018 集団催眠(5)

「……DJかよ。何の用だ?」


 と、俺は言ったが、DJはそれには応えず、それまで繋がれていた俺の手をむしりとるようにしてクララの手を握った。


「はじめまして……ではありませんね。ですがお言葉を交わすのはこれが初めて。どうかお見知りおきを。私はDJという者です。わけあって本名は申せませんがお兄さんなどはそう呼んでくれています。ラジオのDJをやっているんです。小さな局ですが、やる気と生き甲斐を感じています」


「え……? あ、は……はい」


「そういうのは秘密にしておくのが粋だとか言ってなかったか、おまえ」


 そんな俺の指摘を無視し、DJはクララの手を握ったままいよいよ光り輝く目で彼女を見つめた。


「お嬢さん、御名前は?」


「ク……クララです」


「クララ! 素晴らしい名前だ……。可憐で、それでいて気品がある。花のように美しいあなたのすべてを、その名前が表しているようだ」


 聞いているこっちが赤面するような台詞を大真面目な顔でDJは口にする。だいたいこいつはクララという名前に何の疑問も感じないのだろうか。


「そ……そうですか」


「ええそうですとも! クララ……美しい響きだ。清楚で、品格に満ち、懐かしくさえある。クララさんとお呼びしてよろしいでしょうか? それともクーちゃん?」


 ……何の疑問も感じていないのだろう。こいつにとって名前などどうでもいいのだ。たとえ彼女がウメと名乗ろうがホザンナと名乗ろうが、きっと同じ歯の浮くような台詞をそのあとに連ねるのだろう。


「ク……クララと」


「クララ! わかりましたクララ。これからはあなたのことをそうお呼びしましょう。それにしても何という偶然だ……。今日こうしてまたあなたにお会いできたのは神の導きたもうた運命のようだ」


「は……はぁ」


「そう、運命。私たちはきっと結ばれる運命なのです。……いや、失敬。これは少し話を急ぎましたね。差し当たってどうでしょう。この再会を確かなものにするために、どこかで一緒にお茶でも」


「わ……私、もう帰ります! 済みません、失礼します!」


 クララはDJの手を振り払いベンチから立ちあがった。そのまま走り出しかけて、あのときそうしたように一度だけこちらを振り返った。


「それではまた。今日はお話できて嬉しかったです」


 俺に向かい笑顔でそう言って、クララは小走りに行ってしまった。


「あーあ、行っちまった。……何か機嫌損ねるようなことしたかな、おれ」


「あほか。おまえは」


「ん? どういうことだ?」


 あまりのばからしさに返事を返す気にもならなかった。DJは俺の隣、さっきまでクララが座っていた場所に腰をおろした。そして真剣な目でじっと俺を見つめてきた。


「なあハイジ、ひとつ深刻な質問があるんだ」


「……何だ?」


「どうやったらそんなに女にモテるんだ?」


「モテる? 誰が?」


「おまえに決まってるだろ」


「あのな……。俺のどこをどう見たらそんな台詞が出てくるんだ?」


「そうか、おまえ自覚ないのな」


 自覚いかんの問題ではなく、確実にDJの事実誤認だった。若干一名、あからさまな好意を向けてくれる女がいることにはいるが、彼女はそもそもケースが特殊だから参考にはならない。それ以外に思いあたる節はこれといってない。第一、もしDJの言葉が真実だとしたら、なぜ夏を迎えようとするこの時期に、俺の隣には恋人の一人もいないのだろう。


「俺がモテるモテないは別にして、さっきのあれはどうかと思うぞ、正直」


「どこらへんがまずかった?」


「最初から最後まで」


「マジか! しかしあれは、キリコ先生から受けたアドバイスをもとに、必死で編みだしたアプローチ方法なんだが」


「……どんなアドバイスを受けたんだ?」


「最初はとにかく徹底的に誉めろ、と。名前でも容姿でも何でもいいから」


「それ自体はあながち間違いでもない。が、さっきのは駄目だ。大袈裟すぎる」


「それもキリコ先生に言われたことだ! 口説くときの文句は少しくらい大袈裟な方がいい、と」


「……いや、それも別に間違ってないから。というか、どう考えても『少し』じゃないだろ、さっきのは」


「ああ! おれはあの女狐に担がれたのか! 畜生め覚えてやがれ、今度会ったときには!」


「聞けよな……人の話」


 DJは動物的なうなり声を発しながら、目の前のものを揉みくちゃにするジェスチャーをして見せた。空想の中の相手がキリコさんだとしたら八つ当たりにもほどがある。そのあたりをわからせてやりたい気もしたが、面倒くさいのでやはり止めておいた。口ではどう言ってもDJがキリコさんに手をあげるわけなどないし、いざ議論となれば返り討ちに遭うのがオチだ。あるいはそれでDJの誤った認識が正されるかも知れないし、あえて俺がここで可能性の芽を摘むこともないだろう。


 三分もしないうちにDJの錯乱は治まった。同じ状態が長続きしないというのがこの男の良いところでもあり、悪いところでもある。何のつもりか、DJはさっきと同じように真剣な目で俺を見つめてきた。


「もうひとつ質問がある」


「今度は何だ」


「おまえ、昨日アイネと何かあった?」


 またそれ系の話か、と言いかけて――DJの表情にその言葉をのみこんだ。


「昼頃は一緒にいたけど、それがどうかしたか?」


「それだけか? 何か変わったところとかなかったか?」


「変わったところ……。あ! そういえば!」


 勢いよくベンチから立ち上がった。リカの一件を完全に忘れていた。あれからアイネはどうしたのだろう。一人で隊長に掛けあったのだろうか。とにかく事の次第を聞いておく必要がある。公衆電話に走ろうとして、ふとDJを顧みた。


「おまえ携帯持ってた?」


「ああ、持ってる」


「貸してくれ。金払うから」


「アイネならかけても無駄だぜ?」


「どういうことだ?」


「電源が切ってある。さっきかけて駄目だった」


「――そうか」


 俺は仕方なくまたベンチに腰をおろした。アイネの携帯の電源が切ってあるのは珍しいことではない。どうせ午後の練習で顔を合わせるのだし、昨日のうちに話がついてもう警察が動いているのだとしたら、そのときはそのときで臨機応変に立ちまわるしかない。


「昨日の夜からずっとだ」


「ん?」


「アイネに電話が繋がらねえの。昨日の夜からずっと」


 俺の反応など素知らぬ様子でDJは訥々と呟いた。どうやらこれが本題ということらしい。俺はリカの一件を頭の隅に追いやってDJの話を聞くことにした。


「……おまえの方こそ、何かあったのか?」


「あった。それが変な話なんだけどな……」


 いつになく真摯な表情のまま、DJはその『変な話』を語り始めた。


「昨日の七時頃アイネから電話がかかってきたんだ。あいつから電話なんて珍しいし、『どうした』って聞いたら、もう最初から変なんだよ」


「変……というと?」


「隊長って呼ぶわけよ。おれのこと隊長と間違えてるんだ」


「……最近そういうの流行ってるのかな」


「何か言ったか?」


「いや、何でもない。で? 誤解が解消されたあとは?」


「解消されなかった」


「え?」


「誤解は最後まで解消されなかった」


「何だそれは。ちゃんと言ったのか?」


「言ったさ。『隊長じゃねえよ、DJだ』っておれはちゃんと言った。なのにあいつは、『なら隊長じゃない。おかしなこと言わないで』って逆ギレしてくるのよ」


「……わけわからないな」


「だろ? わけわからなかったけど、まあいいかと思って用件を聞いたわけよ。そしたら、もっとわけわからないことになっちまって」


「どんな用件だったんだ?」


「用件っていうか、電波なんだよ」


「……電波?」


「そう、電波。内容がやばいし、壊滅的に話が噛み合わない」


「もったいつけずに話せって。どんな内容だったんだ?」


「かいつまんで言えばだな……戦場の会話なんだ」


「……は?」


「斥候に出てて敵と遭遇したらしくてさ、A-16地点とかそんな感じの場所に早く救援に来てくれって、そう言うわけよ」


「……冗談にしては笑えないな」


「それ以前にあいつが電話で冗談言うなんて、猫が人の言葉喋るくらいありえねえ」


「まあ、たしかに」


「それにだな。これはおれの幻聴かも知れないんだが、よく耳を澄ますと聞こえてくるんだ」


「何が?」


「銃声。それも大合唱」


「……まさか」


「おれもまさかと思ったさ。だから幻聴かも知れないって言っただろ。でもたしかに聞こえたんだ。回線の先に広がってる戦場の風景が見えるような、凄えリアルな音だった」


「それで、結局どうなったんだ?」


「切られたよ。『もう話してる余裕ない』みたいな捨て台詞のあとにさ。さすがに気になって何度かかけなおしたんだけど……その先のことはさっき話した通りだ」


 それだけ話してしまうとDJは口をつぐんだ。その浅黒い顔に影がさした。見上げればいつの間にか厚い雲が広がり、太陽を隠して空を埋め尽くそうとしていた。


 にわかには信じがたい話だった。荒唐無稽で脈絡がない上に現実味に乏しい。だがそれを出鱈目と片づけることはできなかった。俺の中でどこか引っかかる部分があった。どこか見えない場所から届けられる不可解な電波――


「……俺の身にも覚えがある」


「へ?」


「それと似たような電波ついこの間、俺も受信した」


「マジか! 詳しく聞かせてくれ」


「それならまずおまえに聞きたい」


「いいぜ、何でも来い」


「おまえ日曜の夜にラジオで喋ってたよな?」


「ああ喋ってた。それがどうかしたか?」


「その放送で死体について話した覚えあるか?」


「死体……?」


 一瞬、DJは驚いた顔をし、だがすぐに真顔に戻った。そして目を瞑り胸の前で腕組みをして、しばらくそのまま動かなかった。


「喋ってない。死体については」


 やがてDJは目を見開き、ぎろりとこちらを睨みつけてそう言った。


「で、それとさっきの話が、どこでどう繋がるんだ?」


「おまえが喋っていたんだ」


「は? 何を?」


「ラジオで三十分近く死体について喋っていた」


「……おれが、か?」


「ああ、たしかにおまえだった。まず死体の数を言ってから、それぞれの死体について死因を読みあげてた。みんな銃殺体ってことらしくて、弾丸が胸部を貫通して即死とか、頭蓋骨が砕けて灰色の中身が見えてるとか、そういうのを延々と」


「そりゃ……えぐいな」


「途中でもう聞くの嫌になったんだけどな、どこかでオチがつく可能性も捨てきれなかったから最後まで待ってた。……最後までその調子だったよ」


「どうして月曜にそのことをおれに言わなかった?」


「言えるかよ、そんなこと」


「……そうだよな。言えないよな、そんなこと」


「それにあれだ。ひょっとしてそういうノリのラジオかと思ったんだ」


「はあ?」


「これがDJの言ってた前衛芸術ってやつか。俺にはやっぱり理解できないな、ってそう思って」


「ってことはあれか? 月曜におまえがゲンナリした面してたのは?」


「ああ、そういうことだ」


「そりゃまあそうだわな。そんなもの聞かされればゲンナリもする……」


 そこでDJは堪えきれず吹き出した。当然、俺もつられた。暗く深刻な話が続いた分反動は大きく、鉛色の空のもと俺たちは一頻り哄笑を響かせた。


「おれが伝えたかったのはそれだけだ」


 先に笑いから立ち返り、気の抜けたいつもの表情に戻ったDJは、そう言って小さく鼻を鳴らした。


「もしかして、舞台のこと気遣ってくれたのか?」


「当たり前だろ。おれだってスタッフの一人なんだぜ? 役者の様子がおかしけりゃ気になるし、フォローの根回しくらいはしに来る」


 DJはベンチから立ち上がって大きく伸びをした。そして帆布袋を担ぎあげ、軽く右手をあげて見せた。


「それじゃ、あとは任せたからな」


「ああ、この借りはそのうち返す」


「そんなら来週の土曜だ」


「え?」


「あのでかい銃ちゃんと整備しとけ。忙しいは無しだからな」


「へいへい」


 そんな軽い挨拶を交わして、俺たちは別れた。


◇ ◇ ◇


 DJが立ち去ってしまったあとも、俺はしばらくベンチから動けなかった。なぜ動けなかったのかわからない。DJの話に強い衝撃を受けはした。だが俺を足止めしたのはもっと別のものだった。……どこかで歯車が回り始めるのを感じた。いや正確には、どこかで歯車が回り始めていたのを知った。収束したはずの混乱がぶり返し、俺の頭の中は乱れに乱れた。答えの出ない堂々巡りを何周繰り返しただろうか。不意に鼻の頭に冷たい感触を受け、思考は打ち切られた。


「――雨だ」


 大きな雨粒がひとつ、またひとつと地面を黒く染めていった。たちまち本降りになった。呪縛から解き放たれた俺は、鞄を頭に載せ這々の体で交流会館に駆けこんだ。


 にわかに降り始めた雨は、いつまで経ってもやむ気配を見せなかった。売れ残りの弁当で昼食を済ませたあと、アイネあたりが来ることを期待してそのまま交流会館に留まり、転換表を読みながらイメージトレーニングに時間を潰した。だが結局、誰も姿を見せなかった。そのうちに談話室は雨を避ける学生たちの人いきれで噎せ返るようになったので、俺は早々に見切りをつけ小屋へ帰ることにした。傘立てに万年収まっているビニール傘を拝借して、降りしきる雨の中、帰路を急いだ。

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