神の御心のままに

1

 C機関からF機関に協力要請があったのは、六月一日の事だった。海外から要注意人物がやって来る。パストール・マテオ・エル・ラド・デ・ディオス――南米出身の偉大な牧師にして、神への恐れを持つ男。僕が最初に戦うことになった、海外出身のフォビア。



 僕は一人だけ上澤さんに副所長室に呼び出されて、マテオ牧師の話を聞かされた。


「パストール・マテオ・エル・ラド・デ・ディオス――本名はマテオ・エステバン・マルティネス。日本語ではマテオ牧師と言われている。出身地エクアドルのF村では数々の奇跡を起こした人物として有名だ」

「超能力者なんですか?」

「神の奇跡を起こす男だと言われている。予知や預言を成功させたり、悪人に天罰を下したりするらしい。C機関の見立てでは『Theophobia』――神仏恐怖症ではないかと予想されている。問題は彼を呼び寄せたのが、新興宗教団体『ときじくの会』だという事だ」


 僕は露骨に嫌な顔をして見せる。


「また新興宗教ですか……。もしかして全教一崇教と何か関連が?」

「教義は似ているが、一応は別の団体だ。開祖も本拠地も、幹部の顔触れも違う」

「同じ様な団体が一体いくつあるんですか?」

「数えればキリがない。宗教法人の認定を受けていない団体もあるからな」

「……そのマテオ牧師は、どうして日本に?」


 地元で神様として崇められて満足していれば良いのに、何故わざわざ縁の遠い異国の地に来るのか?

 上澤さんは淡々と答えた。


「当人にとっては、神の教えを伝えるため。宗教団体にとっては、宗教的な権威を高めるためだ」

「つまりマテオ牧師は利用されてるって事ですか?」

「そうなるな。本人は真剣に自分の能力を神に与えられた物だと信じているらしい。いや、そもそも奇跡が起きるのを自分の能力だとも思っていなくて、純粋に神の力だと信じているとの事だ。そういう思い上がりの無い純真な人間が、最も厄介だよ」

「厄介?」

「悪意を持たない者を、君は挫かなければならない」

「無自覚な悪こそが最も恐ろしい悪だって事ですか?」

「そうではなくてだな……。まあいい。とにかく君の目的は、この日本にまでは神の威光も及ばないと示す事だ」


 上澤さんの洒落た言い回しを、僕はちょっとカッコイイと思った。いつかは僕も自然にこんな言い方ができる様になりたい。


「それでマテオ牧師は、いつどこに来るんですか?」

「六月八日、ペンテコステと呼ばれる聖霊降臨の祭日に、東京武道館で」

「また武道館ですか……」


 僕はげんなりする。武道館もだけど、そもそも東京に良い思い出がない。

 いや、よく考えたら東京以外も大概だったな。

 だからって辞退する訳にもいかない。警察や消防の人達と同じだ。出動するって事はトラブルが起こったって事だけど、それを嫌がってたら仕事にならない。


「また潜入するんですね?」

「その通りだ。今回も公安が付いている」

「前回はその公安の人に裏切られたんですけど……」

「今回は本当に大丈夫だから」

「大丈夫じゃなかったら、どうしてくれるんですか?」

「どうって」


 上澤さんは僕の反応が予想外だったみたいで、返す言葉を詰まらせて、驚いた目で僕を見ていた。

 僕がジッと見詰めていると、上澤さんは両腕を胸の前で組んで小さく唸りながら考え込み始める。


「どうって言われるとなぁ……。何でも言う事を一つだけ聞くとか、そんな感じのを期待しているのか?」

「何でも良いんですか?」

「いや、今のは物のたとえだよ。無理を言われては困る」

「無理じゃなければ良いんですね?」


 僕には一つの腹案があった。

 上澤さんは露骨に嫌そうな顔をした後、僕から目を逸らして言う。


「その、Hなお願いも……無理だからな」

「そんな事は言いませんよ」

「そんな事とは何だ、そんな事とは!」


 どうして語気を強めて怒るのか、意味が分からない。冗談のつもりかな?

 僕は苦笑いして言う。


「まあ、大丈夫じゃなかったらの話です。何も起こらないのが一番です」

「だから、何をお願いするつもりなんだ? 内容によっては叶えてやれない事もないから、こうして聞こうと言うんじゃないか」

「……僕の願いはP3の永久放棄です」

「それは……」


 上澤さんはまたも答えに詰まった。

 元々F機関の計画じゃないし、C機関・旧衛生保健省・公安の三つの組織が絡んでいるから、どこも単独じゃ止められない。C機関が計画の中枢から外れた今、どこの誰が新たに計画を主導しているかも分からない。

 だったら、一個一個止めてやろう。昔の偉い人は言った。困難は分割せよ。つまり各個撃破だ。


「勿論、F機関にどうこうできる問題じゃないって事は分かってます。だから、まずは公安を止めます。これまでも公安には貸しがありましたし、聞けないって事は無いでしょう」


 上澤さんは目を見開いて驚愕の表情をしていた。


「向日くん、君は……何という……」

「そんなに驚かなくても」

「いや、しかし……」

「子供が自分の考えを持ってはいけませんか?」


 僕が強い口調で言うと、上澤さんは黙り込んでしまった。

 それから上澤さんは、ぽつりぽつりと言葉を選んでいる様子で言う。


「……君がP3に、強い恨みの感情を持っている事は、私も知っている。復讐は良くないと、月並みな事を言うつもりは、ない」

「それなら!」

「それでも、私が心配なのは……君が復讐にばかり、囚われていないかという事だ。知恵が働く事を、悪いとは思わない。君の気持も、理解できる……つもりだ。だが、その事ばかりというのは……健全ではないよ」

「ばっかりって訳でもないですよ」


 僕だって四六時中P3の事を考えてる訳じゃない。将来のために勉強もしなくちゃいけいないし、他のフォビアの人達の訓練もある。ただ、ここ数週間はP3の事について考える時間が増えた。それだけだ。


「……だったら、良いんだが」

「結局どうなんですか? 公安に話をしてもらえますか?」

「そう、だな。相手の不手際があれば――」

「不手際が無くても話はしてもらいたいんですけど」

「それは……難しい。相手も抵抗するだろうから、いちゃもんでも何でも付け込む隙が欲しい。一度にと言わず、少しずつし崩す様に攻めるべきだ」

「とにかく、お願いします」

「君の本気は分かった。こちらもできる限りの事はしよう」

「お願いします」


 僕は念を押す様に重ねて言った。

 外国のフォビア持ちが来日して、それを無事に撃退できれば、僕個人の発言力も強くなるだろう。未知のフォビアだろうと何だろうと、僕の真の目的を果たすための踏み台になってもらう。

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