331 巡礼者のキャラバン(12)

 俺の言葉に周囲は再び静まり返った。魔法にでもかけられたように、広間の空気がぴんと張り詰めている。


 そんな彼らを眺めながら、俺は悪くない出だしだと思った。そう……預言者として彼らに託宣を下すのに、この雰囲気は決して悪くない。


 そう思って、俺は再び口を開いた。


「さっきカラスが言ったことだけどな、俺たちが逃げちまったのかと思ったって、あれ結構いい線突いてるんだよ。結論から先に言っちまえば、俺たちはここから逃げなければいけない。それも、できる限り早く」


「……逃げるて、どこにだ」


 ラビットの口からぽつりと小さな呟きがもれた。口に出すつもりはなかったのだけれどついこぼれ出てしまった、そんな呟きだった。


「ここじゃない場所へ、だ」


「だからよ、それがどこかて……」


「ここのまわりに広がってる荒野を踏み越えた先にある場所だよ」


 あえて何でもないことを言うように、俺は一息で言い切った。ラビットは信じられないものを見るような目で俺を見たまま、何も言わずゆっくりと口を閉ざした。


 再び沈黙がきた。広間に集う男たちが皆揃って困惑――というより、ほとんど思考停止の状態にあることを、重く深いその沈黙の中に感じた。


 そんな彼らに追い打ちをかけるように、俺はなおも続けた。


「さっきも言ったように、ここはもうすぐ滅びるんだ。ここに居続ける限り、俺たちも同じ運命を辿ることになる。だからその前に荒野を越えて外の世界を目指す。新しい隊長として俺があんたらに指し示すことができるのは、その一本の道だけだ」


 しんと静まり返った広間に俺の声だけが虚ろに響いた。男たちからの反応はなかった。誰からも、一言の返事も返ってこない。


 そんな情景に、俺は強い既視感を覚えた。


 ……そう言えばあのときもこうだった。キリコさんがいなくなり、途方に暮れたまま迎えることになった舞台前最後の練習。遅れて稽古場に現れるや出し抜けに残酷演劇なるものについて語り始め、キリコさんは先にそっちへ行ったなどとわけのわからない話を続ける隊長を前に、俺たちはきっと、今の彼らと同じ顔をしていた。


 すべてを知ったような顔で常軌を逸した独白を続けるプレゼンター。誰もついてこられない独り善がりなミーティング。思えば今のこの状況は驚くほどあのときと酷似していた。……あのときの隊長もこんな気持ちだったのだろうか――ふとそんなことを考えて、俺は内心に苦笑した。


 今にしてみればあのときの隊長もまるで預言者のようだった。……いや、場の雰囲気や元々彼に備わっていたカリスマを考慮に入れれば、今の俺なんかよりよほど預言者然としていたと言える。


 ただ、こうして預言者を演じる俺があのときの隊長の振る舞いを真似ようとは思わない。なぜなら隊長はあのとき、自身の演じていたその演技に失敗したからだ。俺たちに演劇の中の世界の存在を信じ込ませ、その世界へ俺たちを連れてゆくことがあのときの隊長の目的だったのだとしたら、少なくともあの日の時点で彼の演技はその目的を達成することができなかった。


 ――あのときの隊長がどうだったかは知るよしもない。だが、俺は何としてもこの演技を成功させなければならない。今日、この演技の中で彼らにその世界の存在を信じ込ませ、ハーメルンの笛吹き男よろしくその世界へ彼らを引き連れてゆく筋道を立てなければならない。


 そして俺は、もう一度自分に問いかける。その目的を達成するために、俺がこの場で守り通さなければならないものがあるとすれば――


「……ここが滅びるって、そいつはまたどういうこった」


 どこか不機嫌そうな声でオーエンが切り出した。俺が言うことなど信じてはいないが、続きが気になるから仕方なく訊いてやる。そんなオーエンの心の声が聞こえてくるような、愛想のない質問だった。


「滅びるったって、何がどうなって滅びるってんだよ。それが俺にはわからねえ」


「具体的に言えば、水と食糧が手に入らなくなるんだ」


「……何だって? んなもん、よその部隊を潰してやりゃいくらでも――」


「どの部隊を潰しても奪い取れなくなる。と言うより、この廃墟で動いてるすべての部隊の手持ちの水と食糧が、そのうち完全に尽きる」


「……」


「そうなれば俺たちがどうなるかわかるだろ? それが、ここが滅びるってことの意味だ」


 俺の説明にオーエンはぎこちなく口を開いたまま絶句し、しばらくそのままでいた。だがやがて小さく舌打ちして目を伏せると、不貞腐れたような口調で反駁の言葉を口にした。


「……わけがわからねえ。俺はここがそんなふうになっちまう気がしねえよ。だってそうだろ。水も食糧も、これまでずっとあったじゃねえか」


「それがどこから来るのか知ってるのか?」


「え?」


「その、これまでずっとあったっていう水と食糧がものなのか、オーエンは考えたことがあるのか?」


「……」


「あの明らかに人工的にパッケージングされた水と食糧が、自然にどこからか湧いて出るものだとでもあんたらは思ってるのか?」


 俺の追及にオーエンはまたしても絶句し、苦々しげに視線を逸らした。


 ……知らないうちに、自分の言葉が熱を帯びてきているのがわかった。


 目の前に迫る危機について何も知らず、知ろうともせず、無知を盾に身勝手な言い訳を並べ立てるオーエンに、俺は苛立ちを感じ始めていた。


 預言者にしては感情的になりすぎている……そう思う自分がいないと言えば嘘になる。さっきの台詞にしてみても、およそ民草を導こうとする偉大な預言者の口にする台詞ではない。


 けれども俺は自分が演じているその役を正しく演じるために、頭に浮かんでくる辛辣な言葉をほとんどそのまま目の前の男に叩きつける。


「逆に聞くけどさ、あんたらはどうしてそれがこれからもずっと変わらずに与えられ続けるものだって何の疑問もなく信じていられるんだ?」


「……」


「ここに来たばっかりの頃から俺にはそれが不思議でならなかったんだよ。どうしてここの連中は揃いも揃って水と食糧がどこからともなくやって来ることをみたいに当然のこととして受け容れているんだろう、ってな」


 あまりにもあからさまな俺の物言いに、男たちの表情がすっと険しくなるのがわかった。だが俺はそれで逆に、自分の演技の方向性が間違っていないということの確信を持った。


 俺がこの場で守り通さなければならないこと――それはだ。『預言者』という未知の仮面ペルソナをキリコさんに提示されてからここまで必死に考え続けて最後の最後にたどり着いた、それが俺の結論だった。


 重要なのは俺の演技が彼らにこと。それだけだ。はっきり言ってそれ以外はどうでもいい。どんな無様な演技であったとしても、彼らの心を動かすことができればそれでいいのだ。


 言い換えれば、俺がここで付け焼刃の預言者など演じてもまったく意味がないということだ。数時間前まで自分が演じることになるとは夢にも思わなかったその役を器用に演じて彼らの心を掴めるほど俺はたいした役者ではない。


 だから、俺はあくまでその預言者の役を演じなければならない。


 素のままの自分で彼らに向き合うこと、嘘偽りのないありのままの思いを伝えること。それが今まさに俺が演じ始めたこの演技の生命線だ。


 ほとんど言葉を交わしたことがない面子もいる彼らに対してあえてぞんざいな言葉遣いで臨んでいるのもそのためだ。たとえ不完全な演技でも、本音ならば俺の言葉には魂がこもる。腹の底からの本音であればこそ、それはかろうじて彼らに可能性があるのだ。


 ……もちろん、賭けには違いない。だが少なくとも俺にとって、それは最も勝算のある賭けだと思った。そして一度ひとたび賭けを始めた以上、もう降りることは許されない。


「……無理だろ、そんなの」


 永遠に続くかと思われる長い沈黙のあとに、エンゾの口から苦しげな呟きがもれた。


「どうやって越えていくってんだ、あのだだっ広い荒野をよ」


「『鉄騎』だよ」


「え?」


「あんたらが『鉄騎』と呼んでるやつで荒野を越えてゆくんだ」


「……そういやあんたいつか言ってたな。『鉄騎』を操れるんだ、ってなこと」


 黙ってしまったエンゾのあとをオズが引き継ぎ、その台詞に男たちの間からまた一頻りざわめきが起こった。大方、オズが口にした、俺が『鉄騎』を操れるというキーワードに反応してのことだろう。


 まだざわめきが収まらないなか、オズは周囲をいなすように落ち着いた声で、俺に対する質問の言葉を口にした。


「でもよ、それだともうひとつわからねえことがある。荒野の外にある世界ってのは、あんたが前に話してくれた、空から水が降ってくるっていう場所だよな?」


「ああ、そうだ」


「けど、それだと話が違うんじゃねえか? そこは俺たちが死んだら行ける所だってことじゃなかったのかよ」


「俺もそう思ってた。けど、違ったんだ」


 そう言って俺は男たちに向き直った。そして、俺がこれまでにその話を語り聞かせてきた座談会のメンバーの顔を見回しながら言った。


「俺が前に話してた、空から水が降ってくるっていうそこは、俺たちが死んだあとに行く場所じゃなかった。……ああいや、死んだら死んだでやっぱりそこへ行くことになるんだけど、ここと地続きの、死ななくても行ける所にも、そういう世界があるってことがわかったんだ」


「荒野の外側にか?」


「ああ、荒野の外側に」


「何でだ? 何だってまたあんたにそんなことがわかるってんだ?」


「雨が降るからだ」


「雨? そいつはあんたが言ってた、空から水が降ってくるっていうアレか?」


「そうだ。明日か明後日、に雨が降る」


「……」


「俺たちが今いるだ。だから俺には、これまであんたらに話してきた世界がこことがかけ離れた場所じゃなくて、死ななくても行ける地続きの場所だってわかったんだ」


 俺の言葉に周囲はまたしても静まり返る。


 上辺は何も変わらずそれまで通りの表情を装いながら、ついに差し掛かった勝負所を思って、俺は奥歯を噛み締めた。


 嘘偽りのないありのままの思いを伝えること――広間に踏み込んでからここまで貫き通してきたその演技のルールを、俺は今、初めて破った。……破らざるを得なかった。


 なぜならオズの質問――いつか同じことをアイネにも問われたそれは、俺の中でもまだ答えが出ていない極めて形而上学的メタフィジックな命題だからだ。


 ここにも雨が降るとわかったからとが地続きであることがわかった……滅茶苦茶な論理には違いない。だが、そこにはトリックがある。限られた時間の中で俺なりに考え抜いた、彼らの判断をひとつの方向に誘導するためのトリック――


 ここに雨が降る。空から水が降ってくる。


 その情報を突きつけられた彼らにとって、他のすべてはとるに足らない問題に過ぎなくなるのだ。


「……本当に、水が降ってくんのかよ」


 そんな俺の思惑にまんまと絡め取られたかのように、オズの口からうめきにも似た呟きがもれた。

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