009 インビジブル・バレット(2)
「こんなところでひなたぼっこですか?」
「よく見ろよ。木陰だろ」
「あ、本当だ」
「授業じゃなかったのか?」
「休講だったんです。掲示されてたのに私それ見てなくて、誰もいない教室で十分も待ってました」
そう言ってはにかんだ笑みを浮かべると、ペーターは「よいしょ」と小さく呟いて俺の隣に腰かけた。
「それで、先輩はここで何をしてたんですか?」
「考え事」
「というと、さしずめ舞台のことですね」
「いや、ちょうどおまえのこと考えてた」
「え?」
ペーターが意外そうな顔でこちらを見た。俺は話を先へ進めるために小さく咳払いをした。
「昨日のこと覚えてるか」
「はい、もちろん覚えてますよ?」
「リカたち追いかけてて、何かおかしなことになったよな」
「そうですね。走っても追いつけなかったり、ちょっとおかしかったです」
「夢でも見たのかと考えたんだが、おまえが一緒にいたからそのはずもないな、と思って」
「……なるほど。そこで私が登場したわけですか」
「ん?」
「……まあいいです。なるほど、そのことで思い悩んでいたということですね」
「そんなところだ」
「私もですね、あれについては気になりまして、少し時間をかけて考えてみたんですよ。それで、一つの仮説を立ててみました」
「仮説?」
思わず真剣な目でペーターを見た。そんな俺を認めて彼女は得意そうに微笑み、胸を張った。
「はい。私の仮説によるとですね、昨日の事件はあれじゃないですか? その場にいる人たちが同じ幻を見てしまうっていう」
「集団催眠?」
「そう、それです。きっと知らないうちに催眠をかけられてたんですよ、私たち」
右手の人差し指を立て、いかにもといった感じでペーターは自分の推理を述べた。俺は彼女から視線を外し大袈裟に溜息をついた。
「……ありえないだろ。リカたちにそんな器用なことできるわけない。それに俺もよく知ってるわけじゃないが、たしか催眠ってのには儀式めいたややこしい手順がいるらしい。リラックスした状態での会話とか」
「会話ですか?」
「『あなたはだんだん眠くなる』って、そういうのだ。まあそんなステレオタイプなやつじゃなくても、とにかく会話は必要みたいだな。あのときリカたちとは一言も会話してなかっただろ?」
俺の問いかけに、ペーターは顎に手をあてて考えこむような仕草を見せた。
「そうなると……追跡を始める前に既に術に落ちていた線も考えられますね」
「何だよ。それじゃ俺たち、爺さんに催眠術かけられたってことか?」
「その可能性も――いえ! それはないです。それはないですよ。だってあのお爺さんいい人ですし……」
慌てて捲し立てるペーターに俺はつい笑ってしまった。彼女はそれに少しだけきまりが悪そうな表情を作ったが、すぐに元の柔らかい笑顔に戻った。
それからしばらく沈黙があった。生い茂る並木に数羽の小鳥たちが舞い遊んでいるのが見えた。さっきと変わらない平和な『庭園』の風景に違いなかった。
けれども俺はそこに夏の気配を感じた。いつも通りの手触りを感じることができた。ペーターが来る前に一人眺めていたときの曖昧な印象は消えていた。
――なんだかんだで俺はこいつに、こうしていつも癒されているのかも知れない。そう思い顔を向けた俺の目の前で、彼女はおもむろに鞄から黒光りするものを取り出した。
「! ……何だよ。脅かすな」
「え? あ、すみません。驚きました?」
ペーターが鞄から取り出したものは昨日の銃だった。呆れる俺を後目に、彼女はその銃を手の中に弄んだ。
「そんなものわざわざ持ち歩いてるのか。まるでDJだな」
「もうすっかりお気に入りなんですよ。それに先輩も言ってたじゃないですか。本番までにしっかり手に馴染ませておけって」
「そんなこと言ったか?」
「言いましたよ」
「……そうだな。言ったような気もする」
そう呟く俺にペーターは手を伸ばし銃を差し出した。……銃口が真っ直ぐこちらに向けられているのが気になったが、こんなところで銃器の心得を語っても仕方ない。俺は何も言わずその銃を受けとった。
「その銃のこと教えてくれませんか? 昨日帰ってから少し調べてみたんですけど、私にはどうもよくわからなくて」
「何が知りたいんだ?」
「こう、具体的なことが。イメージを膨らませるための」
「ああ……この銃はな、デリンジャーっていうんだ」
「それが名前なんですね」
「いや、名前とは少し違う。デリンジャーというのは総称で、こういう形をした小さな銃を一般にそう呼ぶんだ」
「ということは、この銃の名前ではないんですね」
「そうだ。銃の名前は銃身なんかに刻まれてるもんだけど、こいつにはないみたいだな」
「そうですか。名前はちょっと知りたかったかも」
「別にいいだろ。それとも撃つときに叫んだりするのか?」
「まさか。そんな恥ずかしいことしませんよ。それよりもっと詳しいこと教えてください」
「ああ、わかった。この銃はだな、割と特殊な使われ方をするものだ」
「どういうことですか?」
「派手に撃ち合うための銃じゃない。どこかに隠しておいていざというときの切り札に使うのが本来のかたちだ」
「なるほど。道理で小さいわけですね」
「ああ。だからこいつは連続して二発しか撃てない」
「先輩の銃はどれくらい撃てるんですか?」
「デザートイーグルか。あれは十発そこそこだな」
「……桁が違いますね」
「DJが昨日分解していたのはもっと撃てる」
「……ということは、やっぱり大きさで撃てる弾の数が違ってくるということですか?」
「いや、どちらかといえば機構の違いだな。これは単発式で、俺のはセミオートマチック。DJのはアサルトライフルという分類になる」
「そう言われても私にはさっぱりですよ」
「簡単に説明すれば、撃つたびにいちいち弾ごめしないといけないのが単発式。それを自動でやってくれるのがセミオートマチック。弾ごめなしで連射できるのがアサルトライフルだ」
「へえ……。それじゃ私のは一番使いにくい銃なんですね」
「そういうわけでもない。さっきも言ったようにこれは隠し持つための銃だ。戦場で撃ち合いをするにはDJの銃に軍配があがるが、舞踏会で急遽持ちあがった決闘なんかでは断然こっちの方がいい」
「何かわかったような気がします。要するに、同じ銃でも使い道が違うということですね?」
「そういうことになるな。俺の持っているあれも撃ち合いをするための銃だから、弾ごめなしに何発か撃てないと都合が悪いんだ」
「……またわからなくなりましたよ? 先輩の銃とDJさんの銃は同じように撃ち合いをするためのものなんですよね? それならどうして性能に違いがあるんですか?」
「それはだな、そもそも拳銃ってのは最後の武器なんだよ。連射できる銃が使えなくなったときのとっておき。言ってみれば切り札で、そういう意味ではこの銃に近い」
「ということは、兵隊の人は普通、先輩の銃とDJさんの銃を両方持ってるということですか?」
「実際は違うけど、まあそんなところだ」
「先輩のお家にDJさんが持ってたような銃ってありましたっけ?」
「ないよ。俺が持ってるのはあのでかい拳銃だけだな」
「でも……たしか先輩って、こういう銃を使って撃ち合いのゲームをしてましたよね。DJさんと一緒に」
「サバイバルゲームのことか? 一応やってはいるな。最近は御無沙汰だけど」
「先輩はゲームであの銃を使ってるんですよね?」
「ああ。ほとんどあればっかりだ」
「DJさんみたいな銃を使う人もいるんですか?」
「もちろんいる。それがどうかしたのか?」
「そんなの不公平じゃないですか。どうして先輩はDJさんの持っているような銃を使わないんですか?」
「ああ。そのことか。……それはだな、幾つか理由はあるけど、その質問の中にも既に一つの答えが含まれてる」
「どういうことですか?」
「ゲームで俺みたいに拳銃ばかり使う人間のことを『ハンドガンナー』って言うんだが、そいつらはたいていこんなことを口にするんだ。『無敵の銃なんかで戦って、いったい何が楽しい?』とな」
「不利な方が楽しいってことですか?」
「平たく言えばそういうことだ。何発も連射できる銃を使ってるやつらを、性能に劣る拳銃で倒すのがロマンなんだよ。……まあ安いロマンには違いないけどな」
「それなら理解できます。そういうの好きですもんね、先輩」
「あとまあ、俺がゲームを始めた理由には役作りがあるから」
「役作り? 『兵隊』のですか?」
「そう。銃での撃ち合いがどんなものか理解したいと思って始めたんだ。所詮はごっこ遊びだけど、中にはかなり真剣にやってる人もいるって聞いたから。銃を扱う上での常識とか少しは知れるかと思って」
「そういうことだったんですか」
「ああ。でも『兵隊』といっても平時の都市勤務だからライフルで撃ちまくるわけにもいかないだろ? そういう理由で俺は『ハンドガンナー』になったわけだ。デザートイーグルぶっ放してりゃ同じことだ、ってDJには笑われたけどな」
「私にも教えてくれませんか? それ」
「それ、っていうと?」
「銃を扱う上での常識」
「……ああ、わかった。そういうことなら一つだけ教えておいてやろう。最低限これだけは守らないと駄目だって常識だ」
「はい。お願いします」
「撃つつもりのない相手に銃口を向けるな」
「……!」
「さっきこいつを渡すとき、引き金に指をかけたまま銃口を俺に向けていただろ。あれは良くない。撃つつもりのない相手に銃口を向けるな。たとえモデルガンであってもな。どんな綺麗事並べても、こいつは人を殺す以外に使い道のない道具なんだ」
「……済みませんでした。心に刻んでおきます」
少し脅えた顔でペーターはそう言い、それきり黙ってしまった。きつい言い方になった気もしたが、これでいいのだと思った。うなだれる彼女の横で、俺はしばらく手の銃を眺めていた。
「――これはいい銃だ」
じっくり時間をかけ隅から隅まで眺めまわしたあと、俺はペーターに銃を返した。彼女は恭しい手つきでそれを受けとりながら、「そうなんですか?」と呟いた。
「ああ。どういう目的で作られたものなのかいまいちはっきりしないけど、素人目にもわかるくらい凄く丁寧なつくりをしている。きっと値の張るものだと思う。あとで爺さんに何か礼を考えないとな」
「それなら、舞台に招待するというのはどうですか?」
打って変わって晴れやかな表情でペーターはそう提案した。大方、この話題が出たときのために考えておいたのだろう。
「いいかも知れない。今日は珍しく休みみたいなこと言ってたから、明日にでも顔出して誘ってみるか」
「はい。何だか舞台に、また一つ楽しみが増えた気がします」
「まあ来てくれるかわからないけどな」
「来てくれますよ、きっと」
そう言ってペーターは風にそよぐ木立を眺めた。それからしばらくの沈黙があり、やがて彼女は小さな声で、「もうすぐですね」と囁いた。
「……ペーターにとってはヒステリカに入って初めての舞台か」
「はい。先輩にその名前で呼ばれるようになって初めての舞台です」
そこでペーターはこちらに顔を向け、懐かしげに微笑んで見せた。その表情にきまりの悪さを覚えて、俺は彼女がさっきまで眺めていた木のあたりに視線を移した。
……彼女にペーターと名づけたのは俺で、それはほとんど腹いせに近い動機によるものだった。そもそものところ、俺はこいつにはヒステリカに入ってほしくなかったのだ。だから入団当初は――と言うより、ついこの間まで、俺は彼女にずいぶんとつらく当たっていた。
けれども今は、そんな過去の態度を恥ずかしく思う自分がいる。非情な俺の仕打ちにもめげず、ペーターはヒステリカの一員として立派に地歩を固めていった。今回の舞台にしたところで、彼女がいなければずっと規模の小さいものになっていただろう。
ペーターの入団は、ヒステリカにとって文字通りの福音だった。……個人的な感情でそれを追い出すようなことをした俺は、本当に駄目な人間だ。
「ありがとうな」
「え?」
「うちみたいな小さな劇団に入ってくれてありがとう。もう言う機会ないだろうから言っておく。感謝してる」
「そ……そんな水臭いこと言わないでください」
ペーターはそう言うと真っ赤になって俯いてしまった。それから頭を跳ねあげるようにして、輝く瞳でじっと俺を見つめてきた。
「でも、そう言ってもらえれば嬉しいです。期待にそえるように、いい演技してみせます」
「ああ。期待してる」
俺がそう言い終わるのと、一限終了を告げるチャイムが鳴り始めるのが同時だった。
「先輩は今日、ずっとここにいるんですか?」
「え? どうだろうな。特に予定はないけど」
ペーターは鞄を手に立ちあがり、木陰を抜けて日溜まりの中に出た。こちらを振り返って、そこで少しだけ驚いたような表情を作り、すぐまた元の笑顔に戻った。
「二時間目は休めないんでもう行きますけど、午後良かったらここに来てくれませんか? 演技を見てほしいんです」
「朝に隊長が言ってたこともう忘れたのか? 今日はそういうのなしだ」
「二人での見せ合いも集まっての練習に入るんですか?」
「さあ。そのへんは個人の解釈だろうけど。でも危ない橋であることは間違いない。命令違反に隊長がどんな厳罰を下すか見物だな」
「私は構いませんよ? それでも」
ペーターはそう言って楽しそうに微笑んだ。そして小さく手を振りながらこうつけ加えた。
「どんな罰も怖くありません。先輩と一緒なら」
それだけ言い残して、ペーターは小走りに校舎棟の方へと消えていった。
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