075 隠された小部屋(4)

 残りの実は城に持ち帰り、三等分してそれぞれ別の場所に隠した。瓦礫の下に潰れないように実の房を埋めながら、まるで野生の動物のようだと思った。……そうしてすぐ、それそのものだと思い直した。他の個体に奪われないように食べ残しを隠すこの行動は、野生の動物が本能でする習性以外の何ものでもない。


 自嘲の溜息をつきながらその作業を終えたあと、少量をポケットに残して岩塩も同じようにした。椰子の実と同じ所に隠そうとも思ったが、安全を考えてやはり別の場所に埋蔵した。もちろん、どちらを隠すときも慎重に周囲に気を配り、誰もいないことを確認するのを忘れなかった。ただそうしながらも、ペーターがもしこの場所を探り当ててこれを台無しにするというのなら、それはそれで構わないという諦めに似た気持ちが心のどこかにあった。


 そのあとも俺は廃墟の探索を続けた。ペーターを捜し出すことについてはもうとっくに投げていた。どうせこちらの思惑とは関係なく、そのうちあいつの方からひょっこり姿を見せてくるに決まっているからだ。もう発見らしい発見もなく、漫然と城の中を歩き回るそれは探索というより散策に近かった。


 夕暮れになった。結局、そんな時間になるまで俺は目的を見失ったその探索をやめなかった。気温が上がらなかったせいで汗はそれほどでもないが、ほぼ一日中歩きづめだった身体に疲労は濃い。もう切りあげて『王の間』に帰ろう――そう思い立ち止まった回廊の一郭に、偶然、俺はその穴を見つけた。


 曲がり角に近い内側の壁。腰ほどの高さに空いたそれは、ともすれば見落としてしまうような小さな穴だった。それを見落とさなかったのは、糸のように細い夕陽がその穴から洩れていたためだ。だが何かの加減で光線の向きが変わったのか、俺が見ている前でその糸のような光は忽然と姿を消した。


 しばらく眺めていても、その穴から再び夕陽が洩れてくることはなかった。そのことを確認し、いったんはそこを通り過ぎようとして――けれども何となくその穴が気になった。ばかげていると思いながら、屈みこんでその穴を覗いた。その穴の向こうに、家具らしきものが置かれた小さな部屋が見えた。


「……」


 最初は目を疑った。偽物の風景を見せられたような思いで、よく見ないうちにその穴から目を離した。だがそのまま立つことができずにしばらく考え、もう一度穴に目を近づけた。……穴の向こうにはやはりその光景があった。背の低い本棚と椅子のついたテーブル。そのテーブルには鳥籠のようなものが載っているのが見える。……鳥籠?


「……」


 穴から目を離して再び考えこんだ。


 この何もない廃墟にこんな部屋があるというのは不自然だし、これだけ歩きまわってきた俺の目に留まらなかったというのも奇妙だ。……けれどもあの『王の間』の寝台を思えば、他に家具のある部屋があっても不思議はないのかも知れない。それに幾ら俺が歩きまわってきたといっても、この広い建物の中に見落とした場所のひとつやふたつ残っていてもおかしくはない。


 そう考えて立ちあがった。いずれにしてもこうして目に入ってしまった以上、このまま素通りというわけにはいかない。空っぽだとばかり思っていた廃城に突如として現れたなのだ、何かが見つかる可能性は充分にある。そう思い、急速に興味が高まってくるのを覚えながら、その小部屋に入るために回廊の角を曲がった。


「……ねえよ」


 切れ目のない壁を迂回して幾つかの部屋を覗いたあと、回廊を一周してまたここに戻ってきた。……家具のある部屋などなかった。そんな部屋はどこにも見あたらない。土壁にさっきの穴を探してもう一度覗きこんでみる――ちゃんと見えた。問題の部屋は確かにその穴の先にある……なのにその部屋はどこを探しても見つからない。


「……」


 窮屈な視界に目を凝らすうち、ふとその光景について気づくところがあった。よく見ればその部屋には出入り口らしいものがなかった。向かいの壁の天井近くに小さな窓がある他は、こちらへの通り道がどこにもないように見える。あるいは四方を壁で囲まれた隠し部屋になっているのかも知れない。だがそれならそれでその部屋に通じる隠し扉が、この辺りのどこかになければおかしい。


「……やっぱねえよ」


 もう一周してきても、部屋はやはりどこにもなかった。今度は慎重に観察しながらまわり、念入りにあちこち調べながらきたのだが、それでも見つからない。騙されたような気持ちでまた穴を覗く……調度の並ぶ小部屋の光景が見える。部屋は確かにこの壁の向こうにある。だがどこをどうまわってみても、確かにあるはずのその部屋にたどり着くことができない。


 風の音はまだ続いているが、太陽を遮っていた砂塵の雲は晴れたようだ。けれども黄昏に向かう廃墟にあって、視界を与えてくれる光は徐々に弱々しく頼りないものになってきている。そんな光の中にぼんやりと浮かびあがる小部屋を眺めるうち、見えない誰かに弄ばれているような思いに駆られた。衝動に任せて壁を蹴る。だが悠久の時間を耐え抜いた厚い土壁は、俺の細脚が蹴りを入れたところでびくともしない。


「ああくそ!」


 苛立ち紛れに吐き捨て――そこでふと、窓の存在に気づいた。壁の穴の向こうに見える小部屋、その天井近くには明かり取りのように開いた小さな穴がある。そこから光が洩れこんでいる以上、その穴は間違いなくの壁に開いている。そのことを悟って、弾かれたように俺は駆け出した。


「……あった」


 その窓を見つけるのに時間はかからなかった。方角からしてあの回廊の裏側、俺が見ていた壁とおぼしきそこの天井近くに、通気孔のような穴が確かに口を開けていた。高さと大きさを考えればあの窓と見ていいだろう。けれども壁に開いた穴はその窓だけで、小部屋への入口はやはり見あたらない。


 それでも今度は簡単に引き下がらなかった。絶対にあるという確信をもって、壁の隅々まで念入りに調べ尽くした。すると――あった。部屋の一角に倒れかかる柱の陰。壁の根本にそこだけ煉瓦が取り除けられた真四角の穴が、瓦礫で巧妙に覆い隠されているのを発見した。


 どうにか人一人がくぐり抜けられるていどの狭い穴だった。瓦礫を掻き出してそれを確認したあと、地面に這いつくばって頭からにじりこんだ。穴を出たときには身体中砂まみれだったが、そんなことはどうでもよかった。脚まで抜けきり、砂埃を払いながら立ち上がって――そうして俺は遂にたどり着いたその部屋の中を眺めた。


 小窓から射す太陽の光はゆっくりと死にかけていた。わずかに色づいたその薄明かりの中に、家具たちは覗き見た通りの並びで静かに佇んでいた。……時の流れから取り残された廃墟にあって、ここはさらに取り残された場所だと感じた。風の音はもう聞こえなかった。だが俺はそれがやんでしまったのだとは思わず、この部屋が嵐からも取り残されていることを思った。


 象眼の施されたテーブルと二脚の椅子。背の低い本棚には一冊の本も並んでいない。造りからして高価なものだったに違いないそれらの家具はどれも完全に色褪せ、過度の乾燥のためだろうかあちこちにが入っている。瀟洒な調度が朽ちかけているさまに『王の間』の寝台を思った。あるいは同じ頃に使用されていたものなのかも知れないが、なぜこの部屋とあそこにだけこうしたものが残されているのか、そこまではわからない。


 テーブルの上に置かれていたのはやはり鳥籠だった。止まり木はないが明らかにそれとわかる金属製の籠で、なぜだろう、周囲の家具とは逆にそれだけが真新しい。鳥は入っておらず、中はからだ。けれどもこの部屋に入ってすぐ鼻をついたかすかな臭いが、最近までそこに鳥がいたことを物語っているようにも思える。


 部屋の隅に小さな段ボール箱がふたつ並んで置かれている。中を覗いてみると一方には例のカロメもどきの袋、もう一方にはラベルのないペットボトルが詰められていた。……あいつはをこの部屋から持ち出していたのだ。ただ箱の中身が開封された空き袋と底に穴のあいたペットボトルであることを認めて、その新たな発見もすぐ虚しいものになる。


「……」


 そこでふと、言いようのない不安が胸にこみあげてくるのを覚えた。


 水と食糧が手に入らなかったことはいい。もちろん残念な思いはあるが、期待していなかった分それも少ない。だがあいつの手がこの箱の中身にまで及んでいた事実は、じんわりとした力で俺の心臓を掴んだ。その理由はすぐにわかった。……ここの物資まで残らず台無しにしているということは、あいつだけ生き延びる意思はないということだ。


 そのことを思って、掴まれた心臓の鼓動がわずかに速くなるのを感じた。どす黒い何かが血に溶けて全身に運ばれてゆくような胸騒ぎだった。……このままいけば二人揃って木乃伊ミイラになることはわかりきっていたのだから、その胸騒ぎは明らかに矛盾だった。


 それでも俺は目前に迫ったその具体的な危機ではなく、彼女に対する漠然とした不安のために、箱の前に屈みこんだまましばらく動けなかった。


 不安からようやく立ち直ったとき、窓からの光はいよいよ微弱な頼りないものになっていた。夕暮れのかすかな赤みさえもうそこにはなく、部屋の中は家具もろとも深い藍色に塗り潰されようとしている。


 あと少しで視界が利かなくなる……それに、この部屋で見るべきものはすべて見たのかも知れない。そう思って立ちあがった。長くしゃがんでいたせいで強ばる膝を二度、三度伸ばしたあと出口に向かいかけて――何気なく見下ろした籠の中に鳥の死骸が入っているのを見つけた。


「……」


 鳥籠の底の端、横からは見えないそこに鳥は窮屈な姿勢でもう動かない身体を横たえていた。


 青い闇に覆われゆく視界に目を凝らして鳥籠の口を探し、半分手探りでその死骸を取り出した。両手に載せて見るそれはどうやら鳩のようだ。死臭がなく、羽もほとんど抜け落ちていないのは死んで間もないためだろうか。……あるいはこの乾ききった大気の中では、どんな死骸も自然にそうした方向へ向かうものなのかも知れない。


「……ん?」


 死骸を籠の中に戻そうとして、そこで初めてその鳥の脚につけられたものに気づいた。


 金具で脚の中ほどに留められた蓋つきの小さな筒――それを認めることで、その鳥が伝書鳩と呼ばれるものであったことを知った。筒の蓋を開くとそこには思いがけず、丸められた紙片が納まっていた。慎重に取り出して広げてみる……だが急速に闇へと向かう薄明かりの中、そこに何が書かれているかはっきりと読みとることができない。


 ここで読むことを諦め、紙片を折り畳んで胸ポケットに入れた。そうして鳥の死骸を元通り籠に戻した。どこかに埋めてやろうにも、この周りは岩ばかりで埋められる土がない。そう思って一度は出口に向かいかけたものの、やはり思い直してまた籠から鳥を出した。


 埋めるあてが見つかったわけではない、ただこの冷たい檻の中よりはましな眠り場所があるはずだと思った。その場所がどこかわからないまま小さな死骸を携え、もう鼻先も見えなくなりつつあるその部屋をあとにした。

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