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 僕と上澤さんは、また三階の面談室に戻って、元の様に座り直す。それから上澤さんは改めて、僕に言った。


「それじゃあF機関について説明しよう。質問は私が一通り話し終わってから受け付ける。まずは私の話を聞いてくれ」

「はい」


 上澤さんは部屋の隅からホワイトボードを引いて来て、そこに図を描き始める。


「F機関が設立されたのは、明治中期。情報伝達技術の発展に伴って、日本各地で奇怪な現象が報告される様になった。F機関は当初、そうした近代科学では説明が付かない怪現象全般を解明するために政府によって設立された。Fは不可思議のFだな。しかし、実態は公的な支援を受ける民間の研究機関で、政府はオカルトを取り扱う事に乗り気ではなかった。迷信を本気で取り上げる事を恥だと思っていたのか、それとも神話や伝説が迷信に過ぎないと分かってしまう事を恐れたのか」


 ホワイトボードに黒いペンで幽霊の絵が描かれる。吹き出しに簡単な目と口が付いたみたいな、デフォルメされた「オバケ」の絵だ。見かけによらず可愛い絵を描く人なんだなと、ちょっと微笑ましくなる。


「多くの怪奇現象は、人の思い込みや偶然の産物、もしくは単純な物理現象に過ぎなかった。オカルトは所詮オカルト、『何でもない』という事を証明しても、それは成果にはならない。成果にならなければ、上からの補助金も減る。そこでF機関はカリスマの研究に集中した。誰もが知っていながら、誰も説明できない事象。魅力や人徳の解明。身も蓋も無い言い方をすれば、民衆の支持を集め易く、政治的に有利な人間の研究だな。その過程でフォビアが発見される」


 上澤さんは二匹の向かい合うオバケを描き、右のオバケには小さな花を持たせ、左のオバケには蝶リボンを描き足した。男の子のオバケが、女の子のオバケに花をプレゼントしようとしてる構図。

 この人はファンシーな絵柄で何を描いているんだ? おかしな絵のせいで話が頭に入って来ない。


「やがて外国との戦争が始まると、政府と軍はフォビアを兵器として利用できないかと考えた。だが、制御が困難で敵よりも味方の被害が大きくなると判断され、実際に利用される事は無かった。それから新しい憲法の下、フォビアにも人権が考慮される様になり、今はフォビアを保護する機関に落ち着いた」


 空に暗雲が立ち込めて、男の子のオバケが持っている花に雷が落ちる。女の子のオバケの背後には、二足歩行の狼が忍び寄る。その狼の上にUFOが現れて、怪光線を浴びせる。

 ……話とは何の関係もない落書きだ、これ!!


「さて、ここまでで質問はあるかな?」

「えぇ……? あの、F機関で僕はどんな仕事をするんでしょうか?」

「ははぁ、成程。歴史には興味が無いという事だな。結構、結構」


 何が結構なんだ。本当に興味を持たせたかったなら、変な落書きはしないと思うんだけど。この人はどこまで本気なのか分からない。

 上澤さんはホワイトボードの落書きをササッと消して、次の話を始める。


「君の最初の仕事は、自分のフォビアを確定させる事だ。それによって君に任せられる仕事も変わる」

「はい」

「私達は君に期待しているんだよ、篤黒くん。さてさて、ここで働く気になってくれたかな?」


 ここまで気を持たせて、はっきり返事をしないのは申し訳ないと思うけども、僕は即答はできなかった。自分だけの問題じゃ済まない。両親ともちゃんと話し合う必要がある……けど、どう話したら良いのか、僕には分からない。正直に超能力の研究所に就職すると言ったとして、信じてもらえるだろうか?

 悩む僕に上澤さんは眉を顰める。


「何を迷う事がある? ちゃんと給料も出るぞ。そこらのアルバイトよりは確実に実入りが良い」

「その……家族に何て言ったら良いか分からなくて」

「あー、なるなる。それな。分かる、分かる。私も最初は超能力なんか信じられなかったよ。そういう事だったら、ご家族への説明はこちらに任せてくれ。説得要員を派遣しよう」

「助かります」

「それで、ウチで働いてくれるね?」

「はい。お願いします」


 僕は深く頭を下げた。


 別れ際、上澤さんは僕に書類の入った封筒を手渡した。中には就職に必要な同意書や登録申請書が同封されているとの事だ。就職したら、もう高校生ではなくなってしまうけれど、学校生活に未練は無い。まともに高校に通ってなかったし。

 僕のフォビアが彼に関係したトラウマに由来するなら、きっと僕は一生フォビアと付き合っていかなければならない。その覚悟はできている。僕は過去から逃げない。

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