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 翌日早朝、まだ日が昇らない内から、僕は笹野さんが運転する車に乗って、八王子市に向かう。出発前に笹野さんはスーツに合わせたソフトハットを被った。今回は余り目立たない方が良いんだろう。

 僕達が乗っている車の前後は警察の車列に挟まれている。決して護衛だとかいう訳じゃなくて、目的地が同じだから車の流れに乗っているだけなんだけれど、物々しい雰囲気だ。


 数時間のドライブの後、僕達は郊外の山間にある神殿みたいな巨大な建物の前で車を停めて降りる。静かな山間地に似合わない悪趣味な建物だというのが第一印象。

 ヘルメットにプロテクター、シールドで完全武装した十数人の特殊部隊の人達が先頭に立って、最初に教団本部に突入する。それからしばらくして、何十人もの警察官が建物の中になだれ込む。僕も人の流れに乗って、教団本部に進入した。

 ドタドタという足音、教団の関係者の悲鳴、警察官の怒鳴り声。騒動の中で僕はただ立ち尽くしている。ただそこにいるだけで、何もしない。何もできない。そういう無力感と焦りを胸に抱えたまま……。それが僕のフォビアを強化する。

 全てを含めた一連の流れが、僕の引き受ける役目。いや、役目と言うよりは呪われた運命みたいな物を感じる。僕はフォビアを維持するために、この無力感と付き合って行かないといけない。何て皮肉だろう。


 教団本部のガサ入れは夕方まで続くらしい。僕は建物の中心に位置する大講堂で待機している様に、笹野さんに言われた。

 昼食には警察の人から幕の内弁当を差し入れてもらえる。待機中、笹野さんが隣にいてくれたけど、僕だけが場違いな感じがして落ち着かなかった。

 大講堂には教団の関係者が続々と警察の人に連れられて来る。捜索の邪魔にならない様に集められているんだろう。

 いつの間にかマスコミも駆け付けていて、メモを取りながら警察の人や教団の人に話を聞いたり、写真を撮ったりしていた。僕は自分が教団側の人だと誤認されていないだろうか心配だった。


 それから何事もなく夕方になって、僕と笹野さんは都心のホテルに帰る。解放運動のメンバーは本部にはいなかったみたいだ。

 その日の夜、教団の主要な幹部と教主が破防法で逮捕されたとテレビのニュースで知った。解説員によると、都心の停電を計画していたのが主な容疑で、実際に停電させた実行犯が誰かは不明だと言う。事前に起訴できるだけの十分な証拠が揃っているかどうかの情報は警察内部でも十分に共有されているとは言えず、強制捜査が空振りに終わる危険性もあったのだが、証拠の隠滅や更なる凶行に及ぶ可能性も考えれば、ここで教団を止める以外に無いと判断したらしい。

 更に、今日の捜索で警察は教団に監禁されていた人を二十人前後保護できたとも話していた。もしかしたら、その中に天衣さんもいるかも知れない。そうだと良い。

 ニュースでは教団関係者に直接取材した映像も流れていた。数人の教団関係者が顔をモザイクで隠して、声もボイスチェンジャーで変えて、「天罰が下る」事を冷静に語っていた。日本武道館で預言された事が、都心の停電で現実になったと思ったと。

 ……全教一崇教は終わりだ。ブレインウォッシャーも二度とテレビには出られないだろう。テレビだけじゃなくて芸能界にも。他のカルト宗教が拾い上げないかという心配はあるけれど。

 今回の事で解放運動も苦しい立場に置かれるだろう。全教一崇教との関連が明らかになれば、これまで以上に活動が難しくなる。名前と人相が割れてしまえば、指名手配される可能性もある。決着の時は近い……と思う。



 更に翌日、事態は加速する。午前中に天衣さんが無事に警察に保護されたと、笹野さんから聞かされた。そして解放運動の一人、ワースナーが自首した事も……。

 僕と笹野さんはワースナーを回収するために、北区の警察署に向かった。笹野さんは今日も帽子を被っている。


「こちらです」


 警察の人に案内されて、僕達は署内の取調室に移動する。僕達が来ると言う事で、わざわざワースナーを留置場から出したそうだ。


「いや、助かります。ふらりと自首して来られて、身柄を勾留したまでは良かったんですが、なかなか話をするどころじゃなくて」


 安心した様な警察の人の話し方に、僕は不安を覚える。

 笹野さんが僕に代わって警察の人に事情を聞いた。


「何かあったんですか?」

「話を聞こうとするとおかしな事ばかり起きるんですよ。椅子が壊れたり、ペンが折れたり。これがあれですか? 例のと言う――」

「余り深入りしない方が良いですよ」

「……はい」


 笹野さんに警告された警察の人はスッと愛想笑いをやめて、神妙な顔で口を閉ざしてしまった。深入りしない方が良いってのは事実だけど、そこまで怖がらなくても。


 それから取調室に通されて、僕と笹野さんとワースナーと警察の人、四人が一部屋にいる状態になる。ワースナーは女の人だった。顔を隠す事もせずに、ぼんやりと疲れた目をして、椅子に座っている。

 警察の人が笹野さんの顔色を窺いながら言う。


「私は失礼した方が良いですかね?」

「そうですね」

「それでは失礼します」


 警察の人がそそくさと出て行った後で、僕と笹野さんはワースナーの対面に座る。

 ワースナーは怯えた目で僕達を見て言った。


「あなた方は……誰ですか?」


 その質問に笹野さんが答える。


「F機関の者だ」

「……じゃあ、あなたがニュートラライザー?」

「それは彼だ」


 笹野さんが僕に視線を送ると、ワースナーは驚いた目で僕を見詰めた。


「あなたが?」

「……そうですけど。武道館で会ったじゃないですか」

「あの時は暗かったし、あなたみたいな子供だとは……」


 何で驚くんだろう? ブレインウォッシャーの多倶知から聞いてないのかな?

 笹野さんは軽く咳払いをして問いかける。


「何故、自首を?」

「別に何かを企んでる訳じゃありません。もう疲れたんです。が死んだと知って……私だけが逃げ続けるのは違うかなって」

「責任を感じているのか」

「そうです。私のフォビアは物事を悪い方に拡大させる能力。『悪い方に』っていう事は、それが『悪い』と分かってないといけません。だから……」

「本当はやりたくなかった?」

「……あのカルト教団の人達みたいに、狂信的にはなれなかったって事です。私は私のフォビアを必要としてくれる人達と一緒にいたかった。それだけなんです。それだけだったのに……」


 僕はワースナーの気持ちが分かる気がした。誰でも自分のフォビアを呪わずにはいられない。それが他人に迷惑をかける様な能力なら尚更。そして、そんなフォビアを宿す原因になった自分自身の弱い心も……。


「でも……やっぱり私のフォビアは人を不幸にする事しかできないんです」


 ワースナーは俯いて黙り込んだ。仲間が死んだ事で立ち直れないぐらいの衝撃を受けたんだろう。もしかしたら仲間が死んだ事も自分のフォビアのせいだと思っているかも知れない。あれもこれも仲間のためだと自分を騙し続けるのに限界が来たんだ。


――人を不幸にする事しかできない。


 その言葉は僕の心に深く刻み込まれた。そして何度も反芻はんすうして、悲しくなった。

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