204 最後まで演じきるということ(6)

 キリコさんは無言でそれを受け取ると中身を取り出し、斜め後ろにいる俺に見せつけるように音をたてて広げた。英語で書かれたそのレターはどこかの公式文書のようで、文末のサインはもちろん左上にいかめしい紋章のようなものまで入っている。


 ……情けないが英語とはいえ内容は完全には理解できない。だが、必死に頭を働かせて解読したところ、どうやら“ prototypeプロトタイプ ”――つまりはあの少女の返却を指示するもののようだ。日付は入っているが西暦ではないらしく、6月15日というのがいつをさしているのかわからない。キリコさんがその文書を読み終え、封筒にしまったのを見て、軍曹はもう一通の封筒を差し出した。


 その封筒の中身を広げたとき、キリコさんの肩が少しだけ震えたのがわかった。同じ英語で書かれたものだったが、内容はさっきのものよりもわかりやすい。マリオ博士の“ summons召還命令 ”だった。日付はさきほどの書簡から一週間後の6月22日。今度はキリコさんがそれをしまう前に、軍曹はまたもう一通の封筒を差し出した。


 この一通も同じく、マリオ博士の召還状だった。ただ、日付がさきのものからさらに一週間経っていることと、文頭に“ caution警告 ”に続く一文が入っていることが違う。召還を強く促す再度の書状と考えて間違いないだろう。キリコさんはそれを読み終えると封筒に戻すことなくさきの書類と一緒に軍曹に突き返し、いかにもつまらそうな口調で言った。


⦅……これがあんたのつくりものでないって証拠は?⦆


⦅それは博士自身がよくご存じのはずです⦆


 その軍曹の返事にキリコさんはふんと小さく鼻を鳴らした。そうして少し軟化した声で⦅確かに最初の一通は読ませてもらってたさ⦆と言った。


は必要だろ。評議会の連中が本部からの指示を勝手に解釈して動くのを防ぐためには⦆


⦅おっしゃる通りです、博士⦆


⦅ただ、あとの二通はあたしの検閲にかからなかったようだ。そうなるとあたしの知らないどのルートで入ってきたもんなのか、そのへんが気になるよ。まさかとは思うが、エリックあたりと結託でもしてたのかい?⦆


⦅この件にエリック博士は関与しておりません。ただ、輸送関係を用いたルートです⦆


⦅……輸送関係ねえ。わからないよ、教えておくれ⦆


⦅紅茶の缶です⦆


⦅は?⦆


⦅どれも紅茶の缶に詰められてもたらされたものです。幾つかの書簡は本部からの博士のもとにかかる手段によって直接もたらされておりました⦆


⦅……⦆


 把握していない事柄だったのだろう、軍曹の言葉にキリコさんはしばらく沈黙した。だがしばらくして気を取り直したように⦅で?⦆と短く切り出した。


⦅本部からマリオに密命がいってたことは理解できたよ。あんたらがそれに一枚噛んでたこともね⦆


⦅その通りでございます、博士⦆


⦅それで、さっきの三枚の紙っぺらからあたしは何を読み取ればいいんだい? 本部の命令に従わないマリオには、あんたらがもうついていけなくなった、ってことかい?⦆


⦅ひとつには。ですがより大きくは、の博士に重大なる背任の疑いがあるということです⦆


⦅背任?⦆


⦅その三通の書簡は昨日のごたごたの中で入手し得たものです。その三通――とりわけあとにお渡しいたしました二通の書簡により、自分はその疑いに確信を持つに至りました⦆


⦅……⦆


⦅それらの書簡の他にも、自分は彼の博士に関連する幾つもの情報を得ております。その中には自分の部下が入手したもの、あるいはつまびらかにできない手段を用いて自分自身が直接見聞きした情報も含まれます。それらの情報を総合するに、の博士に関してひとつの重大な疑いを持たざるを得ない事態となりました⦆


⦅その疑いってのは?⦆


の博士が研究所を破壊する目的をもって《プロトタイプ》を起動したという疑いです⦆


⦅あ……!⦆


 その軍曹の言葉にキリコさんは今度こそはっきり身を竦め、動きを止めた。すぐ何かを言い返そうとして何も言い返すことができずに肩を落とす、そんな小さな仕草にキリコさんの動揺が見てとれた。


 軍曹が口にしたことは俺にも理解できた。それがおそらくキリコさんにとって完全に盲点だったということも。


 マリオ博士があの研究所を破壊する目的をもって《プロトタイプ》を起動した――なるほどそれは軍曹の言う通り、看過できない重大なる背任の疑いに違いない。


 ただ、衝撃に声も出せないでいるものと見えるキリコさんの斜め後ろにあって、俺の方ではその軍曹の話をごくすんなりと受け容れることができた。……と言うより、その話を聞くことで点が線でつながった気がした。何もかも破滅させかねないあの少女を、そうと知りながらあえて起動したマリオ博士の真意が読めない。キリコさんがかねてから口にしていた疑問にも明確な答えが出ることになる。


 そう……それならばすべてつじつまが合う。マリオ博士が最初からのならば、その疑問はもう疑問ではなくなるのだ。


⦅……あいつの背後は?⦆


 ようやく口を開いたキリコさんは、どこか諦めたような口調でそう言った。その一言で、少なくとも表面上はキリコさんも軍曹の言うことを受け容れたのだということがわかった。


⦅そこまでは特定できておりません。ですが、複数の機関が関与しているものと思われます⦆


⦅根拠は?⦆


⦅彼の博士の周辺から得られた情報を総合的に分析した結果です。似通った指示と認められるものが相前後して彼の博士のもとにもたらされることが数度ありました。それら複数の指示の内容が相互に食い違っていることも。そうした事象から、彼の博士の背後には複数の機関が噛んでいるものと、そのように思われるのです⦆


⦅その指示の内容ってのは?⦆


⦅研究所における実験データの持ち出しと破壊に関するものです。……もっとも、ご存じの通り実験データの持ち出しには失敗いたしましたが⦆


⦅その指示の証拠ってのはないのかい? さっき見せてくれた紙っぺらみたいな⦆


⦅ございません。かろうじて確保できたのがさきほどの三通の書簡になります。の博士はそうした証拠を残さないよう、物理的あるいは電子的に逐一消去しておりました⦆


⦅だろうね、まあ⦆


⦅そのような事情から、詳しい指示に関する証拠はお見せできません。ですので、先述いたしましたの博士の背任の疑いに関しましては、ここまでの情報でキリコ博士ご自身によりご判断いただくほかございません⦆


 その軍曹の言葉にキリコさんは応えなかった。ただ大きくひとつ溜息をつき、押し黙ったまま何かを考えているようだった。そんなキリコさんを軍曹は同じように黙ってじっと見つめていたが、やがて思い切ったように口を開いて一息に言った。


⦅もう一点、どうしてもキリコ博士のお耳に入れておかなければならない事項がございます⦆


⦅何だったい?⦆


⦅どうやら座標が漏出いたしました⦆


⦅……何だって?⦆


⦅この場所の座標が、おそらくマリオ博士を介して外部に漏出いたしました⦆


 その軍曹の言葉にキリコさんは勢いよく立ち上がった。そのまま仁王立ちになり、信じられないものを見るような目で軍曹を見つめている。


 そんな彼女の仕草に一瞬、俺は訝しいものを感じた。軍曹がもたらしたその情報をキリコさんが知っているのは明らかだったからだ。だが、俺はすぐにそれがキリコさん一流の演技に他ならないことに気づいた。……そう、それは演技だった。自分がとうの昔に知っているその情報を、いま初めて聞いたと目の前の相手に思わせるための。


⦅事態は一刻を争うものと思われます。ですがこの事態に、我々は指揮系統を失い、満足に動くことができないでおります。指示を仰ぐことができるのはもはやキリコ博士のみ。自分はそう判断いたしました⦆


⦅本部の人間だったんだね⦆


⦅……⦆


⦅まんまと騙されてたよ。本部の人間だったんだね、あんたは⦆


⦅騙していたつもりはございません⦆


⦅……⦆


⦅ですが、その通りでございます、博士ドクター。自分は本部からの直命を受け、この研究所の維持存続を図ってきたものであります⦆


 背筋を伸ばし、キリコさんの方を真っ直ぐに見据えてエツミ軍曹は言った。その言葉の意味は俺にはよくわからなかったが、キリコさんは何か感じるところがあったのか――あるいは演技の続きか、しばらく沈黙したまま立ち尽くし、それから力なくその場に腰をおろした。


⦅こないだの一件からただの犬じゃないと思ってはいたけどさ。まさか本部からの回し者だったとはねえ⦆


⦅……⦆


⦅けど、そういうことならなおのことあたしなんかに指示を乞う必要なんてないだろ⦆


⦅……⦆


⦅本部からの指示に従って動けばいい。あたしの言ってること間違ってるかい?⦆


⦅本部からの指示は既に受けております⦆


⦅その指示ってのは?⦆


⦅トリニティの回収です⦆


⦅……⦆


⦅未起動個体に優先し、起動済みのトリニティの回収を至上命令として受けております。その指示を完遂するために、我々は今後キリコ博士の命令に従って動くべきである――それが衛兵隊ガーディアンの統括者としての自分の判断であります⦆


 そうして話はついに核心に入った。傍観者である俺にもそのことがよくわかった。


 おそらく危険を冒してまでここを訪れ、我々に接触を持ったエツミ軍曹の目的が見えた気がした。確かにそういうことなら今度こそ本当の共闘もあり得る。キリコさんが成そうとしていることと軍曹の任務は、かなり似通ったものになるからだ。ただ問題となってくるのは――


⦅回収したそのあとは?⦆


⦅あと……と申しますと⦆


だよ。起動済みのトリニティを回収したあと、本部としてはそいつらをどう扱うつもりなんだい?⦆


⦅それに関しましては、自分の与り知るところではありません⦆


⦅……⦆


⦅自分の任務はこの試験場から個体を回収し、それを本部に搬送することです。その後のことに関しましては、自分の権限及び責任を逸脱する事案になるものかと――⦆


⦅いいよ、もうわかった⦆


 杓子定規な軍曹の言葉を遮り、キリコさんは顔の前でひらひらと手を振って見せた。それから大きくひとつ溜息をつき、それきり口を開こうとしない。


 そんなキリコさんの気持ちがなんとなくわかった。本部に回収後の彼らがどうなるのか、軍曹の話にのることを考えれば、やはり問題はそこになってくる。


 ただそのあたりについては軍曹の職権を逸脱した問題であることもわかる。……だとすればもう手詰まりだ。話はどこにも進まない。だがそもそもそれ以前に手詰まりな状況に陥っている我々にとって、どのみちこの話に乗るよりほかないような気もする。


⦅博士のご助力なしにが動かないことはよく理解しております⦆


⦅……⦆


⦅ですが、輸送手段の手配などに関しましては自分がお役に立てることもあるかと思われます⦆


⦅……⦆


⦅この度の混乱で衛兵隊はほぼ壊滅いたしました。隊員の大半は消息不明であり、通信の手立てもありません。ですが、再び衛兵隊が成ったあかつきには、隊員ともどもキリコ博士のご指示にしたがうことをお約束します。どうかご裁断ください、博士ドクター。そして我々に指示をお与えください。お願いします⦆


「どう思うハイジ」


「へ?」

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