297 出撃と葬送(10)

 アジトに帰り着いたのはちょうど未明といった時分だった。群青の空の裾が白みはじめるのを脇目に眺めながら、アイネのあとについてエントランスをくぐった。


 まだ闇の中にある廊下を抜け広間に出ると、先に帰還したらしい男たちがたむろしていた。


 薄暗い部屋に黒い影がひしめく光景に、そこを出る前のことを思い出した。ただ出撃前と違い、立ちこめる煙はなかった。……あれはやはり戦いに向けてのということだったのだろうか。


 目が慣れてきて、もうひとつ違いがあることに気づいた。広間に屯する彼らの表情もまた、煙に充たされた部屋の中で見たそれと同じではなかった。


 そこかしこに話し声は聞こえるが、どの顔にも深い疲れの色が見える。……考えてみれば当然の話だった。彼らはみな等しくあの戦場の土を踏み、今日という日を生き延びたばかりなのだ。


 広間に入るなりアイネは一言もないまま、出撃前にそうしていたように胸の前に腕を組んで壁に背もたれた。軽く目を閉じてうつむき、そのまま動かなくなる。


 ……わかりやすいその無言の意思表示は、今の俺にとってありがたかった。ご多分にもれず俺もまた疲れ切っていたからだ。アイネと会話を交わすのさえ億劫なほど……何もかも忘れてこのまま寝入ってしまいたいほど。


「よ、ハイジ先生」


 けれどもそんな俺に声をかけてくる者がいた。ラビットだった。小柄な背丈よりも長い小銃を背負ったラビットが、裂けた唇に気安い笑みを浮かべて人混みの中から進み出てきた。


「さっきは助かたぜ」


「……? 何のことだ?」


「後ろをとてくれたじゃねか。あれで助かた」


「ああ……もう大丈夫なのか? 撃たれたとこは」


「あのあと隊長と合流して薬をもらたからよ。おまえらはどうしたんだ? あれから」


「……逃げたよ。《鉄騎》が来たから」


「そか。けど、今回ばかりはあいつらに感謝だな。《鉄騎》が来たときの《猿》どもの慌てようと言たら……」


 そこでラビットは喉から絞り出すようにくっ、くっと笑った。


 隊長の命令があったから戦わずに逃げた。《猿の部隊》の残りはぜんぶ《鉄騎》の連中が引き受けてくれた。そんなラビットの話を聞くともなく聞くうちに、ほんの数時間前の情景が、まるで遠い昔の思い出のように脳裏に浮かんでくるのを覚えた。


 乾ききった夜の底に響き渡る銃声……うごめく黒い影と、硝煙の臭い。そのひとつひとつを確かめるように思い返す中――ある一点で、ふと回想の糸が切れた。


「――グレン」


「ん?」


「グレンは?」


「ああ、あいつなら死んだ」


 口元に浮かべた笑みをそのままに、何でもないことを話すようにラビットはそう返事をした。


「ま、運がなかたんだな」


 と、言葉を継いで、また元の話題に戻る。……そんなラビットの態度に、俺は激しい脱力を覚えた。わずかに残っていた力を根こそぎにされるような感覚だった。


 そのあともラビットは話すのをやめなかったが、もうその言葉は俺の耳に届かなかった。


 油が切れて動きを止めようとする頭で、ただ眠りたいと思った。眠気は欠片もなかった……けれども眠りたかった。今日は色々なことがありすぎた。今は何も考えず、ただ泥のように眠りたい……。


 ――と、不意に慌ただしい靴音がこちらに近づいてきた。


 目を向けるとそれはゴリアスだった。走ってきたのだろうか、俺たちの前で立ち止まった巨体は、苦しげな表情で荒い息をついている。そんなゴリアスを労うように、ラビットは伸びあがってその肩を叩いた。


「遅かったじゃねか。どうだたんだ? 首尾はよ」


 だがゴリアスはその質問に答えず、荒い息の下にかすれる声で「ルードが……」と呟いた。


「ん? ルードがどうした?」


「ルードが、上の広間で――」


 突然の銃声。


 室内が一瞬静まり返り、すぐに騒然となった。


 再び響き渡る銃声。


 周囲のざわめきは火に油を注いだようになった。早くも銃を手に身構える者がいる。そのにわかな喧噪の中に、低い小さな声が「ルードだ」と告げた。


「何だて?」


「あれは、ルードだ」


「おい、どういうことだそら」


「来い!」


 それだけ言うとゴリアスは踵を返した。その背中が廊下の闇にのまれ消えるか消えないかのところで、俺とラビットはほとんど同時にそのあとを追い、駆け出した。


 まだ光の射さない真っ暗な通路を、ゴリアスの靴音を頼りに走り抜けた。後ろから追いかけてくる靴音もあった。走り続けるうち靴音は次第にその数を増し、暗闇の中を一団となってその部屋の前にたどり着いた。


 扉は閉ざされていた。錆の浮いたその鉄扉の前に、苦悶の表情で腕を押さえうずくまる男の姿があった。


 ゴリアスが駆け寄り、その身体を抱きかかえる。カーキ色の上着の二の腕のあたりに、黒ずんだ染みが広がっているのが見えた。「おい、どうした」と、ラビットが屈みこんで声をかけた。


「……畜生」


「どうしたてんだ。誰にやられた?」


「……ルードだ。ルードの野郎がこの中に」


「なんでルードが……」


「……退却の途中で《猿》の生き残りに出くわして腹を撃たれたんだ。そんでここへ担ぎこまれて、薬がもうねえってわかったあたりから様子がおかしくなりやがった」


 ゴリアスが男の腕をまくりあげ、手際よく応急処置を施してゆく。血はもう止まっている。命にかかわる傷ではないようだ。ときおり痛そうに顔をゆがめながら、男はなおもその話を続けた。


「隊長はもう薬を持ってねえ、ここへ来るまでに使い切っちまった、って話をこいつから聞いて。そんならどの道、もう助かる見こみはねえ。早く楽にしてやろうと情け心かけたところがこのザマだ。あいつは血迷ってる。今もこの扉の向こうで、こっちに銃向けて構えてるだろうよ」


 気がつけば、後ろに人だかりができていた。その人だかりを押し分けて前に出てくる影があった。DJだった。


 いつもと同じとらえどころのない表情で「どうした?」と尋ねるDJに、近くにいた男が小声でかいつまんだ事情を説明した。


「……誰かが行くしかねえな、そんなら」


 話を聞き終えたDJは溜息混じりにそう言って、大きくひとつ欠伸をした。「放っときゃそのうち死にますぜ」と、どこからか声がかかる。同調する意見があがりかけたところで、「だから何だ?」とDJの低い声がそれを制した。


「そのうち、ってのはいつだ? それまであんな物騒なのを放っとくのか?」


 その一言で、男たちは黙った。反論があがらないのは、隊長であるDJの意見が絶対ということばかりではないと思った。……誰もが心ではそれをわかっているのだ。そしてもうひとつ、誰もが心ではわかっていることをDJはつけ加えて言った。


「それに、ノーマのやったことは間違いじゃねえ。そうなっちまった以上、とどめを刺してやるのが仲間としてせめてものつとめだ。たとえ相手がそれを望んでいようと、いなかろうとな」


 沈黙が流れた。DJの言葉に誰も反論することはできなかった。かと言って、賛成の声をあげる者もいない。


 その声を口にした者にが与えられることは誰にでもわかる。その役目の重さが、場に居合わせる全員の口をつぐませた。


「――ハイジさんに任せてはどうです?」


 その沈黙を破ったのはカラスだった。いつの間にか前に出てきていたカラスは、いきなり名前を告げられて振り向く俺を一顧だにせず、DJに差し向かい話を続けた。


 DJは応えない。ただ茫漠とした目でまんじりとカラスを見つめ返している。


「危ない仕事は新入りの役目。ならここはハイジさんが適任だ。そうじゃありませんか?」


「……待って」


 後ろから声があがる。アイネの声だ。「通して」と、言いながらアイネが人をかき分けて出てくるのがわかる。その顔が見えたところで、待ちかねたようにカラスが次の台詞を口にした。


「面白いものを見たっていう人がいるんですよ」


「……何のこと?」


「今し方の話ですよ。《鉄騎》がらみで、とハイジさんがを話してるのを聞いたって人が」


「……っ!」


「一昨日、僕が言ったことまだ覚えてますよね? 疑念が濃くなってしまったんですよ、僕としては。これからの信頼関係のためにも、ハイジさんの心が見たい。そのためにうってつけの役目だとは思いませんか? 今回のこれは」


「そんな勝手な理屈――」


「そうだな、ハイジ行け」


 アイネの言葉を遮って、DJが穏やかな声で告げた。アイネは一瞬押し黙り、だがすぐに「隊長!」と声をあげる。


 そんな彼女を無視して、DJはおもむろにこちらを見た。ぼんやりした掴みどころのない視線が、真っ直ぐに俺を見据えた。


「わかった」


「……っ!」


 軽く頷いて了解の返事をした。その返事にアイネは弾かれたようにこちらを向き、何かを口に出そうとした。けれども結局、何も言わず非難と心配が入り交じったような表情で、目を逸らした。


 それ以上、誰も何も言わなかった。カラスさえいつもの冷笑を消し、厳粛の面もちで俺を見守っていた。


 覚悟を決めて扉に歩み寄った。……そこでふと気づいて、ジーンズのポケットから銃を抜き、手に取った。


「預かって」


 そう言って俺が差し出す銃を、アイネは無言で受け取った。俺が銃から指を放すときアイネは何かを言いかけ、だがやはり何も言わなかった。


 それを確認して、俺は振り返った。


 流れ弾を避けるためだろう、残る者たちが後退する靴音を背中に聞きながら、俺は錆に覆われた鉄扉のノブに手を伸ばした。

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