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マテオ牧師と通訳の人は、裏手から武道館の外に出る。そこで二人してスペイン語であれこれと話をしていた。通訳の人は真剣に問いかけている様に見える。一方で、マテオ牧師は時々頷きながらも、首を横に振りつつ何かを言い返す。スペイン語が分からない僕は、姿を隠して見ているだけ。
十分ぐらい経って、二人の話が一区切り付いたところで、一人のスーツ姿の男性が現れて、今度は三人で言い合いを始めた。後から来たスーツ姿の男性は、マテオ牧師を一度睨むと、通訳の人に食ってかかった。
「話が違うじゃないか! どう責任を取ってくれるんだ!」
「いえ、その、それが……」
「ハァ!? 言い訳があるなら言ってみろ!」
「え、ええ……」
「このグズ! 早く言え! ナメてんのか?」
通訳の人は見た目はスーツ姿の男より年上だけど、弱い立場の人みたいだ。恫喝に怯んで発言を躊躇っている。
僕は強い憤りを感じていた。地位や権威を笠に着て、弱い人に高圧的な態度を取るなんて恥ずかしい事だ。
マテオ牧師は真剣な目でジッと通訳の人を見詰めている。通訳の人はマテオ牧師をちらりと見て、それから遠慮がちにスーツ姿の男に言い訳を始めた。
「それが……マテオ牧師は、ここの人達は信用できないと……」
「何だと? やっぱナメてるだろ、お前」
スーツ姿の男は通訳の人の胸ぐらを掴んで凄む。
もう黙って見ていられない。スーツ姿の男は体格が好いけれど、後ろから不意打ちを食らわせればどうにかなるだろうと、僕は飛び出そうとした。
その瞬間、カラスが激しく鳴き始める。いつの間に集まったんだろうか? 周辺の建物や木の上に、何百羽というカラスが止まっている。まるで東京中から集まって来たみたいだ。
余りの不気味さに、スーツ姿の男は動きを止めてカラスの群を見回す。
「な、何だ?」
「¡Detén la violencia!」
マテオ牧師がスーツ姿の男に向かって、何かを言っているけれど、外国語だから分からない。
スーツ姿の男は焦った様子で、通訳の人の胸ぐらを掴んだまま問いかけた。
「おい、こいつは何を言っている!?」
「乱暴はやめろと……」
「本当か?」
スーツ姿の男は無言で交互に何度かマテオ牧師と通訳の人を睨んだ後、ゆっくりと手を離した。そして通訳の人に向かって言う。
「俺の言葉を通訳しろ」
「はい……」
「俺達の何が信用できないって言うんだ?」
マテオ牧師と通訳の人はスペイン語で短いやり取りをした。
「あなた方は神を信じていないと」
「……そんな事は無い」
スーツ姿の男は否定したけれど、マテオ牧師は苦笑いして首を横に振る。嘘はお見通しって事なのかも知れない。
説得は無理だと悟ったのか、スーツ姿の男はスマートフォンで誰かに連絡を取る。
誰を呼ぶつもりなんだろうか?
十数秒の短い通話を終えたスーツ姿の男は、マテオ牧師と通訳の人に言った。
「会長をお呼びした。会長に説得してもらう」
ここにときじくの会の会長が来るのか……。どう説得するつもりだろうかと、僕は引き続き成り行きを見守る事にする。
約十分後、ときじくの会の会長が現れた。派手な法衣は脱いでいて、普通の青系のスーツを着ている。ボディーガードであろう男性が二人、会長に付き従っていた。
会長は先に来ていたスーツ姿の男と話をする。
「どういう事だ?」
「それが、信用できないとか何とか言われて」
「分かった。私が話をしよう。通訳を頼む」
会長は通訳の人に視線を送ると、マテオ牧師の目を見て話し始めた。
「私の事が信用できない?」
マテオ牧師は頷きながら何か言い返す。通訳の人が日本語に翻訳して伝える。
「あなたは神の教えよりも、神の力に興味がある様だ……と言っています」
遠慮の無い指摘にも、会長は顔色を変えない。
「否定はしないよ。でも、それって重要な事かな? マテオ牧師、あなたは神の教えを広めるために来日されたはずだ。日本人の多くは特定の宗教を持たないから、簡単には神の存在を信じてくれない。だけど、あなたの力を見れば考えを改めるだろう。日本人だけじゃない。世界中の人が正しい神を信じる。あなたはただ私達を利用すればいい」
会長は口調こそ穏やかだけど、僕は薄ら寒さを感じていた。
あなたはただ私達を利用すればいい。その言葉の裏には、私達もあなたを利用するという意図が隠されている。そんな気がしてならなかった。
通訳から会長の言葉を聞いたマテオ牧師は、またも首を横に振った。そして通訳の人を介して返事をする。
「目的は手段を正当化しない……だそうです」
その後もマテオ牧師は話を続ける。それを通訳の人が会長に伝える。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。あなたに足りない物は誠実な心だ……と、言っています。正しい行いの先に、正しい結果があると信じる事。それが信仰するという事だから……」
マテオ牧師はしっかりした信念を持った人みたいだ。最初から僕が見張る必要なんて無かったのかも知れない。
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