230 すべてが終わったあとに(4)

 どこまで話したっけね。……そう、おとついワイン飲んだときにあの子の――血塗られた《プロトタイプ》の生い立ちまでは説明したんだったか。だとすりゃ話はもう半分終わってるよ。《プロトタイプ》って言葉の意味はわかるかい? 何かを量産するとき、その原型として作られる最初の一体、ってほどの意味さ。ではここで問題。あの子はいったい何の原型として作られたものか? 答えはあんたたちさ。あの子はの原型として作られたものだったのさ。


 ……ああ、正確にはちょっと違うね。その説明だと最初からあんたたちを作ること見越してあの子を作った、ってことになっちまう。実際は違うんだ。前にも話したろ? あの子ができちまったのはあくまで偶然の結果だ。金持ちの腹ん中に移植するための臓器の製造工場で、予期せぬ副産物として生まれたのがあの子だ。ただそれを副産物には終わらせなかったやつがいたんだよ。あんたも知ってる天才生理学者、直し屋ジャックことジェイコブ・マクミラン博士がその人さ。


 かの少女により引き起こされた惨劇は、天才の目に単なる惨劇とは映らなかった。全研究員が死滅した研究所に残された血染めのレポートから、あいつは《プロトタイプ》にひとつの特異な能力を見出した。後にユングになぞらえて非因果的連シンクロニシティ関なんて呼ばれ方することになるそれは、人間に本来備わった『共感』という作用により、対象となる相手に外傷をはじめとする様々な影響を行使し得る驚くべき能力だったのさ。


 双子が遠く離れててもお互いの身に起こってることを察知し合う『精神感応』って現象があるのは知ってるかい? 非因果的連シンクロニシティ関ってのは、その『精神感応』が双子っていう特定の対象から離れてに向いたもんだってあいつは説明してた。……あたしには何のこっちゃさっぱりわからなかったけどね。とにかくあいつは《プロトタイプ》にそういった能力を見出し、それを他の個体で再現しようと試みた。それがそもそもの始まりだよ。


 どうだい、わかってきただろ? かの天才は偶発的に発生した変異種である《プロトタイプ》に備わったその特異な能力――非因果的連シンクロニシティ関を行使し得る新たな個体の創造を試み、見事それに成功したんだ。それがあんたたち三位一体トリニティだよ。この三位一体って名前にはミソがあってね。畏れ多くも神学用語を引っ張ってきてるんだが、要は非因果的連シンクロニシティ関を示す個体の作り方を暗示してるのさ。


 まずはヒトの受精卵を得る。こいつは《本部》から定期的に液体窒素で凍らせたやつが送り届けられていたからどうやって調達してたかまではわからない。次にその受精卵を卵割初期にいじくることで一卵性の三つ子の胚を作る。ここまでは簡単だ。そのあとが企業秘密なんだが三つのうち二つの胚を潰して、潰した胚のしかるべき機関オルガンを、残る一つの胚のしかるべき部位へ埋め込むんだ。こいつがまた面倒でね。あいつが作った詳細なレシピがあるんだが、顕微鏡レベルで信じられないほど細かな作業やらされるってんで誰もやりたがらない。女だから手先が器用、とか思われてたとすりゃ心外だけど、結局あたしがその作業引き受けることになって実質的にあいつの助手に収まった……ってのはまた別の話か。


 いずれにしろあんたたちトリニティはそうやって量産されるようになった。あいつがほとんど――いや、完全にたった一人で考案した手順によってね。あいつがどうやってあのわずかな情報からあんたたちの量産方法を確立したのかはわからない。あのの作業にしてみたって、あたしにとっちゃ原理もなにもわからないそれをレシピに書かれてる通りに繰り返してただけさ。けど、現実にあんたたちは仕上がった。『共感』を具現化する力――弾の入ってない銃を撃って人を傷つけ、電源の切れた携帯電話でもって通話し合う非因果的連シンクロニシティ関――俗な言い方すりゃを現実に示す個体が次々に生産された。


 ……ああ、ここでひとつトリニティの生育速度について補足しておかなくちゃいけないね。実際のところトリニティが使いもんになるのは第二次性徴が始まるあたりだ。つまり、そのへんのお年頃にならないと一大特長であるところの非因果的連シンクロニシティ関を示さないってわけさ。だからそこまで成長させないと失敗作かどうかさえわからないわけなんだが、1ロット仕上げるごとに十五年もかかってたんじゃ量産どころか研究にもなりゃしない。そこであたしらは実験体の成長速度を速めることにしたんだ。


 植物の促成栽培をもっと極端にしたもん想像してくれりゃいい。薬物の投与はもちろんだが、栄養から環境因子から何から何までお膳立てしてやって、普通の人間じゃ考えられないようなスピードで成長するようにしたのさ。おかげであたしが細工した胚がものの半年後には二次性徴迎えるまでになった。異様な話だね……と言うかだ。そのへんからあたしはあんたらトリニティを自分と同じ人間だとは思えなくなった。神ならぬ人間の手が作り出した人の形をした何か――そう、あんたがここへ来たとき言っていたようにホムンクルスか何かのように感じるようになっちまったのさ。


 ここでもう一点補足しとこうか。促成栽培で身体ハードの製造スパンが半年に縮まったのはいいが、それだけじゃまだ仕事は半分だ。身体ハードができたって精神ソフトがなけりゃどんなシステムだって動きゃしない。けど実のところ、これがまた難しい話でねえ。精神の成長は身体みたいに簡単にはいかないんだよ。生まれたばかりのまっさらな頭が人がましい知識を身に着けるにはどうしたってある程度の時間が必要になってくる。


 そこで登場するのが《ヤコービの庭》さ。間違っちゃいけない、あんたがあの子と殺し合ってたあそこじゃないよ? 言ったろ、あそこはあくまで一部を間借りしてるだけだって。……でもね、あんたも知ってるよ。その《ヤコービの庭》ってのはあんたもよく知ってる。むしろあたしなんかよりあんたの方がよっぽどよく知ってるだろ。なにしろあんたがってのがその《ヤコービの庭》なんだからさ! 


 種明かしちまうとね、《ヤコービの庭》も結局のところ例の非因果的連シンクロニシティ関ってやつの応用なんだよ。いつかあたしが手に針を刺してみせただろ? あの『共感』を極限まで増幅させていった先にあるもんなのさ。つまりは見てるだけで痛みの錯覚を覚えるほどの『共感』をに向けたのがあんたのその弾なしで撃てる銃で、に向けたのがあの《ヤコービの庭》ってわけだ。


 前に説明したこと覚えてるかい? 《ヤコービの庭》ってのは言ってみれば一人の女の子の頭をサーバーとする仮想世界だ。つまりあんたがここに来るまで現実だと思って暮らしてたそこは、何のこたない、みたいなもんだったんだよ。《ヤコービの庭》の非等時性についても説明したっけね。あっちの世界でどれだけ時間が経とうが、こっちの世界じゃコンマ一秒も過ぎてないってあれだよ。トリニティの精神的成長にはこの特性が実にうまく機能したんだ。身体ハードの成長が完了した時点で《ヤコービの庭》に入ってもらい、十五年かそこらしてもらえば、はい出来上がり。人間らしい精神がインストールされたトリニティの完成だ。


 つまり《ヤコービの庭》の実現は三位一体トリニティの量産化とセットだったってことさ。立ち上げはあいつがここの主任研究者に着任してすぐだったから、そのあたりは最初から織り込み済みだったんだろうね。もっとも《ヤコービの庭》についてはあたしも立ち上げに関わっただけで、運用フェイズでは完全にノータッチだった。そんなわけで、そこでどんな教育施してんのかまるっきりわからなかったんだが、卒業した連中と話してみりゃみんなで喋るじゃないか。だから、そこがをモデルにした場所だってのはわかった。……まさかそこにあたし本人までいるとは思ってなかったけどねえ。立ち上げのとき一回入ってそれっきりだけど、まあおおかたあいつが何か仕組んだんだろ。


 いずれにしても、だ。あんたが暮らしてたあの場所は、トリニティが大人になるまで勉強する学び舎だったのさ。世界で一番平和なあの国で充実した子供時代過ごして精神面での成長を果たした実験体に洗脳処理ブレインウォッシュかけてやってだね、言語能力やら判断力やらは残しつつ倫理観だの常識だのをとっぱらった血も涙もない戦闘マシーンに仕立て上げる。そうやってできたのをあの《試験場》へ投入するんだよ。それがあたしたちのやってきたことさ。あそこで生きてた連中は、みんなそうやって作られた実験のためのモルモットだったんだよ。だからあの中で顔合わせた連中の中にあんたの知った顔があったのも道理さ。なにせ同窓のご学友なんだからね。


 かくして稀代の天才科学者ジェイコブ博士は、歴史の闇に埋もれ消えてゆくはずだった奇妙な実験結果に着想を得て、凡百の研究者が千年かかっても発想すらし得なかったに違いない偉大なる発明を成立させた。そしてそのふたつの発明を組み合わせることで、トリニティという人類の新たな可能性を切り拓いてみせたのさ! そう、トリニティは進化のキーだった! 人類が新たなステージに進むための進化のキー! あいつがどう思ってたか知らないが、あたしはそう信じてたよ。


 もちろんそれが人倫にもとる悪魔の所業だってことはわかってた。眠れない夜だって一晩や二晩じゃなかったし、いずれあたしは地獄に堕ちるんだろうっていう確信もあった。けどね! たとえ地獄に堕ちようが何しようが見たかった光景がそこにはあったんだよ! その光景が見られるなら金も名誉もどうでもいいって真剣にそう思った。思えばあの頃が一番楽しかったのかも知れないねえ。有史以来……いや、この星に生命が誕生してから初めて行われようとしている、ひとつの種が自らプロデュースする種の進化! あと一歩だったんだよ! それが成し遂げられるまで本当ほんとにあと一歩だったんだ!


 ……けど、それは果たされなかった。その種の宿業とでもいうべきサガがそれを許さなかった。本部から《黙示計画》の要綱が送られてきたのはちょうど研究が軌道に乗って、トリニティの量産化に目鼻がついた頃だったよ。その計画ってのはこうだ。市街戦闘に関する知識、および実戦技能をきっちりインストールしたトリニティを若干名用意する。そしてそのトリニティを某内戦地域における反政府勢力の志願兵として送り込む。


 非因果的連シンクロニシティ関のフィールドテスト、ってのが表向きの理由だったんだけど、誰もそんなもん信じちゃいなかった。その頃はまだそこそこ良好な関係にあったマリオなんかと協力してね、その計画における《本部》の狙いがどこにあるのか秘密裏に調査したんだ。そしてあたしらはその《黙示計画》の本当の目的を看破した。それは《本部》が画策するトリニティの軍事利用に関する第一のステップだったのさ。


 トリニティの軍事利用! こいつに関しちゃ今でもはらわたが煮えくり返る思いだよ! 連中は核兵器に代わる新たな暴力装置としてトリニティを利用することを考えたんだ。あの《試験場》でたっぷりと人殺しの練習をさせた血に飢えた獣たちに、平和な小市民としての価値観を上書きしてどこぞの国へ移民として送り込む。あとは簡単だ。小市民を獣に反転させるためのスイッチちらつかせて交渉にかかりゃ、どこの国のお偉方も無碍むげにはできないって寸法さ。


 砂浜の砂にまぎれたビーズみたいに完全に生活に溶け込んだトリニティが、ひとたびスイッチ押せば水と食糧奪うために平気で人を撃ち殺す戦闘マシーンに早変わり。ショボい脅しだと思うかい? 違うんだよ、逆にそのショボさが大事なのさ。冷戦通じて西と東で開発競い合った結果、核兵器がどうなっちまったか知ってるだろ。一発撃てば全人類が死滅するかも知れないような代物に成り下がっちまった核兵器に、もう抑止力としての効果は見込めなくなった。あまりにも威力が強くなりすぎて、誰もそのスイッチを押せなくなっちまったんだよ。


 押せないスイッチに意味はない、いざとなったら押せるスイッチがどこかにないもんか――誰もがそう考えるようになった。できればこっそり押せるスイッチがいい。誰が押したかわからない、でも押した結果は誰の目にもわかる便利なスイッチが。……そこに目をつけたの《本部》のお歴々だ。一群のトリニティとそのスイッチをひとまとまりのシステムとして然るべき機関に売り込む。それが《黙示計画》の目論見であることにあたしたちは気づいた。


 結論から言うと《黙示計画》ってのはトリニティのコマーシャルだったのさ。弾丸なしで人畜を殺傷できるホムンクルスができましたって言ったって、んなもん誰も信じちゃくれない。だから人目につくところでさせてやることにしたんだよ。派遣したのは十人かそこらだったけど結果は上々だったってことだ。特に最後に一人だけ生き残ったやつが、反政府部隊の主力が全滅したあとも頑強に抵抗を続けて政府側から賞金までかけられたってんで《本部》の連中が大喜びしてたよ。まさにコマーシャルの目標達成ってやつだからね。


 ――けど順調なのはここまでだった。思えば歯車が狂い始めたのはここからだ。その最後に一人だけ生き残ったやつがどういうわけかしてきちまったんだよ。これには驚いた。派遣された連中は捨て駒だと誰もが信じて疑ってなかったからね。あたしだけじゃなくマリオも他の先生方も困惑しきりだったんだが、一人だけ平然とした顔してるやつがいたんだ。もちろんここの主任研究者様だよ。聞けば生き残ったやつをここへ戻すよう指示したのもその主任研究者様だってことじゃないか。


 ……それだけじゃないんだ。あろうことか主任研究者様はその生き残りに洗脳処理ブレインウォッシュかけてあの《試験場》に投入すると言い出した。これにはさすがにあたしも黙っていられなくてね。さんざんやり合ったんだがあいつは取り合やしなかった。仕方ないからしぶしぶ洗脳処理ブレインウォッシュやら何やらの処置施してその生き残り――DJジャックの娘を《試験場》へ送り込んだ。……その直後だったよ、我らが主任研究者様が何も言わずこの研究所から消えちまったのは。


 ……こうやって順序立てて説明してみりゃこの件にあいつが噛んでないってことはありえないね。あいつはやっぱりどこかしらの機関と裏でつながっていたのかも知れない。あたしがあれだけきっちり洗脳処理ブレインウォッシュかけたはずのDJあの子が派遣先でのことを覚えてたって事実……それにそもそもあたしらの反対押し切ってDJを《試験場》へ放り込んだのがあいつだって事実を併せて考えりゃどうしたってそうなるよ。


 《黙示計画》の記憶を残したままDJを《試験場》に投入するってことは導火線に火のついた爆弾をここに投げ込むのと一緒だ。あいつにそれがわからなかったはずはない。つまり、マリオを操ってここを葬り去ろうとしていた《本部》とは別に、この研究所を破滅させようと動いてたがいて、ジャックはそれに秘密裏に加担してたってことになる。……そうとしか考えられない。


 おそらくそいつはマリオが死に際に言ってた外部の手――つまり、ここのどこかで例の核実験の準備進めてるやつらの親玉ってことになるんだろう。そいつが誰かまではわからない。……ただマリオの言いぐさじゃないけど、今はもうそんなことどうだっていいんだよ。あたしがあんたに伝えたいのはそんなことじゃない。


 ――で、あたしがあんたになに伝えたいかってことだけどね。ここまで話せばさすがにもうわかってきたんじゃないかい? ハイジ、あんたはトリニティだ。つまりあたしがペトリ皿の上でまだ人の形してない胚をいじくりまわして作り上げたあの子たちの兄弟ってわけさ。


 ……もっとも、あんたのことはいじっちゃいないよ。さっきも言った通り、レシピに書いてあったやり方だと三つ子ちゃんのうち二人は潰さないといけない。けど、あんたは三人共になった。どうしてだかわかるかい? あんたをこしらえたのはジャックなんだよ。ここを出ていく少し前に、あいつは自分自身の手で二組のトリニティを製造した。一組が『ブラザーズ』って呼ばれてたで、もう一組が『シスターズ』って呼ばれてた三姉妹さ。共通してるのはどっちも《プロトタイプ》と同じで三体揃ってトリニティとして完成した、ってことだ。


 ……ったく、そんなやり方があるならどうして最初から教えてくれなかったんだろうね。あたしのやってきたことは何だってんだ、って話だよ。それはまあいいとして、あいつは『ブラザーズ』と『シスターズ』が完成すると、まるでそれを待っていたかのようにここから逃げた。『シスターズ』と二人の『ブラザーズ』、つまり二人のあんたを引き連れてね。一人だけ置き去りにされた『ブラザーズ』があんた――ああややこしいね、あたしが今こうして話してるだ。


 長々と話しちまったけどさすがにこのへんで打ち止めだ。要点をまとめると次の三つかねえ。


 一つ、あんたは呪われた人体実験の所産として生み出されたトリニティであって、人間じゃない。


 二つ、あんたがここへ来る前に暮らしてた場所は女の子の妄想みたいなもんで、間違っても現実の世界じゃない。


 三つ、! だからここであんたが死んでも元いた場所へは帰れない!


 さあここまで言えばあんたにもわかるだろ! あたしたちはここに閉じ込められたんだよ! 頼みの綱のジープも奪われてその上こんなところに閉じ込められた! それがどういうことかあんたにはわからないのかい!?


 死ぬんだよ! あたしたちはここで死ぬんだ! 落盤に押し潰されて! そこで生き残れたっていずれ酸素がなくなって死ぬんだ! 演技でもなんでもなく本当に死ぬんだよ! 心臓が止まって呼吸しなくなって冷たくなって硬くなってそのうちに腐り始めるんだ!


 もう一度言うよ! あんたがここへ来る前にあたしと一緒に楽しくやってたっていうその場所は現実じゃない! あんたはもう二度とその場所へは戻れない!


 外への出口は塞がれた! 頼みのジープは奪われた! あたしたちはもうこのしみったれた穴蔵の中でただ死ぬのを待つしかないんだ!

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