な戦闘を実現するためにそれを活用するのは当然すぎるほど当然のことだ。けれども……。
「ハイジ、携帯は?」
……恐れていた質問に思わず身を竦ませた。一応、ジャケットとジーンズのポケットに手を当ててみる。もちろん、ない。あの部屋の袋の中にしっかりと残してきたのだから、あるはずがない。
「……置いてきた」
あのとき、もっとちゃんと考えて準備をしていれば……そんなことを思いつつ、叱られるのを覚悟で返事した。だがアイネは短く「そう」と相づちを打ったあと、もう一度ポケットから携帯を出し、それを俺に差し出した。
「え?」
「持ってて」
「……なんで? アイネに必要だろ」
「必要ないから。今夜は指示なしで動けってことだし、向こうからかかってくることもない」
「……」
「それにわたしとはぐれた場合、アジトに帰れないでしょ。ハイジ一人じゃ」
結局、俺は無言でその携帯を受け取った。ジャケットの胸ポケットに納めて――そういえば、前にもこんなことがあったと思い出した。
思えば袋の中に残してきたあの携帯も、連絡がとれるようにとキリコさんから渡されたものだった。……あれが原因であのあと色々とややこしい事態になった。それが今こうしてアイネから同じように携帯を手渡されたことに、何か奇妙な因縁じみたものを感じずにはいられなかった。
――突然、その銃声は起こった。
反射的に音のした方を見たあと、アイネに目を戻す。触れれば切れるような眼差しを一瞬こちらに向け、彼女は駆け出した。小さくなってゆく黒い影を眺めながらその眼差しの意味に思い当たり、俺は大慌てでそのあとを追った。
銃声がだいぶ近くなってきたところでアイネは走るのをやめ、身をかがめてゆっくりと這うように歩きはじめた。見よう見まねで俺もそれに倣う。
しばらく進んでビルの切れ目が見えたところで、アイネが細い路地に消えた。見失うまいと急いであとを追う。だがその路地の濃い暗闇の中、アイネの姿は動かずにそこにあった。
「しゃがんで」
「え?」
「いいから」
「ああ……」
わけがわからないまま言われた通りしゃがむと、アイネは俺の上に身を乗り出して、顔半分だけ斜めに路地の外に出した。
そのまま動かずにじっと目を凝らしている。銃声が響いているのは彼女の視線の先だった。例によって俺もそれに倣う。
片目の視界の端に垣間見るそこには、青い闇以外何もなかった。飛び交う弾はもちろん、人影のひとつも見えない。引きも切らない銃声だけが、疑いのない戦闘がそこにあるのを物語っていた。
「ラビットたち」
「え?」
「戦ってるのはラビットたち四人。敵は十人以上」
「……見えるのか?」
「まさか。こんなとき冗談言わないで。撃たれるようなとこにいるわけないでしょ、どっちも」
乾いた声で告げられたアイネの言葉を理解するのに時間がかかった。だが理解してみれば、まったくその言葉通りだった。
目視できるということは、イコール狙撃できるということだ。サバイバルゲームでは常識といっていいそんな約束事さえ忘れていた自分に愕然とし、口の中にたまっていたものを飲み下した。
「敵は『猿の部隊』か?」
「たぶん、そう」
「『鉄騎』じゃないんだな?」
「それは確か」
短い会話が途切れ、それきりアイネは口を閉ざした。そのまま動かず、銃声のする方に目と耳を凝らしている。ひとまず静観するということなのだろうか? いずれにしても俺はアイネに従うしかない。
問題の暗闇に意識を集中した。そこに銃弾が飛び交っているのは間違いない。だがどれだけ凝視しても視界には何の動きもない。これでは何も見ていないのと一緒だ。そう思い、わずかに逡巡したあと、俺は思いきって目を閉じた。
「……」
完全になった闇の中に、銃声だけが絶え間なく耳に届いた。連続する掃射の音……単発の音。そんな音をひとつひとつ拾っているうち、俺は頭の裏側にまだあのときのぼんやりとした火が残っているのを感じた。
ルードに吸わされたあの煙草の名残だ。試みにさっきの要領でそれを聴覚にまわしてみる……まわった。あのときと同じように、閉ざされた目の分だけの感覚が耳にまわり、聴覚が研ぎ澄まされてゆくのがわかった。
「……」
果てしなくうち続く銃声。甲高い音。低い音。
そんな音と音との切れ間に、うめき声にも似た悲鳴が混じるのを聞いた。かすかな舌打ちと呪詛のように何かを呟く低い声がそれに続く。昨日、今日と何度も耳にした声……そう、ラビットの声だ。
「ラビットが撃たれたみたい」
「……ああ」
他人事のように告げるアイネにかすかな反感を覚えながら、俺はまた耳を闇に向けた。
右に……左に、めまぐるしくスピーカの位置を変えながら断続する銃声に、消えるか消えないかのラビットの声が混じる。仲間に何かを伝えているのだろう、苦しげな声。苦悶の息づかいさえ聞こえてきそうな声。
あのとき俺をからかった笑顔が歪んで見えた。閉ざされた真っ暗闇の視界のなか音だけを頼りに。だが実際に見るよりもリアルに、鮮明な映像で俺はそれを見た。
……と、そこにまた別の叫び声があがった。
この声もどこかで聞いた覚えがある。この声は確か――
「今度はグレン」
そう、グレンだ。DJに連れられていったあの部屋で死んだ捕虜を探すかたわら、気さくに声をかけてきたスキンヘッドの男。あの男も撃たれた。だがさっきアイネは、戦っているのは「ラビットたち四人」と言った。そのうちの二人が負傷したとなると……。
「まずいんじゃないか? あいつら」
アイネは応えない。俺の真上で、息さえも殺して戦況を窺っている。けれどもそんなものは窺うまでもない。味方の劣勢は火を見るよりも明らかだ。
「まずいだろ。四人のうち二人も負傷したんだぞ」
「違う」
「え?」
「負傷はラビットだけ。グレンはもう死んだ」
ぞくり、と背筋を冷たいものが駆け抜け、俺は目を見開いた。
グレンは死んだ、とアイネは言った。つい四半日前、俺に笑いかけてきたあの男が死んだ。あの真っ暗な闇の中で、たった今、一人の人間が死んだ。
「……」
あまりに無造作で、あまりに重々しい、それは現実だった。
冷水を浴びせられたように、俺はしばし息をつくことさえできなかった。そうしてすぐに、それがここでの唯ひとつの現実であることに気づいた。
戦場で人間が死ぬ――何よりもシンプルでわかりやすい現実だ。その現実をいま初めて本当の意味で理解し、けれども俺はそれを受け止めることができない。ちょうど舞台の上で台詞を忘れたように、真っ白に落ちかけている――
『もしそれができなければどうなるか。君にはわかるはずだ』
頭の中に隊長の声が響き、それにラビットの新しい悲鳴が続いた。
刹那、俺は我に返った。――そうだ、落ちてはならない。俺が今ここで、この舞台の上で落ちることは許されない。
「ラビットが撃たれた。また」
アイネの声には応えずに、俺は考えはじめた。
そう、俺が今ここで落ちることは絶対に許されない。あの闇の中でたった今、一人の男が死んだ。そして今またもう一人の男――ラビットが銃弾を受け死に瀕しているか、そうでなくとも死の危険の真っただ中にいる。
戦場で人間が死ぬ……その現実を受け容れなければならない。その現実を受け容れて、俺は俺の役を演じなければならない。
俺の役……それはいったいどんな役だ?
……わからない。自分に与えられた役がわからない。そう、俺はまだこの舞台における自分の役がわからない。今朝、夢の中で隊長に訴えたように、何度も繰り返したようにせいぜい素のままの演技をすることしかできない。
素のままの演技。……そう、素のままの演技。俺にできる、今のこの場で俺がすべき素のままの演技は――
「行こう」
「え?」
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