067 劇中劇(5)

「――もう、早くお決めになってください」


「だからお前が決めろって」


「優柔不断な態度は女の子に嫌われますよ」


「あのな、観たいって言ったのそっちだろ」


「そういう問題ではありません。この場合どちらが言い出したかは関係ありません」


「そういうこと言ってんじゃなくてだな」


「いいえ、この際だからお兄さまのためにはっきり申し上げます。いいですか? こういう場で女の子は相手に決めてほしいものなんです。なのに、さっきからお兄さまときたら――」


 買い物とは名ばかりのウインドウショッピングを長々と続け、混み合うレストラン街で簡単な昼食を済ませたあと、ふと思い出したようにウルスラは映画が観たいと言い出した。腕引かれるままデパート地下のシネマコンプレックスまで来て、そこでこの不毛な掛け合いが始まった。


 両手を腰にあて顔を突き出すような姿勢で小言を言ってくるウルスラは、ふがいない兄の態度に気を揉む世話焼きの妹そのものだ。仏頂面でそれを聞き流す俺の演技もだいぶ板についてきたと言うべきだろう。


 ……もっとも小屋を出てここまで繰り返しこの手の話ばかり聞かされている俺にとって、今やっているは半分演技ではない。


「――ということです。わかりましたか?」


「だいたいわかった」


「わかったのでしたら、ちゃんとお兄さまがお決めになってください」


「ならあれ」


「あれ……って戦争映画じゃないですか。ちゃんとあたしの言ったこと聞いてました? いいですか? 何度も言うようですがこういうときには――」


「強引にでも俺が決めるべきなんだろ? よくわかったよ。さあ、早く行くぞ。ちょうどいま始まるとこみたいだ」


「ああもう……」


 また小言を連ねようとするウルスラの腕を引き、タイトルもろくに確認しないままその映画のチケットを買った。隣の恋愛映画のゲート前にできている長蛇の列に並びたくなかったというのも大きいが、煙たい話を続けるウルスラに当てつける気持ちがなかったと言えば嘘になる。


 だが扉を押して暗闇の中に入ってみて、上映間際にもかかわらずがらがらな客席に愕然とした。封切りされてかなり経っているのか、あるいはよほど人気がないのだろう。……さすがにこれではウルスラに悪いと思い、引き返そうと後ろを振り向いた。


「どこへ行かれるおつもりですか?」


「え? いや……別のにしようかと」


「お兄さまがお決めになったんですよ? ちゃんと最後までつき合っていただきます」


「あ、おい、ちょっと……」


 引き返そうとする襟首を掴んで、今度はウルスラが俺を引きずってゆく。「服が伸びる」と言っても聞く耳を持たない。……気がつけばすっかりベタな演技になっていると思った。あらゆる作品で使い古されたステレオタイプのそれだ。即興劇として考えたとき、今のこの状態は正しいのだろうか? 


 そんなことを考えるうちウルスラの手で、スクリーン正面の特等席に俺は押しこまれた。


 席についてすぐ上映開始を告げるブザが鳴った。


 照明が落ち、例によって配給のコマーシャルが流れ始める。……そういえば映画を観るのは久し振りだった。ヒステリカに入ってこの方、参考にどうしても観なければならなかったもの以外、映画はほとんど観ていない。練習の忙しさにかまけて、というのが主な理由だが、一緒に観に行く相手がいなかったということもある。


 そう思い、誘ってくれたウルスラに今さらのように小さな感謝を覚えたところで、その映画は始まった。


 ――ただ、ブザを聞かなければその映画が始まったことはわからなかったと思う。


 演出ということなのだろうか、その映画にはオープニングがなかった。メインキャストの紹介もなければ、タイトルさえ出てこない。そういえばこの映画のタイトルは何だったか……ふと心に浮かんだ疑問は、どうでもいいことだとすぐに立ち消えた。


 ……それから五分もしないうちに俺はその映画に飽きた。というより、その映画の演出意図がまったく掴めなかった。


 筋立ても何もない。始まってすぐ開始された兵士たちの会話は作戦会議のようで、そこから早々に戦闘シーンへ移行したものの、画面の構成は地味に抑えめ……というよりほとんどに近い。


 しかもどこの国の映画なのだろう、俺には理解できない言語で喋っている上、字幕も出ない。まるで勘違いした学生の手による自費制作映画か何かのようだ。よく観ないうちに失礼だとは思いながらも、あまりの内容にそう感じずにはいられなかった。


 銃撃戦が始まってその印象は俺の中で決定的なものとなった。ただ撃ち合っているだけ、一言で言ってしまえばそれだ。


 兵士たちはそれぞれ物陰に身を潜め、無言で淡々と銃を撃ち続ける。大規模な市街戦にもかかわらず、なぜか彼らが手にしているのは拳銃ばかりであることに興味をそそられるが、逆に言えばわずかでも興味が持てるのはそこだけだ。


 こんなことを思いたくはないが、素人の俺が撮ってもこれよりはなものができる。これでは人気がなくて当然だ……そう思い、改めて湧きあがってくる罪悪感に駆られて隣に座るウルスラに目を向けた。


 けれども暗闇の中にスクリーンの反射光を受けて浮かび上がる端整な顔は、意外に熱心な眼差しでその映画に見入っていた。俺が頭をまわして彼女を見たことにもまったく気づかない。さらに視線をめぐらせてみれば、まばらな他の観客の目もみな一様にスクリーンに注がれている。


 ……釈然としない思いで客席を見まわしても、居眠りをしている観客の姿はどこにも見あたらない。


「あははははは……」


 不意に客席から笑い声が起こった。


 反射的にスクリーンに目を戻す――だがそこに映っていたのは笑いからはほど遠いシーンだった。逃げ遅れたものと見える兵士が敵方の集中砲火を受けて蜂の巣にされる。断末魔のきりきり舞いをしながら兵士が地面に倒れ臥すその瞬間まで、客席の笑い声はやまなかった。


 ……直前に何かおかしなシーンでも挿入されていたのだろうか。そう思って隣を見る。上品に口に手をあて、堪えきれないといった様子でウルスラも笑っている。それを確認して、俺はもう一度スクリーンに目を戻した。


 穴だらけの身体から流れ出した血が、乾いた地面に黒々と染み広がってゆく。その映像に客席からの笑いは弱まるばかりか、ここぞとばかりに大きくなった。その笑いのポイントが、俺にはわからなかった……あるいはちゃんと観ていた者にしかわからないメタなブラックジョークが隠れていたのかも知れない。ウルスラが笑っているということは、きっとそういうことなのだろう。


 そこでにわかに思い当たるところがあった。……なるほど、この映画の面白さがそのあたりにあるのだとしたら、それはつまらないどころかとてつもなくレベルの高い作品ということになる。斜に構えてうわべだけ流ししているのは無知な人間の傲慢だ。ここからは俺もそういう目で真面目に観よう――気持ちを入れ替えてスクリーンに向き直った。仲間たちに見捨てられた哀れな兵士の死体は、まだそこにあった。


 ……だが、そんな決意も十分後には跡形なく崩れ去っていた。


 どう頑張って観ても、やはり俺の目にはつまらない映画としか映らない。物語の筋さえ見えない戦闘指示と銃撃戦の羅列。その銃撃戦にしたところで、出会い頭に撃ち合って一方が倒れるだけの描写に終始している。


 極端に虚飾を廃したその内容には、「実際はこうなんだよ」という制作者の主張が滲み出ているように思える。ただ別にこちらとしては、そんな制作者の意図を汲み取るために映画を観に来ているわけではないのだ。


「あははははは……」


 そしてまた客席から笑い声があがる……いったいこれは何なのだろう。さっきからずっとこの調子で、スクリーンの中で人が無惨に撃ち殺されるたびにこの笑いがおこる。


 今度のそれはローティーンとおぼしき少年兵士が被弾して倒れたシーンに向けられたものだ。……もちろん、俺は笑えない。このシーンのどこに笑える要素があるのか、俺にはそれがまったくわからない。


 地面に横倒れになった少年は身体をねじ曲げてもがき苦しみ、やがて小さく痙攣して事切れた。その間、周囲の銃声を拾いながらもカメラはずっと彼の上に固定されていた。


 少年が動かなくなるとまた観客から盛大な笑い声がおこった。真摯に見入っていた気持ちはそれでそがれた。


 そうして俺は深刻にもなりきれず、かといって周囲のように陽気にはもっとなれないまま、また一人暗闇の中に置いてけぼりをくらうことになる。


 もう一度、隣に視線を向けた。スクリーンを見つめるウルスラはさっきと同じように口に手をあて、こみあげてくる笑いをどうすることもできないといった様子でくっ、くっと喉を鳴らしている。……やはりそういうことだ。彼女に見えているものが、俺には見えていないのだ。敗北感にも似た気持ちで小さく溜息をつき、のどこが面白かったのかあとで彼女に聞いてみよう、と素直にそう思ってスクリーンに目を戻した。


「……ん?」


 半ば投げやりな気分で立ち返ったスクリーンには、DJによく似た男が大写しになっていた。顔のつくりといいまばらに生えた無精髭といい、何から何まであいつにそっくりだ。


 指揮官という設定なのだろう、そのDJにそっくりな男を前に部隊の人間はみな神妙な面もちで話を聞いている。そんな彼らに真面目な表情で指示を与えるDJに思わず失笑しかけ、だがぎりぎりのところで俺は堪えた。……退屈そのものだったこの映画に興味がわいてきた。そう思い、また新しい気持ちで俺はその映画に向き直った。


 そうして眺めるうち、俺は徐々に我が目を疑い始めた。


 それはDJによく似た男ではなかった、。何気ない表情の中に浮かぶ特徴、喋りながらこめかみのあたりを指で掻く癖……そんなひとつひとつを見るにつけ、そうとしか考えられなくなった。俺が目にしているのは紛れもないDJ本人だった。土汚れた軍服に身を包み、古びたライフルを脇に抱えて戦場に向かうDJの姿を、俺はスクリーンの中に見ていた。


 ……だがほどなくして、なるほどそういうことがあってもおかしくないと思い至った。前に一度だけ聞いたラジオの内容からして、この手の映画はあいつの趣味にかなうに違いない。低予算の個人制作映画に誘われて出演したということなら、それはいかにもありそうな話だ。


 なぜそんな映画がデパ地下のシネコンで上映されているのか、そこまではわからない。けれどもその事実を認めたことで、俺は俄然その映画から目が離せなくなった。


 起伏のない内容は相変わらずだったが、もうそれも気にならなかった。単調に流れてゆく映像の中、俺はただひたすらにDJの姿を追った。俺の知らない言語で仲間たちに指示を出し、みずから先頭きって敵陣へ突入してゆく。愛用のAK74カラシニコフはその腕の中にある。東欧の小国を思わせる古い色褪せた家並み……どこの映像なのだろう、と今さらのように考える。土煙舞うその戦場にDJは熟練した傭兵のように一人、また一人と敵の兵士を撃ち殺してゆく。


 だが優位に見えた戦況はほどなくして急坂を転げ落ちるように悪化してゆく。相次ぐ仲間たちの死、圧倒的な敵部隊の増勢。最後の生き残りとなったDJは孤立無援のまま先のない戦いを戦い続ける。朽ち果てた白壁から白壁へと走り、言葉もなくカラシニコフを撃ち続ける。無駄なあがきにも似たその孤独な戦いに、やがて一発の銃弾が終止符をうつ。


 被弾して倒れたDJはとどめを刺されることなく、敵の手によって捕縛される。銃創の手当てもないまま、天井に近い小窓から鈍い光の射す納屋のような一室に両腕を縛られて監禁される。曖昧な時間軸の進行があって、二人の敵兵が入ってくる。どちらも大柄な白人。一人は手に黒い棒のようなものを持ち、見せつけるようにそれをもう一方の手に軽く打ちつけている。


 部屋に入るなり棒を持たない方が激しい口調で質問らしい言葉をDJに投げかける。その言葉にDJは反応しない、ただ虚ろな目で彼らを眺めている。そんなDJに棒を持った方がほとんど小走りに近づく。手にした棒を振りあげ、それをDJの顔目がけて容赦なく打ちおろす。


「……っ!」


 思わず目を背けたくなるそれは、文字通りの拷問だった。


 瞬く間にDJの顔は真っ赤に腫れあがり、なおも続く殴打に鼻は潰れ、口は横ざまに裂ける。……ここへ来て初めて、息を呑む迫真の映像だった。どうやって撮影しているのだろう……俺には実写としか思えない。


 そんな映像の中にあってDJは口を割らない。どれだけ痛めつけられても、現実に、虚ろな目で見つめ返す以外、彼らに何の反応も返そうとはしない。


「う……」


 ……とても直視できる映像ではなかった。けれども、俺はその惨劇から目を離すことができなかった。


 DJの顔は膨張を通り越して、もはや赤い肉の塊のようだ。このまま殴打を続ければDJが死ぬことは誰の目にも明らかだった。


 彼らにもそれがわかったのだろう、棒を振るっていた男はもう一人の指示でその手を止め、部屋の隅に退いた。そうして指示を出したそのもう一人の男が、哀れむような微笑を浮かべてDJの前に屈みこんだ。


 だが、男たちは拷問の手を休めたのではなかった。


 屈みこんだ男は穏やかな口調で二言、三言DJに語りかける。その言葉にDJは反応を返さない、もう人間のものとは思えない顔に表情を動かそうともしない。


 それを確認して男はDJの服に手をかける……正確にはベルトに。何が行われようとしているのか、俺は直感的に理解した。心臓が冷たい血を全身に送り始め、手の指先が早くも震え出した。それでも俺はその映像から目を離すことができなかった。


「うあ……」


 予想通り、男はファスナーをおろしてDJのペニスを引き出した。そうしてもう一方の手に、胸ポケットから取り出したナイフの刃を立てた。


 そこで手を止め、翻意をうながすようにじっとDJを見つめる。DJは応えない……もう意識がないのかも知れない。男は諦めたようにふっと息を吐き、真面目な表情に戻ってナイフを持つ手をもう一方の手に近づける――


「いっ……!」


「あははははは……」


 切断の瞬間、堪えきれずにもれた俺の呻きは、湧き起こる盛大な笑い声に紛れた。


 切り落とされた血塗れのペニス……男はそれをDJの眼前に近づけ、それでも反応がないとおもむろに立ちあがる。棒を持った男に短く語りかけ、連れ立って部屋を出てゆく。


 そうして薄暗い部屋の中に性器を失ったDJと、失われた性器だけが取り残される。


「あははははは……」


 観客たちの哄笑はやまなかった。悲惨という言葉では片づけられないDJの姿に、容赦のない笑い声はいつまでも浴びせられ続けた。


 まともに息をつくこともできないような喪心の中で、俺はただぼんやりとその笑い声を聞いていた。そうして再び――感情から離れた混じりけのない疑問として、彼らが何をそんなに面白がっているのか、その理由が心にかかった――

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