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 笹野さんが運転する乗用車は、僕とワースナーを乗せてS県H市のウエフジ研究所に戻った。そこでワースナーは地下の収容室――じゃない、保護室に収容される。

 あ、収容って言ったらいけないか……。とにかく、それもワースナーが自分から希望した事だ。もう自分のフォビアで人を傷付けたくないという切実な願い。

 僕はワースナーのフォビアを失くしたいと思う。今更フォビアを失くしても、二度と普通の生活には戻れないかも知れないけれど。それでも。



 翌日午前九時、僕はいつもの様に日富さんのカウンセリングを受ける。


「久し振りですね」

「そんな久し振りでもないと思いますけど」

「寂しかったですか?」

「いいえ」


 日富さんの冗談に僕は愛想笑いで応じる。

 東京に行っていた間、僕は人に心を読まれなかった。ひょっとして、あれこれ思い悩む事が多かったのは、心を他人に預けられなかったからなんだろうか? 一人で抱え込むから心が苦しくなる? でも、心を読まれないから安心できる事もある訳で。

 頭がごちゃごちゃして来た僕は、大きな溜息を吐いて雑念を振り払う。今はカウンセリングの時間だ。僕はただ無心で日富さんに心を預ければ良い。


 僕の心を読んだ後、日富さんは僕に言う。


「……大変だったみたいですね」

「ええ、まあ」

「人の死を見るのは怖いですか?」


 何の事なのかは、すぐに分かった。霧隠れとブラックハウンドが死んだ事だ。


「はい……って言うか、怖くない人なんかいるんですか?」

「あなたにはショックが大きかった様ですね」

「何の覚悟もできていませんでしたから……」

「覚悟ができていれば、何か違ったと思いますか?」

「……それでも何も変わらなかったと思います」


 どんな心構えをしていても、実際に見るのとは比較にならない。これからも何度も人の死を見る様なら、確実にトラウマになるだろう。

 日富さんは落ち込む僕を優しく慰めてくれる。


「あれはんですよ。あなたの責任ではありません」


 でも、その優しさは今はいらない。


で済ませて良いんですか?」

「良くないと思うなら、次に活かしましょう」

「……はい」

「あなた自身ができる事は少ないかも知れません。それでも、あなたにはできる事があります。自分のフォビアを呪わないでください。フォビアは望まれない力であると同時に、人の可能性でもあるのです。あなたのフォビアの可能性を信じてください。それがフォビアを克服するという事です」


 日富さんは人の心が読めるだけあって、僕が欲しい言葉も分かっている。僕はまだ諦めたくない。


「日富さんは信じてくれますか? 僕のフォビアの可能性……」

「当然です。そうでなければ、こんな事は言いませんよ」


 ただ全部が手の平の上みたいで怖くなるけど……。

 最後に日富さんはちくりと言う。


「それと自分の体は大事にしてください」

「あっ……はい」


 何の事を言われているかは、すぐに分かった。車を止めるために飛び出した事だ。だけど深くは追及されない。気遣われているのかな?



 日富さんのカウンセリングのお蔭でちょっと気分を持ち直した僕は、自分の部屋に帰る途中で開道くんと会った。


「向日さん、ちょうど良かった。お話があります」

「お、何だい?」

「その……」


 勉強でも見て欲しいのかなと思ったけど、言い難そうにしているところからして違うみたいだ。フォビアの事で悩みでもあるのかな?


「俺、C機関に誘われました」

「えっ」


 予想外の事に僕は驚いて思考が一時停止する。C機関が開道くんをスカウト?

 ……あり得ない話じゃない。開道くんのフォビアは他人の精神に干渉するだけじゃなくて、物理的な現象を起こすタイプのフォビアだ。C機関には似た能力の拳さんもいるし、有用だと見られているんだろう。


「それで、どうするつもりなんだ?」

「行ってみたいと思ってます」


 開道くんの答えも意外だったので、また驚かされる。えっと、前は自分のフォビアで人を傷付けたくないみたいな事を言ってなかったかな? ……やっぱり自分のフォビアを必要としてくれる人の所に行きたいと思ったんだろうか?

 そういう気持ちは分からないでもない。僕だって。


「俺のフォビアが誰かの役に立つなら……」


 ああ、やっぱりそういう事なんだな。僕は納得して頷く。

 自分のフォビアに価値を見出されて、開道くんは立ち直ったんだろう。どんな道を選んでも開道くんの自由だから、僕に止める権利は無い。でも危険な道を歩んで欲しくはない。それは僕の勝手な思いなんだろうか……。

 そして、僕は霧隠れとブラックハウンドが死んだ瞬間を思い出す。


「開道くん……」


 死なないでくれと言おうとした瞬間、ほろりと涙が零れた。不意の事で僕は自分でも慌てる。


「ど、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」


 開道くんに心配されて、僕は涙を拭いながらごまかした。


「大丈夫だ。目にゴミが入っただけだから」


 僕は呼吸を整えて、気持ちを落ち着けてから開道くんに言う。


「C機関に行きたいって、本気で決めたなら止めないよ。よく考えた上で、危険を承知で行くんだろう。でも――」

「でも?」

「……無理はしないでくれ。自分を大事にな」

「ええ、はい」


 開道くんは僕の真意を分かっていない様子で、困惑した顔で頷いた。

 C機関に入るって事は、危険な任務をこなすという事で、取り返しの付かない事態に陥ってしまう確率も高いって事だ。確率は飽くまで確率だから、もしかしたら大事おおごとにはならないかも知れないけれど。

 ああ、どうか僕の心配が杞憂で終わります様に。

 今の僕には、そう願う事しかできない。

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