308 テンペスト(1)
「つまり、その『国王軍』とはこれまでに戦ったことがあるってことか」
「もう何度も戦ってる。話さなかった?」
「そのへんは聞いてない」
「前はよく戦ってた。最近は全然だけど」
「例の連中が現れるようになってからは、ってことか」
「そう。例の連中が現れるようになってからは、全然」
壁の外には激しい風が吹き荒れている。砂礫を巻きあげ、
竜巻が立ちのぼるのが見える。大地からあがった巨大な
大地の怒りを思わせる凄まじい嵐。そのただ中にあって何よりもありがたいのは、この部屋に吹き込んでくる砂の少なさだ。もちろんそれなりに吹き込んでくるにはくるが、俺たちがいるこちらまでは飛んでこない。
「でも、それだと話が合わないだろ」
「どこが?」
「負けたことがないってことは、戦う度に勝ってたってことだよな」
「そうだけど」
「何度も戦ってその度に勝ってたなら、もうその『国王軍』てのは壊滅してるはずだろ。普通に考えて」
「普通に考えればそう」
「そうだろ」
「けど、『国王軍』は普通じゃないから」
風の音に揺り起こされ、先に目覚めていたアイネといつも通りの朝食をとったあと、どちらからともなくこの話――今夜の戦争の相手である『国王軍』の話になった。
『黒衣』との関係は昨日の段階である程度聞いていたし、それが理由で今日の出撃にアイネが疑問を抱いていることも知っていた。だからというわけではないが『国王軍』自体は他の隊、たとえば一昨日戦った『猿の部隊』と大差ないものだと思っていた。
けれどもこうして聞いてみればそう単純な話でもないようで、その『国王軍』という部隊の特殊性がひとつ、またひとつと浮かびあがってくる。
「と言うと?」
「人数が戻るの。半分にしたとしても、次に戦うときにはまた元に戻ってる」
「殺したはずのやつが、ってこと?」
「違う、新しい顔」
「どこから来るんだ? そいつらは」
「知るわけない。ただこっちとしてはそれだけ稼げたし、女も多かったから最初はいいカモにしてたんだけど」
いつからかそのカモにしていた相手に奇妙な援軍がつくようになった。黒い服を着たその男たちは正しく狙って撃っても決して
その男たちを、やがてアイネたちは畏怖をこめて『黒衣の隊』と呼ぶようになった。人数はまちまちだったが、『国王軍』との戦いには必ず『黒衣』が現れた。
その関係がはっきりしてからは、少なくともこちらから『国王軍』と事を構えることはなくなった。
「だから、最近は全然。向こうから仕掛けてくることもなかったから」
「そうか」
「ここのとこ滅多に出てこないし、もういなくなったのかと思ってた」
「それがどういうわけかここへきて隊長からの出撃命令……ってわけか」
アイネからの返事はない。そんな反応を見るまでもなく、彼女がまだ今夜の出撃にわだかまりを抱いていることはわかる。
そのわだかまりは俺にも理解できる。先日の戦いからまだ幾日も経っていない。略奪した水も食糧も充分に足りている。それなのになぜよりによってそんな危険な相手にこちらからふっかけなければならないのか。合理主義者のアイネには何よりもそのあたりが納得できないのだろう。
「正直、今夜は出たくない」
「……」
「でも隊長がやるって言うなら出るしかない」
「そうだな」
「何か理由があるんだろうし。出るからには」
「俺も入ってるのかな」
「え?」
「俺の能力も入ってるんだろうか。今夜出る理由には」
「入ってるんだと思う、たぶん」
ぶっきらぼうにそう言ったあと、俺の視線から逃れるようにアイネは目を伏せた。そんな彼女の仕草に、俺の心はわずかに慰められた。
今夜の出撃にアイネが反対する理由のひとつにそれがあるのを、俺は知っている。もちろん、それは俺の身を案じてのことではなく、相棒である彼女自身に降りかかるリスクを気に懸けてのことかも知れないのだけれども。
「けど、本当の理由は別にあるんだって言ってた」
「え?」
「今夜出ないといけない本当の理由」
「その理由ってのは?」
「教えてくれなかった」
「なんだそれ。多いのか? そういうの」
「そういうのって?」
「重要な理由を教えてくれないこととか」
「多い」
「そうか」
「多いって言うか、隊長なんてわたしたちには教えてくれないことだらけ」
それだけ言うとアイネは抱えた膝の間に顎を埋め、黙った。取り留めもなく続いていた話はそれでおしまいになった。
話し声が途絶えてしまうと、壁の外に吹き荒む風の音が急に大きくなった気がした。目覚めてからもうずいぶん経つが、砂漠を蹂躙する砂嵐は一向に衰える気配を見せない。
……このまま風が止まなければ今夜はこの
アイネの口振りからすると出撃は避けられないもののようだし、おそらくそういうことになるのだろう。あんな中でゴーグルもなしにちゃんと目を開いていられるのだろうか……風のない一昨日でさえあの有様だった俺があの中でまともに戦えるのか。
見も知らぬ『黒衣』や『国王軍』よりもそちらの方がよっぽど重く心にのしかかり、暗澹とした気持ちで俺は小さくひとつ溜息をついた。
――と、扉が打ち鳴らされる音が聞こえた。
「ハイジ、出て」
「はいよ」
もういい加減この掛け合いにも慣れた。
鍵を開け、ドアノブをひねると案の定、昨日と同じ顔が挨拶もなく俺の脇を抜け部屋にあがりこんでくる。……いや、完全に同じというわけでもないようだ。リカがいない。その代わりに新しい顔が二つほど。
ただリカがいないことに俺は思わずほっとせずにはいられなかった。昨日、あの小部屋で起きた事件を思えば、
「よ、ハイジ先生。また聞きにきたぜ」
「面白い話聞かせてくれるんだって? よろしく頼まあ」
めいめい勝手なことを言いながら俺の場所を空けて車座になる。このあたりも昨日と一緒だ。
一方のアイネといえば、リカがいないためか昨日のように寝入りこそしないものの、自分は関係ないと言うように部屋の隅に移って座りこみ、膝を抱える。やはり積極的に参加するつもりはないようだ。
それだけ確認して、俺は自分のために
◇ ◇ ◇
「違う違う、そうじゃねえ。俺が聞きてえのはそういうことじゃねえんだ」
「だから、何が聞きたいんだよ」
「ええ焦れってえな。つまり、俺が聞きてえのは――」
――そしてまた今日も白熱した論議が始まる。
昨日からのメンバーであるオズとノーマが中心となって質問を投げかけて
皮切りにまず昨日のおさらいから入った。一夫一妻を建前とする婚姻制度の説明。そこからその前提となる法律というものの仕組みに移り、やがて政治の話になった。
議会制民主主義、帝国主義、市民革命と時代を遡ってゆき、話題は期せずして王政――『国王』による政治に繋がった。
「するってえと、だ。『国王軍』ってのは要するに、その『国王』の部隊ってことなんだな?」
「そういうことだな」
「となると、『国王軍』がいるからには、ここにもその『国王』ってのがいなけりゃおかしいわけだ」
「そうなんだよ」
「けど、そんなやつはいねえぜ? つじつまが合わねえだろ」
「合わないな。と言うか、そいつらを最初に『国王軍』って呼んだやつは誰なんだよ」
「そんなの、キリコ先生に決まってる」
「ああ……あの人か」
「てことは、なんだ。ハイジはキリコ先生が嘘言ってるってのか? お?」
「そんなこと言ってないだろ」
「だってそうじゃねえか。ハイジの言うことが正しけりゃ、先生は嘘言ってるってことになるんだろ? お?」
「だから、俺はそんなこと一言も言ってないだろ」
俺に向けられる質問はときとして追及、さらには糾弾に近いものになる。傷だらけのいかつい顔に詰め寄られるのはなかなかに
とにかく彼らは飢えているのだと思った。自分たちの知らない世界のことを知りたいという好奇心もあるには違いない。だがおそらくそれ以上に、こうして膝を突き合わせて話すことそのものに彼らは飢えている。
「つまりだ。その『国王』ってのは砂が飛んでこねえ居心地のいい場所に寝て起きて、飲みきれねえほどの水と食いきれねえほどの食い物に囲まれて、女も極上のを
「まあそういうことだ」
「どうしたらなれる?」
「は?」
「その『国王』ってのにはどうしたらなれるんだ?」
「そんなこと聞いてどうするんだよ」
「なるに決まってんだろうが。そっち行ったら真っ先に。こっちでくたばったらそっちに行くんだろ? アンタの昨日の話だとよ」
「ああ……そういう話だったな」
「だったらオレはその『国王』ってのになってやる。絶対になってやるぜ、もう決めた。なあ、どうやりゃいい? その『国王』ってのになるためのコツを教えてくれ、頼む」
「いや、無理だから」
「無理かどうかやってみなけりゃわからねえ!」
「どうやったって無理……ああ、そうだな。こっちで言うなら、まずはノーマが隊長を
「隊長? 隊長ってのは、うちのあの隊長のことか?」
「そう、『国王』になるには部隊が必要だから。あの隊長を斃してノーマがここの部隊を手に入れないと無理だ」
「隊長なんていねえだろ、あっちには」
「いるよ。いなくてもそのうちに来る。いずれそっちへ帰るわけだからな、隊長も」
「そうか……そうだな」
「そこでノーマが
「……他に方法はねえのか?」
「ないわけじゃないけど、手始めにそのくらい簡単にやってのけられるようでないと。『国王』になるのはそんなのとは比べものにならないくらい難しいから」
「……そんなに難しいのか」
「ああ、難しい」
「……仕方ねえ、諦めるか」
窓の外には砂嵐が勢いを弱めることなく吹き荒んでいる。砂塵に陽射しを遮られた薄暗い部屋に、けれどもその激しい風の音はもうまったく気にならない。
飽くことを知らない彼らの質問はあちらへ飛び、こちらへ飛ぶ。行きつ戻りつして迷走した挙げ句に全然関係のないところに落ち着いたりする。
「待ってくれ、そいつだ」
「え?」
「その
「車か。ちょっと難しいな。タイヤ……って言ってもわからないだろうし。……あ、そうだ。つまり『鉄騎』のこと」
「は?」
「車ってのは、ラビットたちが『鉄騎』って呼んでるあれのことだ」
「……てことは、あれか? ハイジの言うそこじゃ、あの『鉄騎』が数え切れねえほどあって、そこら中を走り回ってるってことか?」
「そういうこと」
「へえ。あの『鉄騎』がなあ……」
そこで彼らはふと口を閉ざすと、どういうわけか互いに顔を見合わせた。それから示し合わせたように皆一斉に視線をこちらに向けてくる。
まじまじと俺を見つめるその視線は、けれどもこれまでのそれとはどこか違っていて――その意味は新顔の一人であるオーエンが思い切った様子で口にした台詞で明らかになった。
「妙なこと耳に挟んだんだけどよ」
「え?」
「『鉄騎』っていやアンタ、あの『死神』と何か因縁があるんだってな」
「『死神』?」
「『鉄騎の死神』だよ。三人の中で一番の手練れだ」
「ああ……あれか」
「新入りのアンタは知らないだろうが、あの女はここじゃ有名なんだよ。目の前に立ったときにはもう死んでるってな。そいつを前に、アンタ抜きもせず楽しそうにお喋りしてたって話じゃねえか」
「……そのあたりは深い事情があってだな」
と、言い澱んだところで、男たちはいっそうまじまじと俺の顔を見た。あまつさえ、視界の隅でつまらなそうにしていたアイネの頭があがり、その視線がこちらに向けられるのがわかる。
……適当な嘘で逃げられる空気ではないようだ。それに、この期に及んで隠し立てするような話でもない気がする。そう思って、俺はその話題に踏みこむ覚悟を決めた。
「実は、向こうで会ってるんだよ」
「向こう……ていうと、ハイジが元いたとこか?」
「そういうこと。そこで会ったのを彼女――その『死神』は覚えてたみたいなんだ」
「待て待て、それだと話がおかしくねえか? その元いたってとこでアイネや隊長にも会ってるんだろ? ハイジさんはよ」
「ああ、そうだよ」
「だったらアイネや隊長だって、
「そのはずなんだけど、彼女だけは――と言うか、たぶん『鉄騎』の人間はみんなそうだってことなんだろうけど、そっちでのこと忘れずに覚えてるみたいなんだ」
「つまり……ハイジみてえにってことか?」
「そう、俺みたいに」
「そらいったいどういうわけだ? 何でまたあいつらだけ」
「何でなんだろうな。そのへんは俺にもわからないんだよ」
俺が溜息まじりにそう言うと、男たちは一様にまだ納得がいかないような、だがどこか感心したような表情を浮かべた。
そこでふとオズが、「ハイジにもわからないことがあるんだな」と呟いた。
「あのなあ……そんなの、あるに決まってるだろ」
と、反射的に言い返して、そこで緊張の糸が切れた。誰からともなく笑いが起こり、理由のはっきりしないその笑いは一頻り砂風に乾ききった部屋の空気を震わせた。
「しかしよ、これでまたいっそう我慢できなくなってきたぜ」
それからしばらくの間があって、しみじみとした口調でノーマがそう呟いた。
「我慢できねえって、何がだよ?」
「そっちへ行くことに決まってるだろ。聞けば聞くほど面白そうなとこじゃねえか、まったくよ」
「ハイジの話聞いてなかったのかよ。そっち行っても『国王』にはなれないんだぜ? おめえじゃ」
「そんなのはもう諦めた。そうじゃなくても早く行ってみてえのさ。早くそっちに行って、ハイジの言うそこを見てみてえ。ああ、そうともさ。オレはもう辛抱できねえ!」
「ばか、そんなんじゃ駄目なんだよ。早く行きてえなんて思ってりゃそっちには行けねえんだ。最後の最後までこっちで踏ん張ろうって気概がねえことにはな。そうだろ? ハイジさんよ」
「え? ああ……うん、その通りだ」
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