133 麻酔(5)

きれえなんだよな、その名前で呼ばれるのは。だからその名前で呼んでくれたやつには礼をすることにしてるのさ。こいつでな」


 DJはそう言いながら手にした銃を小さく振って見せる。その顔は逆光でよく見えない。……脇腹を押さえる手に生暖かくぬめるものが触れている。濃い鉄の臭いが鼻をつく。自分が撃たれ、血を流していることをようやく理解したとき、DJは俺の目の前にいた。


「いつもは一発で黙らせるんだが、あんたは特別だ。少しだけ話につき合ってくれないか。なに時間はとらせねえよ」


 額に冷たいものが触れた。視界上方に無骨な銃身が真っ直ぐ延びているのが見えた。DJの指は既にトリガーにかけられている。……俺は口をきくことができない。何が起きているのかわからない。


「あんたさっき妙なこと口にしてたよな。誰かがここへ来てないかとかどうとか。……ペーターとか言ったか。そいつについて、ちょっと詳しく話しちゃくれないか?」


 穏やかで丁寧な質問だった。けれども俺の舌は灼けついたように動かない。銃身の上にはぼんやりとDJの顔が浮かんでいた。……よく見慣れた表情だった。くだらない話で盛りあがっているときと同じ、気心の知れた友人のいつもの表情――


「……ぎっ!」


 右耳に凄まじい爆音が響き、わずかに遅れて新しい痛みが生まれた。激しいノイズが耳の奥におこった。だらりと頬を伝い落ちてくるものが何であるか、今度はすぐにわかった。


「耳ってのは大事なもんだ。両方なくなっちまったらさぞ不自由だろうからな、左は残しといてやるよ。そういうわけで次は真ん中だ」


 そう言ってDJはまた銃口を額に戻した。心臓の鼓動が早まり、その鼓動に合わせて耐え難い激痛が走るのを感じた。


 だが俺は依然として口をきくことができなかった。頭の中は真っ白で何を言えばいいのか――何を聞かれているのかまったくわからなかった。


「仕方ねえな。大サービスでカウントダウンしてやるよ。5秒でバンだ。ほらいくぜ、5・4・3……」


 秒読みが始まっても俺は返事ができなかった。蛇に睨まれた蛙という言葉を思い出し、今の自分がまさにそれだと意味もなく納得した。その言葉通り、俺は身動きひとつできなかった。DJが何のために秒読みをしているのかさえ、はっきりとはわからなかった。


「2・1……」


 トリガーにかかった指がゆっくり動くのが見えた。秒読みの声はもう聞こえない。周囲からあらゆる音が消え――ただゆっくりトリガーを絞る指が、俺の意識に映るすべてになった。


 ほとんど止まって見えるほどゆっくりと……だが少しずつ指は動いていた。ゆっくりと……ゆっくりと。


 ふと、本当はその指は普通の速さでトリガーを引いているのかも知れないと思った。死にゆく者の目にそうしたものが異様にゆっくり映るというのはどこかで聞いたことがある。そこまで考え……この期に及んで冷静にそんなことを気にしている自分を酷く滑稽なものに感じ、半ば無意識に自嘲の笑みを浮かべかけた――


「――隊長!」


 ――思わず声のした方に頭を向けた。


 暗闇の舞台に落ちるサス明かりの中に進み出る影があった。それはアイネだった。


「何してるの! 今どういうときかわかってる?」


 アイネの声がホールの薄闇をつんざいた。演技さながらの切迫したその声に、俺は自分が劇の中にいるような錯覚をおぼえた。


「そう焦るなって。さっきのリカの報告じゃ――」


「そのあとに入った新しい報告。向こうの斥候とぶつかって開戦。もう油売ってる暇ないと思うけど?」


「斥候くらいあいつらで片づけられるだろ」


「B-21地点で本隊を確認。そろそろ合流してる頃かも」


「そんならこっちも本隊動かしゃいいだろ」


「それ動かせるのは隊長だけじゃなかった? いいから早く来て! またどうせ……」


 そこでアイネは言葉を切り、DJの身体越しに覗きこむようにして俺を見た。――そして不審そうに眉をひそめ、「誰それ?」と呟いた。


「ああ、ちょっと遊びにつき合ってもらってた」


「……? まあいいけど。報告はそれだけ。わたしは先に行ってるから」


 そう言ってアイネはサスを抜け、下手袖の闇の中へ消えていった。


 チッという舌打ちの音を頭上に聞いた。反射的に見上げると、アイネの消えていった方を険しい表情で睨むDJの顔があった。だがその表情はすぐにやれやれというような諦めを滲ませたものに変わった。


「へいへい。まったくアイネにだけは敵わねえな」


 DJはそう言って同意を求めるように俺を見た。そして少しふて腐れたような薄笑みを浮かべた。


 見慣れたいつもの表情だった。その表情に張りつめていたものが弛んだ気がして、痛みをこらえながら俺もまたいつもの表情でDJを見つめかえした。


「へへ……」


 へつらうような笑い声が自分の口からこぼれた。とぼけた顔で微笑み返してくるDJ――


 そして盛大な掃射音とともにDJのカラシニコフが繰り返し火を噴き、その度に自分の身体が跳ね上がるのを、どこか別の世界の出来事のように感じた。


「さて、本気で急がねえとな――」


◇ ◇ ◇


 静寂に満たされたホールにノイズは続いていた。


 少しだけ足を動かしてみると、靴底が床を擦るかすかな音が左耳に届いた。右耳には届かない。そしてノイズは右耳に響いているようだ。……おそらく間近に銃声を聞いたことで鼓膜を破られたのだろう。


「げ……げほ」


 力ない咳とともに口から血がこぼれ出た。


 下を見るとTシャツにちょうど腹巻きのような赤黒い染みの帯ができていた。何発撃ちこまれたのかわからないが、いずれにしても酷い有様だった。


 なぜDJが額ではなく腹を撃っていったのか少しだけ考えて……意味のないことだとすぐに考えるのを止めた。


「……げほっ」


 また一つ咳が出た。冗談のように血の飛沫が舞い散るのが見えた。


 ……周りがどんどん寒くなってきているようだった。そこかしこに燃えさかっていた火箸を突き刺されたような痛みも、さっきほどは感じられない。


 何がどうなっているのかまだよくわからなかった。ただ自分が文字通り致命的な状態にあることだけは、何となくわかった。


「そうだ……薬」


 ふと昨日の出来事――そして今朝のキリコさんとのやりとりを思い出した。『次はハイジが撃たれないとも限らない』そう言って彼女は俺にあの薬をくれた。


 ……あの薬はどうしたんだっけ。小皿にあけられた薬は……たしかテーブルの上に置いたまま――



 ――――…………・・・・



 ……一瞬、意識が途切れた。とにかくこのままではまずいようだ。そう思い席を立とうとして……立ちあがれなかった。


「げほ……げほ」


 代わりに力のない咳が出た。だがもうさっきのように血はこぼれない。右手の人差し指が弱々しく痙攣しているのが見える。ノイズの音も少しずつ小さくなってきている気がする。


「どう……して、こうなった……んだろ」


 ゆっくり頭をあげた。舞台だけは変わらずそこにあった。


 暗闇にひとつきりサスが灯る誰もいない舞台。――本当ならば今頃、俺はあそこに立っているはずだった。


 俺たちが舞台に立ち、隊長が何かれと指示を出す。DJが不平を口にしながら照明を調整する。何度も何度も……納得いくまでそれを繰り返して、そして――



 ――――…………・・・・



「あ……いる」


 気がつけば舞台には仲間たちがいた。位置確認のために立つペーターと、その足下に場ミリを貼るアイネ……。手持ちぶさたに眺めているキリコさんと、舞台の下で腕組みをする隊長……。調光室の窓からおどけた顔を突き出すDJ……。


 そうだ……仲間たちはいて当然なんだ。なぜなら今日は舞台の仕込みなのだから。


 明後日に迫る舞台のために皆が力を合わせて準備をする……それはまったく当たり前のことで、あそこに仲間たちがいることに俺は何の疑問も感じる必要はない。さあ、俺も早く行かないと。そう思い立ちあがろうとして――



 ――――…………・・・・



 舞台にはもう誰もいなかった。……はじめから誰もいるはずがなかった。みんなもう行ってしまったのだ。ただ一人、俺をこんな場所に残して。


 舞台にはもう誰もいなかった。それでも俺はそこへ行きたいと思った。這ってでも舞台にあがり――どうせ死ぬのならそこで死にたいと思った。


 そう……俺は死ぬのだ。ようやくそれを悟った俺の頬を、一滴の涙が伝い落ちていった。


 これはいったい何の涙だろうか。ぼんやりとそんなことを考えたあと、俺はまた誰もいない舞台に目を凝らした。


 もうそこまで行けないのなら……その上に立つことが叶わないのなら、せめて目をつぶることなく、俺たちが立つはずだったその舞台を見つめたまま死んでいこうと思った――




お行きなさいその道は 海辺の町までつづく道

お行きなさい気をつけて 小人の歌など聞かぬように


夜が明けるのはあともう少し 長い長い夕暮れのあと

真っ赤な月が沈みゆくのは 白い白い朝焼けのなか


お行きなさいその道は 山辺の町までつづく道

お行きなさい気をつけて 小人の歌など聞かぬように




 ……歌を聞いていた。


 どこから聞こえてくるのだろう、真っ暗な意識の中にその歌は子守歌のように優しく、温かく流れた。


 聞いたことのない旋律だった。けれどもその旋律を、俺はなぜか懐かしいものに感じた。……あるいはどこかで聞いたことがあるのかも知れない。そしてただそれを忘れているだけなのかも知れない。


 漆黒の闇の中を一人で歩いている……そんな気がした。


 使い古された死出の旅路のイメージ。それも案外でたらめではなかったようだ。自分の掌さえも見えない一面の闇。耳に届く旋律はそのイメージによく似合っていると感じた。……この旋律が消えるとき、それが本当の最期なのだろうと思った。




夜が明けるのはあともう少し 長い長い夕暮れのあと

真っ赤な月が沈みゆくのは 白い白い朝焼けのなか


お行きなさいその道は 山辺の町までつづく道

お行きなさい気をつけて 小人の歌など聞かぬように




 そして……唐突にそのときは来た。潮が引くように歌は小さくなっていき、代わりに茫漠とした光が闇のなか急速に広がっていった――


◇ ◇ ◇


「……ん」


 ……淡いオレンジが目に映った。夕焼けのオレンジよりもずっと淡い、どこか落ち着いた感じのする色。これは何の色だろう……そう思い見つめているうち、それが部屋の壁であることに気づいた。


 俺はベッドに横たわっていた。時季的には少し厚めの毛布が身体にかけられている。そのベッドの上に半身を起こして俺は部屋を見まわした。


 よく見れば何の変哲もない白い壁紙……淡いオレンジはその壁紙を照らす照明の色だった。この照明には覚えがある。部屋に置かれた家具も、今はじめて目にするものではない。……キリコさんの部屋だった。


「……気がついたかい?」


 反射的に声のした方を見た。明かりのついていないキッチンの暗がりから、気遣わしげにこちらを覗くキリコさんがいた。


「……はい」


「よかった。心配したよ」


 そう言ってキリコさんは穏やかに微笑み、キッチンの奥へ姿を隠した。


「お腹すいてるようならそこにあるの食べておくれ。あたしはちょっとシャワー浴びさせてもらうよ」


「え? ああ……わかりました」


 ドアの開く小さな音がして、暗がりにほのかな明かりが滲んだ。ドアの閉まる小さな音とともに、暗がりは元に戻った。


 頭はまだぼんやりしたままで、自分がなぜここにいるのかわからなかった。それでもどうやら死なずに済んだことだけは理解できた。


「……!」


 弾かれたように腹に目をやった。


 真っ白なTシャツが壁と同じように淡いオレンジに染まっていた。めくりあげてみる……銃創はない。右耳に手をあててみる……ついている。それを確認して、俺は大きく溜息をついた。


 あの状態からどうして助かったのか見当もつかないが、何はともあれ無事だったのはありがたいと、素直に思えた。


「これ……朝のやつか」


 めくりあげたTシャツを戻して、それが朝キリコさんに貸したものであることに気づいた。下も朝食のあと貸したジャージに替わっている。


 なぜそうなっているのか少しだけ考え、そこで俺はあの常軌を逸した一連のやりとりを思い出した。……たしかにあの服ではとてもベッドには寝かせられないだろう。昨日、俺がキリコさんをそうしたように、彼女が血まみれの服を着替えさせてくれたのだ。


 そこまで考えて、俺は改めて自分がキリコさんのベッドに寝ていることを知った。周囲に立ちこめる女性らしい匂いを、今さらのように嗅いだ。


「まあ……キリコさんの部屋だしな」


 彼女の匂いがするのは別におかしくも何ともない。そう思い、しばらくぼんやりとその匂いを嗅いでいた。


 ふと……その匂いに別の匂いが混じった。横を向くと、小さな台の上に白い陶器のボウルが置かれていた。キリコさんの言葉を思い返し、俺はベッドを降りた。


 ……お粥はまだ温かかった。潰した梅肉をのせただけのそのお粥を食べながら、状況を一つ一つ整理していった。


 時刻は十一時を過ぎたところ。ビデオデッキの表示を見れば日付は変わっていないようだ。となると、俺はあれから四半日ほど落ちていた計算になる。


 しだいにはっきりしてくる頭に、ホールで死にかけていたときのことがおぼろげに蘇ってきた。


 ……記憶の中、きれぎれにキリコさんの顔が浮かんでくる。あそこで彼女がホールに駆けつけ、介抱してくれたと考えて間違いないだろう。それから俺をここまで運び、ベッドに寝かせてくれた。キリコさん一人でどうやってそれができたのか不思議に思うが、こうして俺がここにいる以上そういうことになる。


 それだけ整理してしまうと、俺の頭はまたぼんやりとしたものになった。あんなことがあったあとなのに恐怖もなければ不安もなかった。


 放心という言葉はこういう状態を言うのかも知れない。もっとも、そんな自分をおかしいとは思わなかった。誇張でもなんでもなく、俺は死ぬ目に遭ったのだ……放心しない方がおかしい。強引にそう結論づけて、俺は考えるのを止めた。


 淡い照明に照らされる飾り気のない部屋を眺めながら、かすかに漏れ聞こえるシャワーの音を聞いていた。やがてそれも止み、ドアの開く小さな音がして、暗がりにほのかな明かりが滲んだ。


 ドアの閉まる小さな音とともに、暗がりは元に戻った。そうしてキリコさんが部屋に入ってきた。

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