323 巡礼者のキャラバン(4)

「ひとつ、確認しておきたいんだけど」


 俺の問いかけに、アイネは弾かれたように頭をあげ、こちらを見た。だがすぐ険しい表情をつくって目を逸らすと、どこか不貞腐れたような声で問い返してくる。


「……なに?」


「こっちからキリコさんに連絡とる方法って、本当にないのか?」


「ない」


 即答だった。二人の間に漂いはじめた空気をあえて無視するかのようなそのにべもない物言いに内心苦笑しながら、予想通りだったアイネの回答について、俺は考え始めた。


 こちらからキリコさんに連絡をとる方法はない――アイネから返ってきたその回答は、目下最優先の課題と位置づけていたキリコさんとのコンタクトについて、俺の側でできることは何もないということを意味する。逆に言えばまたキリコさんから電話がかかってくるのを大人しく待っているしかないということだ。……この状況でそんな悠長なことをしていていいのかという思いはある。だが、現実問題として他に方法がないのだからそうするより仕方がない。


 ただそうなるとこの廃虚――いや、におけるキリコさんの立ち位置が改めて気になってくる。


 アイネにキリコさん、そして隊長。ヒステリカのコアメンバーでこの舞台に立っていることを確認できたのはその三人だが、舞台における立ち位置は三者三様に異なるようだ。


 まず隊長だが、これはもう言うまでもない。この舞台を隅々まで知り尽くし、役者兼舞台監督ブタカンとして劇の成り行きを思うままにコントロールしているものと見える。絵を描いたのは彼なのだから、それもまあ当然といったところだろう。隊長自身が役者として舞台に立っていたのには正直驚いたが、あれだけキャラの立った美人三姉妹が脇を固めているところをみると、その配役は当初の予定通りだったのだと考えるべきかも知れない。


 それとは対照的に、アイネはこの劇についてまったくと言っていいほど何も知らされていない。そればかりか役者として舞台に立っているという認識さえ彼女の中にはないようだ。結果、この舞台においてアイネは完全に素の演技をしている。……いや、正確には演技ですらない。どんな手品を使ったのかわからないが、アイネの思考や世界観といったものは根底から改変されており、この廃虚の人間としてのフレームに落とし込まれている。だからアイネは演技などしていない。演技だの何だのと意識することなく、この廃虚に住まう者としてごく自然に振る舞っているだけだ。


 で、問題のキリコさんだが、ここまで見てきたところ、この舞台におけるあの人の立ち位置は隊長のそれに近いように思える。少なくとも彼女自身――というより彼女を含めた俺たちが役者として舞台に立っていることをはっきりと認識しており、その上で共演者である俺にストーリーの軸となる壮大なプロットを提示してきている。そのプロットが隊長の意を汲んだものなのかどうかまではわからない。だが俺やアイネよりよほど舞台裏の声が耳に届く位置に立っているのは明らかであり、友情出演よろしくポッと出てすぐいなくなった隊長と違って積極的に芝居に絡もうとする彼女の姿勢をみれば、やはりここからの芝居の進め方についての鍵を握るのはキリコさんということになるだろう。


 ……そう言えばペーターがいない。妙に遊びのないシリアスな流れになっているのはあいつがいないせいかも知れない。もっともここであいつが出てきたら出てきたでまたぞろややこしいことになるのは目に見えているし、何より彼女の登場というファクターがこの複雑に絡み合った事態を収拾する方向にはたらく要素にはまずなりえない……その逆は大いにありうるとしても。ともあれ固まりつつあるプロットと諸事情をあわせて考えれば、役者は足りている。どこか知らないところであいつが頑張って演技してくれているのなら、俺の前に姿を見せなくてもそれはそれで構わないのだ。


「……ふう」


 ただ、それにしても――と思った。


 こうやって整理してみれば、三人の立ち位置は見事なまでにばらばらである。同じ舞台に立っている役者でこれだけ立ち位置が違うのでは、本当にひとつの劇を演じているのか疑わしくなってくる。……まったく、隊長は何を考えているのだろう。せめて開演前に説明のひとつでもあれば、劇の進行ももっとスムーズなものになっていただろうに――


『――君にはこれから三人の『兵隊』を演じてもらうことになる』


「あ――」


 そこに至って、俺はふと開演前のホールで隊長から受けた説明を思い出した。


『――君は時分割で一人三役を演じるのだ。ある時点ではAであったものが次の時点ではBになり、更にはCになってAに戻るというように、三役を転々と演じてもらう。そう――喩えるなら多重人格症者に似ている。君はあたかも幾つもの人格を併せ持つ者のように、入れ替わり立ち替わりその三者の視点でものを考え、演技をするのだ』


 ……そう、説明はあったのだ。アイネやキリコさんにも同じようなものがあったのかまではわからない。だが少なくとも俺にはあった。この舞台が始まる直前、それまでずっと姿をくらましていた隊長が忽然と会場のホールに現れ、俺を前にその話をし出したのだ。あのときはほとんど絵空事としか思えなかったその謎めいた説明が、実際にその舞台に立っている今の俺には、何となく理解できる。


「……けど、なんか違わないか?」


 思わず口の中で呟いた。


 多重人格者のように時分割で複数の役を演じる――隊長が言っていたのは、つまるところそういったものだ。


 けれどもここへ来てもうだいぶ時間が経ったが、俺の身にそんなはまったく生じていない。あの夜の廃虚に放りだされてすぐこの役を演じ始めてから、俺の自己同一性は揺らぐことなく保持されている。……そのことを思えば、隊長の言っていることはやはりおかしい。まるでこの舞台にそれぞれ人格の異なる何人もの俺がいるかのような――


「……いるのか」


 この舞台に何人もの俺がいる――その可能性は否定できない。荒唐無稽な、ほとんど狂人のたわごとに近い話には違いない。けれども俺はつい何時間か前、実際にこの目での存在を確認しているのだ。


 もう一人の俺――目覚めてすぐ持ち上がった慌ただしいやり取りの中でどこかへ追いやられていたその映像が生々しく俺の網膜に蘇ってくる。ガスマスクにも似た仮面の下に覗いていた、半分吹き飛んで血塗れになった俺自身の死に顔……。あるいは、無意識に考えないようにしていたのかも知れない。それ以前に、見間違いか何かだったのではないかという疑念も今なお燻っている。


『――どうかね、感想は?』


 ……だが、あのときの隊長の口振りからすると、あれはやはり俺本人だったと考えるべきなのだろう。


 どんな絡繰りでそうなっているのかは見当もつかない。けれどもこの舞台には俺の他に何人もの俺がいて、思い思いに自分の役を演じている。どうやらそれは疑いのない事実のようで、そうなるとあの隊長の説明にもある意味、解釈の余地が出てくる……。


「……違うか」


 何人も、ではない。だ。この舞台にはが立っている。


『――基本的には『兵隊』に違いない。戦うべき敵がいて、守るべき相手がいる。ただ、戦うべき敵も守るべき相手もそれぞれ異なる、三人の『兵隊』を並行して演じてもらうということだ』


 ……そう、あのとき隊長ははっきりとそう言っていたではないか。この舞台には三人の俺が立つことになる、と。


 ペーター演じる『愚者』のパートナーとしての俺。


 キリコさん演じる『博士』のパートナーとしての俺。


 そして、アイネ演じる『盗人』のパートナーとしてのこの俺。


 どこから湧いて出たのか当の本人にもさっぱりだが、とにもかくにもこの舞台には三人の俺がいて、その三人の俺がそれぞれ役割の異なる三人の『兵隊』を並行して演じている。俺はあたかも複数の人格を併せ持つ者のように三者の視点でものを考え、時分割で一人三役の『兵隊』を演じ分ける。あのときの隊長の説明を信じるなら、そういうことになる――


「……いや、やっぱおかしいって」


 ただ、そう考えても隊長の説明はやはりおかしいのだ。


 三人の『兵隊』を演じるということと、一人三役の『兵隊』を演じるということ。あのときは流してしまったが、よく考えてみればこのふたつは真っ向から対立する。テレビ番組でたとえるなら同じ時間帯に放送しているみっつの番組を三台のテレビで同時に観るのと、一台のテレビでチャンネルを切り替えながら観るのとの違いだ。


 別の言い方をすれば、隊長の説明は論理的に矛盾しているということになる。並行して三人を演じながら、時分割で一人三役を演じる――少なくとも俺にそんな超人のような真似ができるとは思えない。


「いや……けど、考えようによっては」


 仮にこの舞台を見ているの目があるとすれば――そう考えて、俺はまた立ち止まることになる。


 三人の俺が並行して演じていたとしても、一時点において観客の目には一人の俺しか映らない。昨夜の銃撃戦という希少な接点を別にすれば、三人の俺たちは開演からここまでまったくと言っていいほど絡んでいないからだ。


 つまり、ひとつの劇を演じているなどと言いながら、あたかも離れた場所にしつらえられた舞台でそれぞれの俺が互いの演技を無視して自分勝手に演技しているようなものだ。その三人の演技を、観客は同時に観ることができない。少なくとも一時点において、観客の目はそのうちの一人の俺に注がれることになる。


 結果、論理的には矛盾する三人での並行演技と一人で時分割での演技とが両立してしまう。なぜなら最終的に演劇が成立するのは舞台の上ではなく、観客の意識の中だからである。どこからかこの舞台を観ている観客の意識下においては、こうしている今も隊長の言うような舞台が成立しているのかも知れない。ただ、その舞台で必死に演じている我々役者の理解からはかけ離れたところで……。


『――つまり能動的にではなく受動的に、ということだ。君は何も考える必要はない。自分の意思にかかわらず、三つの人格を転々とすることになる。目を開いたとき、そこにある状況に合わせて動けばいいのだ』


「……ったってなあ」


 呟いて、俺は乱雑に頭の裏を掻きむしった。


 ……何も考えずに演じ続けるにはこの舞台はあまりにも謎と不思議に満ちている。好奇心とかそういう次元の話ではなく、知りたがらずにはいられないのだ。


 もちろん、を知ることが俺の演技にとってプラスになるとは限らない。逆に、害になる可能性が大いにありうるものだということはわかっている。何も考えず役に没入できたなら――それがかねてからの自分の夢であったことも否定しない。


 けれども俺は――役者である前に一人の人間として、いま自分が立っているこの舞台を舞台たらしめている未知のシステムに思いを巡らせずにはいられない。


「……」


 彼らはどうなのだろう。俺はふとそう思った。


 役割が違い、パートナーが違う他の二人の俺たち――彼らは隊長の言った通り何も考えず、自然体の演技ができているのだろうか。


 ……いや、二人ではない。そのうちの一人は俺が殺したのだった。『盗人』のパートナーであるこの俺が、残る二人の俺のうち一人を撃ち殺したのだ。


 だとすれば、俺が撃ち殺したはどうだったのだろう? 『愚者』のパートナーか、あるいは『博士』のそれか……どちらでもいい。そんなことはどうでもいい。


 ただ、あの俺が知りたかった。黒ずくめの禍々しい襤褸をまとい夜の廃墟に、あのもう一人の俺はいったいどんな演技をしていたのだろう――


「――けど、隊長はできたのかも知れない」


「え?」


 唐突なアイネの一言に、今度は俺が弾かれたように頭をあげた。


 壁に背もたれ、片膝を立てて両腕でそれを抱えたアイネは、こちらを見ないまま誰に告げるでもないといった調子で言葉を継いだ。


「隊長……いなくなったあの人なら、キリコ先生に連絡するための方法、何か知ってたのかも」


 最初、なぜアイネがいきなりそんなことを言い出したのかわからなかった。けれどもすぐ、それがさっきの話の続きだということに気づいた。


 こちらからキリコさんにコンタクトをとる方法――俺がこの舞台について答えの出ない堂々巡りを続けている間、アイネはずっとそのことを考えてくれていたのだ。


「あいつからキリコさんに連絡するとこ、見たことあるのか?」


「……ううん。ただ何となく、あの人ならそういうの知ってたんじゃないかって、そう思っただけ」


 ひとつひとつ言葉を選びながらそう返してくるアイネを、俺は無言で見守った。慎重な上にも慎重なその物言いは、明らかに俺に向けられたものではない。つい昨日までここの隊長だったあの男は、彼女たちにとってそれだけ大きな存在だったのだろう。


 ただ、アイネの言う通りDJあいつとキリコさんとの間に何らかのホットラインがあって、相互に連絡を取り合いながらやってきていたのだとしたら、事態は一層深刻なものになってくる。


 それは、あいつが情報の独占によるカリスマを実現していたことに他ならないからだ。


 その情報を一手に握っていたからこそDJは必要に応じてキリコ先生と通信セッションを確立でき、それゆえにアイネをはじめとする部隊の人間はDJに従っていた。……それが成り代わった隊長では何の役にも立たないということであれば、俺の評価は地に落ちることになる。キリコさんとができないのはもちろん、ただでさえ微妙な新隊長としての立場さえ危うくなってくる……。


「……まいったな」


「え?」


「キリコさん――先生への連絡手段がないのは致命的だ。あの人と話ができないんじゃ、この先どうすればいいかわからない」


「どうして先生と話す必要があるの?」


がこれからどうなるかについて、あの人が多くのことを知っているからだよ」


「……」


「正直、先生から情報をもらわないと、動きようがない。この先、何をどうすればいいか、まるでわからない」


「なんか意外」


 その言葉通り、意外なことを言われたときそのままの口調でアイネは呟いた。


「え?」


「わたしたちの知らないこと、何でも知ってるから」


「……」


「ハイジにはわからないことなんて、ないんだと思ってた」


「……あのな。そんなわけないだろ」


 思ってもみなかったアイネの言葉に、俺はたまらず目を逸らした。そうしてすぐ背筋にむず痒い感覚が走り、やがてその感覚が全身に広がってゆくのを感じた。耳の孔にふっと息を吹きかけられたような、じっとしていられない感覚。……だがアイネの言葉によってもたらされたそれは、決して悪い感覚ではなかった。


 ……そういえばこんなやり取りが前にもどこかであった気がする。それがどこであったか思い出せないままとつおいつするうち、ふとさっきのアイネの台詞の中に隠されたもの――彼女がを頼りにし始めているのだということに、俺は気づいた。


「……」


 俺にはわからないことなどないと思っていた――そのアイネの言葉は一面において、隊長としての俺に対するアイネの全面的な信頼を意味する。彼女の知りえない情報を俺が持っているという点において、アイネは俺にある種のカリスマを認めている――そしてそれは、ともすればアイネに限った話でもないのかも知れない。


『俺も――俺が死ぬときも、ハイジに見送って欲しい』


 ……そうだ。あんな無軌道な交代劇ではあったが、部隊のメンバーで少なくとも何人かは俺に信頼を寄せてくれる者がいる。いなくなってしまったDJあいつに対して彼らがいだいていたそれと同じように……いや、おそらくそれとはまったく別の形で。


 その信頼には応えなければならないと思った。そしてそこには、これから俺がここで首尾よく隊長の役目を果たしてゆくための重大なヒントが隠されている気がした。


「……」


 窓の外を眺めた。


 ざらついたコンクリートの壁に小さく切り取られた風景は、相変わらず一面の黄土色に染まっていた。寄せては返す波のようにめまぐるしく粗密を入れ替える砂礫の嵐。けれども、その勢いはさっきに比べればだいぶ弱まってきているようにも見える。


 そんな単調な景色を眺めるうち、そもそもここは本当に舞台なのかという疑問が、俺の中に舞い戻ってくるのを覚えた。


 黎明、左肩の激痛に苛まれる俺を、タチの悪いぬかるみのようにとらまえて逃さなかった基本的な疑問――ここが演劇の中でなどあるわけがない。けれども演劇の中でないわけがない……。


「……」


 あまりにも現実的で、だからこそ非現実的でもある砂漠の嵐を眺めながら、俺はしばらく、答えが出ないことがわかっている自問自答に耽った。


 アイネはもう何も話しかけてこなかった。再び眠りに就いたのか両腕で抱えた膝に頭をのせ、動かないでいる。


『日が昇って、暮れたらまたここに集まって。詳しいことはそこで話す』


 昨夜、彼らと約束したそのときは近づいていた。


 焦りさえまともに感じられない心を引きずったまま、俺はただぼんやりと、狂ったように吹き荒れる砂嵐を眺めていた。

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