056 招かれざる訪問者と終演(1)

「――この辺でいいか」


 少し離れた場所から眺めてそう呟き、だが俺は首を振ってまたを拾い上げた。ここだと少し入口に近すぎる。もちろん入口に近ければ発見される可能性は高くなるが、それだけわざとらしさも強まってしまう。


 侵入者がしばらく部屋の中を見まわし、相棒に向かって「おい、これを見ろ」という展開がベストだ。すぐに発見される位置ではいけない。かといって発見されなければ元も子もない。この仕込みに関してはまず位置決めが何より重要なポイントなのだ。


ジュースの撒き方も考えないとな」


 それもまた重要な問題に違いない。争って指を切り落とされたという状況を考えた場合、周囲に争うだけの広さがなければならない。いや……それとも部屋の隅に追いつめられて必死で突き出した手を斬りつけられた、という感じの方がリアルだろうか? そもそも指一本切られてどれほどの血が出るのだろう。どれだけの血をどんな感じで撒き散らすのが最も演出にかなうのだろう? 


 悩み始めればもう止まらない。なにしろこれは俺たちの身の安全がかかった、伸るか反るかの仕込みなのだ。


「……と言うか、さすがにそろそろ片づけないと」


 夜明けと呼べる時間はもうとっくに過ぎている。大気はまだ夜の涼しさの名残を申し訳ていどに留めているものの、それもじきに消え失せるだろう。


 今日の早ければ昼前にその招かれざる訪問者は来る、とウルスラは言った。昼前といっても時間には幅があるが、今も昼前であることに間違いない。つまり、その招かれざる客がすぐに来てもおかしくないということだ。そうとなればいつまでもぐずぐずと悩んではいられない。仕込みの途中で緞帳があがってしまっては、それこそ笑い話にもならない。


「……まあ、こんなもんか」


 結局、現場ゲンバは寝台の脇にした。寝台の窓側の、ちょうど昼頃に陽が射すと思われる場所。血はようやく目につくほどの量を点々と、けれども抜かりなく寝台にも少し飛ばした。過剰演出が逆効果になりかねないことを考えれば、このあたりがぎりぎりといったところだろう。すでに目を凝らさねばわからない褐色の染みとなったそれをしばらく見つめ、これでいいのだと自分を納得させた。


「あとは――」


 あとは客が来る前にここを出て、隣部屋に潜んでいればいい。どこか離れた場所に隠れるという選択肢もあるが、向こうが部屋を虱潰しに来るとすれば見つかる危険は変わらない。それに、罠が隣にある分そこが一番安全な場所のようにも思える。


 幸い隣の部屋は半壊していて身を隠しやすいし、聞き耳を立てていればことの運びを確認できるかも知れない。……多分そちらの方が俺にとっては大きいのだろう。せめてそれくらいはさせてほしいのだ。ウルスラの言っていたことが本当なら、俺はその一幕を最後にこの舞台から退場することになるのだから。


 窓の外に目を向けた。風は吹いていない。荒野は太陽の降り注ぐ音さえ聞こえてくるような静謐の中にある。この分ならたとえ駱駝に乗ってきたとしてもひづめの音で客の到着を知ることができる。それまではこの部屋で待っていればいい。隣の部屋に移るのはそれからでも遅くない。これで準備はすべて調った――


 最後の最後に厄介な一つを残して。


「……で、残るは、だ」


 溜息混じりに呟いて寝台の上を見た。薄汚れた布きれから小さな裸足を突き出す少女の寝姿があった。最後にして最大の問題……それはこいつだ。この先の芝居の成否は他の誰でもない、平和に眠りこけるこいつの出方にかかっている。


「このまま眠っててくれりゃいいんだけどな」


 そんな俺の呟きが聞こえたかのようにペーターは寝返りをうった。昨日のようにずっと眠っていてくれればいい……そうすれば俺一人の口を塞いでいれば済む。何より頭が痛いのは、出てくるかわからないということだ。目が覚めて出てきたペーターによっては、その口を塞ぐために俺はここまでとは比べものにならないほど厄介な仕込みを強いられることになる。


 ずっと眠っていてくれればいい……だがそう都合のいいようにはいかないことはもう明らかだった。ペーターは目を覚まそうとしている。さっきからしきりに寝返りをうっているのがその証拠だ。どうせ起きるなら早い方がいい。いっそ俺が起こしてしまうのが早い。そう思って寝台に近づこうとした――


 そこでおもむろにペーターが寝台の上に身を起こした。


 起きあがった弾みに裸を覆っていた布きれがずり落ち、肩から胸にかけて白い肌が露わになるのが見えた。俺は反射的に目を逸らし、取りこんで部屋の隅に丸めてあったドレスを掴むと、それをペーターのいる方に向けて無造作に放り投げた。


「……着ろ」


 ペーターからの返事はなかった。その代わりにほどなくしてごそごそとあまり遠慮がちとはいえない衣擦れの音が聞こえ始めた。その音が止んだところで「着ました」という声がかかった。そこで初めて俺はペーターに視線を戻した。


 目を向けた寝台の上には、そつなくドレスを着こんで女の子座りをするペーターの姿があった。何か物言いたげな、神妙な顔つきでまじまじとこちらを見ている。そんな彼女を前に俺は複雑な思いに駆られながら、起きたのはいったいどのペーターだろうと思った。どの彼女が起きてきたかで今後の展開は大きく変わってくる。そう思い、内心に身構えたまま俺はじっとペーターの反応を待った。


「お腹が空きました」


 だがやがて彼女の口から出たのは、そんなあっけらかんとした一言だった。拍子抜けを覚えはしたものの、確かにそのはずだろうとすぐに思い直した。昨日丸一日なにも飲まず食わずで眠り続けていたわけだから、それもそのはずだ。そう考える一方で、これは例の食い物で操縦できるペーターかも知れないと見当をつけた。その仮説を検証するため、「待ってろ」と言い残して俺はひとまず『王の間』を出た。


 カロメの箱とペットボトルを手に俺が戻ってきたときも、ペーターは寝台の上にそのままでいた。ぼんやり目を見開いた曖昧な表情で、入室してきた俺を眺めるともなく眺めている。……そんな彼女の様子に、俺はまず最初に仕掛けようと思っていたプロットを放棄した。ペーターが座っている寝台の上に、何も言わず彼女の分のカロメとペットボトルを投げ落とした。


「それ、お前の分」


 それだけ言って俺は寝台を離れ、自分の分の朝食をとり始めた。ペーターは何を思ってかしばらく目の前のものに触れないでいたが、俺が一人で食べ続けているとやがて思い出したようにそれを手に取った。そして俺と同じように黙ったまま、もそもそと口を動かし始めた。


 そんな別々の食事を知らせる音がしばらく続いて、やがてどちらの音も聞こえなくなったあとも、ペーターは寝台の上から動こうとしなかった。話しかけてくるでもなく、唇を半開きにしてほうけたように座っている。一瞬、このまま隣の部屋に連れていけば問題なく黙り続けていてくれるのではないかという希望が心をぎった。だが結局、俺は溜息をついてその根拠のない希望を追い出し、立ちあがって寝台のある方へ足を向けた。


「これから俺が言うことをよく聞け」


「……?」


 そう言って切り出す俺に、ペーターはきょとんとした顔で小首を傾げて見せる。軽い苛立ちを覚えつつも俺は寝台の上に身を乗り出し、今後の運命を決めるその話を始めた。


「もうすぐここへ悪いやつらがやって来る。俺たちを捕まえて酷いことをしようとする凶悪なやつらだ」


「何ですか? その酷いことってのは」


「え? ああ……そうだな、食うんだよ。俺たちを捕まえて、生きたまま食うんだ。それくらい酷いことをするやつらだ」


「それは酷い。大変なことになりましたね」


「そうだ、大変なことになった。だからそいつらにとって食われないように、俺たちは隠れてやり過ごさないといけない」


「そんなのはハイジがやっつけてしまえばいいじゃないですか」


「いや、そうしてもいいんだが……そうだな。俺がそいつらを倒してしまうと次はそいつらの仲間がもっと大勢やってくる。だから今日のところは隠れてやり過ごすのが一番なんだよ」


「次に来るやつもぜんぶハイジが倒せばいいのに」


「……そういうわけにもいかないんだ。とにかく今日は隠れてやり過ごす。そうしないと俺たち二人とも酷い目に遭う。そこまではいいな?」


「はい、わかりました!」


 俺の問いかけにペーターは目を輝かせてそう応えた。溌剌としたその返事に、本当にわかっているのだろうかと訝しく思いながら、俺はなおも話を続けた。


「そいつらが来たら、この壁の向こうにある隣の部屋に隠れる。そこでおまえにはどうしても守ってもらいたいことがある」


「はい、何でしょう?」


「ちゃんと隣の部屋に隠れていれば、この部屋を見ただけで悪いやつらは帰る。そういう仕掛けがしてあるんだ」


「なるほど、なるほど」


「けど、やつらがこの部屋にいる間に、隣でおまえが声を出したら見つかってしまう。それはわかるな?」


「もちろん、わかりますとも!」


「だから、隣の部屋に隠れたあとは声を出したら駄目だ。何があっても絶対に喋るな。いいか? 俺の言うこと、ちゃんと守れるか?」


で、ですか?」


「……あ?」


で言うこと聞けってんですか?」


「……」


「酷い話があったもんだ! で言いなりにしようだなんて、そんなのはまったく、悪いやつらと何も変わらないじゃないですか!」


 真面目な顔でそう言うペーターに、苛立ちより先に脱力が来た。糾弾するような目でこちらを見るペーターは自信満々といった様子で、論理の破綻にも当然気づいていないようだ。……案の定、厄介なことになってきた。けれどもここで俺がおめおめと引き下がるわけにはいかない。


「ご褒美ならもうさっきやっただろ」


「何のことですか?」


「おまえがさっきまで飲み食いしてたあれだよ。あれ持ってきてやったのは俺だろうが」


「何を言い出すかと思えば! あんなものがご褒美になるだなんて!」


「ならないって言うのか?」


「決まってるじゃないですか! あんなどこにでも、幾らでも転がっているもの」


「どこに転がってるんだ? もうどこにもないだろが」


「やれやれ、またその手だ」


「……あ?」


「そうやってブツ在処ありかを吐かせようったってそうはいきません。そんな手にそう易々と引っかかるほどが弱くはないんですよ」


 ペーターはそう言って右手の人差し指を立て、それで自分の頭をつついて見せる。胸の奥に黒煙のような苛立ちが湧きおこりかけ、けれども形にならないまま消え失せた。その代わりに俺を襲ったのは、やはり脱力だった。がっくりとその場に崩れ落ちてしまいそうな脱力を覚えながら――ふと気がついて俺はジーンズのポケットに手を突っこんだ。


「お、まだ残ってた」


 ポケットからつまみ出したデーツを目の前にかざして言った。それを見るやペーターは大きく目を見開き、続いて奪い取ろうと無言で腕を伸ばしてくる。動くものにじゃれつく猫をあしらうようにそれをかわしながら、「じゃくれてやれないな」と、文字通り芝居がかった声で俺は言った。


「さっき言った俺の言うことを聞くか?」


「……聞きますから」


「本当に、ちゃんと言うことを聞くか?」


「何だって言うこと聞きます。だから!」


「じゃあ、さっき俺が言ったことを繰り返してみろ」


「これから悪いやつらが私たちを食いに来ます」


「そうだ。で?」


「そいつらをやり過ごすために、これから隣の部屋に隠れます」


「その通りだ。で?」


「喋ると見つかるから、声を出してはいけません。何があっても絶対に喋ってはいけません」


「それを、おまえは守れるか?」


「はい、守れます!」


「口先だけじゃなくて、ちゃんと守るって約束できるか?」


「できます! 約束します!」


「ならこれはおまえにやる。あと、ちゃんと黙っていたら、悪いやつらが帰ったあとでもっとやる。わかったな? ちゃんと守るんだぞ?」


 そう言って俺がデーツを差し出すと、ペーターはひったくるようにそれを奪い取り、わざわざ寝台の端――俺のいる側と逆の端まで移動してそれを囓り始めた。


「わかってるか? ちゃんと守るんだぞ?」


 俺が念を押しても返事はなかった。もう用は済んだとばかりに振り返りさえしないその姿に、本当にわかっているのだろうかと俺はまた訝しく思い、長く深い溜息をついた。

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