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 そして六月八日、僕は浅戸さんに送られて、東京武道館に来ていた。

 今年は梅雨入りが遅れていて、五月からずっとカラッとした過ごし易い天気の日々が続いている。

 僕はスーツを着て、ダテ眼鏡をかけ、新卒の会社員みたいな変装で、いざ敵地へ。


 信者の動員をかけたのか、武道館の席は全体の半分ぐらい埋まっている。ときじくの会は全教一崇教よりも信者が多いんだろうか? それとも熱心な信者が多くて動員力があるだけなのか? まあ、どっちでもいいか……。どうせ二度と関わらない――って言うか、永遠にお近付きになりたくない団体だし。

 この中に公安の人もいるんだろうけど、どれが誰なのか僕には分からない。僕が知る必要は無いって事だ。僕に期待されている事は、ただ一つ――フォビアを妨害する事だけだから。


 ペンテコステと言っても、教団の教えを聞くだけの集いだ。

 まずは司会の若い女性が開会の宣言の後に来賓を紹介する。国会議員に、大企業の社長に……? あの国会議員には見覚えがあるな。もしかして全教一崇教の集会にも参加していた人か?

 やれやれ。節操がないって言うか、こういう団体と関係を持っていると思われたくない他の議員の代わりに、どさ回りさせられているんだろうな。損な役回りだけど、それで議員を続けていられるんだから同情するのも違う。


 来賓紹介の後は、会長の挨拶だ。会長は意外にも若い男性。どっかのゲームにでも出て来そうな金の刺繍入りの真っ白な法衣を着て、銀色の冠まで被っているけれど、コスプレみたいで恥ずかしくないんだろうか? こういうのは法王とか、ちゃんとした権威の人がやるからカッコが付くんであって。そもそも恥ずかしいと思う神経を持ってないんだろうなぁ……。

 会長は形式通りの挨拶の後に、ようやく今日の目玉であるマテオ牧師について語り始めた。


「本日は遥か南米エクアドルより、マテオ牧師をお招きしております。地元では奇跡の人と称えられるお方で、数々の奇跡を起こされました。マテオ牧師は最も神に近い人なのです。『神を信じている』といくら口では言っていても、本心から信じている人は少ないのが現実です。我々がマテオ牧師と出会えたのも、そうした神を信じようとしない頑迷な人が多いからでしょう。そうでなければ、マテオ牧師はとっくに宗教的に重要な人物になっていて、気軽に会える人ではなくなっていたでしょうから」


 心なしか会長の言葉は弾んでいる。そんなにマテオ牧師を紹介できる事が嬉しいんだろうか?

 実際、嬉しくてしょうがないんだろう。本物の神の奇跡を見せびらかして、既存の信者の心を掴むと同時に新たな信者を獲得する、一大チャンスなんだから。


 そしてマテオ牧師による説教が始まる。僕は奇跡が起きないか、慎重に周囲を意識して見張った。

 マテオ牧師は日本人の中年男性の通訳を伴って登壇する。マテオ牧師は日焼けした肌で黒い短髪の、背の高い男性だった。壇上に立ったマテオ牧師はスペイン語で一文ずつ話して、それを通訳の人が日本語で伝えると、また次の一文を話し始める。


「皆さん、初めまして。私がマテオです」

「本日は日本のペンテコステにお招きいただき、ありがとうございます」

「私はまだ若いので、多くを語る事はできませんが、恐れながら聖書の暗誦と解釈をいたします」

「敬虔な信徒の皆さんには、聞き飽きた内容かも知れませんが、しばらくお付き合いください」

「それでは始めます。使徒言行録二章、聖霊降臨。五旬祭の日が来て、彼等が全員で集まっていると、突然、激しい風が吹いて来る様な音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中を満たした……」


 マテオ牧師の説教の最中、僕は何か起こるかも知れないと、ずっと気を張って待ち構えていた。だけど、一向に何も起こらない。僕のフォビアが効いているのか、それとも今はマテオ牧師のフォビアが働いていないのか、どちらか分からないから気を抜く訳にもいかない。


「――神を賛美し、全ての人から尊敬された。そして主は、救われる運命にある者を日々仲間に加えてくださった」

「神は今も日々清く正しく生きる人々を救ってくださいます。それを心に留めて信徒として、また人として恥じる事のない様に生きましょう」

「ご清聴ありがとうございました」


 その内にマテオ牧師は説教を終えて、深く一礼をして降壇した。僕は話の内容を余り集中して聞いていなかったけれど、そんなに変な事は言っていなかったと思う。

 マテオ牧師に動揺した様子は全くない。ここで奇跡を起こすつもりは無かったって事なんだろうか?

 寧ろ会長の方が動揺している。


 その後もペンテコステは続行されて、聖歌隊のコーラスが始まったけれど、何人かのスーツ姿の男性がマテオ牧師に詰め寄って、ああだこうだと話し合っている。

 通訳の人が翻訳に苦労している。当のマテオ牧師は平然とした顔で、首を横に振るばかりだ。

 やがてマテオ牧師と通訳の人を囲んでいた男性達は、仏頂面で散って行く。その中の一人が会長に何やら耳打ちをした。

 仲間割れ……ってのも少し違うか? マテオ牧師はときじくの会に所属している訳じゃないからな。恐らくだけど、ときじくの会とマテオ牧師では根本的な立場が違うから、すれ違いがあったんだろう。

 マテオ牧師と通訳の人は、ペンテコステの最中にもかかわらず、壁際を静かに移動して会場から出て行く。僕は何かが起こる予感がして、そっと席を立ち、目立たない様に二人の後を追った。

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